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『『深淵の未来』 』
海原・みその1388)&海原・みなも(1252)

『どうしたんですの? みなもさん?』
『なんでもありません。お姉さま。ただ‥‥』
『ただ‥‥?』
『私の将来はどうなっていくのだろうなって‥‥』

 深い海の底。
 灯りの一つさえなく、どんなに目を凝らしても何も見えない深淵の闇の中。
「う‥‥ん‥‥」
 何かがゆっくりと褥から身体を起こした。
「おめざめでございますか? おねえさま」
 音も無く近づきそっと単を差し出す少女も、それを受取る少女もまた闇に映える純白の肌をしている。
 どちらも互いに胸元を隠す長い髪以外の何も纏ってはいない。
 黒と蒼の髪。そして白い肌と瞳だけが色であるかのようだ。
「ごくろうさま‥‥“みなも”」
 肩にに上着をかけ、彼女はゆっくりと立ち上がり歩みを進める。
 前方はどこまでも続く闇。後ろを振り向いても同じ暗闇が続く。
 時が止まったような、いや、実際に時の留まる場所。
 一つの例外も無い、いらないその場所になぜ、そんな例外を起こしてみようと思ったのか‥‥。
「まあ、気まぐれということですわ。‥‥さあ、こっちへおいでなさい‥‥“みなも”」
 振り向いて彼女は手を差し伸べた。ぺたりと腰を下ろしたままの虚ろな目の少女に。
「はい‥‥おねえさま‥‥」
 頬には微かな笑顔。首元に伸びた白い指。
 闇の中で『みなも』を見つめる瞳と、右手のひらに浮かぶ淡い光の白球だけが輝いていた。


 それは、数日前の事だ。
 いつもと同じテレビの前、居間のテーブルの上にはお茶とお菓子。
「そうそう、この間、学校で初めての進路指導相談会が開かれたんですよ。まだ早すぎですよねぇ」
 セーラー服の少女はそう言って、テーブルの上のティーカップに指を伸ばした。
 夕食後のありふれた一時。家族はその日一日にあったことを簡単に報告しあう。
「進路指導調査なんて紙も出したし‥‥三者面談なんてしている上級生を見ていると、少し緊張しちゃいますよ」
 最上級のダージリン。透き通った紅に渋みの無い液体が喋りつかれた喉を癒してくれる。
「あら?」
 テーブルの向こう側でカップが置かれた。
「もう、卒業後の進路の事を考えていますの?」
 優しい口調で彼女『海原みその』は、妹『海原みなも』にそう問いかける。
 それは、どこから見ても悩みを持つ妹を見守る優しい姉そのもの。
 だから、妹もまたはい、ええと素直に頷く。
「少し‥‥。あ、まだまだ本当に決めるのは先の話だから。ただ‥‥」
「ただ、なんですの?」
 黒曜石のように深みのある瞳が、妹を見つめる。
 その、穏やかな視線に
「いいえ、何でもないんです。この紅茶‥‥美味しいですね」
 妹はわざと話題を逸らし、紅茶を呷った。顔に浮かんでいるのは笑み。
 ‥‥だが、それが家族を、姉を心配させまいとしている無理の塊、不器用な強がりであることは簡単に見て取れた。
 見て取れたが、それでも‥‥
「‥‥そうですわね。さすが秋摘み紅茶のファーストフラッシュですわ」
 その強がりを愛する姉は、妹を追い詰める事はせずに、その日その時は共に過ごすお茶の時間を表向き静かに、和やかに過ごしたのだった。
 胸の中に湧き上がる、自分にも正体解らぬ思いを、胸の中に閉じ込めて‥‥。


「‥‥さあ、いいですわ。目覚めなさい。みなも‥‥」
 床に横たわっていた彼女は命じられるままにゆっくりとその身体を起こした。
「貴方は、自分が誰か、解っていますわね?」
 微かに苛立ちを孕んだその問いに、セーラー服を纏った少女ははい、と頷いた。
「私は‥‥“み‥‥”‥‥海原みなも‥‥」
「そう、それでいいですわ‥‥。貴女は海原みなも。私は貴女の姉。解りますね?」
 目の前の少女が何かに苦しむような表情を見せる。
 自らの内に沸き立つ熱に浮かされるような‥‥。
 だが、彼女は頭を上げ、はいと頷いた。
「お姉さま。お招きくださってありがとうございます」
「どういたしまして。では、お茶にしましょう。手伝ってくださる?」
「はい!」
 軽くスカートを翻して走る少女の後を、満足そうに黒いドレスの娘は静かに歩き追ったのだった。

 これは、一種のゲームだとみそのは思った。
「そうそう、この間、学校で初めての進路指導相談会が開かれたんですよ。まだ早すぎですよねぇ」
 以前、どこかで見たことのあるシュミレーションゲーム。
 現実を真似て友情や、愛情を楽しむ児戯。
「あら、もうもう、卒業後の進路の事を考えていますの?」
 優しい口調で彼女は、妹にそう問いかけた。
 真剣な眼差し、真剣な口調。心から心配していると言う表情を『作る』。 
 妹は、ええと素直に頷く。
「少し‥‥。あ、まだまだ本当に決めるのは先の話だけど考えておきたかったんです。だって‥‥」
「だって‥‥なんですの?」
 黒曜石のように深みのある瞳が、妹を見つめる。
 その、穏やかな視線に
「いいえ、何でもないんです。この紅茶‥‥美味しいですね」
 妹はわざと視線を逸らし、紅茶を呷った。
「“みなも”!」
 リセット。
 これ以上同じ間違いは許さないと、みなもはプレイにストップをかけた。 
 カップを持つ手が痺れたように止まり、背筋が嘶くように揺れている。
「それは、その答えは“あなた”には許しません! それはみなもにのみ許された答え。“あなた”が答えるべき答えは違うと知っているはずですわ」
「で、でも‥‥」
 パチン!
 反論は頬の赤みに封じられた。
「お姉さま‥‥」
「“あなた”が私に口答えですか? そんなことが許されると思っているのですか? “みなも”‥‥」
 歪んだ唇に浮かぶ笑み。
 それは、美しく、そして心を持たぬように冷酷な神の微笑。
 偽りの魂の最奥に刻まれた者が彼女に逆らってはならないと告げる。顔を背けることさえ許されない。
 上書きされた心と本質が魂を割るように軋み、その身を攻め立てる。
 身を抱いて蹲る。それが彼女にできたたった一つのコト。
 彼女が抱く苦しみは余人が知ることなど到底出来まい。
 それを止められるたった一人の者は彼女の頭上から無言で目線を落とし、ただ見つめている。
 そして‥‥
「お姉さま。‥‥私は不安なのです」
 どれほどの時が経ってからか、彼女はゆっくりと顔を上げてそう答えた。
 “みなも”であればけっして持ち得ない。だがみなもであればけっして口にしない‥‥思い。
「そう‥‥」
 下を、みなもを見つめるみそのの目は長い髪に隠されて見えない。
 みそのが、他人が、みなもを自分をどんな目で見ているのか?
 彼女が自分の思いを表すのを一番恐れていた理由。
 それさえも、もはや彼女を留めることができずみなもは、涙を流しながら立ち上がりその頭を上げた。
「‥‥不安なんです。私は‥‥」
 もはや、その身を抱くこともせず、身体と心を晒す。
 手も、身体も震えが止まらない。でも彼女は、もう留められなかった。
 確信していたのはみなもか“みなも”か。
 一度言葉にしてしまえば、この不安から逃げる手段はもう無い。
 人として堕ちるという最楽な逃げ道さえもなくなると解っていたから、精一杯被っていた強がりの仮面はもう付けられない。
 だから、彼女は自らを暴く人間に全てを曝け出した。
 神に捧げられた子羊の如く。
「私は人間じゃない。どんなに取り繕って、人間のフリをしたって、そうではないことをちゃんと解っています。人が持ち経ぬ力、変わっていく身体。本当はこの世界にいてはいけない存在だと解っているんです」
 究極の自己否定。
「望んでしまえば世界さえも壊すことが出来るこの力。私は世界を壊すことさえできる爆弾。爆弾は人と同じ場所にあってはいけない。いつ爆発して大切な人たちのいる場所を壊してしまうか解らないから‥‥」
 人間にとって神にも等しき力を持ちながら、それは許されぬ存在であると自らを彼女は位置づける。
「私は、いつか人として生きる以外の道に戻らなくてはいけないのに、解っているのに‥‥今、私の前には道があって、それを選ぶことが出来て、私はそれを選びたいと‥‥思っている」
 ごく普通の人として学び舎に通い、友を作り、働き、笑い合い、泣き合い、考え、悩み‥‥そして生きる。
 当たり前の誰にでも許される権利。
 だが、ごく一部の人間には真夜中に見あげる月のように遠い夢。
「‥‥私は不安なのです。考える心さえなければ、人の命じられるまま生きるだけの獣になれば、あるいは自分の運命として未来を決定してしまえば楽になれると言うのに‥‥それでも‥‥」
(「それでも‥‥眩しい人の世界に憧れる‥‥」)
 彼女は膝を折って手を組む。
 その姿は神に自らの罪を告白し、裁きを待つ無垢な子羊。
 不安は結果が解らないことから生まれるもの。
 こうして口にしてしまえば、何かの答えが出てしまう。
 無意識に恐れ、無意識に望んでいたそれを待って彼女は目を閉じた。
 出る答えは、否定か、それとも断罪か‥‥だが
「よいではありませんか? 何がいけないのです?」
「‥‥えっ?」
 戻ってきたのは究極の肯定だった。
「だ・だって私は、‥‥爆弾で人の世を壊すかもしれない存在で‥‥そんなものが平気で人間のフリをして生きていくなんて‥‥」
「だから、なにがいけないのです? 」
「えっ?」
「貴女は貴女でしょう? 人でなかろうと、この世を滅ぼすことができる爆弾であろうと、貴女はこの世界に存在することを許された貴女なのですから思うとおりにすればよろしいのですわ」
「思う‥‥とおりに‥‥? 間違っていても‥‥いい‥‥と?」
「間違っているか否かなど、やってみなければ解りません。その選択肢が間違っているのであればいつか裁きが下るでしょう。しかし始まらない限りは永遠に終ることは無いのですわ‥‥」
「始まらない限りは‥‥」
 確認するように含むように彼女は口の中で、何度も復唱する。始まらない限りは‥‥終らないのだと。
「それに、間違いも貫き通せば間違いでなくなる事もあるというもの。未来を選ぶ権利があるのならそれを、思いっきり行使すればいいのです。神でもなければ、止めることなどできませんわ」
「本当に‥‥いいのでしょうか?」
 長い闇の彼方に光を見たように、彼女の瞳は輝いている。いや、実際に見たのだろう。希望の光を。
「いいのですわ。もちろん」
 優しい言葉、優しい微笑み。その眼差しも優しい‥‥。だが‥‥
「! お姉さま‥‥。お姉さまは‥‥」
 その時、彼女は何かに気付くように頭を上げる。彼女の瞳の奥にあるあれは‥‥
「‥‥‥‥あっ‥‥‥‥」
 手を伸ばしかけた次の瞬間、全てが溶けた。
 みそのの左手が彼女の額に触れる。氷のような指先から流れ込む原初の光。
「貴女の役割りは終りましたわ。おやすみなさい。みなも‥‥」
 白い光が彼女を書き換えていく。
「お‥‥姉さ‥‥ま」
 ぱたりと落ちた白い腕と身体を氷の眼差しで彼女は見つめていた。 
 
「実際にはこうは上手く行きませんわね。きっと‥‥」
 完璧な成功。完璧なアドバイス。
 だが同じ事を繰り返しても、上手く行きはしないと彼女は誰よりも良く解っていた。
 しょせんゲーム。
 自嘲するように呟くとみそのは足元で眠る“みなも”の髪を撫でる。
 さっきしたような行為はダウンロードしたデータの上書きを繰り返すようなもの。
 外見は変わらなくても少しずつ、確実に容量を削り負担を蓄積させる。
 こうして眠っていると見分けがつかないみなもと“みなも”
「けれども、本当のみなもも一人だけですもの‥‥」
 さらに小さく、小さく笑った。
 そう、例えて言うなら自由に飛ぶ鳥と、籠の中の鳥。
 自由に飛ぶが故に思い通りにならない、だからこそ愛しい鳥と、籠の中で思い通り。だからこそ愛しい鳥。
 もう自分がどちらにどの感情を持っているのか解らないが、やることは決まっている。
「すべてはみなもの為‥‥」 
 さあ、地上に戻り、みなもとまた会話をしよう。
 さっきほど上手くはいかないだろうが、みなもの悩みの方向を少しは変えてやれるかもしれない。
 “みなも”を褥に横たえ、みそのは立ち上がった。
 その寝顔を見ながら、ふと、さっきの会話が思い出され、胸を突く。
『思うとおりに生きればいい』
 あの時、確かにそう思った。
 未来を選択できる自由に、その悩みに嫉妬する自分の気持ちと同時に自由に空を飛ぶ鳥を愛する気持ちは確かに存在したからだ。
 だが‥‥。
 振り返るそこに広がるのは深淵の闇。
 永遠に変わることの無い自分の未来。
 自分の持ちえぬ‥‥自由。
『思うとおりに‥‥』
 自分の言った言葉を振り切るように彼女は首を振る。
「‥‥私には、必要ありませんわ。私は思うとおりに生きています。私にとってこの人生は望むべきもの。至福のものなのですから‥‥」
 前を向き、地上に戻る。


 ほんの少し、微かに浮かんだ思いを彼女は見ないフリをして沈めた。

 深淵のみなもの底に‥‥。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2006年06月15日

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