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『グランギニョールは夜にはじまる 』
エフェメラ・ー6414)&レイリー・クロウ(6382)


 闇が、舞い降りた。

 闇から舞い降りた、のではなく、闇へ舞い降りた、のでもなく――いや、そうでもあったのだが、舞い降りてきたものも、また闇だったのである。
 漆黒の外套の裾を翻し、シルクハットの位置を正すと、レイリー・クロウは、周囲に視線をめぐらせた。すなわち、彼をここへと導くことになった、膨れ上がるような《闇》の在り処を。
 そこは、人里離れた山中に、忽然と存在している建物だった。鬱蒼とした樹々に隠れるようにして建っている二階建てで、コンクリートが剥き出しの、殺伐とした印象を与える簡素な建築であった。
 レイリーは、建物の前に、無人のトラックが、エンジンをかけたまま放置されているのを見る。軍用トラックだった。
 開けっ放しの門を抜け、建物の中へ。
 時刻は夜更けである。
 建物の中は静かだった。しかしそれは、住人が寝静まっているからではなかった。
 ……正確にいうと、寝静まってはいるのだが、そこにいるものはみな、すでに死の眠りについて、永久に目覚めることのない骸となり果てていたのである。
 レイリーは見下ろす。
 血まみれの男たちの屍は、いったい何人分あったのだろうか。
 すぐに数えるのは難しかった。
 かれらは――四肢や首をもぎとられ、バラバラの状態でそこに散乱していたからである。誰が誰の首で、胴体で、手足であるのか、すぐには判別がつきかねたのだ。しかも、男たちはみな、一様に、夜間仕様の同じ迷彩服を着ていたのだから、個人を特定するのはさらに困難だったのだ。
 ここはなにかの研究施設ではないか、とレイリーは見てとった。
 何に使うのかわからない機器が並び、キャビネットにはファイルや書物の他、実験器具が並んでいたからだ。
 そして、お定まりの骨格標本のようなものも。
「……」
 血に濡れた床のうえを、音もなく歩むレイリーを、青い瞳が迎える。
「ご機嫌如何かな」
 レイリーはそう言うと、きどった調子でシルクハットをとって、優雅な仕草で身体を折った。
「こんばんは。お嬢さん」
 不思議な黒衣の紳士を、少女はじっと見つめ返していた。

「あなた、誰?」

 少女は問うた。
「私はレイリー・クロウ」
「レイ……リー……」
 少女は、ごく幼く見えた。やわらかにウェーブをおびた髪は、首のあたりで切りそろえられ、リボンで飾られている。彼女が身にまとうのも、かわいらしいフリルに彩られたもので、まるで、アンティークドールを思わせる。
 そう――、人形……。
 少女は、表情というものを失ったかのようで、訥々と話すさまも、それでいて、レイリーをあやしんだり恐がったりするふうでもなく、まっすぐに見つめる様子も、どこか感情を欠いていた。
「これは――」
 芝居がかった所作で、レイリーは研究室の惨状を示す。
「貴方が?」
「そう」
 平然と、少女は頷いた。
 まさか、と普通の人間なら思ったであろう。死んでいるのは、戦闘服を着た――見れば武器を持ったものさえいる――いかにも屈強な男たちばかりだ。こんな幼く、ちいさな少女にかれらを殺すことなどできようはずもない。
 だがレイリーは、その答を聞いた瞬間、その端正なおもてに、いいようもない歓喜に近い表情を浮かべた。面白くて仕方がない、といったふうであった。
「それはまたどうして?」
「だって」
 そのときはじめて、少女の表情と声音に、かすかにではあるが、意思のようなものが混じったように思われた。それはあえて近いものを探すなら、悪戯の言い訳をする子どもの物言いだった。
「わたしを連れて行こうとしたの」
 ふっ、と、少女の視線が移った先を追って、レイリーは、椅子にかけたまま絶命している男を見る。彼だけは戦闘服ではなく白衣であり、眼鏡をかけたいかにも科学者風の人物であった。男は頭を銃で撃ち抜かれている。すでにその血はどす黒く渇いていた。
「死んじゃったの」
「彼は……貴方の?」
 少女は頷いた。それは、どういう意味だろう。彼は彼女の何だと言ったのか。
「わたしを連れて行こうとしたの」
 少女は繰り返す。
「無理矢理、連れて行こうとしたのですね」
「いやだって言ったの。手を引っ張られたから、わたしも引っ張り返したら……取れちゃった」
「取れちゃった」
 目を丸くして、レイリーは今いちど屍の山を見る。
「……腕が、取れちゃったんですね?」
 こくん、と無邪気な頷きを見届けて、レイリーの口から弾けるような笑い声が迸った。
 これはいい。
 まるで子どもの人形遊びそのものだ。
 ひっぱって、腕を抜いて……無造作に足を折って、首をちぎって、そして放り出したのだ。
(人形が、人形遊びとは)
 ひとしきり笑ったあと、レイリーは言った。
「それで……どうします」
「どう――って?」
「みんな死んでしまったでしょう?」
「わからない」
 少女は首を振った。
「わからないわ。誰も、何も教えてくれないもの」
「ふむ」
 顎をなでた。
「かれらは……軍服を――制服を着ています。すなわち、かれらは誰かに命令され行動する兵士です。兵士は自分の意志を持ちません。命じられるまま、忠実に行動するものたちです。この意味がわかりますか?」
「…………」
「かれらに、貴方を連れてくるように命じた『誰か』がいる、ということですよ。……ここにいたら、その誰かはまた別の何かを差し向けてくるでしょう。ここにいなくても、その『誰か』は貴方を探そうとする」
「嫌」
 少女は言った。
「そんなの、嫌」
 くくく、と漏れる含み笑い。
「そうでしょうね。そうでしょうとも。そんなのは嫌だ。誰だって」
 腰を落として、レイリーは、少女の耳元で、囁くように言うのだった。
「そんなときどうすればいいか教えてあげましょうか。…………殺すんです。嫌な誰かは、殺してしまえばいいんですよ」
「……」
 少女の青い瞳に、ぽっと光がともったようだった。
「そっか」
「……行きましょう」
 ばさり――
 レイリーのマントが少女を包み込む。
 そのまま、少女と黒衣の怪人の姿は、ずぶずぶと、闇の中へと沈んでゆくのだった。


「まだ『人形』は手に入らんのか!」
 怒気をはらんだ、男の声――。
「も、申し訳ありません、閣下。すでに特務部隊を派遣しているのですが、連絡が途絶えたままでして……なんらかの不測の事態かと」
「状況を確認してわかり次第報告せよ。……いいか、なんとしても、アレを手に入れるのだ」
「了解致しました」
 敬礼を残して、部屋を辞す軍服の男を見送り、命じたほうの男は、執務机のうえに苛々と指を這わせた。彼もまた、恰幅のいい身体を軍服に包んでおり、胸元には勲章が下がっていた。
「わしのものにしてくれる」
 男は独り言を呟いた。
 残忍な笑みにその口元が歪む。
「あの機械人形はわしの……」

「嫌」

 男は、はじかれたように振り返った。
 男の執務机と、背後の壁とのあいだの――スタンドが投げかける影から実体化したとでもいうように、そこに黒い人物が立っていた。
 微笑を浮かべたレイリーと……彼の腕に抱かれ、その服にしがみついている、少女である。
「何だ、貴様ッ! どうやってここに――」
「彼女に会いたかったのでしょう?」
「……な――に」
 男ははっと息を呑んだ。
「それではまさか……!」
「この人が、あなたを連れて来いと命じた人ですよ」
 レイリーが、少女に言う。
 少女は、感情のない青い瞳を、冷ややかに、男に向けた。
「そんなの嫌よ」
 そして、あくまで、あどけないしぐさで、その手を伸ばし……
「あなたなんか、嫌い」
 男の、首に手をかけるのだった。

 ぐきり――

 異様な音だった。
 男は、何が起こったのか、おそらく理解せぬままに、首をへし折られていた。見開かれた目は飛び出さんばかりで、ごぼり、と口から血の泡が吹き出した。
 ぐったり、と力を失った、軍服を着た身体が執務机の上に倒れる。
「……」
 到底そうは見えぬのに、凄まじい力がはたらいたのだろう。
 少女の指は、男の皮膚を突き破っていて、その手は血に染まっている。
 少女は、無表情に、自らの真っ赤なてのひらを見つめた。
 野辺の花を手折るように、あまりにも無造作に、ひとりの人間の命を屠ったことを、理解しているようにも思えない。
「これで大丈夫」
 レイリーは言った。
「嫌な誰かは死んじゃいましたから」
「……」
 少女は、小首を傾げて問うた。
「次は、どうすればいいの?」
「貴方はどうしたいんです?」
「……」
「わからないなら、一緒にいらっしゃい」
 少女は振り返って、レイリーの顔を見上げた。
「私と往きましょう。闇が彩る、どこまでも、暗い道へ。いろんなことを、教えてあげますよ」
「…………じゃあ、いくわ。貴方といく」
 大して考えたふうでもなく、ただ来いと言われたから行く、といった感じで、少女は頷く。レイリーは満足げに微笑むと……黒い翼のような外套を、音を立てて翻すのだった。

(なんでも教えてあげましょう。……人形に、知識を――。面白い。実に面白いことになりそうですね)

 くくく――、と、含み笑いが闇に溶けてゆく。
 レイリーと、エフェメラとの、それが出会いであった。

(了)
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
リッキー2号 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年06月15日

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