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『キーボード序曲 』
法条・風槻6235)&玲・焔麒(6169)

 無造作、とは悪い言い方だがある意味生活感のある、けれどもデザインだけを一見して女性物とも男性物ともつかぬ洋服類はスカート、シャツと妙な具合で散らばっていてこれでは整理整頓しているのかどうかこの部屋の本人にも例え他人が来ても分かりはしないであろう。
 薄暗く青く光る文明の利器を目の前にして今、渋い茶を飲んだような表情を浮かべながら法条・風槻(のりなが・ふつき)はキーボードを叩いていた。
(…ふぅ、終わらない…)
 キーボードを叩く音はあくまで軽快な音楽のように、流行曲でもかけたように一つの乱れも無く進んでいるというのに溜まった仕事はこの音楽をあと一日、二日夜通しでかけていても終わりはしないだろう。
(引き受けなきゃ良かった…。 あー、でも仕事だし)
 働かざる者食うべからず。今時働かなくても食う者は大勢いるものだが、一人暮らしに裏の情報までも扱う風槻が働かないで生きていく事は不可能に近い。仕事も、さほど嫌いでやっているわけでもない為か文句を言うだけ言って蛍光灯を付け忘れた部屋の中、必死で請け負った仕事を片付ける。

 情報請負人の仕事は多々あるがそもそも風槻の当たる仕事は市場調査、どの商品が売れるかとネットのアンケートを企業用に纏めたりという一般企業の裏方的な物が多く、今回たまたま入った調査がそれなりの大企業の物であり、市場調査とはいえ風槻一人で請け負うのには流石に荷が重すぎたのは言うまでも無く。
「ああ、もう、頭おかしくなりそ…」
 請け負ったからにはやり遂げたく必死で動かす思考と指だが如何せん目も霞み、脳裏にちらちらと火花のような物が散っている気がする。
「だめだー、しっかりしないと」
 一人そうごちてキーボードの旋律を早める。依頼主はきっと風槻一人でこの仕事を片付けているとは知らないのだろう、でなければ納期が明後日、いや明日などと無茶な事は言わない筈だ。

 この仕事を終えたならなかなか良い金額が入ってくる。少しなら仕事を休んでいても暮らしていける。
 膨大な資料やアンケートを前にそう考え、安易に請け負ってしまったのが災いしたのかその『休んでいても暮らせる』時間を纏めて一気に数時間働かされた気分になる資料作成を彼女はそれこそ、女性がよく考える『夜更かしはお肌に悪い』などという言葉すら忘れ、結局は次の日の昼間、大きな欠伸にも似た声を上げながら保存ボタンにカーソルを合わせキーを叩いたのである。

「あたしが、ばか、だった」

 十分早く終わらせた方ではある、その自覚も依頼してきた主にもきっと満足してもらえるだろうが如何せん、折角の良い給料も休みと思っていた日数もこのままだと風槻が寝込むだけという結末に終わってしまいそうだ。
「水…あー、もういやー…」
 机に突っ伏してノートパソコンからディスクを取ると投げるようにして依頼主宛の封筒に放り込む。後は封をして会社に届けるか郵送するだけ、と風槻は立ち上がってすぐに蹲った。
「あっ…たたたたた…」
 頭痛が酷い、仕事に熱中し過ぎたせいもあるだろうが、脳みその中が妙に活発化したこの状況、今までやっていた仕事内容のが別の情報までを伴って見える遠見の能力。
 ふらふらと立ち上がって封筒に糊付けをしなんとか玄関まで出たもののこれはかなりの重症だと自覚した。
(まぁ、いいか。 どうせもう届けるだけ…と)
 依頼された会社に届けるか封書で郵送。風槻自身の状況を考えると郵送が手っ取り早いと初めから切手いらずの封筒を力無い深緑の瞳は見つめ外を出る。

 東京は春も終わり既に梅雨。夏も間近と随分奇妙な天候で風槻の着る黒いノースリーブから出た腕が小雨の降る濁水のような景色に白く映えたが彼女にとってそんな事よりも妙な蒸し暑さの中、中途半端な雨と少し歩く郵便局へ行くという事の方が重大かつ、考えるだけ億劫ではあったが。
「ついてない…。 ま、仕事だし」
 この際割り切るしかない、足も頭も重かろうが蒸し暑い中で目は霞み疲労困憊している自分の状況は理解できたものの納期は納期。郵送ならは尚の事今日送らなければ間に合わず、どう見ても体調が悪いとばかりに進めた歩みを一層重くして風槻は自宅から一番近い郵便局へと足を運んだ。



 都会の空気には慣れてきたものの、慣れたというだけで好きというわけでもなくだからといって嫌いでもない。
 自らが気紛れに開けている薬屋から出れば人間の世の酷く矛盾した生き物の特徴を垣間見る事が出来て面白いのだから、玲・焔麒(れい・えんき)はこの人の世に留まる事をやめる事は出来ないのだ。
(人がこの世から消えるというそんな時にお金の話ですか、随分とご用意の良い事ですねぇ)
 半ば嘲笑的な笑みを口元に見せながら今しがた薬を届けた家を思い起こす。
 見た目だけならば資産家の大黒柱を看取る感動の大場面。焔麒の調合した薬を注文してきたのだからそれなりの値は張るというものでどれだけその人物の為に様々な薬屋を訪ねたのかが伺い知れる。
 が、長い年月を生きている焔麒が見たところ、調合した薬は元々あまり意味を成さないと踏まれた上での注文だったのだろう、別の部屋からは早くも遺産相続の言い争いが聞こえていた。
「まぁ、暫くは相続も必要無いと思いますが」
 嘲笑から悪戯っ子のような笑みに変えた青年の顔は随分と晴れやかで、薬を届けた相手が確実に回復する事を見越している。

 店主自ら届けた薬を飲むその瞬間に立ち会ってから去る。久しぶりになかなか時間を取られた気もするが生きる時間が元々永遠に近い為、焔麒は来た道をゆっくりと戻りながら小雨に濡れる青銀の髪を淡く湿らせ。
「ああ、これは乾かさなければいけませんね」
 焔麒の営む店にはあと数分で辿り着ける距離、元々騒々しい場所ではなく人通りの少ない場所にかまえた店だ、帰る途中の道には空き地やコンクリート壁に挟まれた細い路地もいくつかあり、その中でも黒い服に身を包んだ、けれど白い肌の露出した女性を視界に捕らえながら彼は自らを乾かすのか、それとも目の前の女性の事を言うのかどちらともつかぬ表情で首だけを傾げるのだった。



「あ、あのう、大丈夫ですか?」
 風槻の目の前に郵便局員の歳若い女性が呼びかけてくれた。
「大丈夫、なわけ、ないじゃない」
 声を出すのがやっとで普段何気なく言葉を発しているのが嘘のようなこの乾いた音、肺に入る空気の痛み。こうなってしまうのならば大丈夫か呼び止められた時に今発した言葉と共にあの場所で倒れておけばよかった。
(無理な話…)
 呼びかけてくれた局員の姿は幻であり風槻の霞んだ瞳が見せた幻影だ。分かっているのについ出た言葉に無駄な体力を消耗したとまたコンクリートの塀にもたれて蹲る。
 自宅まではもう少しだというのにこの有様、死んでも死に切れないような道端での行き倒れ、自分の人生に喜劇的な終止符を思い浮かべては虚ろになった瞳を天へと見上げるとそこには同じく小雨に濡れた、浮世離れした赤い中華服の目立つ、けれど雰囲気的には落ち着いた青年が風槻を苦笑しながら見つめていて。
「あ、きれい」
「有難う御座います」
 思考回路がぼやけているせいか、助けてよりも人物の感想を素直に述べた風槻の細い肩を珍しい青銀の髪の青年は持ち上げ宙に浮かせた。
 それがどんな風に担ぎ上げられたのか、俵のように担がれたのか、はたまた背負われたのかまさかお姫様抱っこというものだったのか理解できぬまま。ただ自分とは別の温もりに身を任せた風槻が暗闇と、まどろんだ意識の中に見たものは木造の部屋、口に流し込まれた苦い何か。助かったのかは分からぬまま、ただ重い瞼と共にもう一度闇に意識と身を預け。

「あっ、仕事…! …っ、あたたたたたた…」

 暖かく柔らかな場所から飛び起きて一言、大声で叫ぶと頭のてっぺんから背中に響くような大きな痛みが駆け巡り身を丸める。
「…? 布団……。 ―――ここ、どこ?」
 自宅のものはベッドで布団というよりブランケット。けれども今風槻が身にかけているのは暖かな布団と纏っているのはノースリーブの黒い服ではなく浴衣のような旅館にでも泊まった時に着る物ので、郵便局に行ってそれからの経緯を思い出すのにもう一度頭を捻った。
(仕事は…提出済み、家には…ぁ…)
「おやおや、大きな声が聞こえたと思ったら何か考えごとですか?」
 障子、とも違うだろう、風槻の頭の中で最初に思い描いたのは中国の資料で見た事のある戸。今すぐにそれを思い出せと言われれば難しい事ではあるが、そこから覗いた端整な青銀の髪の青年の事ならば覚えがある。
「あ、あの…ここは…?」
 声を出せば緊張と警戒で上ずった妙なトーンの音が出て、相手の青年はさも可笑しそうに淡い香の煙が香る香炉を戸の手前に、盆を持った方の手はそのままに風槻に近づいてきた。

「貴女が倒れていらした場所近くの薬屋ですよ」
「は、はあ…」
 物腰丁寧、穏やかな雰囲気から風槻よりも年上に見える青年は、盆の上にある何か変わった香りのする茶を差し出しながらその摩訶不思議な光を放つ月色の瞳で飲みなさいと促す。
「あの、有難う御座います。 その…」
「玲焔麒。 ああ、呼びづらいのでしたら焔麒で宜しいですよ」
「焔麒…さん。 あたし、は―――」
 ごくり、と喉を鳴らして無警戒にも茶を胃に流した。
 薬屋、なにより焔麒の雰囲気がさせる技か、近づいた目と鼻の先の顔すらただ看病の為と妙に意識が繰り返し鳴り響く。
「法条風槻さんですね? すみません、もし病院にかかるような事になったしまったらいけませんので身分証の方を拝見させていただきました」
 しっかりと胸元のポケットに入れていた筈の身分証は今風槻の見える位置に畳んで置かれている服の中で、普段自室内で過ごす事の多い情報請負人の中核を突かれたような気になり口内に含まれた茶の苦味がようやく意識内に刺激を伝え始める。
「いろいろ有難う御座います。 けど…」
「はい?」
「な、なんでもありません…―――」
 身分証まで見るのはどうだろう、言いかけて顔が熱くなるのが分かった。
 焔麒の言う事も尤もで理解は出来る、だから良いだろうと思うも顔の熱さが止まらないのだ。初めて顔を合わせた時『綺麗』と言ってしまったのは勿論覚えているしきっとそのせいだろう、起き上がった身体を丸めるようにして逸らした瞳を少しだけ青年の方へ向けもう一度心臓が高鳴るのを感じる。
「あ、あのっ、お茶…何入れたんですかっ…!」
 すぐそこに青銀と金の瞳を捉えてしまい咄嗟に言葉を出す。
 いくらなんでも近づき過ぎだ、湯呑みを風槻の手からとりあげ盆の上へ戻し、それでも焔麒はのしかかるようにして自分の方に身を寄せているのだからどうしたものだろう。
「ああ、この薬ですか?」
「へ?」
 近づき過ぎた距離が離れ一息ついたのも束の間、茶だと思った飲み物が薬と出て脈がどんどん速くなっていく。
「倒れられていた時よりは随分と回復されたようですから、新しい薬をと。 主成分はインヨウカクだったでしょうか、神経衰弱にも効果はあります」
「い、インヨウカク…」
 漢方薬の予備知識など風槻にはそれ程無い。一般的に人参がどうのというその程度の中で、薬の名前だけがパソコンの漢字変換のように早く、息の上がる速度を速めるのと同じ速度ではじき出され。
「少しばかり、副作用もありますけれども、ね」
 やっぱり。風槻の中で意識がはじけるようにしてぐったりと布団の上に文字通り、雪崩れ込む。
「おや、少し効き過ぎですか?」
「え、焔麒さん…? ふ、副作用って…」
 そのまさかです。
 にこりと笑った笑みがまた綺麗だと、思う風槻が悪いのか矢張り薬の副作用のせいなのか胸元の容易に肌蹴られる着物は艶やかに布の上に広がり、仕切りなおしとばかりに近づく焔麒の指先が喉元を伝う。

「ちょ…! これは副作用のせいよっ!?」
「ええ、分かっております」
 最後に出た言葉になっている言葉が言い訳じみていて承諾の意を相手に伝えてしまったのだから、風槻にとってこれ程までの不覚はないだろう。息のかかるその側で見た焔麒の顔からは眼鏡が取り去られており、淡い香の香りと共に、甘い息はまだ名も知らぬ薬屋の店内に溶けていったのであった。



 無造作に置かれた衣服と共にパソコンの明かりでしか照らされない女性が一人、キーボードを叩いている。
「もうそろそろ納期ね」
 あと数分で仕事を終わらせなければ情報請負人の信頼が下がってしまう。が、女性―――法条風槻の奏でるリズムだけの曲はそう言ったかと思うとすぐさま止み、ディスクとそれを入れる封筒に手を伸ばす。
「今回は余裕。 と、ちょっとぶりにあの店に顔を出そっか…」
 ボードから弾き出されるリズムの無い風槻の部屋は随分寂しく、糊付けをされた依頼品を軽く手の内で回しながら彼女は以前とは違う、少しだけ軽い足取りで玄関のドアノブを捻った。

 パソコンの近くにあるマグカップ。コーヒーとその横に置かれた、無造作で生活感のある部屋には不釣り合いの小難しく書かれた漢方薬の袋を残して。




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東京怪談
2006年06月12日

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