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『大地の妖精 』
ユーディト・ギレス5793


 昼間に降った小雨が未だに残っているのか‥‥小さな道を取り囲んでいる木々の葉には、今でも小さな雫が残っている。
 足下に生えている雑草は木々に陽射しを遮られているにも関わらず、長年放置されていたからだろう、時折膝にまで掛かる背の高いものが混ざっている。
 草の根っこで固められているはずの土は、どこからか流れてくる小さな水によって溶かされ、気を抜くと足を取られて転倒することになりかねない。
 ゴロゴロとあちこちに転がっている石も同様に冷たく濡れ、気休めにもならない月明かりに照らされて光っていた。
 ‥‥‥その石や草の一部に、本来あるはずのない赤い色素が混ざって見えるのは、決して見間違いではないだろう。

(調査依頼とはいえ、こんな場所に来る事になるとはな‥‥)

 気乗りしない依頼を受けたからか、どうにも苛々とする気分を落ち着けるために愛用のジッポライターを指で鳴らし、シュッ‥‥と音を立てて火を灯す。
 そのまま火を咥えた煙草にまで近づけて、小さく息を吸って火を付けた。
 ‥‥‥白い煙は一息吐かれて空に散ると、静かに頭上に向かって流れていく‥‥‥

「ぁ〜‥‥くそっ。何でこう、変な依頼ばっかり受ける事になるんだか」

 ぼやき‥‥と言うよりも本当に嬉しくも無さそうに、“怪奇探偵”草間 武彦は煙を吐いた。
 漂い始める煙草の香りの中、武彦は足を滑らせないようにだけ気を付けて屈み、雑草に付着している赤色の正体をサッと確認してから頷いた。

(雨に打たれても消えない血痕。常に湿った不自然な森。流れの出所が読めない小川‥‥間違いなく、ここが現場だな)

 武彦は、頭に叩き込んできた情報と現在の状態を照らし合わせて差異を確認する。
 ‥‥‥武彦が現在来ている場所は、ほんの一週間前に三人家族の一家心中が起こった事件現場である。
 何でも最近よく聞く、借金苦による自殺らしい。が、別に武彦は同情もなにもしなかった。
 不幸慣れしてなかったのか、それとも逆境を覆す程の気力がなかったのか‥‥‥どちらかと言えば腹が立ってくる。こっちは常に貧乏に悩まされ、その所為で依頼の選り好みも出来ないというのに‥‥

(現場に間違いはないんだが‥‥‥さて、どうするかね。まだ“本人達”にも会ってないしな)

 段々と灰になりつつある煙草を、名残惜しそうに一息強く吸ってから携帯灰皿の中へと仕舞い込む。
 武彦が思考を巡らしながら待っているのは、思っている通り、この“事件現場を作り出した本人達”である。
 さすがに借金苦で一家心中するような相手である。当然この世にやり残した事もたくさんあるし、何より苦しんだ分、日常を生きている者と自分達を死に追いやった者達が憎くて憎くてしょうがない‥‥‥と言った所だろう。
 事件が発生してからというもの、この森の中でお世辞にも愉快とは言えない“怪異”として現れ始めたのだ。
 曰く、調査していた警察や現場保存が解かれて通りかかるようになった通行人に取り憑き、近くにいる者に対して暴行を働くようになっているらしい。
 最初の内は怪異などを信じようとしなかった者達も、一週間経ってギブアップをしたらしく、“怪異探偵”として名高い武彦の元へと連絡を入れてきたのであった。

(名高い、か。こういう事件とは、あんまり関わりたくないんだが‥‥‥)

 しかしこの事件を解決すれば、報酬を引き替えにまた知名度が上がってしまうだろう。
 ただし“探偵”としてではなく“怪異探偵”として‥‥‥‥だが。
 怪異からは出来るだけ距離を置いておきたいと願う武彦にとって、出来れば遠慮したい通り名だった。





 さて、現場までは来たものの、武彦にとって出来る事など現場確認ぐらいである。
 今まで怪異が関わる事件を解決してきた武彦だが、別に霊感があるというわけでも特殊な能力があるわけでもない。
 武彦にとって、出来る事は―――

 一つ、現場確認。
 二つ、怪異発生の原因捜査。
 三つ、‥‥‥実際の怪異から全力逃走。

 ‥‥三つ目を情けないなどと言わないで欲しい。大勢のヤクザから逃げ切るぐらいの戦闘力と体力は持っていたが、それは怪異を相手にするには関係のない能力である。
 故に武彦が出来る事は一つか二つ。怪異が起こっている場所を特定し、その原因を突き止め、解決出来る“能力者”に連絡を入れる‥‥という行動だ。
 幸い探偵という職業柄か、それともそう言う輩を引き付ける“運”でも持っているのか‥‥‥連絡先は山のようにストックしてある。特に事務所にいる嬢ちゃんとか。

「はぁ‥‥‥もう二時、か。いったん事務所まで戻るか」

 しばらく時間を掛けて思考し、調査していた武彦だが、不意に目に入った腕時計の針を見つめ、溜息を吐いた。
 既に深夜の二時を回り、この山中の現場に到着してから二時間以上経つ。
 出来れば怪異そのモノを視認してから帰ろうと粘っていたのだが、そう簡単にはいかないらしい。
 最低でも行っておきたかった現場確認だけは出来た。さすがに一晩の内に解決とはいかなかったが、まだ調査期間は数日を残している。
 その間に怪異を見つけて解決出来ればいいのだ。
 有り難くもない通り名だったが、御陰で怪異相手の場数は踏んでいる。
 焦って捜査をする事の危険さは身に染みて理解していた。
 だからこそ、これ以上の捜査は危険だと判断したのだが‥‥‥‥

(‥‥‥なんだ?)

 新たに取り出した煙草に火を付けた時、武彦はその異変に気が付いた。
 周囲には風はなく、葉が擦れる音も、山中にいる限りは必ず聞こえてくるはずの虫の声も聞こえてこない。
 だと言うのに足下に茂っている雑草はザワザワと揺れ動き、吐き出した煙は“弧を描いて足下へと”流れていっている。

「‥‥‥‥ッッ!」

 瞬間、武彦は煙草を投げ捨てて後方へと跳躍した。それは背筋に走る悪寒であり、反射的な危機感知能力がさせた行動である。
 その直感により、それを追うようにして現れる鋭い爪は、あと一歩という所で武彦の身体に触れる事が出来ずに舌打ちするかのようにしてグルグルと回っている。
 ‥‥‥‥まるで煙のように軽く、そして不透明なビジョン‥‥‥
 いや、実際それは煙だった。
 武彦の投げ捨てた煙草の煙は湿っぽい地面に落ちたにも関わらず、まるで水など無いかのように、変わらず煙を立ち上らせている。
 そしてその煙は‥‥‥風が無いにも関わらず、武彦を襲った爪と同様にグルグルと円を描くように回転しながら中に渦巻いている。

(出て来たか‥‥だが)

 話に聞いていたのとは大分違う。自分が聞いていたのは、どちらかと言うと人間や動物に取り憑く潜伏型の怨霊だったはずだ。
 こんな‥‥自ら形を無し、突然食らい付いてくるようなタイプではなかった筈だ!!

(日が経って強くなったのか‥‥‥厄介だな。質量があるんなら格闘も出来るんだろうが‥‥)

 襲ってきた爪を見るだけでも解る。あれの身体は煙で構成され、残念ながら物理的な攻撃手段では素通りする過ぎるだけだろう。
 しかも夜の森の中で視界も悪く、足場も最悪。こちらからは攻撃手段はなく、あの四本足で駆け寄られたら逃げ切る事も―――

「しまっ‥‥!?」

 ビュン!と、首を目掛けて繰り出された爪を回避する。
 武彦が煙草の煙に意識を向け、思考している間に変貌を遂げていたのだろう。灰色の煙は闇夜に駆られて真白に染まり、禍々しい白狼として君臨する。

(疾い!)

 身体から煙草のような薄い煙を吐き出しながら駆け寄り、その爪を振るってくる白狼から身を躱しながら、武彦は舌打ちした。
 白狼の攻撃速度は、最近発生したばかりの怨霊のものとは思えない程に速く、執拗だった。
 精確さにはいささか欠けるが、それでも手数の多さが厄介だった。
 ‥‥‥何しろ足場が悪いため、気を抜くと足を滑らせて転倒しかねない。
 しかし一々足場を気にしていては、速度の速い怨霊からの攻撃を躱す事など出来はしない。
 この矛盾は、誰がとっても、武彦の敗北を予感させていた。

「このっ‥‥俺まで仲間に引き込むつもりか!」

 叫びながら、反撃しようともせずに木を盾にしながらあくまで逃げる。
 武彦は銃などと言う便利なものも、超能力じみた異能力も持っていない。
 あるのは只、人間として得た体力と直感のみ!

―――オマエモオマエモオマエモ!!―――
「!?」

 武彦の脳内に木霊する怨霊の声。
 それと同時に、目前からの攻撃を躱し続けていた武彦の真横から、重い衝撃が訪れた。

「! ッ、まだ居たのか」

 痛む脇腹を押さえながら後退し、不意を突いて突進してきた敵を凝視する。
 先程から相手をしていた煙の獣‥‥‥それが二体、木々の合間に、まるで本物の野生動物のように喉を鳴らせ、獲物を見つめている。

―――コロセコロスコロサセロ!!―――
「ああ‥‥そう言えば、心中したのは三人だったか‥‥」

 てっきり三人分の怨念が固まったのが白狼だと思っていたのだが、ハズレだったようだ。
 敵を一体だと勘違いし、周囲への警戒を足下に向けてしまった分、反応が遅れたのだ。
 敵は三体‥‥不意を突かれて身体にダメージを受けた分、今までのように躱し続ける事は出来そうにもなかった。

(まずいな‥‥‥この身体じゃ、いつまでも逃げられるもんじゃない)

 しかしだからと言って、倒すという選択肢はない。
 ならば逃げる‥‥術もない。

「くっ‥‥‥こんな所でこんな奴等に」

 背筋に躙り寄る死神を感じながら、武彦は三体の怨霊を視界に収め、ジリジリとゆっくりと後退った。
 三体揃った事で包囲するつもりなのか、煙の狼達はこちらから顔を逸らさずに距離を取り、正面に一体残して左右に回る。
 全方位を囲まれないのは良かったが、それでも一体は死角から襲う形になるだろう。

―――シネシネシネシネシネ!!!―――

 逃げる手段のない武彦に、三体が同時に走り出す。
 武彦も殺られるつもりなど毛頭無い。しかしこの悪条件下に置いて、いったいどこに武彦の生き延びる術があるのだろうか‥‥‥?
 いっそ誰かが通りかかって助けてくれればいいのだが、そんな奇跡のような可能性に賭ける程、武彦も酔狂では‥‥

―――コロセコロセコロ‥‥!?―――

 ドッ
 重々しい音。
 恐らく、巨木に斧で斬りつけたら、こんな音が鳴るのだろう。
 狼達の声は途中で途絶え、今ではまるで悲鳴を上げるかのように遠吠えを放ち、音を立てた仲間に向かって騒いでいる。

「‥‥斧?」

 見ると奇っ怪な光景だった。
 暗闇の中、薄い光を纏った両刃斧が狼の一体(武彦の左側に回り込んでいる奴だった)の胴体にめり込み、身体を両断せんとしている。
 しかし投げつける力を加減していたのか、斧は狼の胴体を両断して突き抜けるギリギリのラインで勢いを弱めて停止し―――

「消えろ『穢れ』」

 そう、無慈悲な言葉と共に柄に掛けられた手を意識した瞬間、そこからだが爆発するかのように弾け飛んだ。

(な、なんだ?!)

 武彦は目を見張り、狼達は浮き足立つ。
 まるでその部分だけ切り取ったかのように月明かりに照らされている場所に、斧に手を掛けたまま、光に浄化されて虚空へと消え行く怨霊を見送る一人の女性‥‥
 武彦も知らない大地の守護者。
 不浄なるモノを『無』へと帰させる守護妖精‥‥‥
 ユーディト・ギレスがそこに居た。

(人間‥‥‥いや、違う)

 グルン、と斧を回転させて引き戻し、視線を残った狼達に向ける女性‥‥‥
 その仕草を見ただけで理解した。あれは自分でどうにか出来る“存在”ではない、と。

「‥‥ここにいる『穢れ』はそれだけか」

 特に武彦に言っているわけではないのだろう。
 視線はあくまで、武彦に襲いかかろうとしていた狼達に注がれている。
 仲間を浄化し、自分達に対して敵意以外の何物も持ち合わせていない視線を向けられ、狼達の本能が反応する。
 すなわち『逃げろ』、と。
 しかしここで後退した所で、怨霊に逃げる場所などあるだろうか?
 たとえ勝ち目が欠片も見えないとしても―――

―――ヨクモヨクモヨクモ!!!―――

 ただ憎しみに駆られて疾駆する。
 そして目前にあるあらゆる障害を喰らい尽くす事こそ、彼等が存在し続ける事が出来る理由である。
 それを捨てる事が、どうして出来ただろうか?
 たとえ‥‥‥‥

「来い‥‥。私がお前達の呪縛を解き放とう」

 攻めようと退こうと、訪れる結果が同じだとしても‥‥‥‥






 武彦が見た光景は、あまりにも静かな光景だった。
 狼達は自分などには目もくれず、横を駆け抜け、真っ直ぐに現れた女性に突進していく。
 だが、その体が女性に触れる事などあり得ない。
 女性が片手に嵌めていた盾からは薄い光が展開され、それが狼達の穢れた爪からの攻撃機を尽く受け止め、むしろ触れた部分を浄化させていく。
 ‥‥‥それもそうだろう。
 相手を苦しめようと、出会った者達に苦しみを与えようとしかしない汚れた存在が、天上の技術によって強化された存在に対し、どうすれば傷を付ける事が出来るだろうか。
 そして―――

「お前達も還るがいい」

 妖精の楽園にて創り上げた大地の斧は、空間ごと穢れた存在を無に還す!

―――‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥―――

 それは勝負でも、戦いでもなかったのかも知れない。
 駆け寄ってきた怨霊の狼達は、それこそ数秒持たずに浄化され、森の中から消滅した。

「‥‥‥‥すごい」

 思わず声を漏らしてしまう。
 武彦が知る中でも、女性の戦闘力は群を抜いている。
 一体どれだけの神秘を内包しているのかは計り知れず、およそ人の域で計れる者ではないだろう。
 ‥‥怨霊立ちは両断されて金色の光となって空に掻き消え、それを見送っていた女性は、残った武彦に一瞥を向ける。

「‥‥‥ぁ。すまない。助けて貰って感謝する」

 本人にその気があったのかどうかは怪しく感じていたが、それでも武彦は礼を言った。
 案の定、女性は特に感情も込めない瞳で武彦を睨みつけた上で‥‥

「エルデを汚した者を、助けた覚えはない。負の意志に穢された大気の声を聞いてここに来、そしてそれを払った。それだけだ」

 冷たい声。恐らくそれは真実そうであり、聞き付けた先に武彦が居ようと居まいと、変わらずに同じ事をしたのだろう。
 武彦は女性の厳しい反応に、もしや自分にまで襲いかかってこないかと一歩だけ退き‥‥

「‥‥‥なに?」

 いつの間にか‥‥‥目を離した気もないというのに、その姿が、文字通り“消えている”のに気が付いた。

(どこだ!?)

 周囲を見渡す。しかしその姿を見つける事は叶わず、ようやく戻ってきた風と虫の声感じるだけに止まった。
 ‥‥‥怨霊達が祓われた事で、この森が生き返ったのだろう。
 武彦が行ったわけではないが、どうやら、仕事の方は完了してしまったらしい。

「‥‥今度会った時には、改めて礼を言わないといけないな‥‥」

 苦笑し、逃げ回っている間にどろどろになった足を動かして森の中を歩き出す。
 今度会った時には、出来れば一体彼女が何者なのか、それを聞きたいものだ。
 ならばこそ‥‥

「これだな」

 せめてそれまでは、彼女の言う『穢れ』を広めないようにしておいた方が良いだろう。
 武彦は投げ捨てた煙草を拾い上げ、新たな煙草に火を付けた‥‥‥‥









★★参加キャラクター★★
5793 ユーディト・ギレス

★★ライター通信★★
 初めまして、メビオス零です。
 初ノベル、誠にありがとうございます。納期には遅れてしまいましたが‥‥すいません。
 さて、このノベルですが‥‥うわぁ、出、出番比率がすごい事に!
 むしろ主役が武彦になっているような‥‥まぁ、事件の視点から見て、結構仕方ない気もするんですが、申し訳ありません。
 ノベルについて感想、注意点などがありましたら、容赦なくおっしゃってください。出来る限りの改善をいたします。

 では、今回のご依頼、改めてありがとうございました。
 もしよろしければ、これからもよろしくお願いします。(・_・)(._.)

追伸;武彦は煙草の投げ捨てをしないだけです。これからも吸い続けるでしょうw
PCシチュエーションノベル(シングル) -
メビオス零 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年06月12日

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