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『per annum 』
千住・瞳子5242)&槻島・綾(2226)

 濃い影に風景が切り取られる。
 その明確な明暗を覗き込む、千住瞳子の肩には無駄に力が入っていた。
 睫に先にガラスの気配を感じる程至近に、滲みすらしない黒に際立つ緑の景色は花満ちる春に魁る緑の景色だ。
 冬を越えて一斉に芽吹き、鮮やかな印象を伴って萌え出る若葉に目を細める。
 雲の流れ、僅かな風に揺れる枝、陽の加減。どの一瞬を切り取れば最も望む写真になるだろうかと、逡巡にシャッターを押すタイミングを掴めないまま、瞳子は随分と長い間、同じ姿勢で固まっていた。
「瞳子さん」
「ハイッ?!」
故に背後からの不意に名を呼ばれ、声が裏返る。
「な、何でしたでしょうかっ?」
「いえ」
瞳子の不自然な動揺に声の主、槻島綾は苦笑を浮かべた。
「驚かせてすみません……でもそろそろ、冷めてしまいませんか」
言われて示す指の先を見れば、オーダーしたカフェオレが湯気を上げる熱を失って何処か寂しげに瞳子の前に据えられている。
「あ、ゴメンなさいッ、頂きます!」
慌ててカメラを脇に置き、瞳子はカフェオレボウルを両手でがっしりと掴んだ。
 ホットとアイスの中間に、微妙な生温さを持った液体をくーっと一息に飲み干して、瞳子は「あッ!」と小さく声を上げた。
「どうかしましたか?」
しおしおと肩を落とす瞳子を案じて、綾が身を乗り出す。
「写真を撮ろうと思ってたんです……」
地元の窯で焼かれた陶製の器はカフェオレボウルは言うよりも抹茶椀と呼んだ方がしっくり来る風合いだった。
 しかし用途を限定しない風が却って面白く、瞳子はオーダーが来たら写真を撮らせて貰おうとカメラを引き出したのだが、そのまま窓の外に気を引かれて今に至った次第である。
 放置されていた時間を示し、縁から少し下に茶色い輪を作るボウルを覗き込んで、瞳子は迂闊な己を嘆いて息を吐く。
「お好きなんですね」
「え、えっ? 何がですかッ?!」
動揺隠しきれず、何やら後ろ暗さを覗かせる反応で瞳子が明確な対象を求めて問い返すのに、綾は穏やかに答えた。
「カメラ」
テーブルの上に黒々とした存在感を持って据えられるそれは、女性が持つには重たい一眼レフと呼ばれる類、かなり本格的にカメラに打ち込む人種の持つ品だ。
 瞳子は綾からカメラに視線を移し、また正面に顔を向けてこくこくと何度も首を縦に振る。
「えぇ、好きなんです、父のお下がりで少し恥ずかしいですが……」
確かに古い機種だが、カメラに関しては新旧の別が質に比例する事は少ない。
 一番上の姉が生まれた時に購入されて以来、千住家の家族写真を撮り続けてきた古参ながら未だ十二分に機能する重鎮である。
「手に取っても?」
求められるに否やなく、瞳子はずしりと重いカメラを綾に差し出した。
 瞳子の手首にかかる加重を易々と受け取り、綾は丁寧に検分する。
「仕事柄、時折カメラマンに同行する事があるんですが、商売道具だからというだけでなくカメラをとても大事になさってる方が多いですね。皆さん一様にデジカメの隆盛を嘆かれてますが」
言いながら綾は、カメラを構えてファインダーを覗き込む。
「え、えッ、綾さん止めて下さいフィルムが勿体ないですし!」
四角いフレームの中で、実際の視界より少し遠くであわあわと手を振る瞳子の制止に、綾はシャッターを切ることなくカメラを下ろした。
「瞳子さんは、風景を主に?」
「そう……ですね、はい。キレイだな、と思ったら撮るようにして。でも思ったような写真になりませんね、同じような風景ばかりになってしまって難しいです」
綾が返してくるカメラを受け取り、瞳子は僅かに顔を曇らせる。
「プロの方でも、フィルム一本の内に一枚、思い通りの写真が撮れればいいと仰ってますから、まだこれからですよ。微力ながら僕もお手伝いします……目線を変えて次の遠出は古都の街並みなど如何でしょうか。面白い被写体に出会えるかも知れません」
よしよしと手の頭を撫でる動きだけで慰める綾に、瞳子はほんのりと微笑み、同意を込めて頷いた。


 有名なフィルムメーカーのロゴが入ったネガ袋を胸に抱えた瞳子は、私室に着くなり息を吐いた。
 不意に写真に目覚めた不自然さを、綾に訝しがられていないだろうかと今更な懸念に不安になるが、瞳子が二人で出掛ける折に必ずカメラを持ち出すようになって2ヶ月は経過している……綾が話題に取り上げるタイミング自体が、遅過ぎると言えなくもない。
 瞳子は昨日撮影したフィルムを講義の合間を大学近くの写真店に現像に出し、引き取ったその足で文具店と本屋に向かう。拠って瞳子の手にはかさばる荷物が掌に食い込む重さで下げられていた。
 フロアテーブルに紙袋を凭せ掛け、瞳子は緊張の面持ちでネガとフィルムを机上に広げる。
「ダメ、焦点が合ってない。コレはブレてる。何この影ッ?! あ、私の指か」
右から左へ、合否を検分しながら積み上げる写真に圧倒的に否の写真が多い。
「な〜ん〜で〜……」
使用に耐えると思しきは、フィルム三本を使って十枚に満たない。没写真の山に思わず突っ伏し、瞳子は嘆きを体現した。
 料理や手芸、女の子らしい印象を抱く全てを不得手とする瞳子である。それは今更の感が強く、無理をしてまで求めるつもりはないが、それはそれとしても。
「写真って……男の子の趣味の筈だよね?」
くすん、と瞳子は小さく鼻を鳴らす。
 己の不器用さに対する認識の甘さを再度認識すれども、今更後には引けない。
 瞳子はテーブルの周囲を見回した。
 写真を納めた封筒は撮影月日順に並び、色とりどりな紙類が星や花弁、様々な形に型抜きされて見目賑やかに散っている。他にも和柄の端切れやリボン、立体的なシールなど、納められた小箱から溢れんばかりだ。
 中で唯一、落ち着いた色合いを持つ、油紙を袋に仕立てた文具店の袋を、瞳子はその場に座り込んだまま手元に引き寄せた。
 中から引き出すのは、黒い厚紙が複数枚。どれも薄く斜めに縞の入ったビニールに覆われ、短辺に直線の切れ目が入り、真鍮色のハトメが二つ、等間隔に打たれている。
 瞳子が切れ目からそっとビニールを引くと、微かな手応えを保ってぺりぺりと音を立て、きれいに剥がれて浮き上がる。
 手を離せば呆気なく元の位置に戻って、中に僅かに入った空気が泡のように黒の質感を違える……アルバムの台紙だ。
 他愛ない手遊びに瞳子は一つ、息を吐くと、両手を脇で固めた。
「でも、泣いてる暇なんかないよねッ」
勢いの良い言葉で己を鼓舞して、通学に使っているショルダーバックに手を入れると中から大判の付箋紙を掴み出す。
 付箋紙には既に細かく何やら書き込まれている。それを仮置きのつもりでか、瞳子は台紙の上に配しながらひのふのと、指で写真と付箋紙の数を合わせ初めた。
「えっと、この写真はここに使って。お茶屋さんの写真は失敗してるんだよね……そうだ!」
自分の指が映り込んでしまっている写真を、没の山から探り当てる。
 良い風情で古びた茶屋を左に、そして謎の影が映り込んだ庭を右に対称的に捉えた、構図だけは良い写真に、瞳子は躊躇なく鋏を入れた。
 先ず、謎の影の部分を切り落とし、それによって欠ける全体のバランスを惜しむ事なく建物の周囲を縁取るように角を丸めて行く。
 それによって、建物だけが残った写真をアルバムの左下の端に配し、周囲に和風のシールを散らせて、真ん中に開けた空間に先の付箋紙の一枚をぺたりと張り込んだ。
『峠のお茶屋さん。
築100年以上の古い家を改造しているそうです。
抹茶椀(?)に入ったカフェオレがとっても美味しかった!』
 写真に簡単にコメントを添え、空いた空間をシールやリボン、スタンプなどで彩りを添える、アルバムと日記を兼用したような、それはスクラップブッキングと呼ばれる手法である。
 瞳子はこの為に、写真を取り溜めているのだ。
 講義の合間に出掛けた先で立ち寄った場所の情報を調べ、コメントを考え、帰宅すれば写真と素材を手にあぁでもないこうでもないと、入門書片手に唸る日々。
 黒地の台紙に浮き上がるよう、ホワイトのジェルペンで書き込む予定のコメントに、瞳子は我が事ながら少々凹む。
「写真……撮っておけば完璧だったのになぁ」
撮る前に飲み干してしまった事が心底悔やまれる。仕方がないので、瞳子はシールの山を漁ると、緑の液体を讃えた正しき抹茶椀を茶筅と共にコメントの傍らにそっと置いてみた。


 その日、瞳子が持参したカメラはいつもの一眼レフではなく、ポラロイドカメラだった。
 古都を巡り花を愛で、半ば瞳子の写真趣味に協力する形で休日の遠出の先を選んでいた綾だったが、本日は瞳子のたっての希望により、新緑の美しい場所へ赴く事と相成った。
 道は川に沿い、首都圏の北西に位置する非火山の山脈を中心とした国立公園は、幾つもの河川の源流域となっており、長い時をかけて水が穿った渓谷と、そして緑の美しい場所である。
 しかし雨が降りこそしないが生憎の曇天、車を出て空を眺める、というよりも凝視している瞳子に綾は苦笑しながら、眼鏡を外してジャケットの胸ポケットに収める。
「瞳子さん」
「はいッ?!」
ビクリと揺れた瞳子の肩から、帆布製の大きなショルダーバックがずり落ちた。
「荷物、お持ちしましょうか?」
見るからに重そうなそれに綾が申し出るが、瞳子は脇にしっかりと鞄を挟み込んで首を横に振った。
「重くないですから! 大丈夫ですから!」
懸命な固辞に、差し出しかけた綾の手が宙に浮く。
 それにはったと気付いて、瞳子は焦りの表情におろと視線を泳がせた。
「お、重いんです、ポラロイドのフィルムとか! 色々沢山、入れて……しまっていて……」
弱くなる語尾は、自分で辞退理由の破綻に気付いた為だ。
 瞳子が語るに落ちた言い訳に窮して結局黙り込んでしまうのに、綾は苦笑して半端な位置に浮いたままの手をもう一度、差し延べた。
「重いんでしょう? 大丈夫、女性の鞄の中身を覗いたりしませんよ」
「はひ……」
優しく諭されて、瞳子は諦めて鞄を差し出す。
 綾の気遣いはごく自然で、常には瞳子に負担を感じさせない物なのだが、少々どころでなく過敏に反応してしまった自分に軽く嫌悪感を抱く。
 末っ子なのに甘えるのが下手なのはお父さんのせいかしらね、と姉に冗談交じりに言われた想い出が不意に去来し、成る程こういう意味かと変に納得した自分にまた落込んで、道端の巨樹に懐く。
「瞳子さん?」
遊歩道を先に行きかけていた綾が、足を止めるのに瞳子は慌てて巨樹を下から見上げるアングルでカメラを構え、シャッターを切った。
「お待たせしました、樹がとてもきれいでつい」
焦って小走りに駆け寄る瞳子が撮った樹を、綾が見上げて目を細めた。
「本当ですね……あんなに大きいのに、若葉の緑が鮮やかで」
感嘆の息を吐く綾の横顔、天を見上げる角度に普段は黒く見えるが、光を緑に透かして澄む瞳に瞳子は一つ息を吐く。
「どうかしましたか?」
それに気付いた綾が優しく視線を向けて来るのに、瞳子はなんでもない、と首を振りかけて微笑んだ。
「きれいだな、と思って」
「そうですね、本当に」
瞳子の真意に気付かずに、また巨樹を見上げる綾の横顔に、瞳子は今度は気付かれぬようにそっと息をついた。


 朝から薄曇りであった空は厚い雲に覆われて、時刻的に日暮れの近さを判じるしかない。
「今日はまた……随分と撮りましたね」
休憩用に設置された四阿で、綾はテーブルにこんもりと積み上げられたポラロイド写真の山に感心する。
 未だ写真になっていなフィルムの形状では実感出来ないが、こうして形になって目の前にあると壮観だった。
「あんまり上手じゃないんです……ッ」
頬を赤らめて小さくなる瞳子の言の通り、手近な一枚を見れば対象が不明確になるほどボケていた。
 まともに撮れている写真があっても生憎の曇天、空の光に力がなく、葉の表面をつるつると滑って平坦な印象に留めるのに、瞳子は溜息をついて嘆きを示す。
「これはこれで味があるのでは」
心霊写真として、と心の中の指摘を口に出さず、綾はしげしげとその一枚を眺める。
「でも味を求めるのではなく、綾さんに選んで欲しいんですこの中で一番お好きな写真を!」
己の恥を晒して頼み込む瞳子の意気込みに押されながら、綾は最近写真に凝ってたようだから、何処か投稿でもしてみるつもりなのだろうか……と、些か的はずれな事を思いながら素直に写真の山に手を伸ばす。
 因みに、風景写真でポラロイド写真の投稿を受け付ける賞は先ず有り得ない。
 自分でもがさがさと山を漁りながら、あれでもない、これでもないと綾の目に入れる事すら憚られる失敗作を選り分ける瞳子の目はこの上なく真剣だ。
 懸命な瞳子の様子に綾はまた微笑んで、写真の選別に手を出す。末席と言えども文筆家、出版業界に身を置く者としてそれなりの選定眼を発揮せねばとラインを定めてしまうと、ほのぼのとした瞳子の視点で撮られたそれらを技術的な理由で排するより他になくなる。
「味が……あるとは思うのですが」
葉陰の花を撮ろうとしたのだろう……しかしその影から飛び出してきた雨蛙が接写され、撮ろうと思って撮れない、ある意味秀逸な写真を手に唸る綾に、瞳子が小さくなってしまう。
 時に手を止め、時に笑いを零しながら着々と選り分ける作業は進み、山の最後の一枚を残す所のみとなった。
「瞳子さん……」
二人の間でぽつりと残されたそれを、綾が手にした。
「いいですねコレ」
薄い空を背景にし、端から内へ若葉の緑から重なり合って濃さを増し、黒にさえ見える緑のグラデーションに太陽がかかり、一条の光芒が写真を断ち切るように斜に奔る。
 瞳子が今日、最初に撮った写真だ。
「本当ですか?」
綾の言葉に喜色を示し、瞳子は身を乗り出すようにして綾の手元を覗き込む……と、それを取り上げてテーブルの下に潜り込む。
「ど、どうしたんですか?」
「見ないで下さいッ!」
瞳子の行動に当然の如く、綾は覗き込もうとするが力一杯の拒絶に止まる。
「直ぐに終わりますから!」
何か問題でもあったろうかと、疑念を押さえる形で約されれば、はいと頷いて素直に待つしかない。
 厚い天板の下で、何やらごそごそと鞄の中身を漁る気配、そして得も言われぬエネルギーというかオーラというか、熱気のようなものが漂って綾は瞳子の意外な一面を見る思いに思わず頬を緩める。
「……お待たせしました」
ほどなく、髪の乱れを手で軽く手で整えながらテーブルの下から這い出してきた瞳子が、質問の間を与えずに胸に抱いた一冊の本を突き出す勢いで綾に差し出した。
「僕に?」
言葉なく、こくこくと頷いて同意する瞳子に、綾はそっと本を受け取る。
 グリーンの布張りの表紙のそれは意外な重みを持ち、一頁毎が厚みを持っている為かと思いながら頁を開けば、黒地に銀の文字で、日付が記されていた。
 2月のそれは冬の風情、二人で出掛けた港町の風景が、瞳子の視点と言葉で綴られて、想い出を確かな形にしていた。
 愛らしくシールやリボン等の素材で愛らしく飾られた頁は、見ているだけで微笑ましく、綾は急ぎ頁を繰る。
 そして辿り着く、最後の頁。
 シンプルに写真と文字だけを配され、今日の日付が記された其処には、綾が選んだ先の写真に添えられた『お誕生日、おめでとうございます』の一言。
 それに漸く気付いた綾は、瞳子を見上げた。
「……おめでとうございます」
告げて瞳子は、綾から視線を逸らして頬を赤らめる。
「思いついたのが最近だし、写真、あまり上手じゃないんです。でも誕生日には自分が大事な物を贈るのがいいと思って……私には綾さんと、過ごす時間が一番、大切だから」
綾の手の中に、明確な想いを形にしたのだと、告げる瞳子に綾は込み上げる感情に抱き締めたい衝動を押し止める。
「ありがとうございます、嬉しいです本当に……」
綾の礼に、瞳子はほっと肩の力を抜いた。
「今年の分はそれだけですけど……来年はもっと上手になりますから」
期日までの余裕の無さもあって、焦って仕上げた感にリベンジを誓い、次を請け負う瞳子に綾は笑みをイタズラっぽいものに変えた。
「来年だけですか?」
「え?」
意味が掴めずに戸惑う瞳子に、綾は立ち上がって軽くその細い身体を胸元に引き寄せ、抱き締める。
「書棚を一つ、新調しますから。それが埋まるまでずっと下さいませんか」
一年に一冊、積み重ねる想い出を遥か先まで。求める約束はあまりに意味深で、瞳子は思わぬ申し出に目を白黒とさせた。
「ご迷惑でなければ、ですが」
言いながら抱く腕に込められた力は、瞳子に逃れを許さない。
「わ、私でよろしければ」
「……是非」
微妙な要請に微妙な応え。それでも二人は幸福そうに、長い間そのまま其処に佇んでいた。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年05月31日

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