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『悪魔ヨ来レ ト 笛ヲ吹ク 』
鹿沼・デルフェス2181


 午後の日差しが、窓越しにテーブルへと降り注ぐ。
 神聖都学園内のミルクホール。その窓際の席に腰を下ろし、鹿沼・デルフェスと響カスミは、いつものように他愛もない会話を楽しんでいた。
「そう云えばもうじき、中間試験ですわね――カスミ様も準備が大変なのでは?」
「んー? まぁ、ちょっとは面倒だけど、音楽の試験なんてまだマシな方よ。主要教科の先生達なんて、問題作るだけで午前様なんて人も居るし」
 こうしてここで語らうのは、本人達には恒例行事。何ら特別な事でも無いのだが……何故か彼女達のそんな姿は、この場の中で思いっきり浮き上がっていた。
 それこそ、成層圏突破しそうな高さまで。
 他の席に座した生徒達も、ちろちろと、このふたりが気になって仕方ないといった視線が送る者が、若干名――いやさ多数。
 理由の九分九厘は、デルフェスにあった。
 何処の国のお姫様やねんっ!と全力でツッコミ入れたくなるような、ひらひらキラキラのドレス姿とあっては、本人が普通と思っていても普通じゃない。
 故に、浮きっぱなしのまま地上に降りてこられないのも当然なのだ。
 もっともデルフェスの場合は、服装をどれだけTPOに合わせてみたところで、それ以外の要素だけでも充分、「上空ウン万メートルの人」なのだが……。
「あら……皆様どうされたのでしょう? こちらをご覧になって――ああ、今日はとても天気が宜しいですものね」
 成層圏界面にお住まいの真銀製のお嬢さんは、自分に集中する視線の意味に全く気付いていない。自分ではなく、その向こうに広がる外の景色を皆は見てるのだと、真相からは斜め上行く解釈をしてくれる。
 そんなデルフェスの様子を、カスミは小さな笑みと共に見詰めていた。ピントのずれたデルフェスの解釈を訂正しないのは、それもまた面白いと思っているのだろう。
 ところが、そんなカスミの笑顔に不意に、翳りが生じた。
「……」
 会話が途切れた事によって、何か気鬱な事を思い出してしまったかの如く、手元のカップに視線を落とし溜息をひとつ。
「――カスミ様?」
 その音が、デルフェスの注意をカスミへと引き戻した。
「どうかなさいましたか?」
「ちょっと……ね」
 いらえの言葉の歯切れは悪い。
 ややあって、おもむろにカスミは席を立った。
「少し、場所を変えましょ」


■□■


 やってきたのは、音楽準備室だった。
 教員控え室も兼ねているそこには、たくさんのレコードや譜面の収められた棚と、それからピアノと事務机が一台ずつ。
 デルフェスにピアノの前の椅子を勧めると、カスミは先ほどからの曇りが消えぬままの表情で、静かに続きを語り始めた。
「最近、うちの生徒――女の子ばっかりなんだけど――が、立て続けに行方不明になっててね。もう五人もよ。それも、どうもこの学園内で居なくなった可能性が高いらしいの」
「まぁ……」
 そんな事件が起こっていたとは。
 しかも、続けて話を聞くところによると、消えたのは皆、カスミが授業を受け持っているクラスの生徒なのだそうである。
 それは確かに、気塞ぎの種ともなろうというものだ。
「あと、これは私の気のせいかも知れないんだけど……私自身の周りも、何かおかしいの。クラブ活動中とか職員室に居る時とか、気がつくと、誰かに見られてる感じがする時があるのよね……何なのかしら」 消えた女子生徒と自身への視線――立て続くこれらの出来事をどう解釈すればいいかを悩むように、カスミの口からは深い溜息。
 そんな苦悶の表情を見ている事は、デルフェスにとっても辛い事だった。
「関連のある事かは判りませんが、どちらも穏やかではありませんね……見られているような感じという事ですが、何か心当たりとか、その前に変わった事などはおありになりましたか?」
 気遣わしげに眉を顰めながら問いかける。
 感じられた視線が気のせいでないならば、その前段階として、きっかけになるような出来事があった筈……。
「事件の事が気になってて、あんまりよく覚えてないんだけど……あれを拾った後ぐらいからかしら」
「何を拾われたのです?」
 差し出されたのは、一枚の楽譜だった。
 かなり古い物と思われるそれは、珍しい事に羊皮紙で出来ている。
 曲の題名は、書かれていない。
 綴られた旋律を目で追って――
「これは――!?」
 デルフェスは、息を呑んだ。
「どうかしたの?」
「……これは、悪魔召喚のための曲でございますわ」
 予想もしていなかったのだろう。カスミの目が、これ以上は無いという程に大きく見開かれる。
「中世の魔女狩りは、カスミ様もご存知でございましょう――あの時処罰された方々は大半が濡れ衣で、実際は魔女どころか、真面目に神への信仰の日々を送っていた方ばかりでしたが、中には一部、本当に悪魔との繋がりを持っていた方も居て――この楽譜は、その方々の間で用いられた物でございます」
 もう一度、デルフェスは楽譜へと視線を落とす。
(魔女狩りで流出したこれらの品々は、後世多数の贋作が出回るようになりましたが……)
 しかし、デルフェスの鑑識眼は、この楽譜の由来をはっきりと見抜いていた。
 これは間違いなく本物だ。
 この曲は、旋律そのものが召喚呪文となっている。一定の様式の元にこれを奏でれば、それで悪魔はこの世へと舞い降りる――しかし、そこまではカスミに説明する必要は無いだろう。度を越した怖がりの彼女は、既に青ざめている。これ以上を聞かせれば、それこそ悲鳴を上げかねない。
 それに、今は他に考えるべき事がある。
 誰が落としたかは判らぬが、こんな物を持ち歩いていたからには、落とし主は悪魔召喚を望んでいる筈だ。その為の道具を失ったとなれば、今頃血眼になって探しているに違いあるまい。
(そうして探し回った結果、カスミ様が拾われたという事を知ったのかも……)
 カスミへと向けられる視線――その理由が、何となく読めた気がした。
「誰がこんな物を……」
 怯えきったカスミへと、デルフェスは視線を戻した。
「たとえ何があろうとも、わたくしがカスミ様をお護り致します。だから、ご心配には及びませんわ」
 彼女の不安を和らげるため、静かに、しかしきっぱりと云い放つ。
「落とし主が誰か、早急に調べる必要がありますわね――暫くお待ち頂けますか?」
 それでもなお不安そうなカスミに向け、ふわりと穏やかな笑顔を差し向けると、デルフェスは立ち上がった。


■□■


 放課後という事で既に下校した生徒もいたが、それでも結構な数の生徒がクラブ活動などで残っており、聞き込みの相手を探す事にさほどの苦労は無かった。
「カスミ先生の周りで気になった事ぉ? うーん、あたしは無いかなぁ」
 図書室の片隅でグループ研究の最中だったらしい生徒達は、やはりデルフェスのいでたちに面食らいつつも、質問に対しては素直に答えてくれる。
「やっぱあの事件あってから、先生落ち込んでるっぽいけどねー」
 立て続いた生徒の行方不明事件は、どうやら学園全体に知れ渡っているようだ。
「あ、でもさぁ……」
 思い出したように、口を開いた生徒が居た。
「最近って云えば、カスミ先生に粘着するようになったのがひとり居るじゃん」
「マジー? 誰よそれ」
「ほらぁ、『悪研』の部長だってば」
「あー、そう云えばそんなの居たっけぇ」
「悪研……それは何でございますか?」
 聞き慣れない言葉に、デルフェスは首を傾げる。
「えっとね、本当の名前は『悪魔召喚研究会』だったかな? って云っても、部員は部長ひとりだけ――怪奇探険クラブと路線被ってるし、あっちはホラ、アイドル副部長って看板があるじゃん? だからイマイチぱっとしなくて、それで対抗意識燃やしてるの」
「張り合ったって、ひとりクラブじゃ勝てっこないのにねー」
 生徒達は顔を見合わせ笑いあうが、デルフェスの顔色は、それを聞くなり一変していた。
(悪魔召喚……あの楽譜はもしかして、その方が持っていた物では……)
「それで、粘着というのは……?」
 一瞬浮かんだ仮説が的外れなものとは思えず、真剣な声音で問いを重ねる。
「あのね、職員室とか音楽室の入り口で、最近よくその部長見かけるのよ。用があるなら入ればいいのに、ずーっと中の様子を覗いてるだけ。それでカスミ先生が出てくるとサッと逃げちゃうの。そのくせ、カスミ先生が今何処に居るのかって、しょっちゅう探し回ってるんだよねー。変でしょコレ」
「そうですわね……」
 状況証拠に過ぎないが、当初は漠然とした仮説に過ぎなかったものが、次第に胸の内で確信へと変わってゆく。
(ひとまずカスミ様にお知らせして、後は、その部長という方にもお会いしてみるべきのようですね)
 情報提供者達に優美な笑みで礼を云うと、デルフェスは音楽室へと戻る事にした。


■□■


 そろそろ日が沈もうとしている。
「悪魔召喚って……何よそれ。そんなに本当に出来るわけないじゃない」
 音楽準備室に残されたカスミは、ブツブツと同じ言葉を繰り返しながら、デルフェスが戻るのを待っていた。
「それもこんな楽譜なんかで――悪魔なんて何かの比喩みたいなもので、本当は居ないんだから。それを呼び出すなんて、マユツバよ」
 誰が聞いているわけでもない。
 それなのに繰り返される呟きは、つまり自分自身に云い聞かせているのだ。恐らくこうして云い聞かせなければ、本当は怖くて仕方ないのだろう。
「何で私が、そんな気味の悪い物拾わなきゃいけなかったのよ……誰だか知らないけど、悪ふざけはやめてほしいわね」
 窓辺に立ち、手の中の楽譜を見下ろしながら溜息をつく。
 そこに、かけられた声があった。
「あの……」
「きゃあ!!」
 恐怖を打ち消す事に必死になっていたカスミには、背後からのこの声は完全な不意打ちで、思わず悲鳴と共に飛び上がってしまう。
 声の主は、ひとりの女子生徒だった。黒縁眼鏡と簡素に後ろで括っただけの髪――地味な少女ではあったが、その顔にカスミは見覚えがあった。
(えーと……確か、私の受け持ちのクラスの子よね? 「悪研」とかってクラブの子だったかしら?)
 薄い印象の中から、どうにかそこまでの情報を発掘する。
「どうしたの? もうそろそろ下校時間よ?」
「ちょっと先生にお話が……」
「? なぁに?」
 この時、一瞬だけ少女が云い澱んだ。
 思いつめたような暗い目で、ちらりと上目遣いにカスミを見てから、聞き取りにくいほどに小さな声で、意外な用向きを告げる。
「例の行方不明になった子達……あたし、居場所知ってます」
「何ですって!?」


■□■


 音楽準備室に戻ってみると、そこにカスミの姿は無かった。
「用事でも出来たのでしょうか……」
 試験も近い事だし、職員室で打ち合わせでもしているのかもしれない――デルフェスはそう考えたのだが……
「カスミ先生に用事ですか?」
 ――直後に、それは否定された。
 クラブ帰りらしい生徒の一団が、戸口に立つデルフェスに声をかけてくる。
「先生だったらさっき、悪研の部長とどっか行くの見かけましたよ? C校舎の方に向かってたから、悪研の部室かなぁ」
「――!?」
 その言葉を受け、大きく見開かれた真紅の瞳が、さっと机へと動く。
 カスミだけでなく、例の楽譜もそこに無い。
(まさか――!?)
 先を越されたか!?
(急がなくては……!)
 ドレスの裾を翻し、デルフェスはC校舎へと駆け出した。


■□■


 カスミが案内されたのは、悪研の部室だった。
「ここ、地下室なんてあったのね」
 何しろ印象の薄い部のため知らなかった。
「それで――皆は何処に居るの?」
 夕刻の上、地下室には明かりが灯されていないため、周囲は殆ど見えない。これでは、ここにその生徒達が居るとしてもわからないではないか――催促の言葉と共に、部長の方を振り返る。
「今、会わせますから……」
 ぼそぼそと、聞き取りにくい声で答えながら、部長が壁際へと移動した。
 かちり。
 明かりを灯す音。
 さほど広くは無い室内の様子が、ここでようやくカスミの目に晒される。
「……?」
 足元の少し先に、何故か水面が広がっていた。
 五メートル四方程の、小さなプールだ。水槽と呼ぶ方が近いかも知れない。中に満たされた液体が、蛍光灯の光をゆらゆらと反射している。
「何なのこれ……?」
 何故こんな所に水が――
 生徒達の行方も気になるが、この水の正体も気にかかり、カスミはその不審な水槽へと歩み寄る。
 そして――
「――どういう事なの!?」
 直後、衝撃と恐怖に支配された叫びが、室内に反響した。


■□■


「カスミ様――!?」
 駆け込んだ室内。
 真っ先に目に飛び込んできた光景に、デルフェスは一瞬硬直した。
 不可解な水を湛えた水槽と、
 愕然と目を見開いたまま、その水の中へ落ちてゆくカスミと、
 暗い愉悦の滲んだ表情で、水槽へとカスミを突き落とす制服姿の少女――
 その瞬間、水音と共に、白煙が水槽から立ち上った。
「大丈夫ですかッ!?」
 これはただの水ではない――瞬時にそう判断したデルフェスは、カスミを救うべく水槽へと飛び込む。
「――!?」
 膝丈ほどの深さの中から抱き起こすと、何とカスミの体は凍結していた。
 冷たく固まり、身動きしない。
(――液体窒素!?)
 そうでなければ、生身の者を一瞬で凍りつかせる事は不可能だろう。
 もっとも、真銀の身のデルフェスには、液体窒素であろうと何の影響も無いのだが――
 しかし今は、それを気にかけている場合ではない。
「カスミ様……お護りすると誓ったのに……」
 この時デルフェスの心を占めていたのは、カスミを護り切れなかったという絶望感であった。恐怖の表情のまま凍りついたカスミの顔に、己の無力を悔やんでの雫が、ひとつふたつと零れ落ちる。
 見回すと、水槽の中で凍り付いているのはカスミだけではなかった。
「これは……!?」
 制服姿の少女が五人――もしや彼女達が、行方不明になっているという生徒だろうか……
「どうしてあなた……凍らないの……?」
 呆然とした声が耳に届く。
 先ほどカスミを突き落とした少女が、水槽に入っても凍らぬデルフェスを、信じられぬといった目で見据えていた。
「まぁ、いいわ……生贄の数はもう揃ったんだし。最後の仕上げよ!」
 デルフェスがこちらへ近づこうとしている事に気付くと、サッと足元から何かを拾い上げ、壁際へと逃げる――その手が掴みしめているのは、あの楽譜だ。
 急ぎ水槽から上がろうとするデルフェスを睨みながら、続いて少女は、近くの棚から何かを掴み取る。
 それは、白銀のフルート。
 そして彼女はそのフルートを構え、譜面に綴られた旋律をなぞり始めた。即ち、悪魔召喚の呪文を。
 低く、
 高く、
 笛の音が、室内に響く。
 それを奏でる少女の目は、恍惚としていた。
 止めさせなくては。
「およしなさい!」
 常に無く鋭い声で叫ぶと、デルフェスは手の内の術を少女に向ける。その瞬間生じたのは――白い閃光。
 一瞬のその光が消えた後、室内を満たしたのは静寂だった。魔を招く笛の音も、もう聞こえない。
 その笛を手にした少女は、デルフェスの術によって石へと換わっていた。
「ひとまずは、これで宜しいですね……」
 術はデルフェスであればいつでも解く事が出来る。カスミや他の少女達も、同様に一度石へと換えれば、凍結を解除させる事が出来るだろう。
(だけど何故、彼女達は生贄とされたのでしょう……)
 そこでふと、片隅の机上へと目が行く。
 古びた本が開かれており、そこには、悪魔召喚の儀式についてなどが記されていた。どうやら魔術書らしい。

『六の恐怖を我に与えよ――』

 開かれたページには、そんな一文が見て取れた。
 水槽に落とされたのは、カスミを始め六人。全員が恐怖の表情を浮かべていた。
 つまり……
「つまり、落とされる瞬間の皆様の恐怖を、儀式の生贄にしたという事でしょうか……」
 そう考えるのが正しいようだ。
 だが――
「楽譜はともかく、こちらの本は偽書ですわね」
 この書の通りにしたとしても、儀式が成立する事は無い。増して、誤った儀式を並行して行うのだから、あの旋律の効果も打ち消されてしまう。
「……わざわざ止める必要も無かったでしょうか?」
 小さく苦笑すると、デルフェスは少女達の救出に取り掛かった。


■□■


 翌日の、ミルクホール。
「悪研の部室に行ったのは覚えてるんだけど……それから私、何やってたのかしら?」
 昨日の出来事について、カスミは何も覚えていなかった。
 突き落とされた瞬間の恐怖によって、例によって例の如く、記憶のリセットボタンが押されてしまったのだろう。
「でも、行方不明になってた皆も戻ってきたんだし――別にいっか」
「そうですわね」
 わざわざ聞かせて、また怖がらせる事もあるまい。デルフェスは笑って頷いておく事にした。
「悪研の部長には、わたくしの方からよく云い聞かさせて頂きましたので、もうあのような事をする心配は無いと思いますし」
 魔の召喚は、術を行使した者にも報いが来る。しかも手順を誤ったとあれば、魔の報復はより大きい。その恐怖の具体例を、みっちり三時間も語って聞かせたのだから、充分懲りている筈だ。
 ちなみにその具体例がどんなものか――

『460年の歴史を舐めちゃいけない』

 ――とだけ云っておこう。
「じゃあ安心ね」
 カスミの顔に、笑顔が戻る。
「後は、中間試験が終わればめでたしめでたし♪」
「準備はもう終わったのですか?」
「まだ全っ然」
「まぁ」
 つられるように笑うデルフェスの姿は、今日も順調に、ぷかぷかと周囲から浮きまくっていた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
朝倉経也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年05月26日

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