▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『 櫻ノ夢〜昨日の花〜 』
門屋・嬢0517



■邂逅■

 大事に使っていたくまさんの絵の付いたお気に入りのマグカップが割れた。
 手が滑ってフローリングの床に中身のココアをぶちまけて、お気に入りのマグカップが割れた。
 それを小さな子供はぼんやりと見下ろしていた。
 母親が慌てたように駆けつけて、口早に何かを言ったがあまり少年の耳には入らなかった。
 ただ、割れたマグカップを見下ろしていた。
 ノリで付けたら元に戻るかしら。セロテープで張り合わせたら元に戻るかしら。
 そんな事をぼんやり考えながら、割れたマグカップを見下ろしていた。
 母親が割れたマグカップの欠片を丁寧に拾い集めていく。
 そして言った。
「マグカップ壊れちゃったわね。これはもう駄目ね」
 少年は、何がもう駄目なんだろうと思いながら母親の手の中のマグカップの欠片に手を伸ばした。
「壊れたマグカップは、もうマグカップじゃないの?」
 母親は、手を切るから、と少年からマグカップの欠片を遠ざけて答えた。
「えぇ、そうよ。壊れちゃったらただのゴミ。捨てなくちゃね」
 その時、少年は思った。

 ――――壊れたマグカップはマグカップじゃないんだね。


 ◆◆◆


 そのお寺に純白の花びらをつける古くて大きな桜の木があった。
 桜の木の下に少年はナイフを持って立っている。
 少年の足下に人が血を流して倒れていた。

 少年が言った。

「ママがね、ゴミはリサイクルしないといけないって言ったんだ。だから僕、実験をしているの。壊れたマグカップはマグカップじゃなくてゴミなんだって。だからね、壊れた人間は人間じゃなくてゴミなんだよ。ゴミをリサイクルしてるんだ」

 少年が嗤う。

「白い桜の花びらは人の血を吸って薄紅色に咲くのかな?」



 ◆◆◆


 痛む夢を見た。
 どこか胸の軋む、そんな夢だった。
 その夢の主役は小さな少年だった。もしかしたら自分がその少年になったのかもしれないが、視点はこちら側にあって、ただ少年の凶行――そうだ、凶行だ――を見ている事しか出来なった。
 少年の凶行を止められなかったのは、自分が傍観者でしかなかったからなのか。テレビや映画を見ているような状態にあったからなのか、それとも、少年の言葉に返す言葉が咄嗟に見つけられなかっただけなのか。
 少年は言った。
『壊れたら、ゴミなんだよ』
 まるで警告するように。

 ――警鐘が鳴る。

 門屋嬢は、耳元で鳴るやからましいほどの目覚ましに飛び起きると、アラームのスイッチを不機嫌に叩いた。
 いつもと変わらない筈の朝なのに、どこか胸にもやもやとしたものが残っている。
 不快げにベッドから立ち上がると、洗面台に向かった。
 冷たい水で顔を洗う。
「どうしてあんな夢……」
 イライラした口調で独りごちて、嬢は歯ブラシの上に歯磨きチューブを搾り出すと、目の前の鏡に映る憮然とした面持ちの自分を半ば睨みつけながら歯を磨いた。
 うがいをして、口の中の水を、やるせない気分と共に吐き出した時、手に持っていたマグカップが手から滑り落ちる。
「あっ……」
 マグカップが床に落ちて割れた。
 それを嬢は暫く呆然と見下ろしていた。
『壊れたら、ゴミなんだよ』
 少年の言葉が蘇って、嫌そうに舌打ちする。まるで少年の言う通りみたいなのが気に入らない。
「マグカップは壊れてもマグカップ」
 誰に向かってか、そう言って嬢は破片を拾い集めたのだった。






■混線■

 白昼夢にも同じ夢を見る。
 真っ白な空間は果てがなく、どこまでも真っ白に続いていた。
 そこにおぼろげな影が浮かび上がる。シルエットだけのモノクロの世界。
 影は、まだ幼い少年を象った。
 そこに一つの色が加わった。
 少年が手にしているナイフの白い刃に、赤い点が線をつくる。
 まるで滴るように赤い線はナイフの輪郭をたどって、少年の足下に赤い染みを作った。
 赤い点が、白い足下に滲む。
 ぽたり、ぽたり、ぽたり。
「いけない!」
 反射的に嬢は手を伸ばしていた。
 これがいつもの夢なら、この手は少年には届かない。少年が自分なのか、それとも自分は別にあるのか。
 何かが自分の干渉を阻むように立ちはだかる。
 透明な壁があるみたいだった。
 嬢は立ち止まり、ゆっくりと息を吸い込んだ。両手を構え、軽く折った膝に自分の体重をのせ、吸いこんだ気を下腹部に溜め込む。二呼吸息を止めて、一気に吐き出す瞬間、透明な壁に蹴りを叩き込んだ。
 それが壊れる感触に、少年が振り返る。
「はい、もうこんな悪夢はおしまいだよ」
 嬢は腰に手をあてて憤然と言った。
 少年の唇が動く。
 音は何も紡がなかったが、何を言っているのかは、はっきりと彼女には読み取る事が出来た。
 ――悪夢って、何?
「悪い夢だよ。そう、こんな風にね」
 嬢は今にも舌を出しそうな呆れた口調で、それでも柔らかい笑みを向けて言った。
 ゆったりとした足取りで少年の傍らまで歩み寄る。
 少年の前でしゃがみこむと、その両肩に手を置いて、同じ高さになった少年の顔を覗き込んだ。
 真剣な眼差しを少年に向け、ゆっくりと言い聞かせるように話す。
「いいかい、物は壊れてしまったら形を変えてリサイクルできる。でも、人間ってのは壊れてしまったらそれきりなんだよ」
 少年は大きな目をきょとんと見開いて嬢を見返していた。
「そんな事ないよ」
「そんな事ある。壊れたら……死んでしまったら、どうにも出来ないんだ。どんな名医だって治せない」
「再利用するのに、治す必要なんかない」
「それがママでも?」
「ママ……」
 嬢の問いに少年の心は揺らいだのか、嬢は少しだけ頬を緩める。
「そう、ママだ。ママが壊れたら治せない。たとえあんたの言う通り、別のものに再利用できたとしても、あんたのママではなんくなってしまう。そうしたら、ママは2度とおうちに帰ってこないんだよ。あんたが好きなココアも作ってくれないんだよ」
「ママは壊さない」
 少年が言うのに、嬢は頷いた。
「うん。ママじゃなくても壊しちゃいけない。人間ってのは、頑丈に出来ていて脆いもんだ。あたしの親も…壊れちまったからね。他のことは何も覚えてないのに、それだけは覚えているんだ」
「なんで?」
 少年が不思議そうに尋ねる。
「え?」
 突然、少年が遠くなったような気がして嬢は目を見開いた。実際にはすぐ目の前に立っていて、先ほどから全くその距離は変わっていない筈なのに。
「壊れちゃったなら、忘れちゃえばいいじゃん」
 少年がまるで何でもないことみたに言った。
「なっ……」
 嬢は無意識に生唾を飲みこむ。
 さっきまでママという言葉に揺れていた少年の心が、今は揺らぐどころか、彼の考えている事さえ全く読みとれなかった。他人の行動心理を読むのは得意だった。それは養父から学び、独学で磨いたものだ。だが、そんな彼女の自信の方が揺らぎそうなほどに、少年からは何も読み取れなくなってしまっていた。
 少年が口の端だけあげて、薄く嗤っている。
 何を考えているのかわからない、いや、それだけではない、別の恐怖にも似た感覚が背筋に冷たい汗を滲ませた。
 まるで自分の中身を見透かしているかのように、少年のまなざしが自分の面を覗き込んでくる。
「犯罪心理学の研究をしているの? もしかして、僕はお姉ちゃんのモルモット?」

 ――――!!

 刹那、一人の男が突然現れて少年の頬を打っていた。長い黒髪に毛先だけが白いのが印象的な男だった。
 たぶん、自分の代わりに怒ってくれているのだろう、おかげで嬢は気持ちに余裕が出来たように冷静になれた。
「痛い」
 少年が打たれた頬を押さえて呟く。
「そうです。痛いです。人は痛みを感じるんです。マグカップとは違うんです」
 男の言葉に嬢は立ち上がると彼の腕を掴んだ。
「違うわ」
「え?」
 男、トキノ・アイビスが眉をわずかに寄せて嬢を振り返る。
 嬢は言った。
「違うの。これは少年の意識じゃない」
 まだ、こんな幼い少年が犯罪心理学なんて言葉や、実験用動物――モルモットなんて言葉を知っている筈がない。
「少年の口を借りて別の誰かが言わせてる」






■凶行■

 痛い、痛い、痛い。
 その声に二人は振り返った。
 そこに大きな桜の木がある。
 痛いと叫んでいるのはその桜の木だった。
「桜の木が、まさかこの子に夢を……」
「あれを見て!」
 嬢が桜の木の傍に屯する一団を指差した。
 作業着姿に、手にはチェーンソーをン握っている。
「あ……」
 彼らは桜の木を斬ろうとしているのだ。桜の木を壊そうとしているのだ。
「そういえば、看板が出ていました。あそこにマンションを建てるとかどうとか……」
 刹那、少年が走りだした。
 ナイフを握り締めて作業着姿の男達の元へ。
「いけない!」
 トキノが少年を追いかける。
「ダメだ! それじゃぁ、奴らと同じだ!!」
 嬢も後を追おうとした。
 桜の木の根元に眠っていた少年が目を覚ます。
 ナイフを手に。
「桜を壊そうとした人たちを壊そうとしたら、それは同じ。ただ、繰り返されるだけだ」
 嬢が悲鳴にも似た声をあげる。
 嬢の肉体はあそこにはない。今はただ、ここから見ている事しか出来ないのか。
 少年の傍らに倒れていたトキノの体が目を覚ます。
 チェーンソーを持って近づいてくる連中に、少年がナイフを構えていた。
 凶行を止めなくては。

 ――――!!

 少年の前に立ちふさがったトキノの脇腹をナイフがえぐる。
 血が滴り落ちた。
 いや、厳密には血ではない。彼はオールサイバーなのだから。人工皮膚の下を、通る擬似体液に、トキノはゆっくり息を吐き出した。
「いけません」
 ただ淡々と静かにトキノは言った。そこには、怒りも悲しみも苦痛もない。何でもないような顔をして、ただ少年のナイフを握る手に自分のそれを重ねただけだった。
「もう、悪夢は終わりにしましょう」
 少年が呆然とトキノを見上げる。トキノはそれに柔らかい笑みをつくって返した。
 トキノの背に作業着の一団が近づいてくる。
「何だ、お前ら」
 という声に振り返った。
 自分にかけられたのかと思ったが、違っていた。
 トキノと作業着の一団の間に、数人が立っていた。
 手には看板のようなものを持ち、或いは、たすきをかけている。
『マンション反対。桜の木を守ろう』
「…………」
 先頭に立っていた白髪まじりの腰を折った爺さんが、作業着の一団の前に一歩を踏み出した。
「絶対に斬らせんぞ」
「そうだそうだ!!」
 他の者達も拳を突き上げる。
 その気迫に作業着の男達は気圧されたように後退った。
 少年がゆっくりと頽れるのに、トキノは慌てて手を伸ばして抱きとめる。
 それを白い空間から覗き見ながら嬢はホッと息を吐き出した。






■覚醒■

 それは、桜の木が見せた悪夢だったのか。
 壊れてしまった大切なマグカップをゴミに変えられ、ショックを受けた少年の心に、自分が壊されそうになっている桜が共鳴したのだろうか。
 キーワードはゴミじゃない。
 誰かにとって不要なものであっても、誰かにとっては不要なものじゃない。
 誰かにとってはゴミであったとしても、誰かにとってはゴミではない。
 そして、その誰かがある限り、ゴミはゴミでなく、ガラクタは宝物たりえるのだ。
「あんたが強く望めば、壊れても、それはあんたのお気に入りのマグカップだよ」
 嬢は優しく囁いた。
「大丈夫です。桜の木はそう簡単に壊されたりしません。誰かにとっては邪魔かもしれませんが、誰かにとっては大切な思い出です」
 トキノは、反対を訴える人々見やりながら、少年の髪を優しく撫でてやった。
 そう、どれも思い出の詰まった大切なものだ。


 ――ごめんなさい。


 どこかで、そんな声を聞いたような気がした。




 少年が駆けて来る。
 壊れたマグカップを手に。
「あのね、このマグカップは綾ちゃんから貰ったんだ」
 少年が自慢げに笑った。



 ――壊れたマグカップはゴミだったかい?



「ううん。大事なマグカップ」






■The END■





━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【 整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業・クラス 】

【0289/トキノ・アイビス/男/99/オールサイバー】
【0517/門屋・嬢/女/19/エキスパート】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
 昨日の花は今日の夢。
 というわけで、ご参加ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。
PCゲームノベル・櫻ノ夢 -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2006年05月25日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.