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『 櫻ノ夢〜昨日の花〜 』
セレスティ・カーニンガム1883



■邂逅■

 大事に使っていたくまさんの絵の付いたお気に入りのマグカップが割れた。
 手が滑ってフローリングの床に中身のココアをぶちまけて、お気に入りのマグカップが割れた。
 それを小さな子供はぼんやりと見下ろしていた。
 母親が慌てたように駆けつけて、口早に何かを言ったがあまり少年の耳には入らなかった。
 ただ、割れたマグカップを見下ろしていた。
 ノリで付けたら元に戻るかしら。セロテープで張り合わせたら元に戻るかしら。
 そんな事をぼんやり考えながら、割れたマグカップを見下ろしていた。
 母親が割れたマグカップの欠片を丁寧に拾い集めていく。
 そして言った。
「マグカップ壊れちゃったわね。これはもう駄目ね」
 少年は、何がもう駄目なんだろうと思いながら母親の手の中のマグカップの欠片に手を伸ばした。
「壊れたマグカップは、もうマグカップじゃないの?」
 母親は、手を切るから、と少年からマグカップの欠片を遠ざけて答えた。
「えぇ、そうよ。壊れちゃったらただのゴミ。捨てなくちゃね」
 その時、少年は思った。

 ――――壊れたマグカップはマグカップじゃないんだね。


 ◆◆◆


 そのお寺に純白の花びらをつける古くて大きな桜の木があった。
 桜の木の下に少年はナイフを持って立っている。
 少年の足下に人が血を流して倒れていた。

 少年が言った。

「ママがね、ゴミはリサイクルしないといけないって言ったんだ。だから僕、実験をしているの。壊れたマグカップはマグカップじゃなくてゴミなんだって。だからね、壊れた人間は人間じゃなくてゴミなんだよ。ゴミをリサイクルしてるんだ」

 少年が嗤う。

「白い桜の花びらは人の血を吸って薄紅色に咲くのかな?」


 ◆◆◆


 歪んだ夢を見た。
 今という時代に近寄った、そんな夢だった。
 その夢の主役は小さな少年だった。もしかしたら自分がその少年になったのかもしれないが、視点はこちら側にあって、ただ少年の凶行――そうだ、凶行だ――を見ている事しか出来なった。
 少年の凶行を止められなかったのは、自分が傍観者でしかなかったからなのか。テレビや映画を見ているような状態にあったからなのか、それとも、少年の言葉に返す言葉が咄嗟に見つけられなかっただけなのか。
 少年は言った。
『壊れたら、ゴミなんだよ』
 まるで警告するように。

 ――警鐘が鳴る。

 セレスティ・カーニンガムは、耳元で鳴るやからましいほどの目覚まし時計にゆっくち目を開けると、あまり朝には強くない頭でしばらくぼんやり天井を見上げてから、思い出したようにアラームのスイッチを切った。
 いつもと変わらない筈の目覚めなのに、どこかすっきりしない。
 もやもやとしたものを抱えながら上体だけを起こすと、サイドテーブルを引き寄せる。足の不自由な彼の為に、そこには洗面台から洗面グッズまでが揃っていた。
 電動歯ブラシに歯磨きチューブを搾り出して歯にあてる。
「どうして、あんな夢を見たのでしょう」
 不思議そうに首を傾げながら水差しからマグカップに水を注ぎ、うがいをした。口の中の水を吐き出した時、手に持っていたマグカップが手から滑り落ちる。
「おや……」
 マグカップが床に落ちて割れた。
 それをセレスティは暫くぼんやりと見下ろしていた。
『壊れたら、ゴミなんだよ』
 少年の言葉が蘇って、セレスティは溜息を吐く。
「マグカップは壊れてもマグカップですよ」
 誰に向かってか、そう呟いてセレスティは破片を拾い集めたのだった。






■混線■

 同じ夢を見る。
 視力の弱い彼にもはっきりと見えるのはそれが夢だからだろうか。
 真っ白な空間は果てがなく、どこまでも真っ白に続いていた。
 そこにおぼろげな影が浮かび上がる。シルエットだけのモノクロの世界。
 影は、まだ幼い少年を象った。
 そこに一つの色が加わった。
 少年が手にしているナイフの白い刃に、赤い点が線をつくる。
 まるで滴るように赤い線はナイフの輪郭をたどって、少年の足下に赤い染みを作った。
 赤い点が、白い足下に滲む。
 ぽたり、ぽたり、ぽたり。
「いけません!」
 反射的にセレスティは手を伸ばしていた。
 これがいつもの夢なら、この手は少年には届かない。少年が自分なのか、それとも自分は別にあるのか。
 何かが自分の干渉を阻むように立ちはだかる。
 透明な壁があるみたいだった。
 その表面をゆっくりと手がなぞる。
「いいえ、ありません」
 口の中で小さく呟いて、彼は壁に向けて一歩を踏み出した。これが夢なら、自分の意志で揺らぐ。それはどこか確信にも似て、セレスティは壁をすり抜けていた。
 夢の干渉者に少年が振り返る。
 セレスティはホッとしたように人心地ついて、少年に穏やかな笑みを向けた。
「もうこんな悪夢はおしまいにしましょう」
 セレスティを少年の大きな目が見上げている。
 その唇が動いた。
 音は何も紡がなかったが、何を言っているのかは、視力が弱い分、他の感覚が研ぎ澄まされた彼には、はっきりと読み取る事が出来ただろう。
 ――悪夢って、何?
「悪い夢の事です。そう、こんな風に」
 セレスティは柔らかい笑みを向けて、ゆったりとした足取りで少年の傍らまで歩み寄った。
 少年の前でしゃがみこむと、その両肩に手を置いて、同じ高さになった少年の顔を覗き込む。
 真剣な眼差しを少年に向け、ゆっくりと言い聞かせるように話し始めた。
「いいですか。壊れたものは壊そうと思って壊したわけではありません。でも、キミがしようとしているのはわざと壊すことです」
「そんな事ないよ。最初から壊れてたもん」
 少年は拗ねたように頬を膨らませた。
 セレスティはやれやれと困ったように首を横に振る。
「いいえ。最初から壊れた人間なんていません。第一、もし自分がそんな事をされたら痛いですよ」
「痛い?」
 少年がきょとんとした顔でセレスティを見返した。
「ええ、痛いです。人は痛みを感じる、マグカップとは違うんです」
「痛い……」
 セレスティの言葉に少年の心は揺らいだのか、自分の手の平を見つめていた。セレスティは少しだけ頬を緩める。
「それに、生きものそれぞれには必要なものが違うので、桜に血を与えても、本来の美しい花は咲かないと思いますよ」
「そうだ」
 突然、どこからともなく声が飛んできた。
 セレスティも少年も、声の方を振り返る。そこには蒼い髪に蒼い目をした男が不機嫌そうに顔をゆがめて憤然と立っていた。
 腰に手をあて、じっと少年の顔を睨みつけている。
「大体、血は酸化すると黒くなる。黒い桜なんて見たくもないが安心しろ。そもそも花びらは水分に弱い。血を吸って色を変えるなんてありえないから黒い花びらを拝まなくてすむ」
「ゼクス……さん?」
 見知った顔に、セレスティが声をかけた。
 しかしゼクスはセレスティが視界に入っていないのか、更に少年に近づくと大上段から言い放った。
「早くこんな夢から醒めちまえ。大体壊れていい人間なんていないんだから、壊すなんてもってのほかだ」
 言い捨てるゼクスに、セレスティはどこか好感を覚えながら少年の顔を覗き込んだ。
「壊しちゃいけないの?」
 少年が聞く。
「そうです。わざと壊すのはどんなものでもやってはいけない」
「なんで?」
 少年が不思議そうに尋ねた。
「え?」
 まさか、そんな風に聞きかえされるとは思っていなくて、セレスティは呆気にとられたように少年を見返していた。
「なら、どうして壊そうとするの?」
 少年が重ねて聞く。
「壊そうと?」
 セレスティは、少年が問いかけるその意味を理解しそこねて、ゼクスを振り返った。
 それにゼクスは不可解な顔を返して首を傾げただけである。
「何を?」
 怪訝に顔を見合わせた二人の視線が、少年に注がれた。






■凶行■

 痛い、痛い、痛い。
 その声に二人は振り返った。
 そこに大きな桜の木がある。
 痛いと叫んでいるのはその桜の木だった。
「桜の木が、まさかこの子に夢を……」
「なんだ、あれは!?」
 ゼクスが桜の木の傍に屯する一団を指差した。
 作業着姿に、手にはチェーンソーをン握っている。
「あ……」
 彼らは桜の木を斬ろうとしているのだ。桜の木を壊そうとしているのだ。
 少年の問いはこの桜の木の事だったのか。少年の口を借りた桜の木の悲鳴だったのか。
「そういえば、なんかそんな看板があったな。あそこにマンションを建てるとかどうとか……」
 刹那、少年が走りだした。
 ナイフを握り締めて作業着姿の男達の元へ。
「あ、おい待て!」
 ゼクスが少年を追いかける。
「いけません! それでは同じです!!」
 セレスティも慌てて少年を追いかけようとした。
 桜の木の根元に眠っていた少年が目を覚ます。
 ナイフを手に。
 セレスティの肉体はあそこにはない。今はただ、ここから見ている事しか出来ないのか。
「桜を壊そうとした人たちを壊そうとしたら、それは同じですよ。ただ、繰り返されるだけです」
 セレスティは桜の木に呼びかけた。少年の夢を捻じ曲げ、少年を操っているのは、あの桜の木なのだ。
 少年の傍らに倒れていたゼクスの体が目を覚ます。
 チェーンソーを持って近づいてくる連中に、少年がナイフを構えた。
 凶行を止めなくては。

 ――――!!

 少年の前に立ちふさがったゼクスの脇腹をナイフがえぐる。
 血が滴り落ちた。
「……結構、痛いじゃないか」
 口の中で低く呻いてゼクスはゆっくり息を吐き出した。
「やめろ」
 強がりに、何でもないような顔をしてみせて、ただ少年のナイフを握る手に自分のそれを重ねると、ゼクスは一気にそれを引き抜いた。
 だが、血は溢れ出ず、傷は瞬く間に癒えていく。
「もう、悪夢は終わりだ」
 少年が呆然とゼクスを見上げていた。傷は癒え痛みのひいたゼクスが不機嫌そうな顔を返す。こういう時、どういう顔をしていいのかわからず、ゼクスはぶっきらぼうに言った。
「これくらい大丈夫だ」
 ゼクスの背に作業着の一団が近づいてくる。
「何だ、お前ら」
 という声にゼクスは振り返った。
 自分にかけられたのかと思ったが、どうやら違っていたらしい。
 ゼクスと作業着の一団の間に、数人が立っていた。
 手には看板のようなものを持ち、或いは、たすきをかけている。
『マンション反対。桜の木を守ろう』
「…………」
 先頭に立っていた白髪まじりの腰を折った爺さんが、作業着の一団の前に一歩を踏み出した。
「絶対に斬らせんぞ」
「そうだそうだ!!」
 他の者達も拳を突き上げる。
 その気迫に作業着の男達は気圧されたように後退った。
 少年がゆっくりと頽れるのに、ゼクスは慌てて手を伸ばして抱きとめる。
 それを白い空間から覗き見ながらセレスティはホッと息を吐き出した。





■覚醒■

 それは、桜の木が見せた悪夢だったのか。
 壊れてしまった大切なマグカップをゴミに変えられた、ショックを受けた少年の心に、自分が壊されそうになっている桜が共鳴したのだろうか。
 キーワードはゴミじゃない。
 誰かにとって不要なものであっても、誰かにとっては不要なものじゃない。
 誰かにとってはゴミであったとしても、誰かにとってはゴミではない。
 そして、その誰かがある限り、ゴミはゴミでなく、ガラクタは宝物たりえるのだ。
「キミが強く望めば、壊れても、それはキミのお気に入りのマグカップですよ」
 セレスティは優しく囁いた。
「ふん。桜の木だってそう簡単に壊されたりするもんか。誰かにとっては邪魔かもしれんが、誰かにとっては大切だったりする。だから、人のものをゴミとか言って勝手に捨てるような奴には一度説教してやらんとな……」
 ぶつぶつと、途中からは別のところへ怒りをぶつけつつ、ゼクスは反対を訴える人々見やりながら、少年の髪を優しく撫でてやった。
 そう、どれも大切なものだ。


 ――ごめんなさい。


 どこかで、そんな声を聞いたような気がした。




 少年が駆けて来る。
 壊れたマグカップを手に。
「あのね、このマグカップは綾ちゃんから貰ったんだ」
 少年が自慢げに笑った。



 ――壊れたマグカップはゴミだったかい?



「ううん。大事なマグカップ」






■The END■





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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【 整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業・クラス 】

【1883/セレスティ・カーニンガム/男/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【0641/ゼクス・エーレンベルク/男/22/エスパー】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 昨日の花は今日の夢。
 というわけで、ご参加ありがとうございました、斎藤晃です。
 楽しんでいただけていれば幸いです。
 ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。
PCゲームノベル・櫻ノ夢 -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年05月25日

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