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『残花の灯火 』
オーマ・シュヴァルツ1953


■オープニング

 ただ、櫻の木だけがそこにあった。古木。染井吉野のような華やかな枝振り淡い色合いな定番の花とは少し違い。赤みが強い、山櫻。それ以上の風景は視界に入らない。あったのかどうかさえわからない。ただ、闇だけがあったように思える。明るくは無かった。陽の光からは遠かった。月の光さえもあったように思えない。周りにあるべき緑すらも感じない。なのにその古木の残花だけが、灯火のようにただ、映えている。
 その木の、下に。
 一人、無造作に腰を下ろして古木を見上げている姿があった。和装の男。書生のような風体とでも言えば良いのか、まだ若い。後頭部高い位置で括った長い黒の髪。黒壇の瞳――否、瞳はよくよく見れば紅い。深い深い紅。黒と見紛う紅。光の加減でしかそうとわからぬ程、深い紅。
 ――…既に流されこびり付いた、古びて饐えた血の如く。

 和装の男はただ黙して、古木の残花を見上げている。
 何の言葉も無いまま、静止している。
 ふと、瞼を閉じた。
 そして。
 唇だけを、開く。

「…貴方も、この櫻を?」

 静かに、声が響く。
 頭の中に。
 周囲に反響は無い。ただ直接響く。

「もしそうであるならこれも何かの縁。少し、私の話し相手になっては下さいませぬか」

 無理にとは、申しませぬが。
 控え目な頼みが、耳を打つ。
 和装の男はそれ以上は、何も言わない。

 ふと、その男の手に目が行った。

 ――…瞳の色とは違い、もっと鮮やかな紅に、濡れていた。右も左も、両の手共に。

 気付いた事に気付いたか、和装の男は静かに笑う。
 何処か、諦念を感じさせる笑み。
 男は再び瞼を開けていた。
 今度は古木の残花では無く、そこに来訪した姿を、ただ、真っ直ぐに見据えて来る。

 視線のその前。紅い色が、つと落ちる。
 一滴――否、花弁。本物の小さな櫻の花弁が、そこにはらりと落ちている。
 目の前。

 息吹ある大地とも思えぬ、闇の中。

 …否。
 貴方の目の前にある、現実に。



■夢現――ゆめ、うつつ

 ――…はらりと落ちていた、『淡い色』の花弁。
 それは庭の桜の花弁。今見た筈の、古木が持つ濃い紅の花弁は何処にも無く。どうやら、気が付けば眠りこけていたらしい。目の前の風景はいつものシュヴァルツ総合病院内。それも院長室で居眠りと来たもんだ。普段わさわさ居やがるナマモノフレンズ連中もなかなかの腹黒アニキ振りで院長の――オーマ・シュヴァルツの安眠をひっそり見守ってくれていたらしい。近くには誰も居なかった。
 窓は開け放たれたまま、今日も聖筋界の陽気は悪くない。
 だからこそ、うとうとっ、と来てしまった訳か。
 …に、しても。
 今のは。

 闇の中、滴の如き濃き紅の小さな花弁。
 麗かな春の日和、窓の外から目の前に舞い落ちるは見慣れた花弁。

 いつ見間違えたか判然としない。

 ――…『少し、私の話し相手になっては下さいませぬか』。

 何もかも諦めたが如き声。
 現実とは違うも、耳に残っている。

 ――…放り出すのも親父筋が廃る、か?
「…そうさなぁ、桜の下で桃色るんるんアニキ密筋タイム★っつーのも悪かねぇかもしれねぇな?」
 何処か夢現のままぽつりと呟くと、オーマはすぐにまた瞼を閉じてみる。
 まぁ、そうは言っても、本当にすぐにまた睡魔が訪れたとしても――同じ夢を見るかどうかなどわからない。
 …だが。
 今の夢、ただの夢とも俄かに思えない。
 その声にも姿にも、古木の残花にも――その夢を構成している要素に、自分は何の記憶も無いのだから。

 と、思った時には――再びの闇に呑み込まれ。
 灯火の如き残花の古木が見えていた。





 自分が佇んでいたのは、先程と同じ位置。櫻の木、その下に居る男、共に闇の中に浮かんで見える場所。自分は元々そこに居たままだったのか、それとも一度現実へ戻り再びここに来たのか判然としなかったが、まぁ、どちらでも大して変わりはしない。
 先程と同様、彼がこちらを見据えている事は同じなのだから。
 オーマは目の前の光景を再び見遣る。殆どが闇の中。そこに、一つだけぽつんとある櫻の古木。僅かな残花――見頃は過ぎて殆どの花が散った後、それでも残るいじましい幾つかの花の灯火。
 まずは――敢えて、その下に座る彼の方ではなく、古木の方を見る事にする。…貴方も、この櫻を。もしそうであるならこれも何かの縁。そんな言い方をする以上は、この櫻には何か彼の想いがこめられている。
 この場は自分が生きる現実の世界とは到底思えない。思えないが、だからと言ってただ自分が見ている夢や幻とも思えない。ならばこの櫻もまた、彼と何か関わりのある花――それだけではなく、彼こそがこの場にこの桜を見せている可能性すらも、高いだろう。
「…桜、なぁ。にしては随分と花の紅が濃い色に見えやがるが」
 例えばうちの庭にあるのはもっと淡い色だな。殆ど白っちゃその通りだ。
「…やはり、現世の櫻は大抵、淡い色になりますよね」
「てぇ言い方するってこたァ…これは本当にある桜じゃあ、ねぇのかな?」
「いえ。この櫻は――この櫻と同じ櫻は、私の故郷に、ありました」
 紅山櫻の系統、その筈です。
 ただ…それにしても、色が濃過ぎるとは、思われるかもしれませんが。
「まぁ、細かい事ァ知らねぇが。ただ…確かに、桜っつわれる花でここまで濃い紅色を見たのは――この俺でも初めてかもな?」
 ふむ、と顎に手を当て考え込む。
「お前さんはこの花、好きなのかい」
「…――」

 オーマのその科白を受け、和装の男は答えを返す――返している。
 その筈だったの、だが。
 その答えをかき消すように、ざぁっ、と風が吹く。古木の枝を翻弄し、細波のような音が鳴る。
 答えてはいた――男の唇は動いていたようだが、オーマの耳にはその声が聞こえない。

 …いや、今吹いたのは――これは本当に風なのか。この場は風と言うものが存在する場所なのか。闇の中、不可視の風が髪を靡かせ肌を撫でるその感触は、何処に源を発するものか。
 本当は風ではなく――夢かもしくは幻の中、それ故に言葉を遮ろうと言う意志が垣間見えたか。…そうなのだろうか?
 いや、夢幻と疑う事こそ無粋の極みか。
 折角の櫻、興じる事には何も不都合は無いのだから。

 風が止む。
 古木の細枝、その先端がまだ揺れている。
 残る花は、数少ない。

 だが、今の風で落ちた訳では、なく。
 風が止んだところで、オーマは櫻に向けていた目を和装の男に移してみる。
 今の返事が聞き取れなかったと見たか、和装の男はオーマを見、ただゆっくりと首肯していた。
 再びは同じ言葉を紡がない。





 その後。
 結局、二人共に櫻の下に座って俄かに花見に興じる事になる。和装の男は初めの通り無造作に古木の幹に背を任せ座っており、殆ど動く事もしていない。オーマはと言うとその男に近付きその前に立ちはしたが――二メートルを軽く超す長身にばっちり筋肉ビルドアップ済みな巨漢と、殆どその足許、地べたに座り込んでいる恰好のまま立ち上がる気配の無い話し相手では…幾ら話し相手の方が元々上を向いていたとしても、何だかお互いの目線の高さの極端な差からして――話をするには色々と遣り難い。
 で、こうやって話を続けててもお前の首疲れんだろと軽口を叩きつつ、和装の男に合わせる形で、オーマはどっかりと片胡座をかいてその場に座り込む。…大きく肌蹴た胸の左側には何らかの紋章らしき黒のタトゥー。和洋折衷ド派手な恰好。ややと言うよりかなり奇抜、知らぬ者が見たならバサラ的高圧的にも見え兼ねない強面親父殿の――意外なくらい気さくな行動に、和装の男は少し驚いたような顔をする。
 それと同時か少し早いか――そのくらいのタイミングで、オーマは訥々と語り出した。
 何の話かと言うと己が愛妻と愛娘の事。…オーマが彼女たち家族の事を本格的に話すとなるとどれだけ時間があっても足りないがこの場では一応暴走を避け、少々セーブ。まぁそれでも、親父愛こってり盛り込まれた家族馬鹿であるが故に、それなりに長くなってしまうのは仕方無いのだが。
 そして――その愛妻に、昔、逆プロポーズで贈られた花の事も合わせて話す。贈った者との永久の証。永久の絆で結ばれると言う伝承のある花の事を。
 お前が好きな花がこの桜だと言うのなら、ついでだ俺の好きな花も教えよう、と。
 にやり笑って差し出す一輪の花。いつの間にその手にあったのか、オーマの肉厚の掌とごつい指が、意外なくらい繊細に、か弱いその茎を優しく持っている。慎ましやかな花容。花弁は偏光色。不思議な色彩。残花の古木のみが灯りの如きこの闇の中にあって、見る者を照らすような輝きを放っている。
「…ルベリアって花でね。お前さんにとってのその桜と同じく、俺の故郷に咲く俺の好きな花さ」
 言って、オーマはその花を当然のように和装の男に手渡し、そっと握らせた。男の手が紅色に濡れている事も気にしない。和装の男は少々面食らったような顔をしていたが、渡されるままその花を素直に受け取る。
 と。
 ルベリアの偏光色が、ふ、と揺れた。
 元来通りの何色とも付かぬ輝きが――これまた何とも形容し難い、微妙に移ろう濃い紅色に染まる。
 それは――生者の身の内を流れる鮮やかで力強い脈動のような、死に逝くものがただ流す生命の証のような。荒ぶり燃え盛る炎にも、慎ましやかな灯火にも見えるような。灼熱と温暖と。苛烈さと情熱と、生と死と両方を移ろうような。静と動――正と負の意味のどちらをも同時に感じさせる不思議な紅。
「…色が、変わりましたが」
「ここでも紅色、ってか。このイイ感じにマッチョな桜の古木とお揃いだな」
「?」
「ルベリアにゃ想いの輝きを映し見せると言う伝承もあるんだよ。試すような真似して悪かったが――お前さんの心はそんな色らしい」
「…。色が、揺らいでいますね」
「…だな」
「ルベリアと言いましたね。…この花、綺麗と言うだけでは無く――効果も大したもののようです」
 …当たっていますよ。そう呟き、和装の男は静かに笑う。
「私は今、どうしたものだかわからないんですよ」
 呟きながら、渡されたルベリアを持っているのとは逆の手を緩く持ち上げ、己の視界に入れた。
 紅に濡れたその手指を。
 見つめる。
 そのままで、口を開く。
「…今のまま生きていて良いものか、死んでしまった方が良いものか。このまま闇に浮かぶ残花の灯火に頼りを残すべきなのか、偽りの朱き夏に囚われる事を望むのか」
 和装の男の手の動きと共に、ふ、とオーマの鼻腔を微かな臭いが擽った。
 それだけで、彼の手にある紅色の正体は明確に知れる。…元々、そうだとは思っていたが改めて確信に至る。
「…今の位置で留まりたいのかそれとも壊れてしまいたいのか。その迷いが――今この場にある私を形作っているのだと思います」
 闇の中、ただ古木の懐に抱かれて座る私を。



■奥底の想い

 ――…ずっと前に故郷で死んだ筈の女性が目の前に現れました。それは夢現の狭間に訪れる世界故の事とも思い切れない姿でした。死んだその時から今まで少しも年を経ていない姿、それこそ私には夢か幻を見ているように思えてしまいました。
 故郷で、私の許婚であったその彼女が死した時に私は狂いました。抑制し切れない狂気でした。心の問題だけで済むものでもありませんでした。自分の中に別の何かが居るような感じでした。恐ろしかったけれど何故か私の心にはいつも冷静な部分がありました。私の狂気の存在は、彼女を喪ったからこそ生まれたもの――目醒めたもの。堪らないくらい恐ろしいと思いつつも、それが無ければ私が成り立たない。そのくらい重要なものと何故か本能的に認識していました。私が私としてある為に、必要不可欠なものなのだと。
 それは怯えはありました。
 得体の知れない恐怖もありました。
 狂気の私は恐ろしい行為を重ねている事は朧げながら知っていますから。詳細は知らずとも、ぼんやりと記憶はあります。…狂気にかられている時の私は、狂気と言うだけでは済まない異能の力を持ち合わせていました。その力をも利用し、何人もの命を屠っていたんです。
 …ですが狂気と認識しつつもその根の部分では、全て承知の上で私はずっと平静だったのだと思います。
 自分はここまで冷酷になれる人間なのだとその時初めて知りました。
 衝動に任せ数多なる命を屠る――これ程身勝手な行動を、理屈無くすんなりと正当化出来る自分が居るのですから。
 このままではいけないとは思っていましたが、それで罪悪感と形容出来る感情を持ち合わせていたのかどうかは自信がありません。私は暫く、師の力を借りて山奥の庵に隠れ住んでいました。…師が殆ど力技で私の狂気の封印を試みたのです。私も否やはありませんでした。当然の事だと思っていました。…もっとも、しばしばその封印を飛ばしてしまってもいたのですが――選んだ場所柄故か、人様に迷惑を掛ける事無くぎりぎり抑え込む事は出来ていました。正気で居られる時間がほんの僅かながら増えました。
 そんな頃に、彼女に逢いました。この彼女は当然、許婚の彼女とは別人です。見た事も無い人でした。いえ、師以外の人自体を見るのが久しぶりでした。
 …その時、初めて私の心から冷静な部分が消えました。
 自分が正気を飛ばすその瞬間を考えただけで、心底怖くなりました。
 初めて逢ったばかりの私に微笑みを向け、屈託無く声を掛けてくる彼女を殺してしまう可能性を思うだけで。
 私は何度もその場から去ろうとしました。まだ正気である内に、彼女から逃げようとしました。けれどその機会が掴めません。ならば無理にでも振り切って逃れてしまえばいい。そうも思いましたが――何故か、出来ませんでした。
 とても紅の濃い見事な櫻ね、と。
 偶然出逢った紅山櫻の古木の下で、彼女は私を話し相手に選びました。私は――櫻を見ている余裕などありませんでした。ただ自分自身が怖くて堪りませんでした。ですが――何故か、私の正気は彼女が居る間中、飛ぶ事はありませんでした。
 その後、約束をした訳でも無いですが、何度かこの櫻の下で逢瀬を重ねる事がありました。私が淡い期待と同時に――怖いもの見たさとも言い換えられそうな好奇心にかられそこに行くと、彼女も偶然そこに居るのです。
 初めはただただ恐ろしかったのですが――その内、不思議な事に気付きました。
 彼女と居ると、正気が飛ばないのです。
 やがて師にも彼女との逢瀬が知られました。
 初めは厳しい顔をしておられましたが、師は私の事を彼女に話しました。そして話だけでは無く、師は私に施していた封印までも、彼女が居るその場で、完全に解いてしまいました。私は焦りました。まさか師がそんな行動に出るとは思わなかった。他者の居るその場で、私の狂気を封じる安全弁を全て取り払うなど。
 ですが――師は、彼女と言う存在の力を察していたのでしょうね。
 師は私を、そして彼女を試したのでしょう。
 そしてその結果――きっと、師の期待に応えられたのだと思います。
 ――…狂う私を、その場で、彼女が抑え封じました。
 師の施すものよりも、何処か心安らげる力に感じたのが不思議でした。今までしていたようにぎりぎりの線で抑えている、そんな不安定な感覚ではありませんでした。正気で居られる時間を、初めて自分で信じる事が出来ました。
 彼女は私の狂気を知りました。
 ですが、彼女は私に対して特に態度を変える事はありませんでした。
 貴方に逢いたかったからこの櫻を見に来た。一連の出来事があってから、そう明かされもしました。
 …私はそれで、人の世界に戻る事が出来ました。

 夢現の狭間で訪れる不思議な世界の事を知らされたのはいつの事だったかはっきりは覚えていません。ただ、人の世界に戻ってから、結構長く経ってからの事だったと思います。
 その頃の私は彼女の封印を頼みつつ、何とかこの異能を併せ持つ狂気――魔性と折り合いを付けていました。狂気にかられ殺戮に走る事など皆無に等しい日々が続きました。
 ですがそれでも、不安はありました。
 一度目醒めたこの魔性、どう封印しても眠りについた訳ではない事が、わかっていたからです。それどころか時を経る毎に、封印の効力が続く期間の予測が付け難くなってきました。私も私で、以前は正気を飛ばす前、ある程度の前兆を感じる事が出来たのですが――いつ頃からかそれが無くなっていました。唯一その前兆がわかるのが、師一人だけでした。ですが師は私ばかりに感けていられる人ではありません。封印の効力が切れる頃になると、いつも周囲を巻き込み大騒ぎになってしまっていました。
 ですから私は、知らされたその地へ赴く事を、決めました。未だ拓かれていない場所がまだ多くあると伺っていましたから。それに、そちらの異世界では異能が珍しくも無いものである事も伺いましたので。
 それに、この彼女以外にも、大切だと思える人が――兄弟とも思える人が、出来ましたから。
 万が一の時の念の為。望むならいつでも行き来は可能。師が言ってくれたそんな前提もありましたから――あまり寂しさもありませんでした。ちょっとした引っ越し程度の気持ちで、私はその知らされた場所、異世界に住み着く事にしたんです。
 暫くは平穏でしたよ。
 その異世界に馴染む事も出来ました。そちらでの知り合いも出来ましたし。
 ですがその世界である時、死んでしまった筈の――私の魔性の目醒めの切っ掛けになった、許婚でもあった彼女の存在を――その姿を、見付けてしまったんですよ。
 生き写しの別人ではなく、当人でしかない存在を。
 それで私はわからなくなりました。
 彼女が居るならば私の魔性は眠る筈。
 けれどそうはなりませんでした。

 ――…それどころか。





 と、和装の男はそこまで話したところで話を止める。
 それから暫くの沈黙の後、今度は逡巡しながら再び言葉を紡ぎだした。
「いえ。…これは――どう、話したら良いのでしょう。そうですね…ここから先が、ルベリアの花が映している色彩が示している事なのだと思います」
 …私も言っている事がおかしいですね。私の方から話し相手になってくれと言ったのに、肝心なところをどう言ったら良いのか、上手く言葉が出て来ない。
 とにかく、私を人の世界に連れ戻してくれた彼女と初めて逢ったのは、この櫻の下なんです。
 それと――死んだ筈の私の許婚、彼女と初めて逢ったのも、実は同じ櫻の下だったんですよ。
 どちらも故郷にある、この山櫻でした。
 …珍しい色でしたからね。この花を知っているなら、花咲く見頃にこの場に惹かれるのは無理ない事。もっとも私は、それらの事を知らぬところで訪れていましたが。
「櫻の花より櫻の下に咲く花に惹かれて、か」
「…否定はしません。大切な事はこの場で彼女から教えられました。今の私は、この櫻の下でなら安らげる」
「それで、って事か」
 今ここにその櫻があるのは。
「…この場でなら、現世を忘れる事が出来るので」
 例え、束の間の事であっても。
「なぁ」
「…」
「お前、どうしたものだかわからないっつってたが…本当はもう、疾うに心は決まってるんじゃないのか?」
 自分が本当は、どうしたいのか。己はどうするべきと決めたのか。
 本当は、悩み迷い、揺らいでなどはいなくて。本当はそれはもう決まっている。覆すつもりも無い。だが『まだ自分は迷っている』と思わなければならない強迫観念のようなものがある。いや、決めた事とは違えども『まだ本当は迷ったままでいたい』のかもしれないか。…それが奥底にある本心からの想い。願い。希み。
 ただ、現実で下さざるを得なかった決断は、今この場では忘れておきたいと。
 それこそが、本心。
 それがこの夢と言う余地。
 故郷の古木に己を託して、束の間の安らぎを得る為に紡ぐ夢。

 違うか?





「バレてしまいましたね」
「やっぱりそうか。…まぁそう言ってもな。お前にこの夢から醒めろとは言わんよ」
「…」
「揺らぐと言ってもお前の想いを映したルベリアの花は殆ど同じ紅一色に染まってる事は変わりない。俺ァこのルベリアに映された色んな連中の想いの輝きを何度か見ちゃいるが――大抵迷い悩み揺らいでる奴の想いを映す時はもっと極端に――いかにも不安げに色や輝きが移ろうもんだ。お前の場合はそうじゃない。色自体は殆ど一色強い色、ただ、どういう加減でか見る方で違う色に見ちまうような感じだろ。こういう――突き抜けた強い輝きを映してる癖に同時に迷いを思わせるような色は俺もあんまり見た事ねぇんだよ。
 だからはっきりとは言い切れねぇが、俺の見たとこ何つぅかな…揺らぐ自分を承知で、揺らぐ自分ごと全部呑み込んで認めて一本筋通してる。そう考えると納得が行きそうな色の気がするんだがな?」
 つまりァ、この夢から醒めるべき時が来たら、お前は自分から進んで目醒めそうな奴だと思うね。
 俺が横からどうこう言う筋じゃねぇような、な。
「…買い被り過ぎですよ」
「そうかい? まだ小僧にしては将来有望そうな筋――とと、肝の座り方に見えるがね」
 それに色が色だ。紅ってのはそれだけで強い。そうそう曲がりゃしねぇ。
「やはり買い被り過ぎのような気がしますが――それはそれで貴方の意見と承る事にします。ですけどね」
 …私が、貴方が買い被られる通りの人間であるなら、こんな夢の中に見知らぬ他者を巻き込んで、とりとめのない話の相手に求めるなどと――ぐだぐだと煮え切らぬ事を続けているものでしょうか?
「…誰でも迷うし悩むし弱いところの一つや二つはあるもんだぜ? 煮え切らないところがあったって別に悪かない。手前で自覚してんなら、お前はもうその弱さを乗り越えてるも同然じゃねぇか?」
「…何だか励まされてしまっているようですね」
 貴方には。
 苦笑しつつそこまでオーマに言うと、和装の男は再び古木の櫻を見上げる。
 少しの沈黙の後、呟くような声が聞こえた。
 話し相手が欲しかったのは――人恋しかっただけかもしれません、と。
 誰でも良い、誰かと言葉を交わしたかった。

 ――…現世で決めた事――再び人である事を捨ててから、ずっと。

「現世の私は、夢現の狭間のかの地にて――生きとし生けるものを、もうどれだけ殺してしまったかすらわかりません」
「…それはどうしようもねぇ事なのかい?」
「止められるとは思っていません」
「お前はそれを望んじゃいねぇようだが」
「ですね。…ですがそれで罪悪感もないんですよ。酷いでしょう?」
「…本当に罪悪感が無ぇなら、そんなに何度も拘って口に出しゃしねぇぞ?」
「そう、でしょうか」
「ああそうだ。ンなワル筋ぶったって始まらねぇぜ」
「それでも私のしている事は何も消えません。それどころか――きっとこれからもまだ続けます」
 ですから。
 不躾なお願いだとは承知の上ですが。
 もし現世で貴方と相見える事があれば、その時は――私を殺して止めてはくれませんか。
「殺せ、か」
「…はい」
 現世での今の私は、自分では死は選べませんので。
 本当は――死ねるかどうかも判然としませんけれど、もし、可能であるなら。
「できねぇな」
「…ですか」
「俺は絶対不殺主義でね。どんなに懇願されようと何者だろうと殺しちゃやんねぇ」
 生きとし生けるもの、死ななきゃならん奴など居やしない。
 それは当然お前がその手に掛けた奴もだが、お前自身も余裕で含まれる。
「だがな。
 …お前を止めろって方だけなら、頼まれてやらんでもない」
「………………本気ですか」
「当たり前だろ」
「…見も知らぬ私に、そんな難しい上に貴方にとっては迷惑極まりない事を――簡単に当たり前と言い切れるんですね」
「おかしいか? 迷惑なんかじゃねぇンだよ。腹黒同盟総帥を名乗る親父大胸筋としちゃ、放っとける事じゃねぇんだ」
「そう…ですか。…確かに、貴方なら、出来るかもしれない。私の魔性も相当厄介なものですが――貴方もまたとんでもない力をその身にお持ちのようだ」
「おうよ。こんな腹黒イロモノ親父で良けりゃ幾らでも頼ってくんな。待ってるぜ――いや、お前…夢現の狭間で訪れる異世界っつったな、んじゃ現世でお前が居るのも聖筋界って事なのかも知れねぇな。…だったら――待ってるんじゃなくこちらから捜しに行ってやるか?」
 その方が、お前もこれ以上『続け』ないで済むだろ。
「――」
 そこまで。
「――…有難う御座います。…幾らか、気が楽になりました」
 そのお言葉、素直に甘えさせて頂く事にします。
 …早く、見付けて頂く事を期待して。
 そう、この残花の灯火が、全て散ってしまう前に。
 と。
 和装の男がそう言ったところで、オーマが少々大袈裟に肩を竦めた。
 …この残花の灯火が、全て散る?
「ってそりゃあ、わざわざ心配する必要もないだろ」
「…え?」
「ここがお前さんの夢であるなら、お前さんが心に決めた通りにする限り――この残花は、もう落ちねぇよ」

 お前自身がこの木にこの花を残してる。
 現世ではお前はこの花を忘れていても。
 それでも。

 お前が最後に頼りたい灯火は、きっと――何があっても消えやしないぜ?



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/職業

━━聖獣界ソーン
 ■1953/オーマ・シュヴァルツ
 男/39歳(実年齢999歳)/医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

 黒山羊亭の依頼に続き…と言うかお渡しは殆ど同時になる気もするので、オーマ・シュヴァルツ様には両方で初めましてで御座います(礼)
 今回は突発なところに発注有難う御座いました。
 結果として個別になりました。
 …で、何だか良くわからない話だったらすみません…。他タイアップゲーム含め、他の当方櫻ノ夢参加者様の物も見てみると、和装の男や櫻の古木についてまた色々と違った事が語られていたりもします。ノベルによっては正反対の事、全然違う事を言っているような描写に見える場合もあるかと思われますが、別にこちらの手違いと言う訳ではありません。こちらの意志でそう書いてます。
 なお今回の櫻ノ夢、十名様から発注頂いているのですが…演出上の都合で、ソーン黒山羊亭の方にも参加下さった方が登場しているノベルに限り先行納品させて頂いております。他の参加者様のノベルについてはもう少しお待ち下さいまし。

 …頼り甲斐のある素敵な親父様の度量の深さに感服しております。
 ただ、初めましてである上に…細かいところまでとても確りとした設定があるPC様のようなので、余計に当方で表現し切れたかどうかが物凄く不安ではありますが(汗)
 PC様の性格・口調描写等で引っ掛かったり、何かありましたらお気軽に言ってやって下さいまし。
 出来る限り善処致します。

 少なくとも対価分は満足して頂けていれば幸いです。
 では、またお気が向かれましたらその時は。

 深海残月 拝
PCゲームノベル・櫻ノ夢 -
深海残月 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2006年05月23日

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