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『櫻ノ見ル夢 』
劉・月璃4748



 例えば、の話だ。
 あなたがよく通り過ぎる道に、とても綺麗な花を咲かせる桜の樹が植わっていたとする。
 今年もまた、その樹は美しい花を咲かせた。そして季節の移り変わりに従い、はらはらとその花弁を風に撒いていった。
 それでもし、例えばだ。その樹に桜の精が宿っていると言われたら、あなたはどんなのを想像するだろうか。

 ――あんなに綺麗な桜の樹なんだ。どんな美女だと考えるのが普通だろ。風になびく黒髪で、純和風の顔立ちで……。
 そんな風に考えたとしても、男なら仕方がないと思うんだよな。


「オレを助けてくだせぇ。この通りです、頼みます」
 目の前では、筋骨隆々でいかにも無骨そうな男が、歯を食いしばり男泣きに泣いている。
 草間武彦は困惑した。
 いや、初対面でいきなり「自分は、あの桜の樹の精です」なんて言われ、あまつさえ自分より大柄な男に、泣いて頭を下げられたとしたら、誰だって呆然とするばかりだと思う。
 タンクトップから覗く肩からは、金さんよろしくびっしりと彫りこまれた桜の刺青が覗いていて、「ああ、この辺が桜の精なのか」などと、草間は現実逃避っぽくぼんやり思う。


「……とにかく、話は分かった。でもよ、無理だろそれ。この前お前が……でいいのか? とにかくあの桜の樹、今年はもう花が全部散ってただろう。どう考えても無理だと思うぞ」
 ――もう一度、今すぐ花を咲かせたいだなんて。
 常識的に考えて絶対無理だ。
 しかし、何度そう言ってもこの男はがんと首を縦に振らない。
「いや、でも、自分はどうしてももう一度咲きたいんです。それで、あなたのお力をお貸りしたく」
「俺は花咲きジジイじゃないんだぞ……」


 時間の経過があいまいなここではピンとこないが、草間が何の解決方法も見出せずにいた間に、どうやら現実世界では3日という時間が流れたらしい。
 しかし、草間はこの男によって夢の中に閉じ込められたまま、いっかな解放してもらえる気配が無い。
 とりあえず、煙草がなくなる心配だけはしなくていいのは楽だな、などと思いながら、草間はドーナツ型の紫煙を宙に吐き出した。


 ――3日か……3日間も寝っぱなしで、誰かに迷惑かけてなきゃいいが……。
 

 


○A-5 <月璃>

「草間さん、いる? 勝手に入るよ!」
 突然の来訪者の声に、月璃は顔を上げた。バタン、と乱暴に開け放たれたドアに視線を向ければ、果たしてそこに一人の少年が立っている。
 その腕の中には、少年と同じ年頃の女の子。彼に身を預け、すやすやと眠っている。いかにも「お似合い」な二人組だ。

 場所は草間興信所。昼食をとるには遅く、夕食の準備にはまだ早いといった午後の一番穏やかな頃合。
 月璃にとって、こうしてここに来るのは何度目かのことだ。だからここの人の出入りが激しいのも、一見首を傾げてしまうような出来事が起こりえることも、月璃は承知していた。
 だが、こんな事態は初めてだな、などと冷静に分析する。……さて、どうしたものか。
「……ってごめん、あんたが先客だった?」
「いえ、そうではありません。……残念ながら、草間君は」
 そこで言葉を切り、月璃は部屋の奥へと視線を送る。
 少年もつられるようにしてまたその視線を追い―――そこに横たわっていたのは、平和そうな顔をして眠りこけている興信所の主、草間武彦だ。
「あの通りです。3日間眠り続けているそうですよ。私は留守番の月璃と申します」
「寝てんの? 日和と同じだ!」
 少年は驚いたように叫び―――そうしてやっと我に返ったように、「あ、俺、羽角悠宇」と自己紹介をした。
「悠宇君、ですね。よろしく」
「ああ、んでこいつは初瀬日和な。……俺たち、一緒に帰宅途中だったんだ。そうしたら日和が道の真ん中で眠りこけちゃって」
 腕に抱えたままの女の子にちらりと視線を落としつつ少年、悠宇はそう言った。
 ソファに下ろしてあげればいい、と月璃が促すと、悠宇はいやだと強く首を振り、抱えたまま彼自身がソファに座り込んだ。
「俺が抱えててやるんだ」
 月璃はその強気な言葉に軽く笑い、それ以上は言わずにいてやることにした。
「……なるほど、君たちが来たのも偶然ではないのかもしれません」
「どういうこと?」
「ちょうど今、草間君が眠ったままの原因を探るべく、彼の夢の中へ入ることにしたんですよ。……彼らとね」
 月璃は、今度は別の方向に視線を巡らせる。―――その視線の先、部屋の逆の隅に身を横たえていたのは、シュライン・エマとセレスティ・カーニンガム。
「ついさっき、彼らと事態の原因解明について話していたんです。そうして出た結論は、草間君の『中』に実際入ってみよう、というものです」
「へ、へぇ〜……夢の中へ? 出来るの、そんなこと」
「これでも、私は占い師としては名を馳せていまして」
 月璃は悠宇を見て笑ってみせる。
 とはいえ、つい先日シティ誌で『今話題の美貌の占い師・その腕も百発百中!』と10ページの特集を組まれたばかりの月璃にとっては、ささやかすぎる自己紹介だったかもしれない。
 だが、自分をあまりにひけらかすのは趣味ではない。さらりとした口調のまま、月璃は言葉を続けた。
「そこで、あなたにもいくらか動いてもらえればいいなと思うのですが、どうでしょう?」
「やるやる、やってやるって!」
 悠宇は月璃の言葉に、力強く頷いて見せた。



B-2 <現の世>


 方法としてはこうだ。
 夢の中へ入ったセレスティ・カーニンガムと、ここに残った月璃――偶然居合わせた占い師同士である――が精神を感応させて、交信を可能にする。
 そうして、夢の『内』と『外』から解決を図ろう――というのが大まかなところである。
「……ああ、日和さんという方も夢の中にいらっしゃるようですね」
 悠宇が一番心配していると思われることを伝えてやると、彼はあからさまにホッとした表情を見せる。
「本当に! ああよかった〜、心配したんだからなぁ日和!」
「……今、俺に言われても伝わりませんが」

 こんな風に事態はすすみ――そうして月璃の前に、徐々に全貌が見開いてきた。


 夢の中から、月璃へと伝えられてきたことはこうだ。
 ―――草間を夢の中へと捕らえているのは、とある道の端に生えている桜の木だという。そう、日和と悠宇が通りかかった道に生えていた木だ。
 桜の精は毎年毎年、近所の人々の期待に応え、見事な花を咲かせ続けていた。桜の精にとって花を咲かせることは何よりも大事なことだったし、また木のそんな姿を見て皆が喜んでくれることは何よりもうれしいことだった。
 果たして、彼の桜を楽しみにしていた人の中に、一人の女の子がいた。彼女はよっぽどその桜が好きだったのだろう。花を咲く度に、木の元へ来ては歓声を上げていたという。
 ―――だがしかし、今年は花の時期が過ぎてもその女の子は木を見にやって来なかったという。季節は過ぎ、花ははらはらと散っていく。それでも彼女は来なかった。
 どうしたんだろう、あの子はもう来ないんだろうかと桜の精が思っていたところへ、一人の女性がやってきた。その女の子によく似た面差しの彼女は、桜の木を残念そうに見上げつつ―――。


「その女の子、どうやら重い病気らしいですね。ずっと入院していたそうです。外出もままならず、桜の木を今年は見に来られなかった、と。
……ええ、それでその子はそのまま、遠くの町の病院に行ってしまうそうです。だから来年じゃ遅い、今すぐあの子に咲いて見せたい、と……それがその桜の精の言い分のようですね」
「なるほどなぁ。気持ちは分かるけど……無茶するなぁ、その桜の精ってのは」
 悠宇のもっともな感想に、月璃はただ肩をすくめる。
「ところで悠宇君。あなたはその桜の木をご存知なのですね?」
「ん? あ、ああ。俺らがよく通る道に植わってる木だから」
「よろしければ、その木の事を教えていただけますか? ……ああ、言葉にする必要はありません。手を貸していただければ」
 月璃は悠宇の傍らに座り、日和を抱いている反対の彼の手を取る。
 そしてしばしの間瞑目し――わずかに長いまつげを瞬かせる。
「……なるほど。大地にしっかりと根を張られているようです。毎年綺麗な花を咲かせるだけあって、とても丈夫な身体をしていらっしゃるようですね、この桜の木は」
「分かるの?」
「ええ。失礼ながら、悠宇君の記憶を少々お借りしました。これも簡単な占い能力の一つです」
「すごいな、さすが占い師さんだ」
「占いで一番得意なのは、カードを使ったものですけれど、ね。……ああ、それにしても大きな木ですね。自然と生命の力強さを感じます」
 月璃は本気で感心しているようだ。悠宇の手を離したあとも、一人何度も何度も頷いている。
「これはぜひとも、彼を救ってあげなければなりません。あのような見事な木を、むざむざ枯らしてしまうには惜しい」
「そうだよなぁ。俺も日和も、あの桜の木のことは好きだったし。……でもさ、ねぇ月璃さん。俺たちが出来ることってのはあるのかな」
「そうですね……夢の中のことは、草間君たちに任せましょう。俺たちは俺たちで、何か出来ることがあるかもしれない」
 この現実世界で、と月璃。
「でも、今のは全部、夢の中の話だろ? 俺たちに何か出来るかな」
「たとえば、桜の造花を作る……とかどうでしょう。薄紅色の軟らかい紙で作れば、それなりに見えるのではないでしょうか」
「なるほど! ああ、それいいかも!」
 月璃の案に、悠宇は俄然身を乗り出した。
「俺たちには散った花を再び咲かせる事は出来ませんけど、それなら出来ますし……造花なら自然の摂理を曲げる事にはならないでしょう」
「あ、ちょっと待って。だったらもっといい案がある」
 と、悠宇はソファから立ち上がった。
 そうして指笛を鋭くピーと吹き―――姿を現したのは、2匹の銀のイヅナ。
「白露、末葉、仕事だぞ」
「……悠宇くん、それは」
 軽く目を見張った月璃に、悠宇は軽く得意げに笑ってみせる。
「ああ、俺と日和のイヅナ。白露と末葉って言うんだ。気のいいやつだから、仲良くしてやってくれな」
 そうして、肩に上った2匹を見た。
「お前ら、鳥がついばんで落ちた桜の花を沢山集めるんだ。花の形がちゃんとした、散ってない奴だぞ? 近所中の桜の花、全部だからな。……あ、なんだ白露! 反抗的な顔しやがって。そんなに日和から離れたくないって言うのか?」
「……ほう」
 また違った意味で目を見張った月璃に、2匹の管狐とふざけていた悠宇は慌てて態度を取り繕いつつ、えへんと胸を反らした。
「こいつらに、造花じゃなくて本物の花を集めてもらってさ。どうせだったら本物の方がいいだろ? 満開の花っていうわけにはいかないだろうけど、その方がその桜の精に納得してもらえるんじゃないかな」
 そして、悠宇は言葉を続ける。
「でも、女の子のためにもう一度咲いてやりたいだなんて、やっさしい人なんだなぁ。なんせ桜の精だもんな、よっぽどきれいな女の人なんだろうな」
「は?」
 悠宇の言葉を、月璃は思わず問い返してしまう。
「いや、俺には月璃さんみたいに夢の中が見えないからアレだけどさ。花の精だもんな、しかも桜だろ? どんなにきれいな人だろうと思ってさ。ま、どんな人でも、俺にとっては日和が一番だけど。だからまあ2番くらいにはなるかなーと思って」

 無邪気な想像を巡らす悠宇に、月璃はなぜか本当のことを告げられず、あいまいな笑みを返すばかりだった。
 ―――知らぬが花、とは先人の言葉である。  




C <夢幻の桜>

 ――闇に浮かび上がる、薄く色づいた霞。

 ざあ、と吹き付けてきた風。かぐわしく匂い立つそれはしかし、自分だけが感じていた香りなのか。
 それを合図としたかのように、枝のそこかしこで固く結ばれていた花のつぼみがいっせいにほころびだす。VTRの早回しのように、花開いていく桜。皆の息を飲む音が重なる。
 取り囲む一同が静かに見守る前で、そのさくらの木は確かに、今花咲こうとしている。
 ――そして桜は花開いた。白霞、堂々たる枝ぶりを持つ桜の木に宿る、今や満開の花。
 あるかなきかの風に、花をまとった枝がまた揺れる。ざわ、という音は胸のざわめきにも似て、見ているものの心をも揺さぶっていく。

 そうして、はらはらと涙をこぼすかのように、少しずつ、少しずつ宙に織り交じっていく花びら。
 まるで薄紅色の花自体が光に包まれているかのように、薄暗かった闇の中心にその桜の木は鎮座していた。昼の明るさとは違う、闇夜を照らす明るさ――そう、月の明かりのような。



 きゃあ、とかわいらしい歓声が響いた。
 ぱたぱたと満開の桜の木の回りを走り回るのは、赤いリボンで髪を結った小さな女の子。
 何がそんなにうれしいのか、満面の笑顔を浮かべ、風花のように舞う白い花びらを追い掛け回している。

 ――そして。
 木より数歩離れた位置から、草間以下、一同が木を見上げていた。
 ヒュー、と小さく口笛を吹いたのは草間だ。 
「あの桜の木の精、やるじゃねぇか」
「すごいわ、……綺麗ね」
 彼の横で素直な感嘆の声をあげるのはシュライン。
 それ以上の言葉が出てこないのがもどかしいらしい。ううん、と軽く唸った後、苦笑しながら小さく首を振った。
「いいわ、こんなに綺麗な風景は……言葉にしたらもったいないのかも」

「素晴らしいですね、私……こんなに綺麗な桜を見たのは、初めてです」
 感動のためか目をうるませつつ、日和が頷く。
「例え夢だとしても、いえ、夢だから……この美しさをいつか忘れてしまうかもしれないって考えると、怖いくらいです」
「じゃあ忘れなきゃいいのさ」
 彼女の横でそう答えたのは、月璃と共に後からこの夢の中にやって来た悠宇だ。
「俺だって忘れない。俺たち2人で覚えていれば、記憶はきっと消えない」

「これが……想像の翼を広げた結果、ですか?」
 月璃の問いかけに、セレスティは静かに微笑む。
「そうでもあるし、そうではないとも言えます。……私たちは、夢の中で彼の花を開かせてあげるお手伝いを確かにしました。ですが、それだけではこれだけ見事な花を開かせる事は出来なかったでしょう。例え、夢の中であったとしてもね」
 彼――猪熊君が、花を開かせるイメージをしっかり持っていたからですよ。セレスティはそう言った。
「彼自身が、どれだけ花を咲かせたかったか……その強い願いの結果といえるかも知れません」
 ああそれから、とセレスティは微笑みをわずかに変える。
「あなたと悠宇さんが集めてくれた桜の花はとても役に立ちました。……あの花が『媒介』となったから、あの女の子をここへ呼び寄せることが出来たのです」
「ああ、あれ? 役に立ってよかったよ」
 セレスティの言葉に、悠宇が振り向く。
 結構大変だったからさ、な? と月璃とうなずき合いながら、悠宇は照れくさそうに笑った。
「案の定、この辺の桜はほとんど散ってたからさ。白露と末葉に頼んで、それでようやくって感じ」
「白露と末葉に?」
「ああ日和、末葉ちょこっと借りたぜ? ……あの女の子、きっと目が覚めた時ビックリするだろうなぁ。集めた花をさ、ランドセルの中いーっぱいに詰めておいたんだ。もちろん、俺じゃなく2匹にやらせたんだけど」
「……それはあの子もびっくりね」
 そう言って笑ったのはシュライン。
「でも悠宇くん、どうやってあの女の子の家を調べたの?」
 日和の問いに、今度は月璃が答える。
「それは俺の占いで。あの桜の精の想いを辿れば、簡単でした」
「なるほどな。……やれやれ、これで一件落着か? ふあーあ、これでようやく俺も目が覚めるってか。ま、ずっと夢の中ってのも悪くなかったけどな」
 ぷかり、とタバコの煙を浮かす草間。
「全くもう、武彦さんは気楽なんだから。……でも、そこが武彦さんらしいけどね」
 シュラインの言葉が、何よりも一同の声を代弁していたに違いない。
 皆で笑い、ただ一人草間だけが憮然としていた。


 と。
 なぁ、と悠宇が誰へともなく言った。
「あの子がさ、いつか退院して元気に学校通えるようになって……それでランドセル見るたびに、あの桜の木を思い出してくれればいいよな」
「それで悠宇くん、お花をランドセルに詰めたの?」
「実はな」
「そういうことだったの」
「大丈夫ですよ。俺のカードに、不吉な影は出ませんでしたから」
「……そうですね。私も、我が身を司る『水』に、あの女の子の未来と幸福を願いましょう」


 ――女の子が嬉しそうに駆け回っているのは、桜の木が見られた喜びもあるだろうが、こうして自分の脚で好きに駆け回れる喜びもきっとあるのだろう。
 例え夢の中からであっても、あの女の子が心安らかであってほしいと、皆がそれぞれに思う。



 そして。
「……んーでも、ちょっとだけ残念だな」
「何が? 悠宇くん」
「いやほら、俺今までずっと『現実』の方にいたろ? だから桜の精がどんな人か拝めなかったからさ。日和は見たか? やっぱりすごく綺麗な人だったりしたんだろ」
「……そ、そうね、う、うーんと」
「まぁ、でも日和が一番桜の精っぽいけどさ! ……な、なんてな……ごほごほ」

 言葉に困った日和はとっさに視線を周囲に巡らせるが、彼女と視線を合わせようとする者は誰一人としていなかった――。




D-1 <月璃>

 ふと視線を巡らせて見れば、一人、また一人と視界から消えていく。皆、夢から徐々に覚めているのかもしれない。
 この「夢」もじきに消えるだろう。ならば……と月璃もきびすを返しかけたところで、もう一度桜の木を見上げた。
 ――花は依然ほのかな光を含んで、闇の中咲き誇っている。
 少女の頬のように、薄く紅色に色づいた花。それはまるで、いつかの面影を見るようで。
「――桃紅……」

 ざあ、と風が鳴った。
 花びらがいっせいに舞い上がる。まるで嵐だ。
 光を増していく木。それは闇の中強く輝き始め、月璃の瞳を射る。
 だが月璃は木から目を逸らさない。閉ざす事もしない。
「……誰か、そこに」
 木の陰に人影を見た気がした。思わず手を伸ばす。一歩進もうとする。
 だが吹き付ける風は強くなるばかりで、月璃の行動を妨げる。歩み寄ろうとする月璃を、じりじりと遠ざけようとする。
 自分は叫んだ気がした。――それは彼女の名前だったのか、それとも引き止める言葉だったのか。
 だがその声は風の音に遮られ、自らの耳へさえも届かなかった。
「…………!」


「……あの、月璃……殿」
 名を呼ばれる声に、月璃はハッと我に返った。
 気がつけばあたりは静かになっていた。そよそよと吹く風に、わずかに枝が揺れている程度。嵐の面影など、消え失せてしまったようだ。
「幻……? どこからどこまでが」
「月璃殿」
 今度ははっきりと名を呼ばれた。慌てて月璃は傍らを振り返る。
 果たしてそこにいたのは、渦中の桜の精――猪熊桜之進だった。月璃の視線を受け、深く腰を折ってみせる。
「ありがとうごぜぇやした。月璃殿のお陰っス。自分は……感謝してもしきれねぇです」
「……いえ。俺一人の力じゃありませんから」
 動揺を押し隠すような、そっけない言葉。
 だが猪熊は、月璃の態度を意に介していないのかそれとも気づいていないのか、いやいやとんでもないっス、とにかりと笑って見せた。
「自分、どうしてもあの子に花を見せてやりたかったんス。もし本当に咲くことが出来るんなら、自分今すぐにでも枯れちまってもいいと思ってたぐらいで」
「猪熊君」
 とっさに、月璃は彼の言葉を遮った。
 目を丸くする猪熊。わずかに逡巡した後、月璃は言葉を続ける。
「桃紅、という言葉を知っていますか」
「タオホン……?」
「色で言えば薄紅色でしょうか。向こうの国が由来で……あなたのような美しい花の色を表した言葉です。……そうそう、こんな漢詩も詠われました」
「はぁ……?」
 煙に巻かれたような顔をしている猪熊をよそに、月璃はスッと目を細め、脳裏に刻まれている漢詩をそらんじる。
 ――それは何度も何度もそらんじて、今や思い出そうとせずとも浮かんでくる詩。



洛陽城東桃李花
飛来飛去落誰家
洛陽女児惜顔色
行逢落花長歎息
……


「え、えっと?」
「『花のような美しい紅色が頬から消えるのを、娘たちは恐れている』……簡単に言うとこんなところですか」
 今ではさらりと語れるが、それでも胸に一抹の苦いものが残るのは仕方がない。
 ――あの美しい人もまた、いつも頬に花のような紅色をたたえていたから。
「そうして、この詩はこう続きます」


……
年年歳歳花相似
歳歳年年人不同
……


「『めぐり来る年ごとに、花は等しく咲いているように見えても、それを見ている人は年毎に変わっている』……そういう意味です」
 そして月璃は、猪熊ににこりと笑ってみせる。
「猪熊君、これからもあなたは、毎年花を咲かせていかなければ。あの女の子が、この町に帰ってくるまで、ずっと」
「……はい、おっしゃる通りで」
「そうして、君の花を楽しみにしているのはあの子じゃありません。先ほどの見事な花を見て、俺は君が現実世界で花開く姿を、ぜひとも見たくなった」
 ――来年も、再来年も、そしてその次も、また綺麗な花を咲かせてください。
 楽しみにしています、と月璃は微笑んだ。








━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【0086 / シュライン・エマ / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3524 / 初瀬日和 /はつせ・ひより / 女 / 16歳 / 高校生】
【3525 / 羽角悠宇 /はすみ・ゆう / 男 / 16歳 / 高校生】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【4748 / 劉月璃 / らう・ゆえりー / 男 / 351歳 / 占い師】

(受注順)


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
こんにちは、つなみりょうです。この度はご発注ありがとうございました。
そして何より、大変おまたせして申し訳ありませんでした。その分、ご期待に沿えるものをお届け出来ていればよいのですが。

さて、少しだけ補足をさせていただきます。
今回はA〜Dの4つのパートに別れています。そのうちAとDは完全個別パート、Cは全員共通パート。そしてBは2パートに別れています。
それで、A、BとDのパートにナンバリングを振らせていただきました。ちなみに時系列順です。
これを参考に、他の方の納品物を一緒に読んでいただけますとまた面白いかなと思います。時間がある時にでも、読んでいただけると嬉しいです。
もちろん、みなさまそれぞれに納品した作品は、それ単品で一つの作品になっておりますので、他を読まなくては分からないということはないと思います。安心してお読みくださいませ。


月璃さん、初めまして! そして、初めましてなのに納品が遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。
えと、内容ですが……今回偶然にも、おなじ「占い師」さんが同時に参加されていましたので、お2人でなにか出来る事はないかなぁ……と考え、このような展開になりました。いかがでしたでしょうか?
あと、プレイングの最後に書かれていた猪熊へ向けた言葉がとても素敵だったので、本文でぜひ使いたい! と思い、このようになりました。プレイングの良さを、生かすことが出来ましたでしょうか? 気にいっていただけるととても嬉しいです。


また今後も細々と活動していくつもりですので、もし機会がありましたらぜひご参加くださると嬉しいです。
感想などありましたらぜひお聞かせ下さいね。
ではでは、つなみでした。



PCゲームノベル・櫻ノ夢 -
つなみりょう クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年05月23日

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