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『不思議の国の硝子の歌姫 』
高杉・奏0367)&光月・羽澄(1282)


「ちょっと変わった演劇を観る気、あるか?」
 例えば高杉奏がこんなふうに笑いながら誘いを掛けてきた場合、ソレは間違いなく心惹かれるイベントか、あるいは驚くような仕掛けが待っている証拠である。
 彼の嗅覚に一体何が引っ掛かったのだろうか。
 光月羽澄はスタジオのソファに身を沈め、ティーカップから立ちのぼるイングリッシュ・ミルクティのほのかな甘みを楽しみながら首を傾げた。
「それってカナちゃんの知り合い?」
「知り合いというよりは仕事仲間に近い、かな。一度楽曲提供をしたことがあって、それからの付き合いだ」
 そう言って、かつてロックバンドのギタリストとして活躍したしなやかな指が彼女の鼻先にふわふわとちらつかせるのは、2枚のチケットだった。
 そこには招待という銀の判とともに劇団の名称から今回の公演名、日時に座席と基本情報が記されているのだが。
 羽澄の眼を引いたのは斜めに貼り付けられた白い羽根だった。
「なんか随分凝ったチケット……」
 触れたら消えそうなほど儚い羽根からは不思議な香りが漂ってくる。
 一体どういう仕掛けなのだろうか。
「フライヤーもかなり凝った作りで、デザインの面白さが一種のコレクションになりそうなとこでもある。たった4人の役者で千単位の動員数を獲得してるんだが、演目が個性的で……」
 チケットをしまうとその姿勢のまま、今度はすっと羽澄の瞳を覗きこむ。
「ちょっとした噂もある」
 くすりと笑って見せた表情はまるでイタズラを仕組んだ子供のような色をたたえていた。
「週末に観劇デート、先約がないならどうだ?忙しいなら断ってくれてもいいけどな」
「私がカナちゃんの誘いを断ったことってないと思うんだけど?」
「そうだったか?」
「多分、ね」
「多分、か」
 まっすぐな視線を交わしたまましばし沈黙し、そして同時に吹き出した。
「それじゃ土曜日。デートっぽく待ち合わせは街中にするか?」
 自分もティーカップを持ち上げて、奏はもう一度くすりと笑った。



 愛と情熱と魂の一切を捧ぐ――



 雑多な音と色に溢れ返り、ありとあらゆる人種が集いまみえる東京の街中でも、奏という存在は一際彩を放っている。
 誰もが抽象的な彫刻の前に佇む彼を目で追いかけ、溜息をつく。
 そして、そんな彼の元に、手を振りながら白のワンピースの裾をひるがえして駆けよって来た少女を認めて、もう一度溜息を落とすのだ。
 彼等2人のことを知るものは少ない。
 けれど目を奪われるものはけして少なくない。
「まずはどこに行くの?開場はたしか17時よね?」
 父親に甘えるように腕を絡ませれば、銀の髪が揺れて弾む。
「まずは軽く、な」
 軽く何?
 そう問い返すより先に、奏は腕を絡めた羽澄を狭い路地裏に引っ張りこんだ。
「え?カナちゃん?」
 人ひとり通るのがやっとというくらい狭い狭い通路を、彼は笑いながら突き進む。
 地面はレンガで舗装され、白く塗られた壁には何かの模様が刻まれていて、ソレは誰かがこっそりと長い時間を掛けて作り上げた秘密の通路とすら思えるようで。
「え」
 不意に眩しい光がパッと広がった。
 思わず瞬きを繰り返してからゆっくりと顔を上げると、こじんまりとした白亜の洋館の玄関が、赤い椅子をドアストッパーにして開け放たれていた。
 椅子の上ではぬいぐるみの黒猫が気持ち良さそうに背を丸めており、その子の横には飾り文字が躍る黒板がある。
「……『WELCOME TO WONDER LAND』……?」
「不思議の国へようこそってな……これがこのまま店名だっていったら驚いてくれるか?」
「店名より先に、カナちゃんの演出に驚かされたけど」
「それはなにより」
 わざわざ車で迎えに行くのではなく待ち合わせ場所を指定した甲斐があった。
 満足げに頷いて、奏はするりと羽澄の手を取る。
「さ、まずはこちらで季節のフルーツワッフルと紅茶をお楽しみいただこうかな、お姫様?」
 お茶目にウィンクをひとつ。
 そしてもう一枚の扉を押し開けば。
 シャンデリアの明かりがきらきらと反射を繰り返し、甘く心地良い香りが2人を包みこむ。
 カフェというよりも、どこか英国のティールームを髣髴とさせる店内には、観葉植物がまるでパーテーションのように並べられ、天井からは硝子のフラワーベースが小さな花を溢れさせながら吊り下がっていた。
 マザーグースをモチーフとした小物も数多く並んでいる。
「あ、何だかホントに……不思議の国みたい」
 さらに、案内されたテーブルには細く捩れた一輪挿しが赤い花を抱いて佇んでいた。
 入り組んだ道という道全てに街路樹ひとつない外の光景とは対象的に、ここには緑があふれている。
「カナちゃんってどこからこういうお店を見つけてくるのかなって思う時があるんだけど」
 席に着いてからも、羽澄は興味深そうに辺りへ視線を向けて行った。
 可愛らしさと美しさの絶妙なバランスに感性が刺激されて、胸が少しドキドキする。
「かわいい娘との貴重なデートだ。この俺が事前調査を怠るとでも?」
 多忙にして有能なるプロデューサーは、その自尊心をちょっとだけ覗かせて笑った。
「羽澄に『美味しい幸せ』って思ってもらう為なら、どんな努力だって怠るつもりはないさ」
「なんだか……うん、いますごい愛を感じた」
「俺は常にお前やあの子達を愛してるさ」
「その笑い方だとあんまり愛されてるって感じられないかも」
 芝居がかった表情を作る彼に肩を竦めて見せて、
「ね、ところでカナちゃんは最近どうなの?」
 羽澄は首を傾げる。
「最近?最近……そうだな……」
 洋なしとリンゴのコンポートが添えられたワッフルに極上のアレンジティを加えて、久しぶりに他愛のない会話が弾む。

 そうして。
 カフェを出た後もひたすら、奏のエスコートはびっくり箱のような演出を繰り返し。

 やがて日がほんの少し西側に傾く頃。
 辿り着いた指定の劇場は、吹き抜けと渡り廊下とエッシャーの絵画のごとき階段が三次元的に組み合わさったデザインビルの3階にあった。
「さ、今回のメインイベントだ」
 エレベータで昇り、扉が開く。
 黒衣をまとって静かに微笑む者たちが、ずらりと左右に並んで2人を出迎えた。
 ――ようこそ。
 どこからともなく聞こえる多重声に従って頭を垂れる男たち。その間を敷き詰められた赤い絨毯に従って進めば、その先には天界をモチーフとした重厚な門が構えている。
 ――さあ、中へ。
 白手袋を嵌めた男の手によって、その扉がゆっくりと押し開かれ。
 またしても、扉一枚隔てた向こう側で広がる異界。
 闇の中に散りばめられた無数の光が、まるで星の海のように錯覚させる。
「あ」
 もしかすると今日の奏のコンセプトは全てこの演劇に繋がっていたのだろうか。
 やられたかも。
 そんなふうについ思ってしまう。
 彼に答えを求めるつもりはないけれど、何か言いたげな視線だけは送っておいた。奏がソレをどう受け止めたのかは知らない。
「足元に気をつけて……」
 指定の席は最前列の中央。このホールならば芝居全体を充分に見渡せる。暗い世界で人の囁き声が波のように感じられる。
 開演のブザーはならない。
 代わりにどこからかキィイン…と高い金属音が響いてきて。
 照明が落ちていき。
 観客のざわめきが潮のように引いていき。
 ゆっくりと、舞台の幕が上がる。
 暗転。
 そして、目を焼くいきなりの閃光。
 現れたのは、罪と罰とを秤にかけて、数多の業を背負って舞う漆黒の花嫁。
 赤と黄が入り混じり、目まぐるしく照らすサーチライト。
 ほとばしるのは悲鳴の色。
 みなぎりあふれるのは幻想への情熱。
 奇術のトリックを用いているとしか思えないような大掛かりな人体消失や物体浮遊といった趣向が散りばめられ、舞台は夢幻世界を構築する。
 息を呑み、目を凝らして、五感の全てで受け止めようと身を乗り出したくなる程の引力。
 だが心臓を貫くほどの激情の最中に、硝子のように高く細く透明な歌声が、繊細に織り交ぜられ紡がれていく。
 誰の声だろうか。
 分からない。
 だがその歌が一層この舞台の幻想性を高めているのは確かだ。
 夢と現の境界で遊ぶ声。
 漆黒の花嫁は歌う。
 純白の心で、透き通る想いで、高純度の愛を語る。
 その声に、その姿に、その愛に、その熱情に、光り輝くものを纏いながら。
 いつしか羽澄はそこがビルの一角だと言うことを忘れた。
 自分の座っている場所が東京の劇場だということも、自分が光月羽澄だということも、目の前で繰り広げられているものがただの芝居であることも、何もかも忘れて。
 ただひたすら、透明な声が重なる夢に魅入られていく。


「今日は有難う。噂の彼女ともども楽しませてもらったよ」
 わざわざ挨拶に来てくれた演出家と奏が言葉を交わすその合間に、羽澄はそっと舞台上へ視線を向ける。
 芝居の間中、夢現に聴いた歌がまだ紡がれていて。
 声を追いかけた先に彼女はいた。
 舞台の中央で、愛しげに劇団員や帰って行く観客を眺めながら。
 だが、羽澄は知っている。
 彼女は『いるはずのない女優』だ。
 それはけして比喩などではなく。
 存在できるはずのない、ヒトでは到底あり得ない硝子のように透き通った肢体に、纏わりつく衣装が羽根のようにふわふわと舞い上がる。
 彼女は、楽しそうに嬉しそうに幸せそうにそこにいた。

 うちは天使ツキの劇団だから。

 意味深な、そして不思議な言いまわしが奏と話す男の口からこぼれ出て、羽澄はようやく納得する。
 天使となった彼女が立つ舞台。
 天使となった今でも、彼女が帰ってきたいと願う舞台がここにあるのだ。
 彼等は愛されている、彼女は愛されている、互いの居場所がここにある。
 それはとても幸福なこと。
「ご満足頂けたかな、お姫様?」
 仕事仲間と話し終えた奏は、熱気に満ちた会場から再び不思議の通路へと羽澄を誘い出しながら問い掛ける。
 からかうことも驚かすことも好きな彼の、こちらを気遣うさりげない優しさ。
 だから。
「カナちゃんが私にくれたもので、満足しなかったものなんてなかったと思うんだけど?」
「そうだったか?」
「多分、ね」
「また多分、か」
 韻を踏むように、この間と同じ台詞を交わしあって、そしてまたくすくすと笑いあって。
「でも、ホントにすごく楽しかったし、満足したの。カナちゃんの凄さを改めて実感した…かもね」
 冗談めかして笑う羽澄の瞳の奥に、一瞬だけ、けして遠くない過去が過ぎる。
 壊れ掛けていた自分。
 砕け散りそうになっていた自分。
 でも目の前で笑うこのヒトが、手を差し伸べてくれたから……
「そういえばね、私、この間ちょっとだけ今日とは違う不思議の国に行ってきたの」
 なぞる記憶はけして明るいものではなかったけれど。
「幸せとか理想の楽園とか永遠とか……ね、私自身がそれをどう捉えてるのかって考える機会をもらったんだけど」
「答えは出たか?」
 深い慈しみを込めた眼差しが、そっと自分に向けられる。
 優しい存在。
 自分を支えてくれた存在。
 本当に大切なヒトを見つけるキッカケをくれた存在。
 だから羽澄は笑う。
「正しい答えじゃないかもしれないけど、私自身の信念は確認できた」
 それはカナちゃんのおかげでもあるの。
 言葉にはしないけれど、めいっぱいの想いを込めて。
 天使となってあの劇団の為に歌を奏でる彼女のように、自分もまた自分の居場所と相思相愛でありたいと願いながら。
「ね、次はどこに連れていってくれるの?」
 抱きつくように腕を絡めれば、奏がするりと腕を解いて、代わりに手を握って引き寄せる。
「え」
 一体誰がいつのまに用意していたのか。
 路地を抜けた先では、今度はシルバーのスカイラインが自分を待っていた。
「どうぞ、お嬢様。降り注ぐ流星群を追いかけに参りましょう?」
 ドアを恭しく開けられて、彼に導かれるままくすぐったそうに笑いながら羽澄は助手席に収まった。


 光あふれる夜の街に滑りだして、不思議の国の旅はまだ続く――



END
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東京怪談
2006年05月23日

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