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『『花逍遥』 』
オーマ・シュヴァルツ1953


■ 序 ■

春、全てを生み出す生命の根源
夏、大地がもたらす魂の躍動
秋、内なる栄華。艶を色に出だす万物の美
冬、罪科を許し、穢れを知らぬ真白に全てを洗い流す

来し者はやがて去り、時巡り再び出会うまで一年。
けれど四季が移り変わる瞬間は曖昧で、その境界を見た者は誰もいない。
いつ、如何様にして季節は移ろうのか。
そのように世界が巡るからだと言ってしまえばそれまでなのだが……


「ふむ。では戯れに見せてみようか。我々の移ろう瞬間を」
「……また唐突に言うな、朧王(おぼろ)」
「構わんだろう?久方ぶりに桜の季節まで長居したのだ、冬王(つくばね)よ」
「ならば夢という形で呼び寄せてはどうか?事実として見届けるより趣があろう」
「妙案だ。では早速道を作ろうか。私の桜まで辿り着けた者には、今年一年の幸いを与えよう」



■海の杜■

 槻島・綾(つきしま・あや)は、静かにその場に佇んでいた。
 瞳を閉じ、時折過ぎてゆく風に黒髪を揺らしながら、もうずっと長い事、この無音の空間に身をゆだねている。
――否。無音ではない。
 無音と感じられるだけであって、実際は原生林に生息する数多の蝉の声が、綾の頭上に降り注いでいる。だがそれらに耳を傾けていると、次第に生きているもの達全ての声が聞こえなくなって行く。有が無に転じて行く、エアポケットの瞬間。
 額から流れ出る汗でさえ、綾にとって苦にはならなかった。

 日本の四季は、南から北へしめやかに流れ行く。ある時は風の香、またあるときは花の香の変わり目にふと我に返るのだ。――ああ、季節は移り変わったのだな、と。
 自宅から北へ、南へ。電車を乗り継ぎ行けば千種千様の景色を眺める事が出来る。その何れもが綾には愛しかった。けれど――。

 綾の住む場所ではまだ蝉の声はしない。
 少なくとも、これほどの原生林など自宅近辺には存在しない。
 閉じていた綾の双眸がゆっくりと開かれる。

――僕はさっきまで、書斎に居たはずなんだけど……

 木々から零れる斜光が水面のように揺らめいているのを美しいと思いながらも、此処は一体どこなんだろうと考える。
 夢か現か。これも一つの旅なのかもしれないと、のんびり構えていられるのは、綾が生まれ持った性質なのかもしれない。
 見上げると、木々の合間から見える空は深い蒼を湛えていた。視線を戻し、むせ返る草葉に意識を向けると、どこか潮の香りが混じっているように感じられる。蝉の声は変わらず。だがさらに深く聞き入ってみると、異種の音が入り混じっている。これは――
「もしかしたら、海が近いのかもしれない」
 行ってみようかと思い、思ったと同時に足は動いていた。
 これから起こる何か。それは偶然なのか必然なのか解らないけれど。幾許かの好奇心を道連れに、綾は樹木の果てに見えるであろう海原へと思いを馳せた。


*


「え?」
 ライラックの色を宿した大きな瞳をさらに大きくして、リラ・サファトは突如目の前に現れた光景を眺めていた。手には優しい色合いの毛糸編みのショール。そろそろ必要の無い時期になったからと、自宅で衣替えをしていたのだけれど。それを仕舞おうと手を伸ばした瞬間、家具は忽然と姿を消し、リラの白い手は宙を掴んだ。
「えと……何が起こったんでしょう?」
 困惑して軽く小首をかしげるも、状況が良く飲み込めない。つい先刻までリラは確かに家の中に居たはずで、窓からは見慣れた庭が見えていたはずなのだが、今リラが座っているのは、微かな湿り気を帯びた緑の上だった。
 ふと横に生える低木樹へ視線を移すと、細い銀糸で幾重にも織られた蜘蛛の巣が、雨露にでも濡れたのか輝きを放っている。さらに視線を前方へ走らせれば、やがて大地は強い陽光を放つ空へと変わり、その光の強さに思わずリラは瞳を細めた。

――夏?

 春の日差しのように柔らかく包み込む光ではなかった。けれど、ただひたすらそこに在るものを打ち据えるような、強いだけの光でもない。命の育みを活気づかせる優しさを微かに含んでいる。
 全ての命が濃くなる季節。リラにとって夏はとても好きな季節だった。
「夢でもみているんでしょうか……」
 眼前に広がる光景をぼんやりと見つめながら、ぽつりと言葉を零す。
 何故この場所に居るのか分からない。夢かもしれないし、夢じゃないかもしれない。もし現実だったら、自分が突然居なくなった事を心配するひとが居る。その事だけが気がかりで、リラの心に微かな陰りを落とすけれど……

「こんにちは」
 不意に背後から呼びかけられ、リラは心臓が飛び上がりそうなくらいドキリとした。手にしていたショールで口元を隠しながら慌てて後ろを振り返ると、視線の先に捉えたのは、穏やかな笑顔を称えた青年――槻島綾だった。
「驚かせてしまいましたか? すみません」
 相手の様子に綾の方も些か驚いて、困惑したような色を瞳に映し出すが、それも束の間。優しく微笑んで、リラが座って居る方へと近づいて行く。
「あ、いいえ。私の方こそ……あの、こんにちは」
 物腰の柔らかい綾の雰囲気に安堵したのか、ふわりと微笑むリラの笑顔も綾に負けないくらいの穏やかさで、先ほどの緊張は一瞬にして和んだ。
「僕は槻島綾と申します」
「私はリラ・サファト……リラです」
 リラはゆっくりと立ち上がり、服に付いた土を軽く手で払って落とすと、目の前に居る綾へ向き直る。
 綾の目線はリラを通り越し、遥か遠くに注がれていた。
 眩しさに目を細め、綾は呟く。
「ああ、潮の香りがすると思っていたけれど、やっぱり海だ」
「……え?海、ですか?」
 不意に相手の口から放たれた言葉を反芻しながら、リラも綾を追うようにして、視線をそちらへ移した。

 今まで、リラにはそれが空に見えていた。
 陽光のまぶしさに遮られて気づかなかったが、綾に告げられ見遣った先に広がっていたのは、凪いだ蒼。一定の間隔で聞こえてくる漣は穏やかで、全てのものを見守り受け止めているような錯覚すら覚える。
「……あまり近づくと危ないですよ?」
 海へ向かって歩き出したリラに、思わず綾は静止の言葉を投げかける。だが、何かに導かれるようにして歩いてゆくリラにその声は届かず、綾もリラの後方について歩き出した。

 静かに、二人の間を潮風が通り過ぎてゆく。
 風は潮騒を運び、その音の大きさに驚いて、リラが我に返り足元を見遣ると、遥か下方で波が岩にぶつかり、うねりを上げていた。
 どうやら二人は海に囲まれた高い崖の上に居るようだ。
「……ここは、何処なんでしょう……」
 視線を燦然と輝く海へと向けたまま、リラが独り言のように言葉を紡いだ。それを聞いて、綾は「君もですか」という風な表情を見せる。
「僕にもわかりません。ただ……」
「……ただ?」
 一瞬口篭った綾に、リラは先を促すように首をかしげながら繰り返す。
「夢、なのかな。何か不思議な事が起きているようです。僕は確かに自宅でパソコンに向かっていたはずだった。そして君も何故ここにいるのかわからない様子ですよね」
「はい。でも、嫌な感じはしません。それにもし夢だったら、とても素敵な夢ですよね。目が覚める少しの間だけでも海を見ることが出来て、夏を感じて……綾さんともお会いできましたし」
 頬を微かに紅潮させて楽しげな笑みを浮かべるリラに、綾もつられるように微笑んだ。
「そうですね、確かに素敵な夢です。もしかしたら、僕達の他にもこんな風に夢の中を彷徨っている人達が居るかもしれませんよ」
「……わぁ、遇えたら楽しそうですね」

『では此方へ参るか?』

 不意に、遥か頭上から声が届いた。
 声は二人の耳を介さず、直に脳裏へ響き渡る。
 ハッと我に返り、何事かと二人同時に空を見上げると、一羽の白い鷹がゆっくりと風に身を任せながら旋回していた。
「鷹が……喋っているのか?」
 綾の口からは独り言にも似た呟きが零れ、リラはきょとんとした面持ちでそれを見つめている。
 二人のそんな様子を見て、鷹は楽しんでいるかのように二、三度羽ばたくと、急降下を始めた。

『参るが良い。私にも朧王にも、良い思い出になろう』

 急速に近づいてくるそれに思わずリラが目を瞑った瞬間、風が二人の周囲を取り巻いた。
「危ない!」
 重心を失ってよろめいたリラを目の端にとらえて、綾が叫びながら手を差し伸べる。けれどリラの腕を掴んだ途端、再度吹き抜けた突風に綾もバランスを崩し、二人は崖の上から半ば放り出されるようにして、海へめがけて落ちて行った。



■青天階段■

「一体いつまで登り続ければいいのかな……」
 溜息をつくと、芳賀・百合子(ほうが・ゆりこ)は額に滲んだ汗を手で払って、大きく深呼吸をしながら立ち止まった。
 目線の先には階段。十数段登ると踊り場を経て、再び上へと続く灰色の階段が存在している。
 百合子が最近通い始めたこの中学は4階建てのはずだ。それなのに、登れど登れど永劫に続くのではないかと思うくらい、屋上へと続く扉に到達しない。踊り場から見る景色は少しづつ高くなって行くのに、誰かとすれ違う事すらない。
――どうしてこんなことになったんだっけ?
 肩で息をしていたのを少しづつ宥めながら、百合子は瞳を閉じて今まであったことを思い出す。
――さいしょは……そう。
 ひらりと一枚の葉が百合子の頬を掠めたのだ。
 春の日差しが気持ち良くて、マンションのソファーで日向ぼっこをしながら料理の本を読んでいたはずだった。それなのにいつの間に眠ってしまったのだろう。次に目が覚めたとき、百合子は桜色の淡い着物を身にまとい、紅葉が一面に散らされた大地の上に寝転んでいた。
 艶やかに染め上げられた道はただまっすぐに続き、その先には学校の校舎がある。見上げれば、春には似つかわしくない、高く澄んだ淡い水色が広がっていた。
 春から秋へ。
 何の前触れもなくやってきた季節の変遷。
 静寂の中、赤や黄に染まった葉が己に降り注ぐのを、百合子は暫くの間じっと見つめていた。
「紅葉の雨……綺麗」
 百合子は傍に舞い落ちた葉を数枚手に取ると、その色の美しさに微笑んで、そっと胸元へしまった。
 そうして、また何時ものように夢の中に紛れ込んでしまったのかな? と思う。
 のんびりとした空気に心を和ませながら、起き上がり足を一歩進めた瞬間。不意に後方から何かが百合子の傍らを走りぬけた。
 突然のことに驚いて、百合子は思わず足を止めるけれど、次に耳に届いた鳴き声にホッと肩を撫で下ろす。
「なんだ、猫さんか」
 黒猫。いや、黒のようでいて紫にも金にも見える、不思議な毛並みの猫だった。
 猫は百合子の数十歩先まで走ると立ち止まり、くるりと振返って鳴き声を上げる。
「……付いて来てって、言ってるの?」
 小首をかしげて百合子は猫に問う。猫はそれに答えるかのようにもう一度鳴き、やがて前へ向き直ると学校を目指して走り行く。
 百合子は無意識に猫の後を追った。そして――

 そして今に至るのだ。
 一体自分がどれだけの段数を登ったのかさえ定かではない。
 いつの間にか猫の姿も見えなくなっていた。
 ならばこの階段を登り続ける事に意味はあるのか。
 そんな疑問が百合子の脳裏を掠め始めた時。晴天の空から何かが降り注いで来る事に気が付いた。
 窓を開けて手を伸ばすと、それはふわりと百合子の手の平に入り込み、触れたと同時に消えてゆく。
 雪だった。
 驚いて見上げた晴天の空から、絶え間なく雪は降り続ける。
――今度は秋から冬へ移ろうの? 階段を登る事で?
 思い、それは嫌だと百合子は瞬間的にあとずさる。
 秋とは違い、百合子にとって冬はあまり好きではない季節だった。
 何も無くなる、全てが無に還る焦燥感。真白の世界に一人立っていると、例えようのない不安が押し寄せて平衡感覚が消えうせる。
 怖いと思い、百合子がきびすを返そうとした瞬間。

『そう。お前が冬を好かぬから、私が迎えに来たのだ』

 後ろから声が聞こえた。
 振り返ると、今までそこに在ったはずの階段が消え去り、いつの間にか屋上へと続く、重くさび付いた扉が姿を現していた。
 扉の前には先ほどの猫。
「わたしが……冬を嫌いだから?」
『そうだ。冬王(つくばね)が会いたがっている。何故嫌いなのかと問いたいそうだ』
「冬王……」
――それは誰?
 問いかけようとしたけれど百合子はしなかった。
 猫は百合子の口からその言葉が出てくる事を予測していたのだろう。『知りたければこの扉を開くといい』と、目が百合子に告げている。百合子はじっと猫を見つめていた。それに返すかのように猫もじっと百合子を見つめている。
 暫くの後、百合子は意を決したように目の前にある屋上への扉を押し開けた。直後――
「なに!?」
 眼前に広がる景色に、百合子は思わず声を上げた。
 そこには屋上もフェンスも無く、ただ果てしなく続く青空だけが広がっていたのだ。
 予想だにしていなかった光景に百合子は思わず足を戻そうとするが、時既に遅く。百合子の体は空の真ん中に放り出された。
 落ちると思い、恐怖のあまり瞳を閉じた瞬間。予想に反して感じたのは、何か大きな力に抱え上げられ、物凄い勢いで上昇するような感覚。
 そして次に瞳を開けた時、百合子の視界に映し出されたのは、真白に覆われた大地と、その場に佇む数人の人間だった。



■雪浄衣〜せつじょうえ〜■

 靄がかった暗がりの中。足元のおぼつかなさに思うように先へ進めず、嘉神・真輝(かがみ・まさき)は苛立ちを隠せずにいた。
「……ったく、暗くて周りはよく見えねーわ、滑るわ寒いわ。一体なんだっつーの」
 まぁ、暑いよりはましだけどと、眉間にしわを寄せて呟きながら、先ほどから延々と続く雪道を歩いている。

 別段「何故自分が今こんなところを歩いているのか」という疑問を抱く事も無く、真輝の頭を過ぎっていくのは「どうせ雪道を歩くならブラウスに革靴じゃなくちゃんとした装備をさせてくれ」というなんとも現実じみた考えだ。
 夜、明日の仕度を整えてベッドにもぐりこんだのを覚えている。だからこれは夢なんだと自覚している。寒さを感じる妙にリアルな夢ではあるが、冬という季節は嫌いではない。むしろ冬の長いスイスで育った真輝にとって、この程度の寒さなど苦にはならない。
「雪を踏んでるってことは、外にいるって事だよな。月でも出てくれれば景色も楽しめただろーに」
 ポケットに手を突っ込んで空を見上げるも、靄の掛かった空は変わらず不鮮明な色合いで、天地の境目さえ定まらない。溜息を吐くと、それは白い気体となって姿をあらわし、すぐに闇に溶けて霧散した。

 と、前方の不確かさに、どしんと弾力のある壁にぶつかる感触がして、真輝は「おわっ!」と叫びながら、その場から飛び退いた。
「なんだよ。なんでこんなところに壁があんだよ!」
 ぶつけた鼻を軽くさすりながら、何の前触れも無く現れた壁をバンバン叩くと、やがてその壁はむくりと動き出してこちらを振り返った。闇の中に在る所為か、それの双眸がギンと鋭く光って、真輝を睨み付ける。
「……げっ」
 ただの壁でない事に気付き、真輝は一瞬困惑するも、よくよく見るとそれは明らかに周囲とは種を殊にした、超ド派手な色合いの壁――いや、人だった。
「痛ぇじゃねーか、何しやがる」
 耳に届いた声を聞き流しながら、真輝はその場にへたり込んで唖然とする。
 相手が自分より遥かに背の高い輩だったからではない。 ――全くないとは言い切れないが―― 振り返った巨体が、その身に反して、フリフリのピンク色にハートマークたっぷりのエプロンを身に付けていたからだ。料理でもしていたのか、相手の手には何段にも重ねられた重箱と菜箸が添えられている。
 真輝は相手のこの風体に恐れおののいていた。

――……春は変な奴が増えるっつーのは、ホントだな。ああ、夢ん中じゃ冬か。

「わりぃ……」
 目の前に立ちふさがった相手に、真輝はそれだけ言うのが精一杯だった。


*


 その日、すこぶる上機嫌でオーマ・シュヴァルツは自宅キッチンに立っていた。
 季節も移ろいで外は絶好の花見日和。花見と来れば家族愛。家族愛と来れば「下僕主夫美筋マニア弁当♪」だと、オーマは朝も早くから料理の腕前と大胸筋を最大限に振るっていた。
 栄養、配色、そして味。どれをとっても天下一品。後は飾り付けに桜の花弁を乗せればパーフェクトだと、鼻歌を歌いながら悦に入った表情で、そっと花弁を菜箸で掬い上げた瞬間。
 砂の流れるが如く、オーマの視界が一転した。

 見渡す限りの雪、雪、雪。
 春の日差しも新緑の眩しさも消えうせて、一面の雪と氷に覆われた世界にオーマは立っていた。
 菜箸で摘んだ花弁が、むなしくも凍えた風に吹かれて暗がりへと消えて行く。
 それを半ば凍りついたように眺めていたオーマだったが、持ち前の経験値の高さですぐさま現実へ意識を戻すと、今何が起きているのかを冷静に考えながら周囲に目線を走らせた。
「何処の誰だか知らねぇが、随分と強引に引きずり込んでくれやがる」

 異空間。
 真白の世界で、オーマの赤い瞳だけが異種のように光っている。
 雪の大地から何某かの策略や敵意を見出そうとしても、不浄な意識や気配は微塵も感じられない。それどころか、全てを溶かし包み込むような母なる優しさを帯びているように受け取れた。
「冬は嫌いじゃねぇ。他の季節とは違って最も生命が繋ぎ紡がれる刻だからな……だが」
 そう。確かに優しさは受け取れるのだが。
 家族DE花見の楽しみを邪魔された憤りを捨て切れず、オーマは怒りで肩を震わせながら、微かに感じ取った気配へと言葉を放った。
「俺の熱いハートとは真反対な事をしてくれるじゃねーか。ぁ”あ?」
 オーマの視線の先に居た男は一瞬驚いたように瞳を瞬かせると、やがて野太い言葉に少しだけ楽しそうな声音を含めて微笑む。
「ああ……すまない」
「本気で詫びてるようには見えねーが?」
 目線はやや上。見上げた先に相手を認識し、オーマは本気で詫びるつもりがあるなら降りて来いと、紺碧色の瞳と短い黒髪を持つ男をねめつける。男は、オーマの言葉に応じるかのように、宙に浮いた自身の体を雪の上におろした。白い浄衣がふわりと揺れる。
「いや、驚いたのだ。私の元へ直に来る者が居るとは思わなかった。しかも二人だ」
「二人?」
 男に言われ、初めて自分達以外の存在を確かめる為に意識を外へ向ける。
 俄かに、何かが自分にぶつかるような振動を感じた。次いで、
「なんだよ。なんでこんなところに壁があんだよ!」
 という言葉と共にバシバシと己の背中を叩く、何か。
「痛ぇじゃねーか、何しやがる」
 オーマはギンと朱の瞳を光らせて後ろを振り返るが、「わりぃ……」と声が聞こえるだけでそこに人の姿は無い。
 周囲を見渡して軽く首を傾げるオーマに、紺碧の男は自分の人差し指を下へ向けて声をかけた。
「もう少し目線は下だ。誰もがお前のように背の高いわけではない」
「ん?」
 身長220cm以上もあるオーマが己の目線をさらに下げると、雪の中に座り込んだ一人の人間の姿があった。
「おおっとすまねぇ」
 自分にぶつかって倒れたのだろう相手を視界の端に捉えると、オーマは持っていた重箱と菜箸を紺碧の男に渡し、倒れた相手の両脇を掴んで抱きかかえる。
「大丈夫か? お譲ちゃん」
 オーマはニッと豪快に笑いながら、自分の手の中に居る相手を心配するのだが。心配された当の本人――嘉神真輝は、抱えあげられた事以上に、お譲ちゃん扱いをされた事へ怒りを露にする。
「だれが……お譲ちゃんだってぇええ!!?」
「……言ったのは私ではないぞ」
 ボソリと呟いたのは、重箱を手渡された男。
「いくらこの俺が童顔で! 女顔で! 身長低いからっつって! なんで初対面の奴にまで、んな事言われなきゃならねーんだよ! つーか大体お前ら何もんだよ変な格好しやがって!」
 どうでもいいから下ろしやがれともがきつつ、真輝は二人の風体の事をまくし立てる。が、重箱を持った男は別段怒ることも無く、
「私は冬王(つくばね)だ。こちらに居るのは……」
 自ら名乗り、さらにそれをオーマに振る。
「俺ぁオーマだ。オーマ・シュヴァルツ。おめぇ、人に名を尋ねる時は、自分が先に名乗るのが筋ってもんじゃねーのか?」
 言いながら、オーマは騒ぎ立てる真輝を「女じゃねーなら良いか」とばかりに手離した。
 反射神経抜群の真輝は、転ぶ事も無くすんなり雪の上に着地すると、「俺は嘉神真輝ってんだよ!」と言い放った後で、眉間にしわを寄せながら冬王に向かって呟く。
「冬王って……あんた、つくねみたいな名前だな」
「……つくね?」
 真輝の言葉に、鋭い冬王の眼光がさらに鋭くなり、一瞬凍りついたような空気が漂う。それに慌てた真輝は思わず後ずさった。
「じ、冗談だって! 冗談!! んな怒んなよ!」
「冗談には聞こえなかったけどなぁ」
 慌てふためく真輝をからかうように、がははと笑いながらオーマが付け加える。
 当の冬王は真輝とオーマを見比べた後で、
「つくねとは何だ?」
 真面目腐った顔をして、二人にそんな問いを投げかけた。
「……しらねーのかよ、オイ」
 想定外の言葉に、思わずコイツ天然じゃねーか? と真輝が呆れて脱力したその時。

『肉の団子のことさ』

 新たな声が聞こえ、その場に居た三人は素早く視線を上空へ走らせる。
 程なくして、黒とも金とも付かぬ不思議な色合いの毛並みを持つ猫が、暗闇から姿を現した。
 それは滑るように空から舞い降りると、一度身を縮め、次に大きく伸びをしながら己の姿を人の形へ変貌させる。
 長い髪は薄色。瞳は紅梅色。左頬下に桜の花弁の刺青を施した男だ。
 猫が人に姿を変えるのをオーマは愉快そうに眺め、真輝は「俺はこんなにロマンチストだったか」と、目の前で起こった光景を見遣っている。
 そんな中、姿を人にかえた猫に平然と声をかけたのは冬王だった。
「朧(おぼろ)。久々に覗いた秋はどうだった」
「いつもどおりさ。……それにしても冬王よ」
「なんだ?」
「お前、下界の者を夏から突き落としただろう。害が無いとはいえ些か乱暴が過ぎるぞ」
「……そういうものなのか?」
 夏から突き落としただの秋だの冬だの。一体何のことを言っているのかサッパリ解らず、最初に口を開いたのはオーマだった。
「おい、お前ら何を喋って……」
 その言葉を制するように、上を見上げながら朧王と呼ばれた男がスッと片手をオーマの前に差し出した。
「来る」
 見上げると、いつの間にか周囲に立ち込めていた靄は薄らぎ、上空が遠く見渡せる程になっていた。
 その一点を見つめていると、何か小さなものが二つ、緩やかな速度で落ちてくるのが解る。
「人じゃねぇか!!?」
「夏の路から冬王が呼んだ者達だ」
「夏の路?……お前ら一体何もんなんだ?」
 オーマの問いに、朧王は悪戯をした子供のような笑みを浮かべるだけで答えず、再び空を見上げる。そして姿が明確に捉えられる距離まで近づいてきた二人――リラ・サファトと槻島綾に手を差し伸べた。


 とん、と軽い音を立てて、リラと綾は雪の上に舞い降りた。
「大事無いか?」
 朧王に問われた二人は、しばし呆然としながら顔を見合わせ、周囲を見渡す。
 崖から落ちて、その先にあったものが水ではなく雪という状況に、リラが不安を隠せず綾の傍に歩み寄り、軽くブラウスを掴む。
「あのっ、確か私は海に居たような気がするのですが……」
「……そうですね。ここは、先ほどまで居た場所とは違うようです」
 努めて冷静に呟いたのは綾。リラの他に数人の姿を把握し、「彷徨っている人が居るかもしれない」と言った自分の言葉を思い出すと、漠然と現状を理解する。

「もう一人。秋の路からの者」
 冬王が瞳を閉じるのを、真輝が他人事のように見遣った瞬間。
「どわぁっ!!」
 真輝の立っていた一寸先に小さな竜巻が起こった。
 それは見る間に大きくなり、周囲の雪を舞い上がらせる。地が裂ける程の突風に全員が目を瞑り、顔を両手で覆った。
「だから、乱暴過ぎだと言うのだ馬鹿者」
 朧王が冬王に向けて呆れたように独り言を零しながら、その場に居合わせた誰にも害が及ばないよう、すぐさま竜巻を遮断する。
 それは束の間の出来事だった。

 次に全員が目を開けた時、竜巻が起こった場所には大きな穴と、その横にへたり込む少女――芳賀百合子の姿があった。
「…………?」
 百合子は自分の身に何が起こったのか理解できず、ただきょとんとしながら大きな瞳を瞬かせている。そんな百合子に近づいて、そっと手を差し伸べたのは冬王だった。
「すまない。私は加減と言うものを知らないらしい」
 大丈夫かと問われれば、百合子は言葉こそ発しないものの、こくんと小さく頷いてその手を取った。


 いつしか、白い光を放った月が、黎明の空に姿を現し、周囲を照らしていた。
 靄に閉ざされていた視界は鮮明になり、7人の居る場所を克明に映し出す。
「あれは……」
 最初に言葉を放ったのは綾だった。
 驚きを含んだその声に全員が綾を見、次に彼が視線を注いでいるものを見遣り、そして釘付けになる。
「凍った……桜?」
 静謐な空間。
 彼らの居る少し先には、いつしか氷で覆われた巨大な桜が、忽然と姿を現していた。




■花逍遥■

「どのように季節は移ろうのかと……問う者の声を聞いた」
 全員の視線が氷の桜に注がれている中、ふと冬王が独り言のように呟いた。
「我々四季神は、守護する季節にのみ実体を伴い身を置くことが出来る。今、季節は境界の時期に来ている。問いに答えるべく、お前達にこの桜を見せるのも一興と思ってな」
「……四季の、神様ですか?」
 桜を見上げていたリラが、冬王の言葉を聞いて顔をそちらに向けると、冬王は頷いた。
「冬は私。春は朧が守っている。季節が移ろう刻、こうして隣り合う四季神と顔を合わせることが出来るのだよ」
 冬王は、誇らしげに桜を見上げている朧王をよそに、視線をゆっくりとその場に居た五人に移す。
「春が巡り来たのだ。私は去らねばならん。再び一人になるのは寂しいからと、朧が無理にお前達を呼び寄せてしまった。すまんな」
「なっ、寂しいのはお前だろう! 旅立ちに見送りがないのはつまらんと何時も申しているではないか」
「……言ったか?」
「申した! 忘れるな!」
 喧嘩し出しかねない二人の会話を聞いて、慌てて綾が制止に入る。
「ああ、お二人とも喧嘩しないで下さい。僕はこうして季節の境に来られた事がとても嬉しいのですから」
「気にするな、何時もの事だ」
 冬王は笑う。
「さっさと去るがよい!」と朧王が声を荒らげ、「だから喧嘩は……」と綾が再び止めに入るのを見て、全員が顔を見合わせて苦笑した。

 一時の沈黙の後、冬王は意を決したように再び温かい眼差しで五人を見つめた。
「そろそろ限界に近づいている。私は去ろう」 
「せっかく会えたのに……もう行っちゃうの?」
 寂しそうな表情を浮かべて百合子が言った。
「ああ。皆と出会えたことを嬉しく思う」
 冬王は朧に向き直り、少々考え込むように首をかしげた。
「さて、どうするか」
 朧王は頷き、五人に語りかける。
「冬王が去るには少々お前達に危険が伴う。一度どこかへ避難してもらわねばならぬのだが……」
『なら俺に乗ればいいじゃねぇか。全員乗れるだけの余裕はあるぜ?』
 そんな言葉とともに、何かとてつもなく大きなものが、ばさりと羽ばたく音が耳に届いた。
 何事だろうと全員が後ろを振り返ると、オーマが居たはずの場所に、双翼を持った巨大な銀の獅子が凛然と姿を現していた。
「……オーマか?」
『おう。俺の背中なら全員乗れるぜ、遠慮はいらねぇ』
 冬王の言葉にオーマが答えた。その声は耳にではなく直に精神に感応する。
『但し、お前さん達も一緒に、だ』
「……何故我々も、なのだ?我々には危険なぞ及ばん」
『んな事言ってんじゃねぇよ。自分達が育む季節を空から眺めるってぇのも趣があるんじゃねーのか? 俺ぁお前さん達にも、一つの存在として現実世界を見て欲しいっつってんだ』
 告げられた言葉に戸惑い、腕を組んだままオーマを見上げている朧王の肩を冬王が軽く叩いた。
「ならば朧、お前が行け。私がこの地に留ったままでは、お前の眷属は眠りから覚めぬだろう」
「しかし……」
「構わん。行って来い」
 二人の会話を聞いて、綾は束の間考え込むと、やや遠慮がちに冬王の方へ向き直る。
「冬王……もしかして貴方は春を見る事が出来ないのですか?」
「見た事はある。だが異なる季節に長くは居れん。春の桜も秋の紅葉も、手に触れて見る事は叶わぬよ」
「けどさ、俺は冬が好きだぜ。冬は「休息」の刻だと思うんだよな。植物だって動物だって死んだんじゃなくて眠ってるだけ。時には次の命にバトン渡してな。寒いから身を寄せ合って寛 ぐっていうかさ? 人の距離だって縮まるだろ?」
 そう言葉を放ったのは真輝だった。
 現にこうして皆が出会えたんだしと屈託なく笑って周囲を和ませる。
 冬王はそれを聞いて「そうだな」と、穏やかに微笑んだ。


『おっしゃ、そうと決まれば乗った! 乗った!』
 オーマの言葉に、朧王を含めた六人が銀の獅子の背に乗りこむ。
「あの……!」
 五人を見つめていた冬王に、ふとリラが声をかけた。
 冬王がふわりと宙に浮き、リラの傍まで近づく。
「私が羽織っていたものですが宜しければ……」
 リラが差し出したものは毛糸編みのショールだった。此処へ来る前、リラが自宅から持ってきた唯一のものだ。
「冬の王様なのだから寒いのには慣れていらっしゃると思うのですが、お体を壊したらいけません……あっ、でも季節の神様は病気しないのでしょうかっ」
 手渡されたショールの暖かさに冬王はしばしそれを見つめ、やがてリラへ向き直ると、
「いや……ありがとう」
 と、冬王はその双眸に凪いだ優しさを湛えて微笑む。それを見て、リラもホッとしたように笑顔を見せた。


 オーマの双翼が一度、大きく羽ばたいた。その肢体が大地から離れる。
 冬王はそれを、少しの寂しさを含めた表情で見送りながら、地上から飛び立つ全員に向けて静かに言葉を放った。
「季節は巡るのではない。螺旋を描き変わりゆくものだ。冬も春も、年を経る毎に色がかわる。次に会う機会があればその時は尚、笑顔であるように」
 オーマ達は、残された冬王を見下ろしながら、それぞれに手を振り、やがて一段と高く世界が見渡せる上空まで昇りつめると、そこで緩やかに旋回飛行を始める。

 不意に何を思ったか、真輝が冬王に大声で呼びかけた。
「おーい、冬王! 後でさ、雪降らせてくれよ、雪! 雪と桜の花弁の相舞なぞなかなか乙だろ? さらに花見酒と雪見酒、両方出来てラッキー♪」
「また無茶な事を頼む……」
「無茶なのかー!?」
「いや、出来ない事も無い」
「どっちだよ!」
「まぁいい。花冷えを少し置いていくことにしよう。構わぬか? 朧王」
「構わんさ。下界に住む者がそれを望むのだからな。多少季節の名残を残しておくのも楽しかろう」
「……そうか」
 冬王は穏やかに紺碧の瞳を和ませる。
「また来るの待ってるぜ! あんた無しじゃ皆休めずまいっちまうからなーっ! ついでにスイスを通る事があったら白ワインキンキンに冷やしといてくれよ! 次に会った時に飲もうや」
 にかっと笑う真輝に、軽く手を挙げて答えるも「……ワインとは何だ?」と冬王は独り言を呟いて首を傾げる。その声は上空に居る者には届かず、恐らく何某かの飲み物なのだろうと冬王の中で認識された。
「つくねやらワインやら……世には面白い食べ物があるのだな」
 思い、全員が安全な場所まで退避したのを見届けると、冬王はふわりと宙へ浮かび、桜の木の傍にその身を留めて静かに双眸を閉じた。


 全てが、凪いでいた。
 静寂よりもなお、深い静寂が周囲を支配する。
「……何が始まるの?」
「しっ。黙って」
 百合子の呟きに、綾が人差し指を自分の口に押し当てた。
 と、今まで閉じていた冬王の双眸が開かれた。

『我が眷属達よ』

 冬王の言葉は声にならず、脳裏に直に響き渡る。
 その一言に反応するかのように、今まで静寂を保っていた白い大地がざわめいた。ざわめきは波紋のように広がり、大地の端々まで伝わっていく。
 次の瞬間、地鳴りのような轟音が響き渡った。大地を覆っていた氷は端から幾重にも亀裂を走らせ、言葉の光を浴びて砕け散る。
 草木を覆っていた氷は、剥がれ落ちるように。氷の桜は、まるで意志をもっているかのように自らの力で覆っていた氷を押し破った。
 硬く弾けた氷の矢の雨を、早朝の朝日が照らし出し、皆、その美しさに目を瞠った。
「綺麗……」
「けど、確かに下に居たら大変な事になってただろーな……スプラッタ?」
「え!? あのっ、冬王様は大丈夫でしょうか……」
「心配いらん。己が眷属のものが我々を傷つけることなどありえん」
 朧王は、真輝とリラにきっぱりと告げる。
 氷に包まれた冬王の姿は、一羽の白い鷹に変わり、一度大きく羽ばたくと大気に溶けるように消えていった。
 それを見届けた朧王は、オーマの背に乗っている全員に一度視線を向け、「見ているといい」と楽しそうに告げると、今までに無いほど真剣な表情で言葉を放った。

『芽吹きを』

 宙を舞う氷の雨に、朧王の声が降り注ぐ。
 声は暖かな風に乗って真白の大地へ染み渡り、薄く淡い色へと変化していく。
 氷の雨はやがて、柔らかな日差しを受けながら桜の花弁へと容姿を変えていった。
 氷吹雪は花吹雪へ。
 白い大地は緑に覆いつくされる。樹木は新緑の色を湛え、花は色とりどりにその命を誇示するかのように芽吹いてゆく。

「筆舌に尽くし難い……という言葉を僕が使ってはいけないでしょうが……これは……」
 眼前で繰り広げられる光景に、誰もが言葉を失った。
 朧王はただ、自分が守り育む季節へ大地が移り変わるのを、眩しげに眺めている。
『四季の移ろいっつーのはよ、その大胸筋悶えらぶビューティさも無論だがな。何よりもお前さん方が「生きていやがる」ってぇ証と絆なのかもしれねぇぜ?』
 ふと、朧王にオーマが声をかけた。
「……そうだな。こうして春を眺めるのも、随分と気持ちが良いものだ」
 風を受けながら、朧王はオーマの背を一度見遣り、下方で色づいてゆく大地を眺めると、満足そうに頷いた。


『おーっし! 下に降りたら花見宜しく俺の作った愛情弁当を皆で食おうじゃねぇか! このオーマ様が作ったんだ、味は保障するぜ』
「俺も何か作って来れば良かったな。酒あんの?」
「え? え? お酒飲むの? 私と同じくらいの歳だよね?」
 真輝の言葉に驚いて、百合子が「未成年がお酒を飲んだら犯罪だよっ」と心配するが、
「ちがーう! 間違えんな、俺は24歳だ! とっくに成人だ!!」
 思い切り怒られてしゅんとする。綾はそんな百合子を宥めながら、笑顔で真輝を制止する。
「ほら、大人が女の子を虐めてはいけませんよ。誰にでも間違いはあるでしょう」
『そうそう、年齢くらいどうってことねぇよ。俺は女と間違えたしなぁ、真輝!』
 がははと笑いながら、とどめの一撃をお見舞いするオーマに、真輝が顔を真っ赤にするのだが。リラが、
「あの……気にしないで、元気出してくださいね」
 と、なぐさめの言葉をかけるのを聞き「もういい……」と真輝は思い切り脱力した。

 五人の会話を、朧王は冬王の前では決して見せないような微笑で見つめていたが、やがて
「私の桜の下で花見をするのも構わんが、汚すなよ」
 塵は持ち帰れと、優しい表情をしつつもしっかり念を押す。そんな朧王に「もちろん!」と告げ、五人は楽しそうに笑いあった。

*

 地に降り立ち、オーマの持参した弁当を囲んで、偶然出会った五人と朧王が話に花を咲かせている時。振りそそぐ桜の花弁に混じって、静かに舞い降りてくるものがあった。
「……雪」
 誰ともなく呟いたその声に、全員が空を振り仰いだ。
 時期を外した風花。
 桜の花びらを透かして見る蒼の空から、穏やかな優しさを込めてそれは、いつまでも振り続けた。



■それぞれの季節*オーマ・シュヴァルツ■

 寄せては返す漣に連れられるが如く、オーマの視界が一転した。
 目の前に在るのは桜でも雪でもなく、早朝の、静かに時を刻む自宅のキッチン。そして手には重箱と菜箸。差し込む日差しを見ると、最初に連れて行かれた時よりもやや早い時間帯に戻ってきたようだ。
「戻ってきたか。ったく、強引に引きずり込んだと思えば何の前触れもなく戻しやがって」
 少し勝手すぎやしねぇか? と、独り言を呟くも、夢の中の住人達の事を思い出すと、オーマの顔に笑みが零れた。
「まぁ、悪い気はしねぇがな」

 空海大地が死したゼノビアに四季は無い。
 それ故に、季節の様相を自らの目で見、体感すると、いつ如何なる時も命在る全てのものと自分達は共生しているのだと実感させられる。季節の変遷に思いを馳せ、どうせなら家族で遊覧したかったと思い、そこでオーマはふと我に返った。
「まてよ、料理作り直しじゃねぇか!!?」
 6人もの団体で、冬への感謝と春到来の喜びを称えるべく花見をしたのだ。当然持参した弁当は全員で一粒残らず食べつくした。という事は、これから家族で出かける花見用の弁当を、また一から再び作り直さなければならない。
 大急ぎでオーマは食材をチェックすると、重箱を洗うべく蓋を開き、そこで思わず目が点になった。

 カラだと思っていた重箱には、今朝方作った料理が、そのままの状態で綺麗に並べられていたのだ。
 首を傾げつつ、ふと重箱の一番上に詰められた料理の中央を見る。そこに飾られているものが視界に映ると、やがてオーマは豪快に笑った。
 重箱の中央には、冬へ連れてこられた時、風に飛ばされ消えていった桜の花弁がしっかりと添えられていたのだ。
 否。オーマが用意していた桜とは些か形が違う。手に取り眺め遣ると、薄紅の色合いはさらに深く鮮やかな気高さを湛え、五枚の花弁は今が盛りとばかりに完璧なまでの姿を保ってる。それは、異空間で眺めた桜が宿していた花弁そのものだった。
「粋な真似してくれるじゃねぇか、朧王」
 笑いながら零れた言葉は、早朝の大気に響き渡る。
 どうか愛すべき者達との団欒を大切にと、それは冬と春が残していった、小さな贈り物だったのかもしれない。


<了>









━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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◆聖獣界ソーン◆
【整理番号:1879/PC名:リラ・サファト/性別:女性/年齢:16歳(実年齢20歳)/職業:家事?】
【整理番号:1953/PC名:オーマ・シュヴァルツ/性別:男性/年齢:39歳(実年齢999歳)/職業:医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】
◆東京怪談 SECOND REVOLUTION◆
【整理番号:2226/PC名:槻島・綾(つきしま・あや)/性別:男性/年齢:27歳/職業:エッセイスト】
【整理番号:2227/PC名:嘉神・真輝(かがみ・まさき)/性別:男性/年齢:24歳/職業:神聖都学園高等部教師(家庭科)】
【整理番号:5976/PC名:芳賀・百合子(ほうが・ゆりこ)/性別:女性/年齢:15歳/職業:中学生兼神事の巫女】


ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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初めまして、綾塚です。
まず、予想に反してとても長くなってしまい申し訳ございませんっ(平謝)。
お茶などを飲みながら、お時間の取れるときにのんびりとお話の中を逍遥して下さいませ。
お話は、夏から始まり季節を一巡して「現在」で終わる構造です。プレイングにご記入頂いた「お好きな季節」の路からPC様が紛れ込んで参ります。尚、夏の路=降下。秋の路=上昇。冬・春の路=朧王と冬王が直対応して最終的に冬の桜へ辿り着く、という枠組みを裏でこっそり引いておりました。
最後の「それぞれの季節」に関しては完全個別対応をさせて頂きましたので、五名様とも終わり方が異なります。

オーマ・シュヴァルツ様 >>>
冬の路からのご参加有難うございます。家族愛&頂いたプレイングを拝見し、あれも書きたいこれも書きたいとネタばかりが浮かび……字数の関係で止む無く削除したものが数多くありました。お見せできないのが非常に悔やまれます(><)。またご縁がございましたら、どうぞ宜しくお願いいたしますね。
PCゲームノベル・櫻ノ夢 -
綾塚るい クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2006年05月22日

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