▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『神の眼をたどれ 』
デリク・オーロフ3432)&瀬崎・耀司(4487)

 出合い頭とはこのことか。
「……ッ、と!」
「失敬」
 どん、とぶつかった相手を見て、しかし、ふたりはそれぞれに目をしばたいた。
「……誰かと思えば」
「こんなところで会うとはね」
 デリク・オーロフと、瀬崎耀司の顔に、にやりと笑みが浮かぶ。
 それは思いもかけず街で友人に出会ったときの笑みとは……似ているようですこし違う。
「瀬崎サンこそ、渋谷なんかに何のご用デ?」
 そう――、ふたりがばったりと出くわしたのは、渋谷だった。
 といっても、ハチ公口やセンター街というわけではない。渋谷ではあるけれど、すこし裏道をたどったところ。
 二、三度、角を曲がれば、大通りの喧騒が嘘のように静まり返る。日中の東京にも、そんな場所はふいに出現するものだ。
「ちょっとした野暮用でね」
「野暮用! 出た、日本語特有の不明瞭で曖昧なごまかしのためのコトバ! ……ひとには言えない種類の用事と理解しましタ。だいたい、瀬崎サンと渋谷というのが、もう似合わなくてアヤシイです」
 そういうデリクも……、渋谷の街にふさわしいとは、必ずしも言い切れまい。
 東京の街に、外国人は珍しくもないが、デリクときたらスリーピースの胸にポケッチチーフがのぞき、襟元にはカメオの付いた棒タイ。頭の上にはソフト帽をひっかけて、手には古びたアタッシュケース、その上その手には白手袋が嵌っているという、なにやらあやしい出立ちだった。
 対する瀬崎のほうも、絣の紬に角帯を締め、長着と揃いの羽織というなかなかしっかりした和装で、これはまあ、お茶のお稽古にでも行くのだと言われれば納得もしようが、それでも、渋谷の若者の群れの中では浮いてしまう格好なのは否めない。
「これは随分なご挨拶だ。僕だって渋谷に用事くらいある。野暮用と言ったのはくどくど説明しても仕方のないことだから詳らかにするのを省いたまでで、むしろ私事で相手の時間を潰さないためのおくゆかしい方便だと思ってもらいたい」
「ま、そういうコトにしておきますカ。……若者の盛り場といえばそうですが、この猥雑な、都市の汚濁が滞留したような街といえば、瀬崎サンのような怪人が人知れず徘徊スルのも、相応しいカモしれませんネ」
「ふむ。それは褒め言葉と受取っておくが、渋谷がお気に召さないようだね」
 耀司の言葉に、デリクは肩をすくめた。
「どうも騒がしくていけませン。歩いている人の雑多な邪念が不協和音になって、落ち着きませんシね。せめて静かなほうへ、静かなほうへ歩いていくと、こんなところに迷い込んでしまいますし。……ご覧なサイ。これこそ、渋谷の混沌が形になったモノだと言えるでショウ」
 ――と、デリクは、上がった緞帳の下で挨拶をする舞台俳優のような気取ったしぐさで、手を広げ、それを示した。
「ふうむ」
 耀司が、興味深そうにそれらを眺めた。
 人気のない渋谷の裏通りだ。
 しかし、ひび割れたコンクリートのビルの壁や、閉ざされたシャッター、そして電柱にまで、そこかしこに、スプレーでらくがきが施されているのである。品のない英単語をでかでかと書いたものから、いかにもピアスだらけの若者が好みそうな、ハードなタッチのイラスト、そして、意味不明の、文字とも図形ともつかぬものまで……。
「そういえば、渋谷に限らず、最近こういうものをよく見るね。街の景観を損ねるのは感心しないが……、なかなか達者な筆致のものもある。もっと他のことに才能を活かせないものかな」
 耀司は、そう評した。
「瀬崎サン。これにはどんな意味があると思いマス?」
「意味? ……ああ、不良グループの縄張りをあらわしているとか?」
「不良……って、ちょっと死語じゃないデスカ」
「いちいちうるさい。デリクくんはなにか、これについての新説があるというのかい?」
「こういったものは『タギング』と呼ばれてイます」
 どちらからともなく、連れ立って歩きながら、デリクはまるで案内でもするように、らくがきのひとつひとつを指しながら話を続ける。
「日本で特に目立つようになって来たのは90年代以降。源流を遡ればヒッピー文化のそれを汲むストリートアートの一種と解する向きもありますが、とうてい、アートなどとは呼べないモノも散見されますネ」
 皮肉に唇を歪めて、顎をしゃくる。その先には、いかにも卑猥な図案が、毒々しい原色のスプレーで描かれていた。
「瀬崎サンの仰るように、これらは若者のグループが自分達のテリトリー意識と連帯感をあらわすために描いているものが主流とされます。独自のロゴやマークのようなものを考案するグループも少なくないトカ。ああ、コレなどはその類ですね」
「……読めないな。英語――でもないようだし」
「意味ナドないのです。ただそれらしく、文字のように見えるデザインを連ねているだけで」
「それはそれで面白い発想じゃないか。かれらにとって、仲間のアイデンティティをあらわす記号なのだとすれば、いわば、自分達の独自の文字を考案したとも言える。……欧米人が、意味もわからず、漢字をアートのようにして眺めることがあるだろう? Tシャツの図柄になったり」
「俗悪デス。ぞっとしますョ」
 デリクの物言いに苦笑する耀司。しかしデリクは笑わなかった。むしろ、すっと目を細めて、うす汚れたビルの壁を眺める。
「……時に瀬崎サン。あれをご覧ナサイ」
「ん……」
 それは、まさに、文字のようでそうではなく、なにかの記号のように見えるらくがきだった。人の目を描いたようでもあり、それを中心に装飾的なデザインが施されている。
「なんとなく『ウジャト』を思わせるね。興味深い」
 耀司は、古代エジプトで用いられていた、神の眼を図案化したシンボルについて言及する。
「他にも、魔除けなどの意味で眼のシンボルを描く文化はあるよ。案外、こんなところから、新しい民俗的潮流がうまれるということも――」
「……あの『眼』、ドコを見ていると思います?」
「えっ? 見ている……って。ああ、そういえば、ちょうどあっちのほうに視線を投げかけているように見え…………、あ」
 ぽかん、と耀司は口を開けた。
 その『眼』の視線の先に、もうひとつ、同じ図が描かれていたのだ。
「実を言うと瀬崎サン。私はさっきカラ、あの『眼』が見つめる先をたどってここまで来たのです」
 デリクは言った。
「もとはと言えば、電車の窓からあの図を見つけて、あわてて途中下車したんデス。そうでなくては渋谷になんか来たりしませン」
「ほう。……つまり、ただのらくがきではない――と?」
 瀬崎耀司のおもてに、あやしいかぎろいのような、陰をともなった笑みが浮かんだ。
「それは……コレを最後マデたどっていけばわかります」

 そして、三揃の白人と、和装の壮年とによる、渋谷の裏町の探索が始まった。
 かれらが追うのは、奇妙な『眼』の見つめる方向。
 最初、耀司は偶然ではないかと思ったのだが、延々と、視線がつながっているのを発見して、これは何者かが故意に行った仕掛けであると確信した。そうなると、もう火のついた好奇心を抑え切れぬようで、デリクよりも率先して、着物の裾や袖が汚れるのも構わず、地べたにはいつくばったり、フェンスによじのぼったりして、視線の行き先を探すのだった。
 その仕掛けはきわめて巧妙だ。
 『眼』の図は大小さまざまだが、すぐにそれとわかる特徴を備えているので、見落とすことはない。しかし、視線は、ビルのあいだの細い隙間を通ったり、きわめて遠くの、ビルの壁のかなり上の方を指していたり、中には道路の鏡に反射して反対側の方向を指していたり、次の行き先を見つけるのは、ちょっと歯ごたえのあるゲームだった。
 それでも……、視線が連なっていることに気づきさえすれば、この時ならぬオリエンテーリングの参加者は、ひとつの廃墟らしいビルへと導かれることになる。
「……この中のようですネ」
「そのようだ。廊下の奥に描いてある。行こう」
「瀬崎サン」
 ためらいもなく、建物に足を踏み入れる着物の背中に、デリクは声を掛けた。
 振り返った耀司の顔には、あの、不敵とも言える微笑が宿っている。
「ここまで来てやめる法はない。……ここがゴールだ。そうだろう?」
「やはり、お気付きでしたカ」
 苦笑しつつ、ふたりは歩みを進める。
 『眼』は廃墟の中を紆余曲折で通り抜け、ふたりを廃墟の裏口へ案内する。
 そこは――
 四方をビルに囲まれたデッドスペース。
 四角く切り取られた曇天の下、雨ざらしで、半ば朽ちかけ、崩れかけているのはゴミの山だ。壊れた家電製品や自転車などの金属だけが、かろうじて形をとどめているが、あとのものはぐずぐずと土に還りつつある。その上を、得体の知れない虫が這い回り、周囲は悪臭に充ちていた。 
「まるで……墓穴ですネ。そう――、都市の墓穴デス」
 デリクは呟いた。
 そしてそのゴミの山をじっと見下ろしている、ひとつの巨大な『眼』。
 それが最後の『眼』であった。
「一体、誰が」
「さァ? ほんの小さな、イタズラのつもりだったのでしょうね」
 デリクは一歩を踏み出す。
 ざわり、と、空気が揺れた。空気は淀んでいた。それはもはや、瘴気と呼ぶのがふさわしい。
 デリクは、おもむろに手袋をはずした。
 そしてその両手を高く上げ――、唇が、いかなる言語とも同定できぬあやしい呪文を紡いでゆく。
「たとえイタズラであっても、この街には、淀みと穢れがあふれ過ぎていマシタ。それはすこしずつ蓄積し、やがて、雪だるまが坂を転げ落ちるように膨らんでゆき、都市の穢れをどんどん吸収していったのデス。いずれこのままでは、極度に密度の高まった瘴気が、この場所により巨大な災厄を産むでしょう。そうなる前に――」
 デリクの指が、宙に複雑な動きをなせば、中空に、ゴミ捨て場を囲む壁に、光り輝く図式が浮かびあがる。
「今ここで、滅しまス!」
 耀司は見た。『眼』が、ぎょろり、と、生々しい虹彩と瞳孔をそなえて、デリクをねめつけるのを。しかしどうすることもできずに、ただ声にならぬ叫びをあげ、とめどなく、赤黒い穢れた血の涙を流すのを……。
 ごう、と、風が吹き、デリクが都市の墓穴と呼んだ竪穴に、風が渦を巻いた。その中に、ぼろぼろと崩れたゴミのかけらが風化して消えてゆき、何者かの耳障りな断末魔もまた、千切れてゆくのだった。
「……済んだのかい」
「ええ。ワタシの“野暮用”はね」
 にやにやしながら、デリクは言った。今度は耀司が、肩をすくめる番だった。
 帰り道、あの『眼』のしるしは、すべて、最初からなかったかのように消え失せていた。
「結局、あれは?」
 耀司の疑問にデリクは、
「都市の邪念を誘導し、流入させる回路か導管のようなものだったのでしょう」
 と応えた。
「なにげなく見過ごしている町並の中に、そんなものがあるのだな」
 呟く耀司の横顔を、デリクは面白そうに眺める。
 それ以来、瀬崎耀司は街でらくがきを見つけると、立ち止まらずにはいられないという。

(了)
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
リッキー2号 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年05月22日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.