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『『風、馨る卯月の箱庭』 』
烏丸・織6390


 水の中に沈んでいるのはかつて人の住んでいた場所。
 そこにはそこに住む人たちだけの生活があり、想いがあり、声があった。
 透明度の低い水の底に沈む村は見る事が叶わなくとも、風が吹く度に水面に浮かぶ波紋がその残滓を形にして語りかける。
 風が運ぶ香りは卯月の頃の村の思い出なり。
 前にここに来た時には視られなかった風景がそこにはあって、
 ふいに沸いたアイデアに烏丸織は苦笑する。
 季節は移り変わって、それはその時々によって見せる面は違うから、
 だからこそ同じ物が何も無い世界の風景は愛しく切ない。
 絵だって、
 写真だって、
 そして織の手がける染物も、
 指の間から零れる砂のような、刻の末に一瞬たりとて止まる事を知らずに落ちていく美を永遠にしたくって、きっと生まれたモノ。
「烏丸さん。お待たせしました」
「いえ」
「あ、これ、どうぞ。買って来たんです」
 手渡された熱い缶コーヒーに烏丸は感謝を述べ、その缶を頬に当てている彼女は嬉しそうに笑った。
「滑るから気をつけて」
 低いヒールを履いてきた自分の迂闊さを恥じる言葉と烏丸への感謝と謝罪とを口にする彼女に彼は片方だけの肩を竦め、紳士的に彼女の手を取って道案内をした。
 ダムの付近にある里山。
 そこから見えるダムを見下ろし、
 登ってきた道から少し外れた里山の中腹にある、そこ。
「まあ。本当に綺麗」
 額に薄っすらとかいた汗で張り付く前髪を右手の人差し指で掻きあげながら彼女が口にした感想と同意の感想を烏丸も持った。
 それは本当に美しい桜だった。
 前に来た時にはまだ蕾も無かったその桜は綺麗に咲き誇り、里山の緑の中にあった。
 ひらひらと、ひらひらと、淡い薄紅の花びらは緑の空間を舞う。
 あの最後の空間を彩った写真展の絵のように――――



 ――――――――――――――――――
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 耳朶を愛撫するのは夕刻の街の雑踏に溶け込んだ旋律。
 人の喋り声に笑い声。靴の音に携帯の着信メロディー、イヤホンから漏れる音、車の走行音、横断歩道のスピーカーから発せられる童謡のメロディー。
 ノイズというには躊躇われる都会人にはそれが郷愁の音色。
 夕暮れ時。
 会社や学校、一日の大半を占める業務からようやっと解放された人たちは或いはほっとしたような表情を浮かべて家路に着いたり、夜の街へと消えていく。
 一軒の喫茶店の前ではひとりの女性が立っていた。
 中級ブランドの紺のスーツに身を包んだ女性で、ソバージュをかけた髪に縁取られた美貌にたおやかな笑みを浮かべて頭を下げる。
 彼、烏丸織に。
「烏丸織さんですね」
「ええ。私です」
 織はたおやかに微笑む彼女に丁寧に笑み返して名刺を渡した。
 彼女も織に名刺を渡し、喫茶店の扉を開く。
 扉につけられた鐘が音色を奏でる。
 有線からはクラッシク音楽が流れていて、その音色に耳朶を愛撫されながらついた座席で織はあともう二人、老齢の男性と女性を紹介された。
 最初に喫茶店の前で落ち合った女性は新宿にあるギャラリーの従業員だった。
 そのギャラリーは手広く業務を展開させており、そこで行われるイベントは幅広かった。決して有名どころの仕事だけを専門とするのではなく時には地方から出てきた美術大学院生などが合同で開催する個展(その地方の祭りや文化などを描いた絵)にもギャラリーを提供している。
 ブラックコーヒーに口をつけながら織は前の席に座る二人を見た。二人とも都会慣れをしている様子は無く、おそらくは地方から出てきた人間だと思われた。
 ギャラリーの女性から紹介された二人はやはり地方から出てきた人たちだった。ただし二人とも住んでいる所は違っていた。ではこの二人の共通点は何なのだろう? そう疑問に思ったところでこの二人はもともと同じ村に住んでいたのだと教えられた。
 そしてそれが今回の個展のコンセプトだった。
「このお二人の他にも今回の個展で展示される写真を撮った方たちは大勢いらっしゃいます。皆さんそこに住んでおられた方たちで、その方々がお撮りになられた写真をうちのギャラリーで展示したいんです。それでその展示の仕方について烏丸さんにプロデュースしていただきたいと。展示する写真なのですがすべて村の風景や里山の風景、村付近の風景です。ダムに沈んだ村、それを写真で再現し、他にも里山や付近の絵も作りたいんです」
「箱庭、という事ですか。写真で作る」
「はい。そう表現していただきたいです。それでその写真とギャラリーの内装がうまく一体化した空間アートを烏丸さん、あなたにプロデュースの依頼をさせていただきたいと思った次第です」
 面白そうではあるな、
 と織は思った。
 お冷のグラスの水滴を指で弾きながらふむ、と織は脳内でそのデザインを考える。
 無機質な近代的に建築されたギャラリーを写真を殺さずに自然の風景に近づける………
 ―――壁紙を貼り付けるのはダメだ。それはあまりにも殺伐とした不自然さしか強調されない。
 なら、自然の色を使った染物でギャラリー内を飾り、それで柔らかな自然の風景を演出してはどうか?
 織は苦笑しつつ、傍らの女性を見た。
 彼女はソバージュに縁取られた美貌にともすれば冷たすぎるような印象を感じさせない知的な笑みを浮かべた。
 見たところまだ20代後半というところだろうが、結構なやり手で、そして芸術の才能がありそうだ。
 空間把握。
 そしてイメージ能力。
 その二つを重ねて、おぼろげながらにもその個展のイメージを織は脳裡に浮かべた。
 面白みはあるがこれは意外と難しい依頼だ。
 かちこちに固まっていた老人は織に写真が貼り付けられたアルバムを提出し、頭を下げた。
「よろしくお願いします。烏丸先生」
 織はもちろん、快諾した。



 +++


 村はそれなりに大きく、また伝統もあったらしいが時代の波によってダムの底に沈んだ。
 今年がそのちょうど25年目にあたるらしく、またその村出身の有名な役者の訃報が去年の夏に流れたとかで、そういう事から村の最後の村長の息子だった男性(喫茶店に居た人物)が電話や葉書きで交流のあった村の人たちに働きかけ、まずはネットにその村を忍ぶHPができ、掲示板での話し合いが盛り上がって、そしてここまで話しはとんとん拍子に進んだらしい。最初はただ郷愁の念に駆られて、集まるとかそういう事だけを考えていたそうだ。
 そういう物だ。
 イベントで使われる写真は春に限定されていた。
 それはこのギャラリーの今月のイベントのコンセプトに合わせられたからであり、しかし写真の中の村の風景や里山、近隣はとても美しい春に彩られていた。
 その村ではちょうど4月に村祭りがあり、その写真も多々あったのだ。
 春の野の山の風景もまた格別だった。
 カタクリの花をはじめとする綺麗な花がそこにあったのだ。
 とても懐かしい、何だか本当に遠い昔にそこに行った事があるようなそんな目頭が熱くなるような感覚に陥る。
 あの喫茶店の後に女性に連れられてギャラリーの見学をさせてもらった。
 その間取りは覚えている。
 織は瞼を閉じた。
 瞼を閉じて、そして心の目の瞼を開く。
 そこにギャラリーがあって、
 そして記憶した展示会で使われる写真の一枚一枚の配置を決めていく(もちろん、仮)。
 コンセプトは箱庭。
 織は二人の話やHPの掲示板などから得た村の情報によって村の中を写した写真の配置を決めていく。
 村人にはリアリティーを、
 初めてそこに訪れた人には、郷愁を思い起こさせるように。
 それを二つ重ねる―――配置、デザイン。
 ――――でも何かが足りない感じがした。
 


 他の仕事の受注製作のスケジュールには決して余裕があったわけではない。
 それでも足りないピースを当てはめなければ、あの卯月の箱庭は完成はしないのだ。
 仕事に対しては何事も真摯でありたいと願う織は、だから車を走らせ、その村があったダムへと向かった。
 号の『戒香』。
 ―――驕る事無く惑う事無く、其の香、誇り高くあれ、との誓いや祈りと共に、己への戒めも含めて号を表す。
 それが烏丸織だった。
 


 +++


 村があったダムの水は雄大に溜められ、
 透明度の低いそれは織に水底に沈む物は見せてはくれなかった。
 それでも3月の風が吹く水面には風が刻まれ、その水面に浮かんだ波紋がどこかそこにある想いの残滓のような物を語りかけているように想えた。
 3月とはいえ未だ春の兆しは見えず。
 コートの前を合わせ、ダムの周辺を歩いた織は風が吹くままに流されるように近くの山にわけ入った。
 風が終る場所にはひょっとしたら残り香があるかもしれない。
 しん、と静寂に包まれた里山は鬱蒼とし、空気はそれだけでも濃いように思われた。
 どこかで鳥が鳴いて、羽音が聴こえ、
 木々の間を渡る風の音がしかし山の静寂を深める。
 いつだったか祖父とやはり山に入った時に、祖父はこう言っていた。
 自然界には無音など無い、と。
 いつだってそこは音が満ちている。
 それは、そこが生に溢れ、
 そして、全ては生きている、という事。
「ああ、そうか」
 織は里山の頂上からダムを見下ろし、周りを見回して、冷たい大地にうつ伏せに寝転がると、そう呟いた。



 ああ、そうか。
 自然は、
 村も、
 里山も、
 村の付近にも命は溢れ、
 皆そこで生きているのだ。



 大地の鼓動を聴き、
 水の調べを視、
 風とお喋りをせよ。
 されば自然の雄大さはその身にわかる。



 まだ春の兆しも見えないそこで、織は母の子宮の中に居る胎児のように身体を丸め、笑んだ。
 ―――自然は本当に音に、満ちていた。




【epilogue】


 『風、馨る卯月の箱庭展』
 ―――新宿の一角にあるギャラリーに入ると、
 まずは懐かしい土と水、草木の匂いがした。
 木々や葉がこすれ合う音、鳥の囀り、水が流れる音、ところによっては雨の音色。
 天井は空。紺色、青色、臙脂色、時の推移によって移り変わっていく空のグラデーションがそこにあって、
 鳴り止まぬ音に耳朶を愛撫され、
 天井を飾る見事な染物の色に、
 ふいに本当に何かの匂いを感覚が呼び覚ました。
 それは懐かしい故郷の匂いであったり、
 あるいは民家から香る夕食の香りであったり、
 実家の香り。
 スピーカーから零れる自然の音にその香りの記憶と共に蘇ったのはそれぞれの思い出の音。
 ―――それはとても優しい。
 反物を伸ばした生地がギャラリーの壁を彩っていた。
 それは森の木々を思い起こさせ、
 また柔らかな布地のおうとつが風を連想させる。
 水の流れる音が聴こえてくる艶やかな足下の青の布地の下には時折本当の草木が置かれており、そしてその草木の隣には壁にかけられている蝶の写真が。
 立ち止まった人は本当に花の蜜を吸っているような蝶の愛らしさに目を細め、
 写真の中でひっそりと咲く野の花を愛でて、
 そっと歩く足をゆっくりとさせる。
 壁にかけられていたり、イーゼルに立てかけられた村々の風景にはその区画が近隣の自然の風景から村に入った事を感じさせるだろう。
 声が、聴こえてきそうな春の村の風景に、見た人は子ども時代を、母親を思い出した。
 泣きそうなほどに春の自然溢れた村の写真は切なく、懐かしかった。
 匂いの記憶が蘇らせたのは雨が降った後の、そんな清浄な空気の匂い。虹の香り。
 そして半周を描いて表現された村から、色濃い緑の布地に飾られた区画に入った瞬間に、鼻孔は濃い酸素の匂いを思い起こした。
 そこには里山の風景が何重にも重ねられた緑系統の布地と写真で表現されていた。
 その空間は間違いなく里山だった。
 里山を風が渡る音。
 直に置かれたカタクリの花に、
 壁にかけられた梅の花に、
 イーゼルの鳥の写真、
 緑の布地で覆われた机に並べられた木々や飛ぶ鳥の写真、花。
 里山の探索をする人たちの足はいつしか逸るようにそこに行き着いて、そしてそこで人ははっとした。
 硬く寒そうな、それでもどこか生きていく活力をもらえるようなそんな冬の終わりの木漏れ日が、美しく咲き誇る桜の花の間から零れている写真が最後に緑の反物と淡い薄紅の布地の着物、タペストリーに覆われた場所で迎えてくれる。
 桜の花の精がそこで明日を約束してくれているように―――――。


 →closed



 ++ライターより++


 こんにちは、烏丸織さま。
 はじめまして。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 今回はご依頼ありがとうございました。


 いかがでしたか?
 ラストは今回のご依頼の見せ場でもあり、意味でもある個展の風景で、とさせていただいたのですが?
 少しでも文章を目で追うと同時にPLさまの脳内で風景が浮かんでいると良いのですが。^^
 そして今回ちょっと、物語の進行上の都合で個展の設定を変えさせていただきました。
 すみません。


 私自身も、昔通っていた学校やそれこそ旅行に行ったり、帰った後はホテルや自宅の布団の中でこう、自分が行った風景を思い浮かべ、そこから進んでいく、といった、まさしく幽体離脱して意識だけがそこに飛んで行って、そこを歩いているようなそんなイメージで見た風景とかを思い起こすのが好きだったりするので、今回の個展の空間プロデュースは楽しそうだなー、と思いました。^^


 あ、それからちゃんとプレイングはわかり易かったので、大丈夫ですよ。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、ありがとうございました。
 失礼します。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年05月18日

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