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『疑似餌 』
葛城・夜都3183

 水銀灯の光から、顔をそむけた。
 それでさえ、夜都には眩しいのである。
 時刻は真夜中をとうに過ぎる頃――
 街は眠りについている。あるいは盛り場であれば、夜はこれからというところなのかもしれないが、このあたりは、住人の寝静まった家並みが並ぶばかりだ。
 固く閉ざされた扉の向こうで、人々は穏やかな眠りを貪るのだろう。やがて曙光が差し、再びかれらの一日が始まる刻まで。
 たとえ、悪夢に怯えて夜半の寝覚めに飛び起きたところで、ああ夢か、と安堵して、今一度床に就けばそれで済むのである。
 だが、彼は違う。
 ひとりの男が、闇に溶け込むような黒い和装で、ひたひたと夜の町を歩いていた。
 眼鏡をかけた細面の、端正な横顔が、水銀灯に照らされたけれど、彼は顔をそむけてしまう。
 ずっと闇を歩いてきた身には、その光が眩しかったのだ。
 携えるのは、漆黒の鞘に収まる長刀。
 今夜も彼は、真夜中の町を歩く。
 眠りの安息に身をゆだねることも許されず、にもかかわらず、醒めながらにして悪夢にとらわれる男、葛城夜都の、それが日々であった。

 キィ…… キィ……

 金属が軋む音を聞いて、夜都は立ち止まった。
 そこは公園である。
 昼間は、緑になごむ人々や、遊具に遊ぶ子どもらの嬌声に充ちているのだろうが、こんな時間に訪れる人影などないはずだ。
 さわさわと、樹々の枝が夜風に揺れる音が、夜都を迎える。

 キィ…… キィ……

 ブランコだ。
 どこにでもあるような、簡素なものだった。
 その公園の、そこそこある広さの中に点在するおさだまりの遊具――鉄棒に、シーソーに、雲梯に、砂場――は、しかし、あまり手入れがされていないようで、ブランコの支柱は雨ざらしにすっかり塗装が剥げ、錆び付いてしまっていた。
 その錆びたブランコが、音を立てて揺れている。

 キィ……

 ブランコを漕いでいた少女が、夜都に気づいて、とん、と地面に降り立った。
「ブランコかわる?」
 あどけない口調で問いかけつつ、小首を傾げる。
 しかし夜都は表情を変えることなく、かぶりを振った。
「あそぼ」
 十にも充たぬ少女である。
 彼女は、にこりと笑みを浮かべるが、それは子どもの笑顔ではない。幼いのに、どこか成熟した、女の香りがする笑みである。
「ねえ……」
 媚態とさえ呼べるほどのしぐさを、どうやって身に付けたものか、少女が夜都を、まるで誘惑するように手を差し伸べ……
「――」
 無言で、夜都は、白刃を抜き放った。
 黒い鞘から解き放たれた刀身は、夜を背景に白々と浮かび上がったが、それは夜都の目にも眩しくはない、月影に似たつめたい光だった。
 その刃を前に、少女がたじろぐ。
「いや……」
 容赦なく、夜都は刀をふるう。
 少女は、高らかに闇へと跳躍した。
 夜都の頭上をはるかに越えて、その背後へ。
 振り向きざま、夜都のふるった第二撃が、少女の髪をかすった。
「おねがい、やめて」
 公園を駆けて行く少女を、刀片手に夜都が追う。深夜の追跡劇だ。
「おねがい」
 走りながら、少女の足元が、ぐずぐずと、不浄な闇に溶け崩れていった。
「狩らないで」
「…………いいえ」
 いらえは、囁くような低い声。
「ここで、狩ります」
 手の中の刀が、音を立てて異形へと姿を変えた。
 刃は三日月のような鎌のそれに、そして持ち手は、古木のように奇怪に節くれだった漆黒のそれに――
 その刃が、ずばん、と、少女の背を袈裟がけに薙ぐ。
 声にならぬ悲鳴とともに、鮮血が夜に散った――はずだったのだが。
 次の刹那!
 なにかが夜都を突き飛ばした。
 公園の地面を割って、大きくその身をもたげたもの……。
 無数の節足が、ざわざわと、てんでバラバラに動き、それは巨体に似合わぬ俊敏な動きを見せる。
 あえて近いものを探すなら、百足であろう。
 だが、牙の並んだ顎のその上に、闇色の触手の群れがうごめき、それはそのまま、少女の足へと繋がっている。
(疑似餌……)
 巧みな体さばきで体勢を立て直した夜都は、眼鏡のずれを正しながら、カチカチと噛み合わされている顎を睨んだ。そこから漏れてくる不浄な腐臭を嗅ぐまでもなく、それが《少女》を餌に幾人もの人間を喰らってきた存在であることはあきらかだった。
 あやかしの長い胴は、ヒトの血肉に、これほどまでも肥え太っているのだから。
 かッ、と口を開けて、あやかしは夜都に向かってきた。
 だが。
 一閃――
 死の舞踏の画にあるがごとき大鎌が、その残像で円弧を描いたとき、その一瞬で、闇からうまれた存在は屠られている。
 百足めいた本体も、少女のかたちをした疑似餌も、この世のものならぬ生命を失って、ぐったりと地によこたわる。

 キィ…… キィ……

 錆びたブランコが、まだ揺れている。
 まるで少女を悼むかのようだった。
 夜都は、倦んだような目で、その様を眺めていた。彼には……、公園でブランコに乗ったなどという記憶はない。
 それどころか、まっとうな幼な子として、育まれ、生きたことさえないのだ。
 彼が誕生したのは、血にまみれた闇の中。
 すぐに手の届く場所にあったのは、母の乳房ではなく、つめたい『白眉』の柄であった。
 しかし、その大鎌こそ、他ならぬ彼の母の骨から生まれたものであったから――、その意味では、夜都もまた母に手を引かれて導かれたと言えるのかもしれない。だがそれはあまりにも陰惨な道行きだった。

 キィ…… キィ……

 水銀灯が、ジジジと音を立て、明滅を繰り返した末に、ふっと消えた。
 あたりは深い深い闇に閉ざされ、空気がその濃度を増したようだ。
 夜都は、永遠の饑餓を抱いたものが、ゆっくりと身をもたげるのを感じ取っていた。そして、夜都が狩ったあやかしの骸に、その牙をつきたてようと寄ってくるのを。
「……」
 無感動に、彼はあやかしの骸を見下ろす。
 それが、かのもの――漆黒の魔狼の糧となる。
 すなわち、夜都の父なるものの。
「疑似餌――、か」
 あの少女が、あやかしが人を誘い、喰らうがためにかたちづくった疑似餌だというのなら、夜都も同じであったかもしれぬ。
 数百年の昔、魔狼を退治んとしたひとりの女が、敗れ、蹂躙されたすえに生まれた子である夜都は、それから永い時のあいだ、夜から夜へとさまよい歩き、あやかしを狩ることを宿命づけられた。そしてそれは他ならぬ、彼の父なるものが、饑餓を充たすがための糧を得るためなのだから……。

 たわむれか、それとも気まぐれか。
 夜都は大鎌をもとの刀に変え、鞘に収めると、まだ揺れているブランコに腰を下ろした。
 誰もいない、深夜の公園に独り。
 母もなく。
 友もなく。
 そうしてみたところで、何も取り戻すことなどできぬというのに。……取り戻す? ――否。夜都は最初から、何も持ってなどいない。
(どうでもよい)
 あやかしが夜都に狩られるように、いつか、あやかしが彼を狩るかもしれない。夜都は疑似餌。その背後には、同胞を喰らう巨大な暗黒がうずくまっている。
 だが、そうなったらそうなったときのことだ。
 失われるものなど、ありはしないのだから。
「……」
 漕ごうとして、ふと、夜都は、自分がブランコの乗り方など知らないのだということに気づいた。
 ジジジ、と嘲るように、水銀灯が、また灯る。
 夜都は、その光からそっと顔をそむけるのだった。

(了)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
リッキー2号 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年05月17日

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