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『皐月(さつき)色の風 』
烏丸・織6390




 山歩きが好きだと友達に云うと、決まって変人扱いされたものだった。
 同世代の友人たちは、土を踏みしめ、獣の作った細い道を散策するといった行動の中に楽しみを見いださない者が多いらしい。やれ、どこのブランドで新作のジャケットが出ただとか、どこのメーカーの何ていうパソコンが良いだとか、どちらかと云えばそんな話題のほうに興味をひかれるようだった。
 無論、彼──烏丸織も、服装や身のこなしが人に与える影響はとても大きいと知っているし、パソコンだってまったく扱えないわけではないから、どうせなら処理速度が速くて、扱うのに便利なもののほうが良いと思う。
 だが、心の穏やかさ、寛さ、そして充足を求めるならば、断然、山だ。
「やあ、珍しい──もうサンカヨウの花が咲いている」
 両手の指を、後ろ腰のあたりで緩く組み合わせながら歩いていたら、道が折れている少し先でサンカヨウが咲いているのを見つけた。歩み寄れば、真っ白な花弁の後ろで恥じらうように、2つに割れかけたような独特の形をした葉が黄緑色を誇っている。メギ科のこの花は、桜の花びらによく似た可憐な花びらを6枚つけており、花粉を息吹いた豊かな雄しべが不思議な躍動感を感じさせるのだ
 夏の手前、まだ木々の葉が初々しい黄緑の間は、こうした純白の花が涼しげで美しい。
「今日は、染料を作るために来たんじゃないんです──あなたからなら、とりのこ色によく似た素敵な色が、貰えそうだけど」
 つと伸ばした指先で丁寧に花弁に触れると、サンカヨウはその指の腹に甘えるように優しく揺れる。
 草木染めと云うと、たいていの人は、色の濃い花びらからしか染料が取れないと思うようだが、実は色の薄い花びらからこそ繊細な染料を取ることができるのだ。手間をかけ、時間をかけ、その花びらが本来持っている微妙な色合いを引き出し、人々の目に触れさせる。それほど厳かで、心の洗われる作業はないと織は強く思う。



 ──今回は若い作家さんの、瑞々しい感性でレイアウトをお願いしたいんです。
 ギャラリーのマスターにそう頭を下げられたときから、モチーフは山に探しに来ようと決めていた。瑞々しいと称される若輩の感性が、山で命を息吹かせている若葉の草木たちと同調したからである。
 月に1度、小さな展示イベントを展開するそのギャラリーでは、今月、新旧の陶芸家による陶芸器の競作を計画しているらしい。織は、その展示により一層の演出を齎すために、空間ディスプレイの仕事を依頼されたのであった。
 無限に存在すると思われる草木染めの表現方法への可能性と、生きることそのものを謳歌する皐月の草木たちの生命力は確かに近しいものに思えた。
 そして、こうして山に入り、厳しくも恵み多き夏の日差しに備えて、いっぱいに双葉を広げる新緑たちの何と美しく、逞しいことか。
「時が経つのを忘れてしまうと云うのは……まさにこういうことだな──」
 小さな春の虫たちが蜜を吸いにやってくることにも、小鳥が木の実をついばみにくることにも、草木たちは寛容である。そうすることで、さらに恵み多き春と夏が巡ってくることを、彼らは知っているのだ。
 空気も甘く、清々しく香る。
 その芳香を肺いっぱいに吸い込むと、都会や、人の喧騒で濁った自分の身体の中が、少しずつ清められていくような気さえする。
 しばらく、当てもないように、ゆっくりと山道を歩いた。緩やかなカーブ、ごつごつとした岩が重なり合ってできた階段、ひんやりとした土の感触を手に味わえる細い道を、時を忘れ、束の間、この山に足を運んだ理由すら忘れて。
『・‥…──…‥・』
 そんな時だった。
 ちょうど自分の爪先が向いている方向──前方から、かすかな、擦れ声にも似た『花の囁き』が、織の鼓膜をそっと震わせたのは。
 ああ──呼ばれている。
 織は、知らずのうちに穏やかに上がっていた口角を、さらに深く引き上げ、誘われるがまま、歩の向くままに足を運んでいく。
 小さな滝が流れ落ち、水面を打つ音が、『花の囁き』と交じり合い始めている。



 その光景を目の当たりにしたとき、ありがとう、と知らず呟いていた。
 丸太を数本組み合わせたのみの簡単な橋の上から、水音の正体であった滝を覗き込めば、その水面に覆いかぶさるようにして、鮮やかな山吹が群生していた。『囁き』の主はその山吹だったようで、織が自分の存在に気付いたことを知ったものだろうか。誇らしげに、滝飛沫を浴びてゆらゆらと揺らめいている。
「皐月山吹に、滝──なんて有りがたいものを…‥・」
 山吹の薄い葉から零れ落ちる滝の雫は、花弁の鮮やかなオレンジ色を受け、さながらほろほろと花弁そのものが滝に流れ落ちているかのような感覚におちいってしまう。芭蕉の句と、万葉集を思い出した。皐月山吹と山清水。この花が誇る萌え立つような橙色を歌人が歌うとき、えてして水と共に歌われることが多い。
 ありがとう。織は再度、そう呟かずにはいられなかった。
 燃えるような橙色と、生命の水を湛えた陶芸器。
 それを演出することこそ、5月の展示に相応しい。

 アトリエに戻り、早速、八重山吹と山吹、それに白山吹の小枝を、名の通った華人たちが愛用している花屋に注文した。そう云った花屋は、花々の扱いを特に丁寧に行うもので、『花の顔』もとても穏やかなものである。
 翌日、織の手元に届けられた山吹たちは瑞々しく、山の奥で見掛けた皐月山吹に勝るとも劣らぬ色彩と、生命力をみなぎらせていた。
「さあ、行きましょう。今この瞬間よりも、もっとあなたたちを活き活きとさせてあげる」



 競作──そう呼ばれるだけあって、決して広くはないギャラリーの一角にはさまざまな形態の陶芸器たちが集められ、織の手によって瑞々しい生命を与えられる瞬間を待ち望んでいた。
 湯呑み茶わん、ぐいのみ、一点皿、長皿、丸皿、飯茶わんに小皿──
 それぞれがすでに孕んでいる、美しく感性されたフォルムを損なってしまわぬように、そっと水をはり、山吹の花弁を散らし、小枝を挿す。
 真っ白な壁の所々にと、パーテーションの代わりとして、新緑色に染めたタペストリーを飾り、今まさに皐月の新緑の中を散策しているような演出を目指した。微々な風の流れにも揺れるパーテーションのタペストリー。遠く、壁際に飾ったタペストリーほどしっかりと留めるようにした。そうすることで、狭い空間にも豊かな遠近感が生じることとなるのだ。
「あと2時間でオープンします、どんな…‥・」
 ギャラリーのマスターがそう云いながら展示スペースにやってきたとき、言葉を途切れさせ、眩しそうに目を眇めた。自分も、山の中をひとり散策していたときは、こんな眼差しで草木たちを眺めていたのだろうか──織はマスターの表情を眺めながら、また己も、瑞々しい息吹に充ち満ちた山の空気に思いを馳せる。
「そろそろ完成します。──深呼吸、してみてください。心が洗われるようですよ? ──なんて、自分がレイアウトしたのに、褒めすぎですか?」
「…・‥…いや、そんなことはない。ないですよ」
 緩く握った拳で口許を覆い、織が笑った。
 大皿の中心に浮かべた山吹の花弁が静かに揺れて、皐月色の風に更なる彩りを添えていた。

(了)


──登場人物(この物語に登場した人物の一覧)──
【6390/烏丸・織(からすま・しき)/男性/23歳/染物師】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
森田桃子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年05月15日

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