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『連理幕の明日 』
也沢・閑6370

『嗚呼、何故君は俺の言葉に答えてはくれないのだ!』
 昔々のその話。時は平安、未だ平家の治める時代。雅より遠く身分のかけ離れた男とそして天女の物語。
 声を張り上げれば丁度返って届きそうな場所に言葉の無い天女は現れ、そして男の言葉に頑なに首を振る。答えようとも答えられぬ、諦めを灯した漆黒の瞳を伏せ、この後天に還らねばならぬと言うように。
『ならば俺も共に行こう』
 天女の声にもならぬ言葉を聞き入れたのか、男は大きなゆったりとした動きで刀を取り出し自らの首に押し当てた。
 出会って三月にも満たない天女と身分すら無い人間の男の恋は一つ彼女が話す度、一つ言葉を失う度に消え、そして最後には夜の闇と暖かな月の光によって消える。



「よくある話だよねぇ…」

 劇場に来てどれくらい経つだろう。リハーサルを終えて実際の舞台に入る今日、経った時間よりも居る時間の方が長い今、天女らしい化粧を施されながら也沢・閑(なりさわ・しずか)は同じ舞台に立つ男の気力の無い声に苦笑した。
「天女の羽衣の話も女性の方から居なくなってしまいますからね。 きっと、彼女達には羽が生えているのでしょう」
 紅を塗っているせいか、はたまた背の高いその姿が美しく光る羽衣を纏い正座という形で縮められているからか閑の姿は天女という未知の者に近づいている。
「それを今日君にやってもらうんだよ? いくら適任だからって脚本家も無理があるよなぁ…」
「そうですか? 僕は楽しみにしていましたけれど」
 舞台リハーサルの様子をカメラで写したその映像が楽屋の中を支配する中、主演の男優は閑の言葉に変わっている、とも、流石、ともつかぬ笑いで答えた。
「いや、俳優としては良いんだけれど脚本がね。 うちの劇団の脚本家のそのまた爺さん世代の話なんだよ、これが」
「本当、全く折角の飛び入り参加なのに悪いわね…」
 劇団員はさして動員人数も多くないこの古い劇場の古株、つまりはそれなりの客は稼げるがそれ以上にはならない劇団の一員達である。
 主演の男、雅な女の役を務める女が化粧や商売道具である衣装を着こなす間、閑は何度もそんな風に謝罪を入れられながらも笑って今回の演技は楽しみであると言い続けた。
「でも折角人気の出てきた也沢君に出演してもらえるんだもの、私達もそろそろ上に行ってもいい時期なんじゃない?」
「はは、違いない」
 閑がモデル業を営んでいる事はこの劇団の女性団員の中では有名な話であり、よく掲載されるファッション誌で今回の役のインタビューをされたかと思いきや、いざ飛び入りの劇団内で稽古をするとなると若い女性達が酷く喜んで何度かサインを求められる事にもなったのである。
「ところで天女の髪なんだが、折角浮世離れした閑さんのイメージを崩したくないし…かつらじゃなくて羽にしたいんだがどうだろう?」
「羽、ですか?」
 団員達の言葉を聞きながら以前『天女ならば髪は長いだろう』と演出家が脚本家ともめた件の決着である長く白い羽の連なった髪飾りを差し出す。
「そう、天女が言葉を失う度にその羽を一房抜いてもらいながら演技をしてもらってもいいかな?」
 つまりは観衆に羽を取っているというより自然と取れたように見せながら演技をして欲しいという要望である。
「はい、大丈夫です。 作りとしては脆いようですから逆に演技中に取れないようにしますね」
 髪飾りは丁度閑の項をぐるりと一周するように作られておりそれを着ける事で黒髪の下から羽が生えているように見え、丁度良い。
「うん、じゃあそれで宜しく頼むよ。 舞台の方は…?」
 リハーサルが終わって数時間、役者や劇団の準備が整って少し。客足を気にする演出家の神経質な声が次に入ってくる小道具係にかけられる。
「いつもより来てますよ! 女性客が多いみたいです」
「也沢さん効果が大きいみたいだね…俺も負けずに演技しないと」
 彼らの劇団の動員数より多い客足なのだろう、どこか弾んで聞こえる小道具係の言葉にその場の空気も盛り上がった。
「僕の効果であればとても嬉しいですが…逆に皆さんの足を引っ張らないように頑張りますね」
 演劇の部門であればこの劇団の人間の殆どは閑よりも先輩にあたる。事実、練習中に何度か舞台上での動きを習いつつ、新しい挑戦でもあったのだから。
「いやいや、俺達も君に感謝してるから。 今日、頑張ろうな!」
「はい」
 古風な天女の格好と違う、人外の淡く脆いイメージをして作成された衣装を纏う閑はどことなく触れがたい雰囲気すらも纏っていて、舞台へと上がる廊下を歩いていても肩を叩き合って励ましあうより団員の羨望にも似た静かな視線が閑の役者としての高揚感を上げ、天女と男という、この名も無い物語の幕はついに開いたのだった。



 舞台で普通の声色での演技は絶対してはいけない。たとえそれが神秘的な雰囲気の天女の役であろうと、衣装を最大限に惹き立て、役者としての魅力とその声を聞いてもらうにはオーバーリアクションと何より相手男優と向かい合うのではなく客席、観衆と向き合って言葉を発する必要がある。
 物語は男が貴族の人間に冤罪をかけられ投打され、その痛みに苦しむ姿を哀れんで降りてきたその天女が介抱に励み、仕草や言葉、最後にはその心さえも人間となり黒髪から下に連なった白い羽と共に天界の者の証を失い、最後の羽が消える時に人として天に召されてしまうその姿を響き渡る琵琶と笛の音と共に流れる音楽のように照らし出していた。

 市民会館よりは良いセットと何より音楽、満員御礼ではなくとも殆ど埋った客席からその全員の視線を浴びるようにして迎えるクライマックス。男役の登場はまだ先であり、今はまだ月光の照らす中を泳ぐようにして最期の時を過ごそうとする天女のシーンである。
(ここの線はターン…次は空へ…か、言葉が無いのもかなり大変だね…)
 閑が演じる天女の役は最初こそ台詞の洪水だが最期のシーンが近づくにつれ舞いのシーンが多く逆に無言を通すという演技が必要になり、その中で天女という人ではない存在がどういう感情を持っているかを表現しなければならず、これから舞台としての言葉は最後の羽を抜くその瞬間にしか許されない。
 そう、次の言葉での演技は主演男優が控え室で見たあのシーンを天女である閑の前で行った直後、共に行ける悲しみか、喜びかわからぬただ瞳に涙の雫と声にならぬ悲鳴を上げて駆け寄るその場面の筈だ。が。

(遅いな…)

 そろそろ天女の異変に気付き、自らへの愛が無いのではと考えた男がこの舞台に出てくる筈だ。と、いうのにその気配、天女役の閑以外は舞台の上に居ない状況でその袖にすら誰も控えていないような奇妙な感覚に囚われて舞う足を止める。
(どうしたんだろう…?)
 足を止める程度ならば次は男の役だという催促になる為失敗とは数えられない。
 けれどそれはあくまで男がその合図に気付いて出てきた場合であり、そのまま数秒閑一人の舞台となってしまった場合客はそれを不審に思い始める。

『―――君よ、よくこの場に現れてくれた』
 それはまるで闇夜そのものが声を出したかのように。
『私が居なくなってしまう前に天の君に会えて…良かった』
 それはまるで生きている人間の声ではないように。

 舞台の袖、閑とは反対方向から出てきた男に観客は一度不審を瞳に宿したものの、すぐにそれが閑の演技のものだと思い込みこの舞台の最後を見届けようと目を見張った。
(…台本と違うね)
 背後の気配が冷たく、今にも凍ってしまいそうな程に痛い。それでも振り向いて続けなければならないのは役者の勤めであり、何より一度台本とすれ違ってしまった舞台を立て直さなければならない。
『明日、俺は処刑されてしまう…最後に君に…いや…―――』
(よく舞台にこういうのはつき物と言うけど…まさか本当に出るとはね)
 近づいてくる男は勿論楽屋で話した主演男優ではなかった。
 元々夜の情景をイメージして作られたセットで閑から離れての登場ならば誰も今目の前に居る男―――主演男優の平安時代一般人を意識したそれではなく、貴族の若君のような束帯に鳥帽子といったなかなか映える衣を身に纏い、けれどその近くに来ても口元と筋の通った鼻だけしかわからぬ『何か』は観客席から見れば『普通の役者』に見えるのだろう。
(設定としてはこの後二人は死ぬけど…駄目だな…)
 もしこの男と共に行くなどと口でも滑らせようものならきっと本当に黄泉の国に連れて行かれることだろう。直感でそう悟りながらこれからのストーリーの道順を変えなければならない事に内心舌打ちをする。

「私も、お会いできて嬉しゅうございます…」
 すっと閑自ら駆け寄る際にその勢いで白い羽を落として、向かってくる男に触れない程度に近づけばひやりと冷たい冷気が身体に這い上がってきた。
『嗚呼、天女の君…処罰で朽ちるよりも貴女に天へ導いて頂きたい』
「それは…―――」
 また難しい事を。一度眉間に皺が寄りそうになるのを押さえ、紡ぐ言葉に最大の愛と魅了するだけの力をこめて口にする。
「それはできませぬ…。 月夜の君が天に昇るその時、私はこの地に永劫と言う名の鎖で縛りつけられてしまうのですから…」
『それは…天の君を助けられるという事なのか?』
 女は控えめな方が良い。世の男のセオリーか、言い方が良かったのかつまるところ男の命と引き換えに天女である自分は助かると遠まわしに言っている事になる。それが良い事なのかはさておき、この時代何かと遠まわしな物言いは恋文のようにして喜ばれたものだ。
「私を月夜の君の居ぬ地へ縛り付けると言われるのですか?」
 この演劇そのものに相手の名前は必要ない。
 最初の場面である本物の男優と他の劇団員のシーンのみ必要であったが天女と男のシーンは互いに何か別の呼び名で呼び合うのだから、こうして知らない何かに話しかけるのには好都合であり、観客を魅了する閑の声と一枚の絵画にも匹敵する相手方の雰囲気は細かい設定を少し無効にしてくれたようだった。
『ああ、天の月をこの場に留められるなら…俺の命など淡い花弁が散りゆくようなもの…』
 男に手を取られると背筋が凍ったように動かなく、足など無くなってしまったかのように閑は『何か』にしなだれかかるようにして倒れこむ。
(これで消えてくれれば問題は無いけど…)
 事実、自らの死を受け入れているのか生気の無い男の身体はどんどんとこの世から離れ後ろにあるセットが透ける様にして見えてくる。
「行って…しまわれるのですね…」
 能力を最大限に出して紡ぐ声も身体の心霊現象に折れつつある。けれども今一つと出した最後の言葉は役者として、天女の女としての最後の台詞となり。
『また天の声を聞いて…月夜に現れようものならば…』
 重ならない唇が閑のそれと一時を共にするかしないかの内に『何か』は闇へと消えていった。

 同時に湧き上がる歓声。
 ようやく見えるようになった舞台袖と何が起こったかわからないが兎に角顔を見せ合っている劇団員にこっそりとウィンクを送りながら。
 心霊現象に耐え抜いた閑の身体と共に舞台の幕は下りた。



「それにしても今日は何が起こったんだか…気がついたら也沢さんが倒れたまま舞台は終わっちゃってるし」
 舞台裏の楽屋、盛大な拍手で幕を降りた筈の演劇をした。その筈である劇団は矢張り何か腑に落ちないといった雰囲気で苦笑をもらし続けていて。
「初日ですから、少し失敗があったんですよ、きっと。 明日も公演ですしその時に頑張りましょう」
 ただ一人舞台に残った閑は幕が下りてすぐ立つ事もままならず団員に肩を貸してもらいながらようやくこの場に座り落ち着くことが出来た。
 何より人ではない別のものが公演中に出てきたなどと言って信じてもらえるのか、信じてもらえても果たして良い事があるのか。
「そうね、公演は今日一日というわけではないんだし、閑君もいるんだから頑張りましょう」
「なんだか買い被り過ぎのような気もしますが、そう言って下さると僕も嬉しいです」
 女性団員の先導で明るくなってくるのは閑の人気の証拠か、なんだかんだとついてくる男団員達と共に明日また、同じ場所で公演は開かれる。

「そうだ、也沢さん。 あの脚本、俺が俺の爺さんの脚本をちょっと変えてやってるんだけどさ、何か変な所があったら言ってよ」
 そう、今更ながらに言う脚本家の一言は何故かとても笑う事が出来なく。
(……明日もあったらヤだね、こんな事…―――)
 月夜の天女に会いに来る、あの何かがまた現れたなら。
 今度はどうしてやろうと肩を竦める閑であった。

 昔々のその話。時は平安、未だ平家の治める時代。それは、雅を堪能する貴族の男と天女の物語。


終幕

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東京怪談
2006年05月11日

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