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『白月紅桜 』
チリュウ・ミカ(w3c964)

「桜の下には妖(あやかし)が棲むという…」
 煌々と光る満月の下、わたしはそんなことを考えながら満開の桜の林を歩いていた。月に照らされた薄紅色の林は、深夜の来訪者を拒絶するかのように静まり返っている。
 桜の美しさだけではなかった。この林の桜は見事なほどに満開なのに、どの木も花弁を地面に落としてはいない。一本ぐらい花が散っている桜があってもよさそうなのに、どれも満開のまま不思議と静まりかえっている。
 これは、夢か幻か。
 夢だとしてもそれもまたいいだろう。これが幻の風景だとしても、これほど見事な桜を見られることはそうそうない。
 そんなときだった。
「そんな所にいると、月と桜に惑わされるぞ」
 そこには一人の男が佇んでいた。長身で黒い長髪を後ろでくくった男が、桜を背にして酒を飲んでいる。
「なあ、そんな所にいないでよければ花見につきあってもらえないか?一人で飲むのも退屈なんだ…」

 その声の主にわたしは思わずふっと笑った。いくら一人の花見がつまらないからといって、わたしをナンパするとは物好きな奴…と思ってしまったからだ。
 買い物帰りについ迷い込んでしまった桜の林。それを見上げながら、わたしは彼に近づく。
「一応ダンナがいる身だから長居はできんぞ。それでもいいのならつきあうが」
 私がそう言うと彼は嬉しそうに微笑んだ。
「別にダンナにやましいことをするつもりじゃない。それに、酒を飲むなら一人よりもあんたみたいな美人と一緒の方がいいしな」
 そう言って彼はわたしのために場所を空けてくれた。美人だなんて口のうまい奴だ。でも、その人なつっこい笑みは嫌じゃない。彼が着ている黒の着流しもこの光景に似合っている。
 わたしはレジ袋に入っていたチーズかまぼこを一本彼に差し出した。
「わたしが買い物帰りで良かったな、生憎こんな物しか無いが我慢だぞ。肴も少しぐらいはあった方がいいだろう?」
「サンキュー。ちょうどつまみが欲しかったところだ。あんた、名前は?」
 わたし用の薄紅色の盃に酒を注ぎながら、彼は何気なく私の名前を聞く。本当なら『人に名前を聞くときは自分から名乗るものだ』と言ってやるところだが、酒の礼に名乗ってやるのもいいだろう。わたしは注がれた盃を朱の盆の上に置き、彼の盃に酌をした。
「チリュウ・ミカだ。あんたの名前は?」
「華麗の麗に虎って書いて『れいこ』だ」
 その名前にわたしはくすっと笑ってしまった。音だけ聞いたらたぶん女だと思ってしまうだろう。でも、その「麗虎」という名前は、彼にはとても合っているような気がした。
 美しい虎が月に照らされた桜の下にいる。それはきっと絵になる光景だろう。
「…あんた今、女みたいな名前だと思っただろ」
 麗虎がわたしの心を読んだかのように憮然と呟く。
「気を悪くするな。でも、その名前はよく似合っているよ。さて、乾杯といこうか」
 私が盃を持つと、麗虎も同じように盃を持つ。
「美しい桜に」
「闇に浮かぶ月に」
 お互いの盃を触れ合わせ、わたし達は入っていた酒を飲み干した。その酒はほのかに桜の香りがして、甘くのどに滑り込んでいく。そしてまたお互いの盃に酒を注ぐ。
「あんた結構いけるクチだな」
「まあな。わたしを酔わせても何も出ないぞ」
「そんなに警戒するな、なんだか信用されてない気がする」
 麗虎はわたしがやったチーズかまぼこのビニールを取り、それを美味そうに一口かじった。
「美味いか?足りなかったらまだあるぞ」
「うん、美味い。たまにはこういうのもいいな」
 笑いながら酒を飲んでいる麗虎にうなずいた後、わたしは桜の林と天に浮かぶ月を眺めた。この桜は私がいつも見る桜と違い、白と言うよりは紅に近い。
 もしこの桜が散ったら、血が舞うように見えるのだろうか…。
「燃える如き満開の桜…遠目に愛でるには最高だ。だが、樹の下で月を盃に映したなら、一片の花弁を浮かべたくもなる。花の枝を永久に止めたいと思いつつも、桜吹雪を浴びてみたいと思う…人とは勝手なものだ」
 そう言って盃を飲み干すと、麗虎は次の酒を注いで少し寂しそうに笑った。
「…詩人だな。でも桜が散らない木だったら、多分こんなに人の心を揺さぶらなかったんだろうな。散るからこそ人は桜に心惹かれる…」
 麗虎がそう言って天を仰いだ。麗虎の言葉とは逆に、桜は全く散る気配を見せない。相変わらず満開の桜を月に揺らしているだけだ。
 それを見てわたしは、桜に関する一文を思い出した。
『桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ』
 梶井基次郎の「桜の樹の下には」の冒頭。散らない不思議な桜を目の当たりにすれば、そんな言葉も本当かと思えてくる。もしかしたら、この木の下に埋まっているのは麗虎の体なのかもしれない。
 わたしは盃を置き、一つ溜息をついた。
「麗虎。あんた…もしかして墓守なのか?」
 そう言った私に麗虎がふっと笑う。
「似たようなもんだな、一文字違うだけで。墓守じゃなくて俺はここの花守だ」
「そうか。なんだか急に梶井基次郎の『桜の樹の下には』の一文を思い出してな。これだけ見事なのにまったく散らない桜を見ていたら、墓守かもしれないと思ったんだ」
 桜の薄紅が、私にあの小説の一文を思い出させる。
『俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる』
 あの話を読んだのはいつのことだっただろう。学生の頃だったと思うが、そのときはこの言葉を言っている「彼」の気持ちがよく分からなかった。
 でも今なら何となくだが分かるような気がする。美しい物を愛でていたい気持ちと、それを壊したい気持ち。それは誰の心にもある。
 わたしは麗虎の顔を見た。ここにもう少しだけいたいような気もするが、桜の闇にとらわれる前にわたしの世界に帰らなければ。わたしには待っている人たちがいる。
「さて、どうすれば『わたしの世界』に戻してもらえるのかな?望みや伝えたいことがあれば、聞いてやるぞ」
 その言葉に麗虎が盃を置いた。わたしは微かに微笑みながら言葉を続ける。
「神の奇跡は起せないが、魔の悪戯を仕掛ける事くらいなら…な」
 麗虎が天を仰ぐ。
 天に昇った月はちょうど頭の上に来そうなぐらい高い。
「もう少し飲んでたかったんだが、月が天に来ちまったから仕方ないか。魔の悪戯はいらないが、ちょっと一つ舞ってくれないか?」
「はい?」
 その困った願いに、わたしは素っ頓狂な声で返事をした。舞…そんなものは踊ったことはおろか習ったこともない。
「ちょっと待て。舞ってくれって踊る方のあれか?だとしたら、わたしは踊ったことなんか一回もないぞ」
「いや、あんたは踊れるよ。だからここに迷い込めたんだ」
 麗虎が腰に差していた笛を手に取った。
「何でもいいんだ、この笛に合わせて踊ってくれさえすれば。そうしたらちゃんと帰してやるからさ」
 横笛を構えるのを見て、わたしは仕方なく靴を履き少し離れたところに立った。踊りといっても盆踊りとかマイムマイムというわけにも行かないだろう。まったく、これだったら魔の悪戯の方がよほど簡単だ。
「準備はいいか?」
「…どんな踊りでも文句は言うなよ」
 シン…と桜の林が静まりかえった。
 耳の奥が痛いほどの静寂。そこに麗虎の笛の音が鳴った。
 わたしはそれに耳を澄ませる。
「………」
 それは不思議な曲だった。懐かしいような、それでいて切なくなるような旋律。その曲に合わせてわたしの体が動く。
「これは…闇の音だ」
 桜の闇に響き渡る笛の音。それに合わせて舞うのは、わたしの体が知っている闇の動き。その演舞を月が地面に映す。
 曲がクライマックスに近づき、わたしが右手を振り上げたそのときだった。
「………!」
 薄紅色の林がザワッと鳴り、まるでそれが合図だったかのように一斉に桜の花が散った。風に舞うたくさんの花。それがわたしの視界を遮る。
「桜闇…」
 多分わたしじゃなければ気づかなかっただろう。これを普通の者が見ても、ただの見事な桜吹雪にしか見えない。でもわたしは知っている。先が見えないのに暖かい漆黒の闇。
 だからわたしがここに呼ばれたのだ。
 この桜闇を完成させるために…。

「サンキュー。ここの桜は気むずかしくて舞を見るまでは散ってくれないんだ。これで俺の今年の役目も終わったよ」
 曲が終わり、私の持っていたレジ袋を持って麗虎は少し寂しそうな顔をしていた。
「見事な桜闇だな」
 月まで覆い隠されそうなほどの花びらにわたしは目を細める。
「ああ、見事だろ?これを見られる奴はなかなかいない…普通の奴は大抵闇にとらわれて、自分を見失ってしまうからな。さて、約束だ。お前さんの世界に帰してやるよ」
「ちょっと待ってくれ」
 私はレジ袋の中から残っていたチーズかまぼこを全部取りだした。
「まだ一人で飲むんだろう?良かったら花見の礼に食ってくれ」
 私が差し出したそれを受け取り、麗虎はチーズかまぼことわたしを見た後、面白そうに笑った。少しだけわたしの顔が赤くなる。
「なっ、何がおかしい」
「いや、あんたいい女だなと思って。ダンナがいなきゃ手出してたんだけどな」
「残念だが、わたしはダンナ一筋だ」
 思わず赤くなってしまったのが恥ずかしくて、わたしは自分の頬を押さえた。すると麗虎は手近な木の枝を何本か鋏で切り、それをわたしにそっと差し出した。
「じゃ、今夜はその世界一幸せなダンナと一緒に花見酒としゃれ込みな。この闇をずっと抜けていけば、あんたの住むところに帰れる。絶対振り返るなよ」
「ありがとう。あんたもダンナの次ぐらいにいい男だよ」
 わたしは桜の枝を受け取ると、麗虎が言った方に向かってまっすぐと歩き出した。

「…どうやらわたしの世界に帰れたようだな」
 いつもの見慣れた道。わたしを待っている人がいる家の灯り。ちゃんと帰れたことを実感して、わたしは思わず大きく息を吐く。
 そう言えば、わたしの世界での桜の季節はとうに過ぎていた。だけど手には桜闇が残っている。それだけで充分だ。
「それにしても…レジ袋が重いな」
 そんなに買い物をしていないはずなのに…そう思って袋の中身を見ると、そこにはさっき麗虎と飲んでいた酒瓶が入っていた。そして、揃いの薄紅色の盃も。
「麗虎の奴、粋なことを」
 早く皆が待っている家に帰ろう。そして、生けた桜を見ながら酒を飲もう。
 少しだけ、一人で酒を飲んでいる麗虎のことを思い出しながら…。
「さて、帰るか」
 天を仰ぐと、空には少し欠けた月が昇っていた。

                               fin

■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
w3c964maoh/チリュウ・ミカ/女/34歳/残酷の黒

■         ライター通信          ■

初めまして、水月小織です。「櫻の夢」の発注ありがとうございました。
こっちのゲームノベルは初めてだったのですが、プレイングを見て「いい女だ…」と思ったので、それを前面に出した話にしてみました。お酒が飲めて、博識なのは素敵です。ダンナ様がうらやましい…。
同じオープニングで話を二本書いたのですが、こちらの方は「桜闇」と言うことで、吸い込まれそうなほどの花びらや、「桜の樹の下には」の一文を入れ、プレイングを参考に一人称にしてみました。
リテイクなどありましたら、遠慮なく言ってくださいませ。
今回は本当にありがとうございました。またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
PCゲームノベル・櫻ノ夢 -
水月小織 クリエイターズルームへ
神魔創世記 アクスディアEXceed
2006年05月09日

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