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『白月紅桜 』
九竜・啓5201

「桜の下には妖(あやかし)が棲むという…」
 煌々と光る満月の下、俺はそんなことを考えながら満開の桜の林を歩いていた。月に照らされた薄紅色の林は、深夜の来訪者を拒絶するかのように静まり返っている。
 桜の美しさだけではなかった。この林の桜は見事なほどに満開なのに、どの木も花弁を地面に落としてはいない。一本ぐらい花が散っている桜があってもよさそうなのに、どれも満開のまま不思議と静まりかえっている。
 これは、夢か幻か。
 夢だとしてもそれもまたいいだろう。これが幻の風景だとしても、これほど見事な桜を見られることはそうそうない。
 そんなときだった。
「そんな所にいると、月と桜に惑わされるぞ」
 そこには一人の男が佇んでいた。長身で黒い長髪を後ろでくくった男が、桜を背にして酒を飲んでいる。
「なあ、そんな所にいないでよければ花見につきあってもらえないか?一人で飲むのも退屈なんだ…」

「えっ、俺の事?」
 九竜啓(くりゅうあきら)は、その声がした方に歩いていった。それは全く知らない男だったが、何故か警戒心とかそういう気持ちは全く沸かず、むしろその人懐っこそうな笑みに思わず惹かれてしまう。
「お前さん以外に誰もここにはいないよ。ここは迷い人が来る場所だからな」
 男はクスッと笑うと、自分が座っていた場所をあきらの為にあけた。あきらはそこにちょこんと正座すると、男に向かってにっこりと微笑む。
「迷い人って、おじ…お兄さんは、どうしてここまで来たのぉ??お兄さんも道に迷って…な、わけないかぁ」
 あきらはそう言いながら、じっと男の姿を見つめた。黒くまっすぐな髪はきっとおろしたら肩より少し長いだろう。着ている物は黒のジーンズに革ジャン。目は漆黒のように黒く、その瞳は何もかも見抜きそうなほど深い。
 男は持っていた杯から美味しそうに一口酒を飲んだ。
「俺はこの林の花守だ。この季節は月と桜が人を惑わせる事があるから、ここに迷い込んだ奴の案内人って所だな」
「ふーん…俺、くりゅーあきらって言うんだ。お兄さんの名前は?」
「華麗の麗に、虎って書いて『れいこ』だ。呼び捨てで構わんよ」
 その言葉にあきらは何故か懐かしい気持ちになった。ここに来たのは初めてのはずなのに、何だか胸が締め付けられるように切ない。
 麗虎は自分の横に置いてあった茶器を出し、あきらにお茶を差し出す。それはほんのりと桜の香りがして、湯飲みは優しい温度だった。
「本当はすぐ帰してやった方がいいのかも知れないが、せっかく満開の時に来たんだから少しゆっくりしていくといい。酒はいける口かい?」
「あ、お酒は俺、未成年だから…」
「そうか。そりゃ残念だ」
 自分の杯に酒を継ぎ足し、麗虎はそれをほんの少し傾けた。
「茶と酒ってのも何だが、満開の桜に乾杯」
「かんぱーい」
 それは不思議な花見だった。
 満月の下、静かにお茶と酒を酌み交わす二人。満開なのに一本も散っていない桜…ふと気がついたが、ここの桜は普段公園などで見る桜と違い、何だか少し紅か濃いような気がする。
 そう思った途端、あきらは子供の頃を思い出した。
 ほとんど覚えていないはずの子供の頃の記憶…その扉が少しだけ開く。
「俺、子供の頃桜怖かったんだよねぇ…」
 なにげなしに呟いた言葉に、麗虎が笑う。
「桜が怖い?どうして」
「誰かに、桜の木の下には死体が…って話を聞いて、ずーっと信じちゃってたんだよねぇ。綺麗に咲く桜ほど血を吸ってるんだよとか言われて。そんなわけないのにねぇ…」
 あきらは何処か遠くを見るように天を仰ぐ。
 子供の頃は桜が怖かった。皆が桜の舞い散る下で遊んでいても、そこには絶対近づきたくなかった。
 桜の下には死体だけじゃなく、妖もいるのだから…。
「………!」
 鼓動が早くなる。
 冷たい汗が背中に流れる。
 これ以上思い出してはいけない…あきらは急に我に返った。隣にいる麗虎がそれに気づいたのか、少し怪訝な顔をする。
「大丈夫か?桜にでも酔ったか」
「う、うん、大丈夫…何かこの林が幻想的だから、ちょっとぼーっとしちゃった」
 ぶんぶんと頭を振ろうとすると、あきらの額に麗虎の手が当てられた。大きくて冷たい手。それが何だか気持ちいい。
「少し休んだほうがいいな…お前さんには、ちょっとここの月と桜は悪戯が過ぎるようだ」 冷たい手が額から目の方に下ろされる。それでもあきらは全然怖くなかった。
 そういえば桜が怖くなくなったのはいつからだっただろう…そう思いながらあきらはそっと目を閉じた。

『ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない…』
 啓の耳に最初に入ってきたのはその言葉だった。
 梶井基次郎の『桜の木の下には』の一部を麗虎が呟いている。啓がを開けたのに気づいたのか、麗虎はその呟きを止めた。
「よう。ちょっと月と桜が悪戯しようとしてたから、お前さんの方に変わってもらったよ」
「…ありがとう」
 啓は少し伸びをしてから目の前にあったお茶を全部飲み干し、空になった湯飲みに少しだけ酒を入れる。
「少しもらってもいいか?」
「どうぞ。元々正しい花見ってのは、花びらを浮かべた酒を飲み無病息災を祈るものだからな。もう一人のお前さんのぶんまで祈っておけ。ほら…」
 麗虎が立ち上がり桜の花びらを何枚か取った。そしてそれを啓の持っている湯飲みと自分の杯に浮かべる。
「じゃ、改めて乾杯」
「乾杯」
 桜の香りがする酒が喉を滑り落ちる。それはほんのりと甘く、水のようにすうっと体に染みこんでいく。啓も麗虎もそれを一気に飲み干した。
 ふうっと一息つき、啓は麗虎を見て微笑む。
「俺、子供の頃あんたと会った事あるよな。あきらは忘れてたみたいだけど」
「思い出してくれたか?」
 麗虎がニヤリと笑う。
 そう。九竜家二十七代目当主として修行していた五歳ぐらいの頃だろうか…どうしても桜が怖くて、木の側に近づけなかった時だった。
 あれは夕暮れ時、家に帰る途中。
 いつものように家へと帰る道を歩いていたはずなのに、気が付くと何故か桜の林に迷い込んでいた。怖くて怖くて足がすくんでいたときに、今日と同じように声を掛けられた。
『そんな所にいると、月と桜に惑わされるぞ』
 そう言った麗虎は今と全く変わらないままの姿で啓を呼んだ。
『ここ、どこ…?桜、怖いよ…』
『…大丈夫、お前さんなら桜の下にいる妖も退治出来る。さて、林を抜けて家に帰るぞ』
 繋いだ大きな手が冷たかった。
『どうして桜が怖い?』
『だって、桜の下には死体が埋まってるって…』
 麗虎の大きな歩幅に合わせて、つい小走りになっていた。それに気づいた麗虎がひょいと啓を抱き上げる。
『桜の下には死体なんか埋まっていない。たとえ埋まっていたとしても、それは桜を守るための花守だ。花守がいるから桜はほかの花に比べて人の心を揺さぶる…ほら、見てごらん。月に惑わされた桜が散る…』
 その言葉が合図だったかのように薄紅色の林がざわっと音を立て、満開の桜が一斉に風に舞った。あの風景を啓は覚えている。
 白い月と紅い桜。
 あの幻想的な光景は恐ろしいほど美しくて……。
「そうだ…どうして忘れてたんだろう…」
 啓の目から一筋の涙が流れた。
 桜が怖くなくなったのはあのときからだ…かすかに開いた記憶の扉から、切ない気持ちがあふれてくる。
「何が悲しい?」
 麗虎が月を見上げながら呟く。啓は涙をぬぐいもせず、同じように月を見上げながらあふれてくる気持ちを吐き出す。
「俺、色んなことを忘れてる…それが、なんだか急に切なくなって…」
「忘れてたっていいんだよ」
 ぽん…と麗虎の大きな手が啓の頭を撫でた。
「記憶なんて桜の花と同じで、散って忘れてたとしても、次の年にまた咲くようにそのときになったら戻ってくる…お前さんの心の桜はまだ咲く時じゃないんだよ。ほら、あのときと同じように月に惑わされた桜が散る…」
 薄紅色の林が鳴った。
 それとともに風が吹き抜け、満開の桜が薄紅色の雪のように舞う。
「今でも桜は怖いか?」
 啓はゆるゆると首を振った。
「いや、怖くない。花守が守ってる木だって思ったら全然怖くなくなったんだ…」
「そうか。ならいいんだ」
 ふっと麗虎が笑う。
 きっといつか桜が咲くように記憶が戻って、あきらと一つに戻れるときがくるのだろう。それまでは桜に花守がいるように、あきらには自分が、自分にはあきらが花守なのだ。
 そしてあのとき散った記憶も、いつか満開になる時が来る…。
「俺、そろそろ帰るよ。またどこかで会えるかな」
「縁があればお前さんの世界で会うこともあるだろうさ」
 そう言うと麗虎はまっすぐ闇を指さした。
「ここを抜けると帰れる…月を見上げずにまっすぐ進め。見上げたらまた月と桜に惑わされるからな」
「ああ、今日はありがとう。さよなら」
 啓はそのまま振り向かずに闇に向かって走り出した。
 薄紅色の吹雪が視界を遮る。だが、それに惑わされずにとにかくまっすぐに走った。
 走りながら啓はさっき麗虎が呟いていた『桜の木の下には』の一文を思い出す。桜の木と一つになったあの死体は、桜の花守になれたのだろうか
 それともあの死体が麗虎なのだろうか…。

「………?」
 あきらが気づいたのは、家へと向かう道の途中だった。
 今まで夢でも見ていたのだろうか、なんだかとても懐かしくて温かい気持ちでいっぱいになる。
「あれ?桜??」
 服の胸元に、薄紅色の桜の花びらがひとひらだけついていた。どこから来たのだろう。東京ではすでに桜の季節は終わり、桜の木は緑の葉を茂らせているはずなのに。
 あきらはその花びらを指でつまむと、それを口の中に入れた。なんだか分からないが、そうしなければならないような気がした。
「甘い…」
 桜の香りを感じながら、あきらは月に照らされた自分の影をしばらく見つめ続けていた。

                                 fin

■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5201/九竜・啓/男/17歳/高校生&陰陽師

■         ライター通信          ■

初めまして、水月小織です。「櫻の夢」の発注ありがとうございました。
人格が二つあるということで、啓くんの方にスポットを当ててみました。桜が怖くなくなった理由など謎の花守にゆだねてみたり、「桜の木の下には」の一文を入れてみたりしています。
花守の『麗虎』さんは、そのうち東京怪談のNPCに出て来る予定です。
お話を気に入っていただけると良いのですが、リテイクなどありましたら遠慮なく言ってくださいませ。
またご縁がありましたら、そのときはよろしくお願いいたします。
PCゲームノベル・櫻ノ夢 -
水月小織 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年05月09日

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