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『夜に舞う 』
物部・真言4441)&立藤(NPC3086)


 朝から気持ちよく晴れた、まさにうららかなという表現がしっくりとくるような日和だった。その名残りもあってか、陽が落ちた後となっても、心なしか幾分温かな空気を感じる事が出来る。
 
 バイト先のコンビニからの帰り道にある小さな公園には、数本の桜が植えられている。膨らみかけていた蕾は、この数日の内に一息に綻んで、薄紅色の見事な花を咲かせたのだった。
 日暮れた薄闇の中にあっても、桜はその色を褪めようとはしない。夜の内にあればこそ、桜はその艶を一層色濃いものへと変えるのだ。

 真言は公園の脇でふと足を止め、緩やかに流れる夜風に舞う桜の花弁に目を細ませた。
 見上げれば、夜の漆黒一色きりで塗りこめられていたはずの空に、今は薄い銀色に光る三日月が架かっている。月が放つ静かな灯は、音も立てずに揺らぎながら、仰ぎ見る真言の顔をゆるゆると照らし出している。
 三日月が放つ月光に、地を染める夜桜の薄い紅色。
 住宅街の中にある公園だというのにも関わらず、周りを囲う家々からの音などは一つも漏れ聞こえない。喩えてみるならば幻想的な絵画でも目の当たりにしているかのような――そんな緩やかな錯覚さえも浮かぶ。
 気がつけば、真言の足は夜の静寂に包まれた公園の中へと踏み入っていた。
 公園の中にはチカチカと点滅を繰り返す街灯が二つばかり置かれ、ぼうやりとした光を放っている。その他に灯りらしいものが置かれていないのは、この公園が住宅地の中にある、規模としても小さなものに数えられる程度の場所だからだろうか。
 ようやく葉を広げ始めている藤棚の下のベンチに座り、コンビニで買ってきた弁当を広げる。
 ――――見る人間が見れば、怪しい男だとでも思われてしまうだろうか。なにしろ、真言は明かりすらろくにない公園の中で、一人弁当を食そうとしているのだから。
 しかし。この夜は幸いにもさほどの肌寒さの感じられない、どちらかといえば温かなものである。それに加えて、公園には満開の桜が誇らしげに胸を張っているのだ。
「……一人で夜桜見物ってのも、充分に怪しいか」
 苦笑いなど浮かべながら、広げた弁当を口にする。
 桜は月を背景に、美しく夜を彩っている。

 風が吹き、藤の葉と桜の花とを揺らしていった。その風に紛れ、小さな鈴の音色が耳を撫でていったような感覚を覚えた時、真言は我知らずに振り返り、何もない闇の中をしっかりと見定めるが如くに目を見張った。
 周りを囲う家々の生活音ですらも聞こえてこない静かな夜であったから、その刹那、真言は思わず自分の耳を疑った。疑いながらも、心のどこかが確かに期待を寄せている。
 ――と、その時、吹く風に紛れて、鈴の音が聴こえたような気がして、真言は思わず振り向いた。

「……立藤か?」

 伸びた草花ばかりが揺れる夜の闇に向けて声をかけるが、当然の如く、返事はない。
 ざわりざわりと流れる風が、桜の花を散らした。
 真言は、そこに誰の姿をも見出せないのを知りつつも、あきらめのつかない心を深いため息と変えて吐き出した。
 ――――いるわけがない。いるはずがないのだ。
 小さなかぶりを振って、真言は静かに立ち上がる。空になった弁当箱を手近にあったゴミ箱に投じ、静寂に包まれたままの公園を後にしようとした――矢先。
 小さな鈴の音が、真言の耳をさわりと撫ぜた。
 今度は、決して気のせいではない。――そう、決して。
 立ち止まり、振り向こうとして後ろを見ようとした、その時。真言の目は、何者かの手によってふわりと覆われてしまったのだった。
「立藤……?」
 覆われた視界の中で、覚えのある香が鼻先をくすぐる。
 桜が、ふつりふつりと風に舞う音すらも聴こえてきそうな静けさの中、ふと、聞き慣れた声が耳を撫でた。
「わっちの名を呼びんした?」
 やわらかな声音に、真言は束の間息を呑み、それから呑みこんだその息をふと吐き出しながら、その声の主の名を口にした。
「立藤」
 今度は、問いかけではない。
 名を呼ばれた女は、真言の目を覆っていた手をゆるゆると下ろして目を細ませる。
「ぬし様の声が聴こえんした」
「……久し振りだな」
 振り向いて立藤の顔を確かめる。立藤の顔は、夜の闇の中にあっても、その艶を褪めたものとしていない。むしろ夜の闇の内にあればこそ、彼女のその色は香り立つものとなるのかもしれない。
 ――――まるで、夜の桜のようだ。
 そんな事を思いながら、真言もまた目を細めて立藤を見下ろす。
「四つ辻じゃなくても来れるんだな」
 ぽつりと落とした真言に、立藤は艶然とした笑みを浮かべて首をかしげた。その所作に合わせ、小さな鈴の音が夜を静かに揺らす。
「ここは、確かに四つ辻でも廓でもありんせんが……」
 首をかしげて笑みを浮かべたまま、立藤は視線だけを動かして公園の周りを確かめた。
「現し世に来るのは久々でありんすえ」
 そう続けて、動かしていた視線を再び真言へと向けて、はたりと止める。
「こっちにも来れるのか。……来れないのかと思ってた」
「わっちどもは夜に跋扈する魍魎でありんすえ。夜とあらば、出向けぬ場所などありんせんわいな」
 真言の言葉に、立藤は鈴の音を振るわせて笑った。
「……そうか」
 立藤を見ていた視線を、ゆっくりと頭上に向けて移す。――三日月が、ぼうやりとした灯を放っていた。
「現し世の花を見るのも久々でありんす。……もう春でありんすねえ」
 月を見上げた真言の横で、立藤はふつりと歩みを進める。
「立藤」
 気付けば、咄嗟に出た言葉と腕が、立藤の手を捉えていた。
 立藤は真言が見せた動作に、ほんのわずか、驚きを滲ませている。
「……悪い」
 捉えていた手を離して、真言は所在なさげに視線を移ろわせた。
「……もう、帰ってしまうのかと」
 真言が呟くようにそう告げると、立藤はゆったりと目を細めてかぶりを振った。
「わっちは現し世に属する者ではありんせん」
「それは分かっている」
「夜の内に四つ辻に戻らねばなりんせん」
「それも分かっている」
 立藤の言葉に、真言は小さな頷きを見せつつも、しかし、ゆっくりとかぶりを振ってもいる。
「夜に花を見れば、おまえを思い出す。――今頃どうしているのかと、考えてしまう」
 言葉を続けつつ、真っ直ぐに立藤の目を見据えた。立藤は静かな笑みをたたえたまま、やはり真っ直ぐに真言を見上げている。
 ――と、公園の脇の道を、車が通り過ぎていった。街灯の明かりしかなかった公園が、ヘッドライトが束の間照らし出される。
「わっちもぬし様を思うておりんす」
 立藤の声が真言の耳をさわりと撫でた。
「触れ合えずとも、わっちの心はぬし様の中にありんすえ」
 言いつつ、立藤は扇を手にしてゆっくりと開く。
「立藤、俺は」
 真言が言葉を告げようとした時、扇が真言の口を塞いだ。
「現し世は、少ぉしばかり、無粋なものが多くありんすね」
 そう放った後、立藤は扇を公園の脇に向けてひらりと揺らした。公園を囲む家々が、一斉に姿を消した。 
「少ぉしだけ、まじないをかけてみんした」
 鈴の音を振って立藤が笑う。
「これで、わっちが四つ辻に帰るまでの間、ここはぬし様とわっちだけの場所でありんすえ」
「……立藤」
「言葉は無粋なばかりでありんしょう」
 言いかけた言葉は、今度は立藤の指によって制された。
「見事な桜でありんすえ。――杯もなにもありんせんが、ぬし様と二人、夜の桜を愛でるのも良いものでありんしょう」
 真言の唇に指をあてて、立藤はふわりと微笑んだ。

 風が吹いて、桜がはらはらと夜を舞う。
 
 真言はしばし立藤の顔を見やった後に、ふと、かすかに頬を緩め、頷いた。
「そうだな。――今日は月も綺麗だ」


 ―― 了 ――
 
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東京怪談
2006年05月09日

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