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『さかさまさくら 』
セレスティ・カーニンガム1883

■ 夢

 女は男の側でゆらりとまどろみの中に居るかの如く結わえられた黒髪もそのままに、そのまだ成長しきれていない肩に身を寄せる。
「ねぇ貴方様、この櫻が散ってしまわれたならばわたくしは貴方様のもとから去らねばならぬのでしょうか?」
 暗く、一つ先の景色さえ見えぬ二人の辺りを囲むのは舞い散るように下から上へと花弁を重ねる白い色。
「櫻? よく言ったものですね。 いいえ、僕は貴女の側を離れはしない」
 乱反射する花弁の色はけれど青年の胸元程しか照らしてはくれず、女の煌びやかな花模様の着物だけがぎらぎらとその場にそぐわずに光る。
「そうだ、今度簪を買って差し上げよう。 貴女の言う櫻の簪を」
 いりませぬ貴方様さえ居てくださるならば、と。そう言って漆黒の瞳を逸らす女の言葉はどこか寂しげで甘く気品さすら漂わせて青年の心に突き刺さるがそれで彼の気持ちが抑えられる事は無く。
「いいえ、僕は…」

 たゆたう、逆さまに舞い散る櫻。青年が握る女の手は白く、細く今にも壊れてしまいそうだったがとても熱く、静かに光に包まれていく光景はまるで映画のワンシーンのようであり何処か儚げであった。

 僕は―――。

 『どれだけ待っても愛しの貴女は来てはくれないのだね』

 声が聞こえた。
 それは本当に目覚める瞬間に、ただ目覚めたとも思えないまだ夢の中に居るように。
 女には女の、男には男の声が聞こえたのだ。

『どうして貴女は来なかった…?』
 ただの朝、少しだけ寝坊をして今日は何をしようと思い部下が丁寧に書き記した表を見れば日曜、する事と言えば今日の所はとりあえずそれ程無いかもしれない。いつもはそれだけだった筈なのに、心が軋むように痛い。
「―――…?」
 そういえば自分は昨日何をしていただろう、財閥管理の指示や今月今後の方針の提示の後、疲れでいつの間にか眠ってしまったのだろうか。けれども、それにしても何故簪などを持っているのだろう。

 夢に見た、色褪せた逆さまの櫻と簪。
 どうして良いかわからずに思考回路を彷徨えば、ただふと心に何かの溝を見つけた。


■ 夢の中の日常


「おかしい…ですね…」
 昼間に目が覚めて第一声はその一言だけである。
 夢の中とはいえ鮮明に見た男と女の会話、そして目も眩む程あの二人の居る、下から広がる櫻に目を奪われていたというのに起きてみれば何の事は無い、いつもの広く、そして報告書や目覚めた時にと部下が用意した本日の洋服が一揃え、黒い革張りの車椅子の上に置かれていて。
 変わった事と言えば櫻の形を模した平簪がセレスティ・カーニンガムの手の中で静かにしている位なのだ。
「簪など購入したでしょうか…?」
 セレスティの身につけている物は紛れも無く寝台に上がる時に着用するものであり、何も寝ぼけて手にした記憶は一度も無い。
(それとも…あの夢の…)
 天蓋のついた寝台から足を出し、簪を側に置きながら襟の裾が淡く揺れるシャツを羽織る。本来ならこれもメイドなり部下にやらせる事が出来る筈なのだが流石に子供ではないのだからと大抵の服は自分で着た。

 兎も角、未だに夢の中を彷徨っている意識はとうに覚醒している筈だというのに、簪のせいかけれど夢に見たものは女との会話と華美な着物、そして逆さまに光る花弁と。
『そうだ、今度簪を買って差し上げよう。 貴女の言う櫻の簪を』
 男の声、まるで自分が男に乗り移ってしまったかのような錯覚を覚える程近い女の白く艶やかな顔との距離や何より男の顔が見えなかった事が酷く気にかかる。

「現実にあの場所があるのでしょうか…」
 夢では簪を買う、とだけの約束であり簪自体は目にしていない。だからこの簪が夢の簪か断定とは程遠かったが矢張り気になったしまうのは日頃の好奇心のせいか、それとも。
(夢の中とはいえ私の心はただ一つです)
 ふ、と目を細めれば心に残したい者が居る。
 夢だけ、夢の呪縛、だからしょうがないなどと軽く考えられないのだ。何より簪が夢の人物の物であるなら尚更、夢の中の女に渡すべきであるだろうしセレスティの近くに置いてよい物ではない。
「年代物ではあるようですが保存状態は…かなりの物ですね」
 姿見の鏡から着替えを終えて車椅子に腰を下ろす。
 寝台の上から簪を取り上げ、くるくると回してみれば平かん以外は木材で出来たものであり櫻の部分のささくれだった色から察するに年代物、だというのに殆ど使用されていないような、日に当たっていない木材はまだ使用できるかの如くしっかりと木目を覗かせている。

「まずは作者と材質ですね」
 いつの間にかいつもの『不思議な事件』の時のように自然と車椅子に取り付けられた携帯電話を取り、財閥お抱えの鑑定士を依頼してもう一度簪自体を見つめた。
「貴方は一体何処から来たのです?」
 まるで物に話す言葉とは思えない程穏やかで、そしてゆっくりと言葉を紡ぐセレスティは確かにその簪の木の部分。昔は一つの生きる物の一つとして水を通していた部分に語りかける。

 セレスティの力で見えるものは瞼を重くさせながら冷たく暗い水の底、草むらと枯れた木の景色が流れるようにして青眼の瞳の中を通っていく。
 ただ、一つも見ることが出来ないのは夢で見た女の顔か、紅を塗った唇や二重の均一の取れた漆黒の瞳は闇となって現れるものの、それは彼女ではなく闇。
(どうやら渡し損ねたようですね…)
 女の微笑む顔も無ければ男が渡したという記憶すらこの簪は残しては居ない。
 冷たい闇に閉ざされた場所でずっと、まるで持ち主を探すように流れる景色と簪ではない頃、どこか暖かい場所でその形を作られたという事が脳裏にしっかりと焼きついてくる。
「セレスティ様、お呼びでしょうか?」
「ああ、はい。 どうぞ」
 美術品を趣味とするセレスティにとって鑑定士との付き合いはかかせなく、屋敷にお抱えで居るというのは便利で良い。
「急に呼び出してしまって申し訳御座いません。 実はこの簪なのですが…」
「呼び出しは構いませんが…簪…ですか?」
 美術品と言えば大抵好むのは西洋の物であり、なかなか主から出ない単語に多少の戸惑いを感じながら鑑定士はその細い指と同じように細く、そして繊細な櫻の簪を手に取り、二、三度その細部を覗くようにして目を凝らした。
「何かわからないでしょうか? 年代、作者…あまりこの手の物は持たなかったので少し判断しかねていたのです」
 刀等の少し大きめの物ならば目にはつくが贈り物では無い限り男性であるセレスティがそれ程身を飾る物を欲する事は少ない。勿論、ある時はあるのだが。
「これは江戸時代末期かそのあたりの品ですね。 平かんは当時にしてはそれなりの物を使っているようですがこの木の部分…」
 鑑定士の指が滑るように木目をなぞる。
「木が、どうかしたのですか?」
「ええ、これは手作り品と古い平かんを使用した…今で言うリサイクル品です。 高い物もこうしてしまえば多少は安くなったでしょうから作者うんぬんよりも作った人の生活水準があまり高くなかった事しか分からないのです」
 あまり役に立たなくて申し訳ないとでも言うように鑑定士はセレスティの手に簪を返し、許しを得て部屋を去ろうと一度礼をした。が。

「申し訳御座いません、戻りのついでに車を出す手配をして下さい」
「どちらかへお出かけですか?」
 ぴたりと主の私室の扉前で止まった鑑定士が首を傾げる。
「ええ、少し調べたい事があるので。 …そうですね、アトラスの碇さんを尋ねてみようかと思っているので」
 怪奇事件、と決まったわけではないにせよその手だという線を辿るなら資料の多い場所であろう。日曜というのが気にはなるがよく通う興信所のように機械の歯車の如く動く様は悪いがあまり変わらない。
「了解致しました。 セレスティ様はメイドにお迎えに…」
「構いませんよ、ゆっくり行くのでその間に車の方、宜しくお願い致します」
 セレスティの事を思っての行動である事はわかっているが、いつも屋敷の住人は主思い過ぎる時がある。そう、思えるのは幸せの証なのだろうと口元に苦い笑みを浮かべながら膝に簪、手を電動で動く車椅子に添えて屋敷の中を本当に静かに、時の流れのように行く。
(この分ですと骨董屋を行き来した感じはありませんし…水の流れに連なって来たのでしょうか…)
 階段を自動で降り、廊下を行けば何故だか膝の上の簪がこうしてゆっくりと水の、いや夢の狭間から流れ着いた物なのだろうかそんなとりとめの無い事ばかりを考えてしまう。

「セレスティ様、お待ちしておりました」
「ああ、仕事が速いですね。 有難う御座います」
 玄関に出ればすぐに見送りの使用人達が頭を下げており、その中を進んで外に行けば車椅子ごと乗り込む事の出来るかなり試行錯誤が施されたリムジンに到達した。
「それではセレスティ様、アトラス編集部の方で宜しいのですか?」
「はい。 先方には…」
「了解しております。 アポイントは取っておりますので」
 屋敷の門が開き、リムジンの後方に控える使用人達の出かけの挨拶を耳にしながら、興味の惹かれる事を調べるいつものように車道に飛び出す。
「逆さ櫻…不思議なものです…」
「逆さ…ですか?」
 ふいに出た言葉が運転手の耳に入ったのか、硝子越しの向こうから問いかけるようにして呟かれた後、すみませんという言葉と共に口は閉じられる。
「構いません。 夢で見たのですよ、逆さまに…天に舞い散る櫻の花弁を」
 儚げだと、櫻の散る様を人はよくそう言うものだが地ではなく天に舞い上がる花弁は儚いという考えよりも幻想的だ。
「それは本当に櫻なのですか?」
「…そう、だと思いますが…」
 果たして、確かめるまではわかりはしないが確かにあの夢の中で女は櫻という名詞を口にしていた。が、そういえば男はなんと言ったのか。
「良く言ったもの。 ですか…」
「は?」
 なんでもありません、そう静かに告げるセレスティの考えに何か答えは見つかったのだろうか。リムジンは街道を順調に進みアトラス編集部のあるビルまで着くと運転手の静かな合図によって主の座る後方席のドアが開いた。


■ 刑場の君


 休日、それは人々に等しく休息を与える筈の取り決めではある。あるが、それが守られていない、守れない職業や立場もあるのだ。
「連絡は入ってるわ、今日は随分人が少ないけれど入って頂戴」
「仕事中に申し訳御座いません」
 アトラス編集部、碇・麗香のディスクに山積みになったオカルト類の情報量は悲しいかな、彼女の休日の全てを食いつぶそうと日々増える一方である。
「さんしたクンが使い物になればこの半分は消えると思うのよねぇ…。 ―――と、それはいいとして。 それで、ご用件は何かしら?」
 半分消えたところで休みが取れるとも分かりはしないが、とりあえずディスク前の応接用ソファに腰を下ろし、セレスティを目の前にして麗香は何か記事になる事件があったのかと瞳の奥に光を宿す。
「逆さに咲く櫻…。 碇さんはそんな櫻か、伝承をご存知ですか?」
「さかさ…櫻?」
 どちらも整ってはいるが麗香の眉はどちらかというと少しきついカーブをしてい、それが顰められるとどうしても怖い印象を与えてしまう。
「読んで字の如く、逆さまに…下から花弁が舞う櫻の事です。 何か伝承、無くても男女の悲恋話などはありませんてせしょうか?」
 渡し損ねた簪に男女二人の逢引の夢。それらを的確に理解するにはその二つのキーワードよりは逆さに舞う櫻の話をした方がより効率的だ。
 なにせ古今東西、男女の悲恋からオカルト系列の話になった事例など腐るほどあるのだから。
「逆さに咲く櫻は…流石に分からないけれど…」
「そうですか…」
 来る途中、疑問を投げかけた運転手も何か理解しがたいと言わんばかりに言葉を濁らせていたのだ、もしかしたら何かの見間違い、もしや今もまだ夢の中に居るような奇妙な感覚に囚われる。

「けれど、そうね。 去年刑場の特集を組もうとした時に調べきれなかった中に似たような文章を見つけた事はあるわ」
 麗香の言葉にセレスティの憂いを含んだ瞳が上げられた。
「刑場…処刑所の事ですか…」
「ええ、まぁそういう所にそんな話はつきものでしょう? だから徹底的に…と思ったのだけれど」
 見て頂戴、とばかりに出された紙は随分と古く、何より文字が殆ど欠けていて例え読める者が居たとしても虫食いや破れの激しさに頭を痛くしてしまうだろう、一通の手紙らしきものがソファの間にある机の上に広げられる。
「殆ど読めませんね…ですがこれは…『逆さ桜』ですか」
「そう、刑場で処刑された人を調べている時に出た一つなんだけれどね、それ以上の物は出なかったし他に面白い記事も出来そうだったから放っておいたんだけどウチの女記者達が凄く騒いでたのよ。 ―――刑場の君って」
 自らも女だというのに随分と他人事のように言う麗香はもう一枚、今度は最初に出された紙の読める所だけを現代の言葉で読んだ訳の記されたものを渡す。

『櫻と…の言う逆さ櫻の間にて……簪…』
「櫻と逆さ櫻ですか? 確かに今調べたいものと一致してはおりますが」
 夢に櫻、人の上から花弁を散らす櫻は出てきただろうか。
 ぼんやりとあの男女を照らしたのはごく普通の櫻ではなく、間違いなく下から舞う花弁だった筈だ。
「そうなのよ、この手紙の意味する事は多分心中の失敗だと思うのだけど、ただの失敗だけならこんな手紙より女の方が何か言ってきそうなものなのだけれど…」
 心中。この時代想いを遂げられなかった者の終着駅とも言えるものであるが実際は死が終着駅などではなく、待っているのはただの生き地獄が多く。
「確かに、心中に失敗するとなれば生きているのは遊女に出される女性…男性からの手紙は無い筈ですね…」
 ええ、と一度頷いてどこかぼんやりと、視点の定まらない視線で手紙を見やり言葉を紡ぐ。
「けれどこの手紙は男性から女性への物。 それで女の子達が騒いでいたのだけど結局この男が言っている簪も無いから別の件に移った…ってワケ」
 肩を落としてひょいと投げるようにして手紙をテーブルに戻した碇の髪は、少し乱れてはいるがしっかりと結わえられている。
「碇さん」
「? どうしたの?」
「もう少しこう、頭を下げて…」
 麗香の話を一通り聞いた後セレスティは亀が首を引っ込めるようにして首を下げてみせた。
 勿論、自分ではなく相手である麗香に頼むようにして自分がやって見せただけであり、丁度自分の手が届く位置まで来ると今まで胸ポケットに仕舞っていた櫻の平簪を麗香の結われた髪に差し込んでみる。
「ちょっ、セレスティさん! これ、何処で!?」
 ここで男性に飾り物をつけてもらった事を喜ばずに雑誌のネタの手がかりだけを追うのが麗香らしい、髪に差し込まれる寸前に見た簪の形を見、その瞳を見開いた彼女はある意味今日一番輝いているだろう。
「ふむ、何も起こりませんね…」
「起こる、起こらないって…。 いや、どうでもいいわ! それよりもこの簪!」
 自分の髪は結っていなく、今入った情報からもそれ程悪い事はなかろうと麗香の髪に簪を挿してみたが結局は何も起こらずただ色の褪せた櫻がちろちろと輝くばかり。
「ネタにできる程まだ情報も集まっていませんよ」
「…本当?」
「ええ、実際、この簪と今のお話が合っていたとして逆さの櫻の意味がわかりません」
 確かに、セレスティの言う事は半分本当だが半分は嘘だ。
 昔にあった出来事とはいえ悲恋、悲劇をあまり記事にする事は少々気が引けるし何よりもこの簪に頼られているのならば解決は自らしたい。
「逆さの櫻ね…。 確かに、櫻と逆さの櫻の間…、近くに普通の櫻があればその付近…そういう事になると思うのだけれどこればっかりは…無理ね」
 麗香のため息がふう、と辺りのデータの山に消えていく。
(矢張り、もう一度あの夢の中に行くべきでしょうか…)
 手渡す事を許されなかった簪を今度は渡すだけでもしてやりたい。
 得た情報は普通の櫻の近くに冷たい水、枯れた木と確実では無いものの見ればそうとわかるものばかりだ。

「すみません、お仕事中にお邪魔致しました。 ―――そろそろ用事があるので」
「そう、何か記事になる事があればいつでも来てくださいな」
 セレスティの身に降りかかったのだからなんとしてもあの逆さま櫻を見つけなければならない。そう、判断して背を向ければ麗香らしい挨拶をされ苦笑とともに了解の意を示す。
 この事件に関しては恐らく、一人だけの秘密にしてしまいそうだけれども。


■ 季節の先で会いましょう


 行動を起す時に確実という言葉は殆ど存在しない。
 確かに、自らが占い師という生業をしている為か方針、方向そういった物を道しるべにする事は出来る。が、それは未来の一つであり確実ではないのだ。
「明日の昼までは一人にしてください」
 そう使用人に言い聞かせ向かったのは寝室の寝台の上、服装はそのままに手に持った簪を胸に当て静かな空気に身を任せ、眠る体勢に入る。
(これで、持って行ければ良いのですが…)
 夢の中へもう一度、この簪を。
 そうして全てが解決したならば今度は自らの大切にもう一度大切と言いたい。例え夢であっても、簪を今持っているのはあの約束をした男ではなくセレスティ自身なのだから、なんとも複雑だ。

『あの女(ひと)に会えば喜んでくれるだろうか? この簪を渡して…。 それともあの女(ひと)は泣いているだろうか? 僕の手紙を読んで…』

 意識が拡散していく中、セレスティの脳内でまるで自分がまたあの男になっていくように浮き立ったような、けれどどこかあの着物の女に会うのが怖いような、そんな気さえ沸きあがり自らの意識をしっかりと保つにはかなりの自我が要った。今までに会った者、一番忘れたくない者を胸に眠りに落ちる事でセレスティはセレスティ自身で居られたし、何より男の心を知ったまま夢の中に降り立つ事が出来たようで。
「歩ける…のですか?」
 眠る前、まだ夕方になりかけの空と清々しい温度だった筈の空気が重く、寧ろ蒸し暑い。
 そんな中、自らの顔は見えずともセレスティの意識は一人の日本人青年の身体に一度入ってしまっているようで、みすぼらしいがそれでもしっかりと着込んだ着物と手に持った簪は夢の世界の前に見たそれよりも随分と光り輝いて見えた。

「おい、あっちで物音がしなかったか!?」

 コンクリートという言葉すら思い出させないような土と石ころが目立つ、何処かの屋敷の壁に手をついていたセレスティは背後の曲がり角から聞こえる声に肩をびくつかせる。
(確か…刑場で処刑された人物が男性…ならば…)
 自分は今追われている立場でここに居るのだ。そう直感して声とは逆へと足を向ける。眠る前の本当の自分の身体と違い水の流れも纏った不思議な雰囲気も無かったがただ、走れるという事だけが死と生の狭間にいるにも関わらず何故か気持ち浮き立ったように先へ、先へとセレスティを運ぶ。
「こっちだ! 今、こっちで音がした!」
(しつこいですね…)
 折角立って歩けるといういつもより面白い時間になりそうであったのに、夢の中でも時間は刻々と迫っているらしく、ろくに灯りも無い中、月と星の光を頼りに蝶のようにふわりふわりと走っていく。
(流石に息が…切れます…このままでは…―――)
 時期に見つかって刑場へ連れて行かれ処刑の道を辿るだろう。
 けれどそんな風に簡単に消えてはたまらない、夢に入る前に見た情報ではセレスティの意識の入っている器である男は女に心中を申し込み、そして一人刑場で死んだ。
(どうにか櫻の下に…!)
 能力で読んだ情報に冷たい水の雰囲気が焼き付いているのが気になるが、女が櫻の下に居る事だけは多分間違いない。今の自分に走る以外の能力は皆無、この前の運命を変えられれば別だったのかもしれないが今は今、悪夢と化しつつあるこの場から逃げ切らねばならなく。吐き出す息が肺に上手く回らなくなり、脳のセレスティではない部分が痺れたその時。

「花弁…?」

 ふわり、と舞う。夢の逆さ花弁。
 それはまるで夜空の星の如く、微かな光を持って灯りの少ない道を静かに何枚も舞い散る事によってセレスティの行く先を照らしている。
「いえ…これは…―――!」
 声が枯れている。何より自分の物ではない穏やかではあるがどこか少年の混じった声と共に息を呑む。
 同時に、まるで生気が戻ってきたかのようにもっと先へ、花弁の方へと歩む足は速く、周りの景色が櫻の花弁―――蛍になるまで走り続けた。
「櫻と逆さ櫻の間…この事だったのですか…!」
 小川の流れる音は聞こえても小川は見えず、代わりに闇と蛍の光が天へ舞っているその地には確かに、一度は咲いたであろう櫻の木と、その花弁に喩えるに相応しい蛍の大群が広がっている。
『櫻? よく言ったものですね』
 男は確かにそう言った。よく蛍を櫻に喩えたものだと、そして思ったのだこの逆さ櫻と櫻の君に簪と、そして叶わぬ恋の結末として心中の決意をした事を。
(けれど女性は来なかった…けれど…)
 言葉にすれば追ってくる誰かに気付かれてしまう。セレスティは荒い息のまま、逆さ櫻を掻き分けて本来の櫻の木下に辿り着く。
(冷たい…―――そうですね)
 今は人の身、水を冷たいと思うのは当たり前の事であり、けれど、セレスティには初めての経験である。
 もっと、時間があればもっと経験していたい事ではあるが如何せん時間が無い、櫻の木の根元は殆ど小川の中へと引きずり込まれるようにしてあり。そして。

「貴方…様?」
 水分を含む質素な布がセレスティの足元でじわじわと小川の水を食している。その下、本当に足元の凝らしてしか見えない場所に女はうつ伏せに横たわっていた。
「大丈夫ですか? …怪我が…」
 背中に一刀両断にされた傷が女の着物を引き裂き、そこからどす黒い水を放ち消えていく。
「申し訳…のうございます…。 貴方様が来る以前…かねてより反対されておりました父上に…」
「もういいですから。 喋らないで…」
 女は生気の無い顔でありったけの空気を吸いながらそのつど言葉にして会えなかった理由を口にする。
 男共に逝きたかった事、身分違いと言われ続けた父からの反対。そして最後には家名を汚す無かれとここで討ち捨てられたのだ。
 そう、女のその漆黒がもう既に離れかけている瞳にはセレスティはセレスティではなく、彼女の言う恋人の顔に映っているのだから、どう答えて良いか分からずにただ櫻を模した簪を助け起した女の胸元に添えてやる。
「貴方様…わたくしは…もう……この世から居なくなってしまうのですね」
 遠くなっていく意識の中、女はただ見た目が愛した男の姿であるセレスティに問う。
「…居なくなってしまっても…この櫻が咲く頃にまた会えますよ」
 会うのはきっと、本物のセレスティであり、今身体を借りているだけの男は刑場で死ぬ。それを知ってか知らずか、女の唇は紅がとれかかりあまり見れない容姿となってはいたが何故か口元に笑みを浮かべ。

『季節が変わっても、春には木の櫻が…夏には蛍の逆さ櫻が…わたくしと貴方様の架け橋となって下さる…』

『そうでしょう? 櫻の君?』

 遠くで男の、セレスティが一度は入った身体の持ち主を発見したという声が聞こえ、大勢の足音と笛の音が聞こえてくる。
(知って…おられたのですね…)
 夢から覚める時、いつもこんな風に静かで夢で夢を見るような感覚に陥るものだろうか。
 男の身体からセレスティの意識が離れ、逆さ櫻の花弁のように天へ舞う、その眼下。男が自分という意識を取り戻したのか女の力無い身体を抱きしめている。
 この後、きっと女を殺したという冤罪である抜け殻を着せられ、無言のまま消えていくであろう命を見下ろしたまま。

(会いたいと思ってくださるのなら…)
 女の会いたがった『貴方様』ではなく、セレスティという一人として会いたいと願ってくれるのならば。
(いつかお会いできますよ、今度は…―――)
 あの女性の恋人ではないけれど、別の幸せの形と共に。こういう未来もあるのだと伝えられるだろう。


■ 櫻の君


 目が覚める。
 そんな感覚があるのは当たり前だが、リンスター財閥の総帥であるセレスティ・カーニンガムには朝起きるという習慣があまり無い。
「…―――ん」
 普段着のまま寝台に投げ出された身体を捩ると今、現在が朝であると告げる少し肌寒い風と新しい一日を告げる香りにまだ眠っていようか、それとも夢に急ぐあまりろくに出来なかった食事を頼もうかとまどろんだ意識の下で考える。

 春のある月曜日に、平簪の平かんだけを放り出すようにして同じ寝台に寝かせながら、櫻の君はその蒼い瞳を天の空のように静かに花開かせたのだった。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

こんばんは、矢張りこんばんはの時間に後書きを残しております。
新米、はそろそろ言い飽きたので枯葉マークが似合うかもしれないライターの唄です。
今回、わたくしめとしては始めてのイベントノベルにご参加、誠に有難う御座いました!
納期がもうもうこれを書いている時期で間に合わないと、一枠しか取れずにも関わらずで色々と勉強に、そして書きたかったテーマを含めて書けてとても楽しかったです。
東京はこの時期既に暖かくなっているだろう、という季節の移り変わりや櫻の発想、歴史は変わらないけれども簪を渡したという結果で変わった何か等、色々感じて頂ければ幸いです。

セレスティ・カーニンガム 様

いつも本当に有難う御座います!櫻の下には…という説は多々あれどそれが気味の悪い話ではなく、少し切なく暖かい話と見てくだされば幸いです。
また、情報を集める過程でアトラス等にも寄って頂きました。
シチュ的なもろもろを含ませつつ、イメージ等間違って居なければ幸いです。
誤字・脱字等も気にしておりますが、もしありましたら申し訳御座いません。
何か御座いましたらレターにて一報下さると嬉しいです。

それでは、また依頼なりシチュなりでお会い出来る事を説に願って。

唄 拝

PCゲームノベル・櫻ノ夢 -
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東京怪談
2006年05月01日

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