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『泡沫の夢より確かなもの。 』
高遠・弓弦0322)&ジェイド・グリーン(5324)


 皐月の始まりは、仄かな甘い香りで――。

 はらりはらり、と春風に舞うのは桜の花弁。それを台所の窓から確認しながら、エプロン姿の弓弦は冷やしておいた手製のレアチーズケーキの具合を確かめていた。
 今日は自分が今一番大切だと感じている人物の誕生日。来日してからは、恐らく初めてだと思われる彼の記念の日に、弓弦は朝から張り切って料理を作っているのだ。
 ちなみに、家主である彼女の姉は取材旅行で留守だ。出かける間際に彼女がピリピリとした空気を漂わせながら自分の身辺を心配していた姿を思い出し、弓弦は小さく微笑む。
 そうしているとオーブンのタイマーが、彼女を呼びつけた。
 遅れをとらないよう、パタパタと小走りにオーブンへと向かう弓弦。そうして一品、また一品と作り上げられていくメニューは全て、一人の同居人である彼――ジェイドが好きだと言っていたものばかりだ。
 つまりは、そのジェイドを祝うべく、弓弦は一人で台所を行き来しているのである。
 自分で後ろに纏めた銀糸が、ゆらり、と小さく揺れた。

 ――弓弦ちゃん、大好きだよ。

 脳裏で掠める、ジェイドの声。
 幾度も繰り返すその声音に、弓弦はふと手を止めた。
 いつでも笑顔で、自分の想いをぶつけてくるジェイド。そんな彼の本当に欲しいものは何なのだろうか。
「……私は…」
 ぽつ、と小さな口唇から漏れる言葉。
 その言葉をどう繋げていいのか解らずに、弓弦は再び口を閉じる。
 翡翠色の瞳が、自分へと求めているものは――。
「ゆーづるちゃん♪」
「……きゃっ」
 手を止めたままでぼんやりと考え事を繰り返していると、背後から影が現れ聞きなれた声が弓弦を包み込んできた。
 彼女はそれに驚き、小さな声を上げる。同時に跳ね上がるのは、自分の心の奥の鼓動。
 階上に居る筈のジェイドがいつの間にか、弓弦のいる台所まで足を運んできていたのだ。
「おはよう弓弦ちゃん、今日はいつもより早いね」
「おはようございます。……えっと、今日はジェイドさんのお誕生日ですから…」
「……あ、そうか! それでなんか良い匂いがするのか〜」
 弓弦を後ろから抱きしめる形でジェイドは彼女の手元を覗き込んでくる。
「…………」
 間近にある彼の表情は、いつもと変わりない。
 優しい鼓動と吐息を感じ取ると、弓弦は頬をうっすらと薄桃色に染めて視線と自分の手元へと戻した。
「あの、ですから……もう少しだけ、向こうで待っていてくださいますか?」
「うん、わかった。楽しみにしてるよ♪」
 弓弦の言葉を受けて、ジェイドはするりと彼女の首に絡めていた腕を解く。
 そしてにっこりと弓弦に笑いかけた後は、素直に台所を出て行った。
 ――広くて大きな、ジェイドの背中。
 軽く伸びをしながらリビングのソファへと向かうジェイドを見つめていた弓弦は、小さなため息を零す。
 いつもこんな風に、新鮮な驚きをくれるジェイド。
 よく考えてみれば与えてもらうばかりで、自分は何にも彼にお返しが出来ていないということに気がつく。
 そこまで気がついた弓弦は、驚きで強制的に閉じられてしまった先ほどの思考を呼び起こした。
 ジェイドが真に求めている『もの』、を。
 子供が大好きで、でも家族が居ない彼。
 もしかすると、本当に欲しいものは安住の場所――帰れる場なのかもしれない。

 ――私は彼の『帰れる場所』になれるだろうか。

 出来れば、そうなってあげたい。
 そして、自分も彼をこれからもずっと見続けていたい。太陽のような笑顔の彼も、知らない表情をする彼も、全て見守って――ずっと、一緒にいたい。
 弓弦は料理を作りながら、静かな思考をめぐらせ続けた。
 自分が出来ること。彼に与えてあげられるもの。その答えを出すために。
 そしてその答えは、目の前にある。
 この、今日という大切な日に、弓弦はジェイドに伝えようと決心するのだった。


 * * *


 真新しいテーブルクロスは、新緑の色に染められたものだった。それは、ジェイドのイメージに合わせて弓弦が用意したものの一つだ。
 テーブルの中心を飾るのは小さなバスケットに飾られたアレンジフラワー。春の花を寄せ集めたそれは、仄かに部屋の中の空気を優しく包み込む。
 祝福のムードは、それだけで充分に出来上がっていた。
「改めまして……お誕生日おめでとうございます、ジェイドさん」
「有り難う! 凄いなー弓弦ちゃん、こんなにたくさんの料理、全部俺の為に作ってくれたんだ?」
 瞳をキラキラと輝かせながら、ジェイドはテーブルの上に並べられた弓弦お手製の料理の数々を眺めて回る。
 そんな彼を幸せそうに見つめ、弓弦は小さく頷いてみせる。
「嬉しいなぁ、こんな風に祝ってもらうのって初めてかも! さっそく食べちゃってもいいかな?」
「どうぞ、遠慮なく」
「それじゃ、頂きまーす!」
 満面の笑みのジェイドを、弓弦も笑顔で見つめ返す。
 嬉しそうな表情。こんな些細な彼の表情も、忘れずにいようと彼女は心の中で小さく呟いた。
 過去、この心を駆け抜けていった存在があった。その度に軋む様な痛みがあり、弓弦は思い煩う事が度々あった。
 そうしているうちに、彼女は『恋愛』というもの自体が怖くなり本能で避けるようになっていった。
 まるで、心に堅く冷たい鍵をかけてしまったかのように。
 そんな中で出会ったのが彼、『ジェイド』という存在だ。

 ――こんな尻軽男に大切な妹を渡すわけにはいかない。

 何より自分のことを大切に、そして心配してくれている姉は、ジェイドの存在をなかなか認めようとはしてくれない。
 だが、弓弦は気がついてしまったのだ。
 凍り付いてしまった心の扉へと近づこうとしてくれている、ジェイドの暖かさを。
 それが、今の自分の大切な人なのだと。

 ――大好きだよ。

 ――はい、私も……大好きです。

「…………」
 ジェイドを目の前にしながら、弓弦は心の中で呟いた自分の言葉に瞠目した。
 言葉無く、弓弦はそっと胸に手を当てる。
 自分は決心したのだ。臆する事など、何も無い。
「弓弦ちゃん? どうかした?」
「あっ、いいえ……何でもありません」
 弓弦のわずかな変化にも、こうして気がついてくれるジェイド。
 今は弓弦自慢のチーズケーキを食べているところだった。
 ふわりとした弓弦の笑顔に安心したのか、『そう?』と言いながら彼はまたそのケーキへと視線を持っていく。
 フォークで器用に切り分け、嬉しそうに自分の口へとケーキを運ぶジェイドを見ながら、弓弦はひとつ、小さな深呼吸をした。
 ジェイドと弓弦の間に挟まれるかのようにして置かれているアレンジフラワーのかすみ草が、ちらちらと揺れていた。


 
 食後。
 弓弦はジェイドに贈りたいものがあると、彼を連れ出した。
 思い出になるようにと、台所の窓から見えていた桜の木の下へと誘ってみたのだ。
「ここの桜もそろそろ終りだね〜」
 ジェイドが花弁舞う桜の木を見上げながら、独り言のようにそう言った。
 弓弦もその花弁に視線をやりつつ、ジェイドの両手をそっと取る。
「……弓弦ちゃん?」
 直接伝わる暖かな体温。自分を包んでくれる大きな手。
 弓弦は彼の手を静かに自分の口元へと持っていた。
 ――直後。
 ジェイドの薬指の付け根に伝わってきたものは、弓弦の柔らかな口唇の感触。
 右手から、左手へと移るそれはまるで何かの儀式を思わせるかのような行動だった。
「…………」
 ジェイドも驚き、言葉をなくす。
 すると弓弦がゆっくりと顔を上げ、花のように優しい笑顔で可憐な口唇を開き言葉を紡ぎはじめる。
「……誓いの印し、です」
 その言葉の意味は、とてもとても深いもの。
 揺らぎの無い弓弦の瞳に、ジェイドは目を瞠る。
「貴方と、一緒に居たいのです。これから先も、ずっと――」
 巡る季節。
 桜が咲き、夏が来て。
 紅葉が色づき、やがて身の震える冬が訪れようとも。
 その先も繰り返し、繰り返し。
 幾度と無く訪れる四季の中を、二人で歩んでいけることを弓弦は願う。そして、その道には終りなど無いのだということを。
 薬指への口付けは、その誓いの顕れ。彼女の気持ちの全てだ。
 目に見える象徴(しるし)は、今はまだ贈る事が出来ないけれど――。
 神様にも近い存在と言える、大切なジェイドへ。
「貴方の誕生を、祝して……」
 弓弦はそう小さく呟いた後、驚きを隠せないままでいるジェイドへと一歩、歩み寄る。そして背伸びをして、彼女は彼の口元へも自分の口唇を近づけた。
 次の瞬間、そんな二人を祝福するかのように柔らかな風がふわりと舞った。
 はらはらと、重なった影へと降り積もるのは、風へと身を任せた桜の花弁たちだ。
「――弓弦ちゃん、ズルいよ。こういうのって、男が先にするもんだろ?」
 僅か、吐息と吐息がまだぶつかり合う距離で、ジェイドは口を開く。
 そして再び、弓弦の口唇を捕らえて、そのまま彼女を抱きしめた。
 雪のように降り注ぐ桜の花弁の中、二人は今どこまでも幸せの中にいる。
 これから先も、きっと。
「幸せになろう、二人で。これでもかーってくらい、倍返しで弓弦ちゃんを幸せにしてみせるから」
「……はい、ジェイドさん」
 弓弦を腕の中へと収めたまま、ジェイドは晴れやかな笑顔を彼女へと贈る。
 すると弓弦は嬉しそうに表情を綻ばせながら、彼の言葉に小さく頷いた。

 二人で歩む道は、今始まったばかり。
 そして、ジェイドの帰る場所は今、腕の中にある。
 作り上げるもの、与えていくもの。それは尽きることなく刻の流れに乗りながら、お互いの記憶に紡がれ、繋がれていくだろう。
 弓弦の淡くも揺るぎの無い誓いとともに、永遠に。



 -了-



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高遠・弓弦さま&ジェイド・グリーンさま

ライターの朱園です。
この度はお声がけ下さり有り難うございました。
お二人の記念となるノベルをお受けしたときは嬉しくもありながら、とても緊張してしまいました。
ご希望通りに仕上がっていますでしょうか…。
少しでも楽しんでいただけましたら、幸いに思います。

今回は本当に有り難うございました。

朱園ハルヒ
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
朱園ハルヒ クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年05月01日

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