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『ムゲンホウヨウ 』
神居・美籟5435)&柳月・流(4780)


 今年の春は雨が多かった。また冬の寒さも中々緩まず、キンと凍った冷風が卯月半ばとなっても東京のビル街を吹き抜ける日々が続いた。衣を改める目算が外れた家も、例年よりは多かったことだろう。
 その故、なのだろうか。今年は花の命が何時にもまして短かったように思う。この季節、それも一時期にしか咲き誇れぬ霞の花は、天の雫と冬の名残風に晒されて身をそそくさと散らせて逝った。自宅近くの桜並木を歩く度に、アスファルトの黒に落花した薄紅色を何度も目にした。敷き詰める様に降り落ち、また踏みしめられて消えていくまるで淡雪。
 なので、神居美籟は見当をつける。こうして吹雪と見紛う花嵐を眺めるのは、今日で最後なのかもしれないと。

 ──── それはまるで、雪の様な 。


+++++++++++++++++++  ++

 その日、柳月流は白い息をはあと吐き出しながら場違いの気まずさを味わっていた。
 年を一つ戻った、師走も暮間近──有り体に言えばつまり、クリスマス・イヴの午後のこと。とある女子高の校門に凭れて人待ち、と言ってしまえば簡単だが、妙齢の青年の姿をした流が、桐箱に入れられた乙女多く集う学び舎の前にいるというだけで、それは所謂一つの異邦人略して珍獣扱いだ。いや、こういう事態を想定していなかったわけじゃない、ちょっと気が引けるよなァとはちゃんと考えてきた。だが、ここまで見世物な気分になるとは正直、聞いてなかった。
「あー……どーすっかな」
 流はぽつりと呟く。そうしている間にも、(もう何人目かカウントを放棄した)女学生がちらちらと、好奇心半分恐れはちょっと大部分が桃色に染まった視線で流を眺めて行き過ぎる。この学校については所在地を調べる過程で幾らか情報を得ていて、曰く“幼稚舎から大学まで附設の名門私立女子校の高等部。俗に言う「お嬢様学校」”とのこと。うんだから怯えられるのは仕方ナイ、俺ってこういう格好だし? ちょっと目とか赤いし? でもさぁ、なんだろ、最近のオジョーサマっていうのはアレ……慎みより豪気なタイプが多いっていうのか?
 流は目の遣り場に困って(万が一誰かと目が会ったら何て声掛けられるか解ったもんじゃない!)視線を中空に彷徨わせる。見上げれば、冬特有の磨き上げた様な青空と分厚く灰色がかった雲の群。鼻の頭で感じる冷気が、もしかしたら今晩一雪来るかも知れないと匂わせて、ぶるり、身震いをする。
「何をしている」
 と、思考に意識を飛ばしていた流を女の声が引き戻した。ヤバ、と思ったのは一瞬。眼の前に立つ人物を認めて、「あっ」と嬉しい悲鳴を上げた。
「やっと来たなあんた! 待ってたぜ、えっと……カナイミライ!」
「……人を指差すな、失敬な奴だ」
 女学生は──美籟は、先日と同様硬質でぶっきらぼうとも取れる口調でそう言った。十代の少女が持つには、余りにも高貴過ぎて流麗過ぎるその輝石の様な雰囲気。藍色の瞳は相変わらず深い色を讃えており、その揺るぎ無い水面を目にして改めて、流は再会を喜んだ。
「あのさ、あんたのその制服、結構特徴あるデザインしてんじゃん? それで、悪いけど学校調べさせて貰って、今日終業式なんだろ? だからここで待ってれば会えるって思ってさ、だからつまり……待ってたんだあんたのこと」
 一息でまくし立てる流。美籟は感情の篭らない声で一言答える。そうか。
 その声音からは、嫌がられているのか、それとも自分と同様邂逅を噛み締めているかは判らなかったけれど、そういう細かい部分はさて置いて。流は、懐から小さな包みを取り出す。ほら、と差し出せば、上目遣いの訝しんだ目線。当然だろうと頷き、解説を加えた。
「あの時、空き地であんたが貸してくれた奴。ハンカチだよあんたの、ちゃんと、クリーニングに出しといた」
「……そうか」
 先刻と同じ、素気無い言葉を彼女は返した。しかし、受け取る様子は飽くまでも丁寧。その心持ち、都合よく解釈しても強ち間違いではないだろう。出会ったあの日から、彼女が感情を豊かに表現するタイプではないと心得ているのだ。だからこの態度で充分、いや最上級の対応に違いない。
 流は満足げに笑みを深める。些か手間を取ったが、わざわざここで足を運んで良かったと、そう素直に思った────までは良かったのだ、が。
「……どうした?」
「あ、いや、えっとさ……」
 瞬きで続きを促す美籟の向こう、いつの間にやら自分達をぐるり取り囲んでいるあれは何だ、ギャラリーとでも言えばいいのか。確かに、女子高の門前にそぐわなさ過ぎる自分とお嬢様ズの一員である美籟が会話をしている、そんな光景は帰宅途中の女子生徒たちには格好の注目対象になるだろう。ていうかなってる、今まさに!
「お、俺帰るわ、用事済んだし!」
「何を慌てている?」
 小首を傾ぐ美籟は自分達の置かれている状況にまるで気付いていないらしい。
「あーえーだからーんーと……ああもう、あんた、今から暇か!?」
「家路につく以外に取り立てて予定は無いが」
「じゃああんたも一緒に来い! 多分、そーした方がいい!」
 ぐい、と勢い美籟の手首を掴み、そのか細く白い腕をやや強引に引っ張った。彼女は一瞬瞠目し、しかし振り払うことはせずに足を踏み出す。周りから黄色い歓声が巻き起こったのはこの際無視して、美籟を先導しだした流は、くしゃっと綻ばせた(自然にそうなった)笑顔を彼女に向けた。
「折角のクリスマス・イブだ。遊びに行こうぜ?」

+++++++++++++++++++  ++


 散り急ぐ花に思わず目がいくようになったのは何時からか。多分、死に急ぐなと告げられた時からだろう。
 流の齢は外見を大きく裏切る、しかしその重ねた年月に今の所、明確な意味や意義を見出してはいない。幾度春が巡ろうがどれだけの人と擦れ違おうが、果ての無い命は只徒な時間を虚無に投げ込むだけだった。────そう、掛け替えの無い出逢いを経るまでは。
 一人、義姉と慕う女性と巡り逢った。今も彼女は自分の芯に在る、彼女を抜いて自分を語ることなど出来はしない。
 そしてまた一人、ほんの、流の生きてきた時間を鑑みればついこの間、出逢ったばかりの少女がいた。彼女を抜いて自分を語ることは、恐らく出来るだろう。しかし、この晩春を迎えた帝都の、雑踏の中を歩きながら流は思う。自分は今、彼女とのか細い絆を失う事に対して、強い愛惜の情を抱いている。そう、確信する。
 流はふと視線を上向けた。街路に植えられた桜の花弁が一枚、目の前を横切っていった。

 ──── それはまるで、雪みたいな 。


+++++++++++++++++++  ++

 見たことのある人影を校門で見つけ、声をかけたら半ば強引に攫われた。
 もしも主語が自分でなければ、この状況は時として成立し得る、それくらいは知識として美籟の中に在る。しかし反転、自分の身に起こることかと仮定するとその答えは「否」、稀にさえも有り得ないつまり、空言だ。
 なので美籟は流に手を引かれながら少々混乱していた。有るべきでなものが有る、それは一体如何な夢幻か。この現状は何なのか、自分は今何の故に賑々しい街の雑踏を掻き分け擦り抜け歩いているのか。喧騒と人混みとを避けてきた自分が、如何して、こうも付き合いを良くしているのか。
 ────わからない。だが、今自分を引く手を、その背中を追うことを、断ち切ってしまうのを自分は何処か(しかし確実に)拒否している。それだけは、解る。
「やっぱイヴだけあって、人の出がハンパねえなァ」
 前を行く流が聞かせるでもなく言った。その肩が道を作ってくれるから、彼に比すれば美籟は当然歩き易い。しかし斯くも忙しない人の往来は美籟にとっては激流にも等しく、また四方八方から渦の様に自分を取り巻いてくる“香”の奔流を処理し切れなくて。
 そんな困惑を流は美籟の歩調の乱れから察したのだろう、歩きながら首だけで振り返り、
「どっか店入るか、寒いしさ。あ、あそこ、あの店にしようぜ」

 流が見つけたのはデザート類を多く扱うカフェだった。硝子張りの店内はほぼ満席に等しかったが、運良く二人連れの客と入れ違いで席に案内された。奢る、という申し出を美籟は初め断ったが、その一覧に並ぶ種種の甘味に目を奪われ、いつしか話が「じゃそういうことに」なっていたらしい。心おきなく選んでくれと言う流に、美籟はメニュウの一つを指差した。
「これは何だ?」
「あ? あー、これは三人とか五人がかりで食べる……パフェっていうか、まあとにかくアイスとか生クリームとかフルーツにプリンとかさ、そういう甘いっぽいのが山盛りになってんだよ。俺とあんたと二人でもちょっと残るくらい……」
「理解した。これを頼むことにしよう」
「は?」
 美籟の所望で運ばれてきたのは、高さ約30cm強、胴回りは両手を開いただけでは足らない程の樽型、なビールジョッキに「これでもか!」と甘味が詰め込まれた、この店最大にして最強のパフェだった。唖然とする流の前で美籟はそれを臆することなく次々と口に運び、結局、流の加勢を一度も求めることなくその化け物パフェを一人で完食してしまった。
「馳走になった。……ところで、食後の緑茶は何時出てくる?」
 礼儀正しく手を合わせる美籟に、流は軽く眩暈を覚えた。
「……ホットのグリーンティ、追加な」

 店を出ても人の波は途切れておらず、むしろそのうねりと質量を増した様にも見える。徐々に太陽が傾いてきた冬の昼下がり、店内の暖房気温に慣れていたせいで室外の冷風は二人の身体をふるりと冷やした。
「寒いか? って、あんなパフェ一人で食べきれば当然だよな」
「外套を着ている。大した寒さではない」
「んーと、それじゃ、ちょっと運動しに行くか?」
 流はまた美籟の手を引き、勝手知ったる足取りで彼女をゲームセンターへと案内した。店内に入るや否や押し寄せる光と音の奔流、普段この手の遊技場とは縁の無い美籟は少々顔を顰める。大体この男、ずっと自分の手首を拘束し続けている。まるでそれが与えられた義務かの様な強さ、馴れ馴れしさ。美籟が学んできた作法に照らし合わせれば即ち無礼。────だがしかし、それを赦しているのは紛れも無く、自分。
「あんた、これ知ってるか?」
 と、流が一台のゲーム機を指した。手前に踏み台の様な平らな部分、そこに立って丁度面と向かう位置に映像を映し出しているテレビ画面の様なものが備え付けられている。一瞥して美籟は首を横に振った、見たことも無い。
「はは、さっすがオジョーサマって感じだよなァ。じゃあ俺が一回やって見せるから、そこで見学してるよーに」
「……承知した」
 流はコインを入れ、その機械を起動させた。途端画面が切り替わり、何やら騒がしくけばけばしく品の無い(美籟主観)音楽が耳を劈く音量で流れ始める。
「これはっ、と、こうやって、音楽に、よっ、合わせて踊る、ぃよしっ、ゲームなんだよっ」
「出来損なった盆踊りのような動きをするのだな」
「言って、えいっ、くれんじゃねえのっ!」
 ダムッ、と流が最後のステップを力強く叩きつける。やがて画面に「B」という評価が明示され、彼は視線で美籟の出番を促した。
「画面に矢印が出てたろ? それと同じ所を、画面のタイミングに合わせて踏むんだよ。簡単だよな?」
「理屈は簡単だな」
「やってみる?」
「…………」

 神居美籟、初体験の総合評価────「E」=最低ランク。

「あははっ! まァ最初はんなもんだよな! 気にすんなよ、大丈夫、あんたもちゃんと盆踊りだったぜ!」
「……香を聞き間違えたというのか、私が」

 神居美籟、リベンジの総合評価────やっぱり、「E」。(『出直しといで!』のコメント付き)

「ひゃはははははっ……ああ、ワリィ。うんでも、先刻よりは上手く出来てたんじゃねえ?」
「…………」
「あ、もしかしてまたやるつもりか? あー、だったら千円札壊さねえと百円玉切れたな。両替して来るわ」
「……待っている」
 両替機に走る流を見送り、美籟は再び画面をねめつけた。幼い頃より琴を嗜んできた身、また歌を愛唱する自分が、高々機械の節回しに圧倒されるなど如何にも納得がいかない。なのでこの視線は正当なる抗議だ、決して頭に血が上っている等という低俗な身勝手に因る情動ではない。冷静沈着を旨とする、神居家の護たる自分に限ってそんな馬鹿げた振る舞いをするはずが、ない。断じて、ない。
「……はずだ」
 ふ、と美籟は我に返る。そして自分が今立つ場所を──そのそぐわなさを認識する。

 私は何をしている。わからない、違う、考えられない。此処は余りにも何もかもが溢れかえっている。輪郭のあやふやなものが互いに溶け合い、くゆり、滲んで、広がって、それを聞き分けることが侭ならないほどに、自分の判断力を上回る程に、飽和し切っている。善悪・可否を選別できないこと、それは護たる美籟が最も恐れることだ。自分は常に正しくなければならない、そう求められ、それが為に生かされているのだから、そうでなければ自分の在る意味が──神居家に有る意義が無い。
 神居美籟。それが私の名。親のつけた名の前に、家の名前が来るのが私の名。神居美籟、それが私。
 美籟は踏み台から床へ下りた。彼はまだ帰って来ない。彼の名は何だっただろうか、そう、確か流。柳月流。彼を記憶から呼び起こす時、まず鮮やかに浮かび上がるのがあの目の紅だ。それに気付いて美籟は息を呑む、自分が、色彩を、人を香でなく色で以って覚えている。そんな、何故────まただ、わからない。

 ふるふる、と振った首。肩から胸元へ絹よりも艶やかな黒髪が零れ落ちる。感覚が鈍っている、否、惑っている。美籟は常に無い苦渋に顔を歪ませた。事実に理由がついてこない、それが何よりも苦しかった。
「あのサァ」
 と、背中から美籟にかけられた声があった。一瞬流かと思い振り返ったが、違った。三人連れの、恐らく美籟と同年代の少年達が不愉快そうな表情を隠しもせずにこちらを見ていた。
「待ってンだけど、替わってくんない?」
 内の一人、腕を組んだ長身がダミ声で言う。顎を上向けた様が明確に高圧的な意思を伝えてくる、その男。服装は流と良く似たもの、しかしその“香”は似ても似つかない。つまり実に────芳しくない。
 美籟は俯き加減だった面を凛と正し、姿勢を伸ばして彼らに向き直った。
「言葉を返すようだが、こちらも人を待っている最中だ。私は『待っている』と言った、その約束を違える訳にはいくまい」
「そンなのこっちの知ったこっちゃないって」
「いーからそこ退いてよ。彼氏待ってるとかちょっとウザイんだけど」
「喧しい」
 美籟は一刀の下に少年らの抗議を斬って捨てる。そして継いだ。
「不服そうだな……では、私の正当性を説明しよう」

 両替機に列が出来ていて思ったよりも時間を取られてしまった。流は小銭を抱え、足早に元の場所へ戻ろうとする。徐々に嫌な予感が沸き起こって来たのは最後の角を曲がる直前で、辿り着いた途端その(当たって欲しくなかった)予想が的中していたことを知った。
「……という訳で、この場合私がここで人を待つのは正しい。其方の立場を一応尊重したとしても、私がここを動く理由としては脆弱だ。以上、何か異論はあるか?」
 妙な騒がしさの人々が取り囲んでいるその中央。ゲーム機前で滔滔と演説大会を催していたらしい美籟の姿と、彼女に対峙されてげんなりしている少年三人を見て、流は一体何が起こっていたのかを瞬時に悟る。如何いう反応をするべきか迷いはしたが、ポカーンと口を開ける以外に顔の筋肉はリアクションをとってはくれなかった。
 そんな流を、説教を終了した美籟が見つけた。
「ああ、帰ったのか」
「……あー、うん……そー、なんだけど、さァ」
 その場にいた全員の視線が矢の如く集中した、ことに気付いたのは残念ながら流だけで。しかも内の三名からは、それはそれは怨念篭った熱視線を食らっていたわけで。先刻の校門の居心地悪さも相当だったが、今回のコレも中々如何して、耐えられるものではないというのが流の結論と相成った。
「……店出ねえ?」
「それこそ理由が無い」
「言い方変えるわ……頼む出よう、つか、出てクダサイ」

+++++++++++++++++++  ++


 あれは大変だったよな、と桜の樹下で追憶に浸っていた流は苦笑する。釈然としていない美籟を半ば拝み倒す格好で店外に連れ出し、その入り口で不意に、彼女に足を止められた。
 如何かしたのかと訊く自分に、何故か彼女は形の良い眉を寄せてこう言った。────私は、一体何をしているのだろう。
 先刻の凛々しい態度とは一変した、戸惑いを露にしたその表情。出逢って間もない流ですら気がついた、これは彼女にとってはイレギュラーな一面で、だからこそ彼女自身が一番困惑しているのだということに。
『迷惑だった?』
 彼女は一瞬だけ、本当に刹那、肩を震わせた。そして視線を逸らして呟く、違う、そうではない、多分、違う。
『……わからない』
 何がだ? 何がわからない?
『何故私がこうしているのか、その、理由が。こうだと選んだ、確固たる、根拠が』
 理由。基となるもの。それを求める気持ちを流は理解できた、だから簡単には返事が出来なかった。しかしすぐに気付いて、思い直す。
 なあ俺今、あんたの手首握ってるよな、それは嫌じゃない? だから振り払ったりしない?
『……そう、だと思う』
 じゃあ、それが理由でいーんじゃね? 今だけそれが理由で、そういうことにしようぜ、俺もするから、さ?
『そんな、』


+++++++++++++++++++  ++

 言いさした美籟は、そこで口篭った。彼の言葉は正しい、そう、“聞いて”しまったからだ。
 進むも退くも理由が無い、答に窮した美籟の手首から不意に流の五指が離れた。はっとしたのも束の間、彼は美籟の手を改めて取って今度はきちんと────繋ぐ。
 熱い、と美籟は思った。手が、火を噴いたのかと錯覚した。それ程の熱量が、二人の合わさった掌の間から満ちて、溢れた。
「あの時さ、またあんたに逢いたいって思った、だから逢いに来た。そんで今は、もうちょっと一緒にいたいなって思ってる。本当だ、信じていい。あんた色々大変だけど面白いよ……えっと、美籟?」
 みらい。一文字一文字がくっきりと鼓膜を打つ。美籟は、初めて自分の名を“聞いた”気がして瞠目した。煩わしき周囲の一切が遠退き、世界の中、自分と、彼と、彼が自分を呼ばう声だけが“在る”、そんな感覚。ながれ。知らず、美籟は彼の名を口に出す。音は彼の耳朶に届く、ん? と首を傾いだ彼の赤色が、美籟の深い藍色を覗き込む。うつくしい。過去に置き去りにしてきた言の葉が美籟の脳裏を刹那横切り、そして。
「……そう、しよう」

 ────そうして美籟は、流の手をそっと握り返した。

+++++++++++++++++++  ++


 それから、カラオケとかいう所に連れて行かれたのだったな。桜並木の下を通りながら、下校途中の美籟は回想する。
 ゲームセンター同様美籟にとってはまるで異郷。歌を歌う所なんだよ、という流の言葉から美籟が想像出来たものと実際とは大きくかけ離れていて。個室のソファに座り、マイクを渡された時には、これを一体如何使用するのかと、酷く考え倦ねたものだ。

『じゃあいいよ、俺から歌う。これ本な、これで曲を選ぶ、番号入れる、で画面に出る』
『……少々煩過ぎないか』
『フツーだろこれくらい。はいこのタンバリン持って!』
『これは楽器か? 振るものなのか?』
『そうそ、わかってんじゃん。てなわけでパーカッションよろしくっ』
『パ……? よく理解していないかもしれないが、承知した』
『よーしじゃあまずクリスマスの定番ってことでっ』

 惜しげもなく舞い散る飛花を視界の端に映しながら、美籟は滑らかな足取りで道を行く。あの日の風よりずっと暖かな恵風が横を吹き抜け、切り揃えられた美籟の髪をさやさやと細かに揺らしていく。
 美籟は、ふと足を止めた。花が散る散る、降り満ちる。空には雲、澄み渡る空に白い曲線。

 あの後、店の外に出て二人が見上げたのは、鈍色の雲に所々覆われた茜空だった。日は傾き西の空が朱に染まる時刻。美籟よりも先に流がその意味に気付いて、一瞬、遠く彼方に視線を放り投げた後。
『もう、帰らなきゃいけねえんだよな?』
 美籟は下唇を軽く噛み(それは彼女自身が知ることのなかった程無意識に)、しかしこくりと首肯した。
『じゃあ、もう、お別れだな。あ、駅までは送ってくから』
 そう告げて流が手を伸べる、前に美籟は自身で掌を差し出していた。彼も相当驚いたようだが、誰よりも驚愕したのは美籟本人だ。空白に似た沈黙が二人の間に落ち、やがて破ったのは流の、笑い声だった。
『そーだよな、ああ、そうしようぜ』
 今一度繋がれた手、その温み。じわり、と皮膚に滲んでくるそう先刻にも感じた、熱。
 二人分の手の上に何か白いものが舞い降りたのはその時だった。同時に顔を上向ければ、天空より降り来る小さな花。風に紛れてひらひらと、少しずつ、段々と数を増やして街に、二人に注ぎ始めたあれは────。


「雪、の様だな」
 春の花を眺めて美籟は呟く。

「雪、みたいだな」
 春の花を眺めて流は呟く。


 また。
 別れ際に交わした言葉は、確かな日にちを決めない曖昧な約束だった。お互いのことを名程しか知れない二人には、それが精一杯だったとも言える。しかし────また。
 そんな儚い絆だけれど、こうして二人に邂逅を与えて呉れた。ならばこう予感を抱いたところで不自然はあるまい。

 ──── またいつか 、 必ず 、 逢える 。


 隔たった場所で、しかし同じ空の下で同じ想いを馳せた二人が。
 再びその指を絡め合うのは────“またいつか”、別のお話。


 了


PCシチュエーションノベル(ツイン) -
辻内弥里 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年04月25日

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