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『To the world such as these mysteriously reached 』
セレスティ・カーニンガム1883

『 さて次に述べたい話とは、これ等蒐集した中ではさして不可思議とも思えぬ小話。
  例えば庭の土くれを子供が掘り返した先に、埋まっているかの近しい異世界。
  なれど愛着のある土地の話ゆえ、此処に記して遺そうとは思う。        』


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 ──── 物好き。
 カウンターに肘を突いた店主・碧摩蓮は煙管の煙を吐き出しながらそう言った。商品を購ったばかりの客人に対してはあんまりな態度、重ねて物言い、しかし言われた当人──セレスティ・カーニンガムはくすりと笑って。
「ご同好の最たる方、貴女が今更何を仰います」
「好事家やってる年月が及ばないねえ」
「ふむ、ご尤も」
 口許に手を遣る優雅な所作、そして頷く。
 本日彼が、この不可思議さに値段をつける店で手に入れたのは、古めかしい一冊の本だった。その題名、『To the world such as these mysteriously reached』。──── “これ等不可思議極まる世界に”。
 一見して、まるで児戯の様な表題を、と思った。そしてぺらりぺらり、虫食いのある頁を幾らか繰って興味が湧いた。何分、永い悠久を気侭に生き大概のことは実行可能な地位と財力とを両手に持つ彼である、少しでも心傾けば、その麗しき指先が惹かれれば、何処へなりとも爪先を向けてみること吝かではない。
「どうだい、それはアンタの暇を潰してくれそうかい?」
 店主はカツン、煙管を灰皿に叩きつけて訊いた。
 本を胸に抱いた佳人は、やんわりと目を細めた。
「そうですね、有意義な時間を過ごせると……期待していますよ」


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『 其処は湖と緑とか交互に大地を彩り、鮮やかなグラディションを成す土地である。…………
  神に祝福され、様々な精霊によって潤されたその一角に、とある館が建つ様を想像して欲しい。
  その館は ──── …………     』


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 最近気に入っている紅茶を供させて、セレスティは自室にて先の書物を読んでいた。視力に不自由する彼は感覚で文字を追う。羅列されたアルファベットが織り成すのは、まるで物語かの個人の随筆いや記録。筆者が見聞した世界各地の“不可思議な”出来事、景観また建築物に植物動物果ては人物に至るまでの諸々が、筆と知識とに任せて延々と紡がれている。文章は、仮に小説なのだとしたらお世辞にも巧いとは言えないところだが、もしこれを事実の記録として見るならば。
「少なくとも退屈はしないで済みそうです」
 更に頁を進める。今読んでいるところは、何処か異国の、館の秘密か何かであるらしい。筆者は実際に其処へ行ったことがあるのだろう、館の建つ場所、またその外装から室内に至るまでの様子が微に入り細に穿ち克明に記述されている。
 セレスティは、それを途中までふむふむと頷き流していただけだった。しかしやがて変化が訪れる。頭の中に描かれていくその建物、大まかな間取り、そして例えば階段の手すりに施された彫刻といった細部まで、出来上がっていくその様は。
「……ん?」
 文字を追う指を止めた。少し、首を傾いだ。ぱちぱちと瞬きを何度か繰り返し、自分の記憶に何事かを問う。
 暫しの熟考の後、セレスティは人を呼んで告げた。
「今から少し、出かけますよ」


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『 力強き古代の様式を取り入れた館、その木々生い茂る広大なる庭を歩いてみる。いや正確には、
  迷い込んで途方に暮れて欲しい。詮方なく遣る瀬無く、疲弊してだるい足を引き摺り奥へと入る。
  すると目の前に、不意に──此処は重要なので重ねよう──出し抜けに、行く手と視界を遮っていた枝が
  木の葉がさあっと開け ──── …………        』


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「確かに、開けましたね」
 折り重なった枝枝の向こうに現れたのは、円形に木が刈られた小さな広場。人為的な造作が明らかなその中央に、セレスティは車椅子を進める。
 既に予想していたことではあったが、あまりにも記述と事実とがピタリと合致していた。覚えるのは幾分かの驚きと多分な満足感、温かな吐息を漏らす。膝の上で広げているのは、例の不可思議と名を冠する一冊の本。またその場所は、彼が西欧某国に所有するとある館の敷地内。ちなみに館の定礎は少し昔──とは言っても、セレスティにとっての“少し”であるから注意したい、くらいにはのちょっと前。
 つい十数時間前まで腰を下ろしていた東京より、此処はずっと高緯度に位置する国だ。しかし暖流のおかげで気温としては然程変わらない。来月になれば、この庭に植えた薔薇もさぞ美しい花を咲き誇らせることだろう。そんなことを考えながら木々の間を抜け、敢えて目的地を定めず彷徨い、記述に従い「さてどうしたものか」と思案に暮れかけた頃に、その光景は目の前に広がった、というわけだ。
「私の館の一つが、まさか貴方の目に留まったものであったとは……光栄なことですね」
 セレスティは緩く目を細め、黄ばんだ頁の表面をさらりと撫でる。筆者は、恐らく自分より後に生まれ先に死んでいった名も無き男。自分がこの館を手に入れるより前に彼は此処を訪れ、記録として遺し、それが巡り巡って自分の手元に辿り着いた。その縁に、些か愛しさを寄せるのは不自然ではあるまい。
「さて、この次はどのようにすれば良いのです?」
 本の続きに感覚を這わせる。読み取られた情報がするすると脳に流れ込む。

『 ………… ──── 僅かな違和感を、貴方は足の下に見つけるだろう。
  芝で覆われているが、その根の先は鉄の板、つまり地下への扉になっている。
  鍵もノブもない。自重で閉まるようになっている簡易なものだ。
  開けば、続く道は階段、周囲は暗い。ご油断召されるな。慎重に進むが宜しい。      』


 扉を探し当てたセレスティは車を降り、携えてきた杖を頼りに暗がりの中へと歩を進めた。忠告に則り慎重に、一段ずつ地中へ下っていく。道の幅は成人男性が何とか肩を擦らずに歩ける程度、高さはセレスティの身長で頭を打たないぎりぎりというところか。足音の響きからして道の土は踏み固められてあるらしい、つまり、手間をかけて舗装をしてあるということ。ただ徒に穿っただけの穴ではない、目的を持って掘り進められたという何よりの証拠だ。
 ある程度の深さにまで潜ると道は横方向へ伸び始めた。深閑とした通路は何処までいざなおうとしているのか。やや湿った空気がふんだんに満ちているのは救いだが、吹き抜けていく風を感じないことから察するに、入り口から(もしあるならば出口からも)随分隔たった場所を歩いているようだった。

『 ………… ──── 途中、道は幾筋にも分岐する。
  選択を誤っても命までは取られない、しかし、方向感覚を奪われることは覚悟して欲しい。
  何故ならば、人を冷たくあしらうように道が設計してあるようなので。
  私は其処を歩きながら考えた。これを造った者は、何の故に人を惑わそうとしたのか。
  悪意を持って侵入した者を拒むためか。妥当だろう。
  ではその、何かから身を隠す必要のあった者とは一体どんな人物だったのか。
  此処に、どのような思いで逃げ込もうとしたのか ──── …………        』

 空気は続く道には流れ、止まる道では跳ね返る。微かな流れを読んで正しい道を選び取り、やがてセレスティは小さな迷宮を抜けた。
 道は、一つの木の扉の前で潰えていた。


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『 鍵は、壊されていた。主が自らそうしたのか、誰かがわざとそうしたのか。
  館が無人となった今では、過去の顛末を知ることは叶わない。
  後人が出来ることと言えば、遺された謎から、想像というペンで事実に似せた虚構を紡ぐのみ。
  ──── 話を戻そう。
  扉を開けると、納屋ほどもない小さく、殺風景な、
  しかし最低限の機能は果たしていたのだろう部屋が現れた。
  扉と向かい合う形で机と椅子が、その上にはランプが、また奥の壁際には空の本棚が、
  打ち捨てられた子供の玩具の様に、また祀る神をなくした祭具の様に、置かれていた。    』

 暗闇の中で気配を探ると、どうやらこの個室は四方と床とを漆喰で塗り固められてあり、天井は板を渡して補強してあるようだ。湿度が高いせいか、そしてまた経た年月を身に刻んだせいか、黴臭い空気の中で木製の家具は全て苔生している。ランプの硝子には叩いても取れないほどの埃がみっしりとこびり付き、検分を終えたセレスティは淀んだ部屋の空気にひとつ咳払いをした。────その反響する音がまた、まるで水の中にいるかの篭り方。
 セレスティは耳を澄まし、只でさえ鋭敏な感覚を更に研ぎ澄ませる。地下道を進みながら気になっていたものがあった。ささやか過ぎて明確りとは掴めない、しかし鼓膜にさやさやと漣を立てる何かが、微小な音がずっと聞こえていたのだ。音はこの部屋に入ってから一際強くなった、つまり近づいた。恐らくは此処の、────。
「奥から……聞こえますね」

『 灯りを翳して気がついた。壁の漆喰のうち、微妙に色合いの異なる部分がある。
  片手を伸ばしたほどの幅に、腹までにも満たない低さ。ほぼ正方形の其処だけが、
  他よりも後から塗り込められた様に、私には見えたことを記しておこう。    』

 視覚に依った筆者とは違い、セレスティは音を頼りに“其処”を見つけた。床に片膝をつき、長く艶やかな髪を後ろに流して、ひたり、耳を壁に押し当てる。音が、壁一枚隔てたすぐ向こう側にある。
 確信した。これは水が滔滔と流れ行く音だ。海中の大いなる回流音よりももっと短く忙しない、川? そう、この国の、山から海へ一気に落下する川の速さ。一筋の流れ……いや、自然にあるものにしては音がおかしい、不自然、いっそ人工的。
「地下水道……ですね、これは」
 地下室を作るために水の流れを整えたのか、それとも整備した結果として来し方の地下道とこの部屋が出来たのか。
 今ひとつ。今自分が頬を当てている此処には、元々地下水道への扉があったと見受けられる。それを何故塞いでしまったのか、自由意志でか、誰かに迫られてか、何かを封じたのかそれともまた…………いやそれこそ、筆者の言葉を借りれば「顛末を知ることは叶わない」だ。まあしかし、敢えて「事実に似せた虚構を紡ぐ」としたらば。
「少なくともこの部屋の主は、館の主とは別人、というところでしょうか」
 立ち上がり、スラックスの汚れを払いながらセレスティは呟く。それこそ玉座の様に立派な書斎がこの館には備わっており、現在の主であるセレスティ自身も、壁一面を占拠した重厚な本棚に種種の古書を並べさせたりしていた。
 なのでこう結論を導いても強ち間違いではないだろう。曰く、館の原初の持ち主と、この暗く陰鬱な、しかし使いようによっては心安い孤独を提供してくれる地下室を造った者は、別人である、と。

 ──── じゃあ、いったい、此処は、何 ?

 セレスティはふ、と口許を綻ばせた。
「そんな言葉が最後に残れば、暇潰しとしては上出来としましょう?」


 行きと同じ復路で地上に戻り、車に乗り換えてふう、と一息ついた。そろそろ館に帰らなければ、強いて残してきた従者が心配するに違いない。いやいやどちらかというと、主人の楽しみは、それが如何に子供じみた探究心と言えども邪魔をしないのが礼儀、と暢気に花の手入れでもしているのかもしれない。
 仰げば、そろそろ空は夕刻に向かっている。小さな冒険はこれにて幕、もしかしたらこのくらいの“少し”前の建物には、こんな小さな不可思議さが当然のように備わっているのかもしれない。そんな好奇心を喉の奥で転がして、セレスティは膝の上の本にそっと掌を載せた。────読み取った一文に満足気な笑みを浮かべる。
 この館についての小話は、こんな言葉で締め括られていた。

『 Because it is not possible to solve it, the mystery is attractive. 』


 了


PCシチュエーションノベル(シングル) -
辻内弥里 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年04月20日

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