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『「聖堂のマリア様」 』
タマ・ストイコビッチ5476



 
 白いレースとフリルの重なるヘッドドレスがにゃんこの耳と一緒に揺れる。
 ゆらりと横に、くらりと縦に。がくんっと落ちて、びくっとあがる。
 ブロンドの長い髪は左右に振られ、緩みきった少女の目元、白い頬が「ふにゅうぅ」とふくらむ。
 顔をごしごし、軽く握った両手でなでる。
 自称、万能ネコ耳ロシアンメイド。タマは寝ぼけまなこで歩いてる。
 快晴の空、澄んだ空気。
 雑木林の小道を抜けて、タマは見上げる。青い瞳をぼうっと細める。
 降り注ぐ朝の日差しは羅紗のように柔らかく、まばゆいながらも優しくタマを包み込む。
 両手を上げて大あくび。
 「ふにゃああ」
 ん、んんー、と、背中から腰、おしりをちょんと付きだして、おしりの穴からシッポの先まで伸びをする。「にゃっ」と一息、気合いを入れる。眠気をすっきり追い出して、さっぱり笑顔で元気を充填。
 「今日もお掃除、がんばるにゃっ」
 
 屋敷の離れに聖堂がある。
 扉を開けると、くすんだ白壁と赤煉瓦の床。
 およそバスケットボールのコートぐらいの広さに、淡い光が三階分は吹き抜けの天井まで満ちている。
 まっすぐ敷かれた色あせた赤い絨毯。その左右にベンチが三つづつ並び、両の壁には色鮮やかなステンドグラスが二枚づつはめられている。
 「まずはお祈り」
 絨毯に落ちるシッポの影は左右の光りに色薄くなる。
 タマはその影を揺らしながら、スキップまじりに正面の聖壇まで行く。

 聖堂を見渡すように、台座に置かれたマリア像は等身大とおぼしき大きさ。右手を肩の高さまで上げ、慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
 マリア像に両手を組んで、ご主人様の健康をお祈りし、今日もいい天気であることを感謝する。あと、おいしい魚が食べたいなんて希望もつける。
 「さぁって、お掃除お掃除、朝のお掃除〜」
 鼻歌まじりにメイドエプロンのポッケから、えいやとはたきを取り出し、振るう。
 「さっさっさー」
 五十人も入れば一杯になる聖堂の壁や椅子、円柱にはたきをかける。
 さて、ステンドグラスにむかってはたきを伸ばすが届かない。しっぽを揺らし、黒と白を重ねたパニエの中から黒いレースのガーターベルトもちらちら見えるが、届かない。据え付けのベンチに乗って、飛びつき、はたこうとするも届かない。壁に手をつき、ずるずる落ちる。つとんと足つく。
 あ。と、くるり。
 壁に背を向け、照れ笑い。
 「奥から台、持ってくるんだったのにゃ」
 「そうそう。いつもそうしてたじゃない」
 女性の声。
 奥の扉がすぅっと開く。
 にゃっ、と驚き、目を丸くする。
 女のひとが立っている。
 しっとりとした笑みを浮かべる。指揮者の立つ、台形の箱を胸に抱えて入ってくる。
 「はい。どうぞ」
 差し出される箱。
 でも動かない。
 手が動かない。
 声がでない。

 天井近くの白壁にはめられた、ステンドグラスの七色は混じりあう。
 重なり、交わり、白色の光を作る。
 窓型のスポットライトはふたりをさらい、淡い光の世界に捕らえる。
 「あら」
 女性は台をそばに置き、ためらいがちに、動かなくなったタマの手にちょんっと触れる。ちょちょんっとつついて、抱きつくように身体を寄せる。するりと思いきってか撫でるように指を滑らす。
 「ふふふ。素直な子なのね。タマちゃんは。こんなにかかりやすいなんて」
 女性は自分の胸にタマのこめかみを押し付けるよう抱き、上から覗きこむよう顔を見つめる。


 なんにゃ?
 なんにゃのにゃ?
 動けないにゃ。
 心臓は動いてるのにゃ。
 息もできるにゃ。
 でもでも。
 手も足も動かせないのにゃ。
 声も出ないにゃ。

 「あら。汗かいてる」
 女性は白いハンカチーフでタマの額と鼻の頭の汗をぬぐう。
 「そんなに怖がらなくって大丈夫よ」

 そういえば前。
 タマはお人形さんにさせられたのにゃ。
 でも今日はタマ。
 お人形さんになってないのにゃ。
 でもやっぱり動けないのにゃ。
 どうするにゃ。
 どうしようにゃ。

 「今日はね、タマちゃん。こんなの持ってきたの」
 女性は裾の長い紺色の服をタマの身体に合わせてくる。
 「シスターさんのお洋服」

 にゃー。
 またもや着せ替えされるのにゃ。
 今度もされるがままなのにゃ。
 自分の身体が自分の身体じゃないみたいだにゃ。
 ご主人さまに頂いた、タマの服。メイド服。
 脱がされてくのにゃ。
 脱ぎたくないのに、タマの腕は勝手に動かされてしまうのにゃ。
 タマの服、ご主人さまに貰った服が、はぎとられてしまうのにゃ。
 
 「はい。足あげて」

 今度は足にゃ。
 持ち上げられて脱がされるのにゃ。
 ふにゃ。
 靴も脱がされ、素っ裸になっちゃったのにゃ。

 「じゃ、お着替えしましょ」
 腕をぐいっと掴まれる。
 女性はタマの両手を広げ、持ち上げる。
 バンザイさせられ、あらわな胸元。
 無防備な胸。
 その体勢で止められる。
 まるで。
 その身を投げ出しているかのように。
 まるで。
 その身ですべてを受け止めようとしているかのように。
 急に、むきだしにされた表が怖くなる。

――にゃっ

 と思った瞬間、ばさっと布をかぶされた。
 紺色のワンピースはあっさりタマの身体を包む。
 「んー。かわいっ」
 女性は満足げにぱちぱちと拍手する。
 いまやタマはネコ耳メイドから一変、ネコ耳シスターになっている。
 首から胸元を覆う純白の襟。それ以外は紺一色の黒装束。肌を露にする箇所といえば顔と手だけ。
 首からかけた銀のロザリオが襟のうえ、差し込む光に輝いている。
 頭をすっぽり包むはずの頭巾はネコ耳に邪魔されて、頭頂部から後ろの髪をまとめるだけにとどまっている。前髪とネコ耳は表に出すが、しかし頭巾の裾はこめかみから耳元を覆い隠し、白い肌を際立たせる。頭巾の後ろにしゃらと流れるブロンドの髪。それが小柄な身体に縦のラインを引き立てて、大人びた落ち着きを醸し出す。
 「顔もこう」
 マッサージみたいにぐにぐに触られてるうちに、なんとも落ち着いた表情になってくる。
 そして最後に両手を組まされ、祈りの姿勢。
 「――完成っ」
 と、女性が言うや、タマの身体は黄金色に輝きだした。
 粛々としたシスター服の白と黒のツートーンは、差し込む光に万の深みを漂わせる黄金色に変化した。
 服だけでない、タマの身体も金色になる。
 白磁のような膚はすべらかなまま黄金に。
 その慈愛に満ちた、うっすらと開いた瞳も黄金である。


 タマ、どうしちゃったのにゃ?

 見える視界はとても狭い。
 だが、組んだ両手の端は見える。

 ふにゃ?
 タマ、今度は金色ピカピカになったのにゃ!
 にゃ! まさか黄金像にゃ!
 にゃ、にゃぁーんとー。
 あにゃにゃ。
 驚いてるのに、まぶたがぱちっと開かないのにゃ。
 口もぱくっと開かないのにゃ。
 にゃんか、驚き半減なのにゃ。
 にゃー。
 にゃーんか。
 落ち着くにゃー。
 なんでかにゃ?
 目が半開きだからかにゃ?
 手がお祈りしてるせいかにゃあ?
 うつむいて、肩から力が抜けてるみたいな姿勢だからにゃ?
 眠いような、にゃんかぽわっとした気持ちになるにゃ。
 ふにゅぅ。
 にゅ。
 にゅ。
 にゃ?
 にゃにゃ?
 にゃんにゃ?
 うなじがにゃんか、ぞくぞくするにゃ?
 タマの髪で遊んでるのにゃ?

 女性はタマの髪を梳く。
 シスターの頭巾の中から滝のようにこぼれる髪を手で梳いている。
 黄金像になったにもかかわらず、ブロンドの髪は柔らかくまとまって、さらに一本一本サラサラとほぐれてく。それでいて束ねると、まるで飴細工のように一つに戻っていくのである。
 女性は髪をもみしだき、丁寧にブラシで梳いて愛撫する。
 その快感にタマの頬は紅潮していく。否、黄金に硬質化した表情に変化はない。
 けど、タマの気持ちはぞくぞくしてる。
 気持ちが顔に出ないから、出ていかないから、甘美な悦のもどかしさと狂おしさが心と気持ちと魂とをまぜてまぜて、もう、どうにかなってしまいそう。
 汗さえ出ない身体になって、全身をかけめぐる快感は行き場がなくて、皮膚の内部で熱くなる。とろけてく。もだえてく。
 でも、聖なる乙女の表情は偽りの心情を強制する。博愛と敬愛を表す顔は、そういう気持ちをタマの心に覆っている。そうあれと強いている。だから悦楽に浸る気持ちは責められて、さいなまれ、こらえきれずに悶々としてしまう。
 心のなかで、なんど唾を飲み込んだろう。

 は、ふ、ふ……にゃぁ。

 

 「タマちゃーん?」
 やがて、タマの主人の声がする。
 女性は残念そうに、タマの髪から手をはなす。
 そして台座からマリア像をひょいっと降ろし、タマの黄金像をそこへ乗せる。
 「じゃあ、行ってらっしゃい」

 そうにゃ。
 行ってらっしゃいませにゃ。

 愛撫から開放され、落ち着きを取り戻す。
 黄金像となり、台座の上に置かれたタマ。
 憂いでもなく諦めでもなく、ただ愛おしいという気持ちに満ちた瞳で見送る。

 行ってらっしゃいませにゃ。

 顔だけじゃない。
 ほんとうに心から、気持ちを込めて見送っている。
 タマと呼ぶ声に駆けていく、メイド服のネコ耳少女を。






 おわり
PCシチュエーションノベル(シングル) -
秋月 淳 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年04月18日

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