▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『晴天の勾玉 』
シリューナ・リュクテイア3785

 その日朝から、シリューナ・リュクテイアは魔法薬屋の一室で、ずっとある魔法道具の調整にかかりきりだった。
 それは、《晴天の勾玉》と彼女が名付けた、一見すると首飾りとしか見えないものだ。
 ビーズのように丸く削った水晶を連ね、その間に紫水晶で作られた勾玉の飾りが下がっている。そして中央には、ゴルフボールほどの大きさの勾玉が下げられていた。それは一見するとラピスラズリのようだが、実際には紺碧の地にちりばめられた金の粒は複雑な文様を描き出している。更にその上から銀細工にいくつかの宝玉をあしらった、カバーのようなものが付けられていた。
 装飾品としても豪華で、ずいぶん高価なものと知れる。
 しかし、この首飾りはただの装飾品ではないのだった。
 首飾り自身を中心に、半径一キロにわたって特殊な空間を作り出し、その空間の中のみを常に晴天に保つという魔法を封じてあるのだった。だから《晴天の勾玉》と名付けたのである。
 ところが、それが先日、誤動作を起こした。勝手に別世界の空間とつながってしまったのである。
 その時には、その事態を収拾するのに精一杯で、結局シリューナは、首飾りの調整をする暇も気力もなく、机の引出しに仕舞い込んだまま放置してあったのだ。
 が、ここしばらく、毎日のように雨が降り続いている。そう、かれこれ、もう十日ぐらいになるだろうか。天気予報では、まだしばらく雨は続きそうだという。
 そのことにいい加減嫌気がさした彼女は、ふとこの首飾りのことを思い出した。
 これを使えば、いつでも好きな時に晴天が楽しめる。しかしそのためには、誤作動を調整しなければならない。もう、この間のような面倒な事態になるのは、ごめんだった。
 そんなわけでシリューナは、本日朝からずっとその首飾りと顔を突き合わせているわけだ。
 しかし。
 彼女は大きな溜息をついて、顔を上げた。すっかり固く強張ってしまった肩と首と腕を解きほぐすかのように、彼女は軽く動かした後、大きく伸びをした。
「さすがに、根を詰めると疲れるな。……少し、休憩にするか」
 彼女は小さく呟き、立ち上がる。
 彼女が今いる部屋は、店の品物である魔法薬や、この首飾りのような魔法道具の調整や修理を行うための一室だ。さほど広くはなく、床はフローリングで、ずいぶんと殺風景な部屋だった。中央に四角いテーブルが置かれ、その前に椅子が一つ据えられていた。部屋の隅には棚があり、薬を入れるための数々の瓶や、魔法書、魔法道具の修理に使う工具や、小さな部品などが収められている。
 彼女は今までテーブルの傍の椅子に陣取り、一見すると小型の電動ドリルのように見えるもので、首飾りを突付き回していたのだった。
 しきりと首や肩を動かしながら、彼女はそのまま部屋を出て行く。
 台所で湯を沸かし、新しく買って来たばかりの紅茶の瓶を開けた。途端に芳ばしい香りが広がり、シリューナはそれだけでなんとなくホッとした気分になった。
 まだ夕食には早いが、なんとなく小腹が空いた気もするので、棚を漁ると、昨日の残りのエクレアが見つかった。
 やがて湯が沸いて、彼女はたっぷりの湯を茶葉を入れたティーサーバーへと注いだ。たちまち台所中が紅茶のいい香りに包まれ、彼女は今朝からの疲れが、ゆっくりと消えて行くように感じた。
(これで天気が良ければ、最高なんだがな……)
 入れたてのお茶を一口飲んで、思わず彼女は胸に呟く。が、自然の力は魔法を使っても、なかなか自在に操れるものではない。
 お茶とエクレアでしばしの休憩を楽しんだ後、シリューナは気合を入れ直すかのように、両の拳を握りしめた。
「あと少し、がんばるか」
 小さく呟き、うなずくと、彼女は元の部屋へと戻って行った。

 ところが。
 戻ってみると部屋の様子は一変していた。――というよりも。
「……」
 ドアを開けて、シリューナは一瞬その場に立ちすくんだ。ドアの向こうは、高く晴れた空に鳥の声が響き渡り、一面に緑の草の波が風にそよぐ、広々とした草原だったからだ。
 シリューナはややあって、深い溜息を一つ落とした。
「……ったく。またか……。それにしても、調整途中で誤作動を起こすとは……」
 ぶつぶつとぼやきながら、彼女はあたりを見回す。
 そう、この草原はおそらくは、《晴天の勾玉》が誤作動してつなげてしまった、どこか別の世界なのだろう。
 彼女は念のため、後ろをふり返ってみる。そちらは、彼女の店の奥の一画のままだ。
(ドアが繋ぎ目か。……なんにしろ、《晴天の勾玉》を探し出さないとな。あれがないと、この状態を解除できないだろう)
 彼女は胸に呟くと、改めて草原へと一歩足を踏み出した。後ろ手に、ドアを閉める。再度ふり返ってみると、草原の中にポツンと木の扉が立っているという、なんだかおかしな光景になっていた。それに苦笑しつつ、彼女は念のため、ドアに魔法で鍵をかけた。店の方からここへ入って来る者はいないだろうが、その逆の可能性はあるからだ。
 そうして、改めて広々とした草原を見回した。
「さてと……。そんなに遠くには落ちてないと思うんだけどな……」
 低く呟くと、そのまま彼女は地面に両膝をつき、匍匐前進といった姿勢であたりの草をかき分け始めた。自分たちの世界でならば、魔法を使って首飾りそのものに、その場所を明示させるという方法もある。もともと魔法を封じたものなのだし、さほど難しくはないだろう。が、別の世界では、魔法がどんな反応を起こすのかは、判別し辛かった。一見すると、自分たちの世界と変わらないように見えるが、実際にはそうではない可能性もあるのだから。
 幸いにして、首飾りはすぐに見つかった。ドアから数メートル離れたあたりの草の葉に首にかける部分が引っかかり、勾玉の重みでその傍の草が折れ曲がっていて、少し近づくと、そこだけ小さな空間ができているように見える。おかげでシリューナも、首飾りの存在に気づいたのだった。
 だが、彼女が駆け寄って、それへ手を伸ばした時だ。横合いから、何かが素早い動作で、首飾りを掻っ攫った。
「え?」
 さすがのシリューナも、一瞬何が起こったのか、理解できなかった。思わずあたりを見回すと、少し離れたところに、兎ともリスともつかない、不思議な動物がいるのを見つける。
 大きさからいえば、兎の方に近いだろうか。全身はオリーブ色の毛皮に包まれ、長い耳を持っている。顔つきも、なんとなく兎に似通っていた。ただ、尻尾がリスのように大きくて巻いており、しかもよく見れば、頭の上から背中を通って尻尾まで、縦の縞模様が入っている。
 その不思議な動物の小さな両手には、《晴天の勾玉》があった。
 動物は、わずかの間、シリューナを胡桃色の目で見つめていたが、すぐに身を翻すと、そのまま走り出した。
「待て!」
 思わず声を上げ、シリューナも後を追って走り出す。
 まるで水の上を泳ぐ蛇が航跡を残すように、動物の動きもかき分けられる草の動きの中に、描き出された。それに気づいてシリューナは、少しためらった後、背中に魔力の翼を広げた。この世界への影響が心配ではあったが、あの動物を見失うわけにはいかない。誤作動を解除できなければ、二つの世界はいつまでもつながったままなのだ。
 上空からだと、動物の動きを追うのは、容易かった。草とよく似た動物の毛皮の色は、上空からでも判別し辛い。しかし、かき分けられる草の動きが、動物の軌跡となる。
 彼女は何度か、上空から接近して、動物を捕えようと試みた。が、その動きは素早く、また接近を察知する能力も高いのか、なかなか捕まえられない。
 そうこうするうち、動物は前方に現われた森の中に飛び込んだ。シリューナは、思わず小さく舌打ちをする。森の中では、木々の枝が邪魔になって、飛行による追跡は無理だ。
 しかたなく地面に下りると魔力の翼を消して、彼女は徒歩で森へ足を踏み入れた。

 森に入ると、ふいにあたりは薄暗くなった。周囲には何本もの丈の高い木々が生い茂り、太陽の光を遮っている。そのせいで、空気もどこかひんやりしていた。地面に生えた草の丈は低くなり、動物たちが往来するせいで踏み固められたらしい、細い道が通っている。
 あの動物もその道をたどっているのか、木々の間にその姿が遠く、見え隠れしていた。シリューナは、歩きにくい道を小走りに、動物の後を追った。
(あれは……本当に、本物の動物なんだろうか)
 彼女が、そんなことを疑い始めたのは、どれぐらい歩いてからだろうか。すでに草原は後ろに遠くなり、息はすっかり上がっていた。土が剥き出しの地面など歩き慣れない上に、彼女が履いているのは、店の奥でスリッパがわりに使っているサンダルだった。おかげで、足が痛くてたまらない。それでも必死に速度を早めているというのに、一向にあの動物に追いつかないのだ。まるで幻をでも追っているかのように、距離はいつまでも縮まらず、ただその姿がちらちらと木々の間から見えるばかりである。
(誰かに、魔法をかけられているとか?)
 小走りに歩き続けながら、彼女は考えた。だが、この世界の魔法が彼女の知っているものと限らない以上、考えたところでわかるはずもない。
 そうこうするうち、足の痛みと呼吸は、限界に近くなった。もう、これ以上歩き続けることには耐えられない。限界を感じて彼女が、足を止めようとした時だ。動物が大きく跳ねるのが見えた。同時に、木々の間をすかして、何か輝くものが見えた気がする。
(もう少しだ。がんばれ)
 シリューナは、自分で自分を叱咤して、重い足を必死に動かした。
 やがて、木々の群れが切れて、ふいにまた彼女は広々とした場所に出た。今度のそこは草原というより、野原というべきだろうか。地面に張り付いた草はどれも背が低く、その間からは土が覗き、ところどころ苔が生えているところもあった。
 向こうの方にはまた木々が生い茂っていたが、その周辺には光を遮るものもなく、真っ青な空を臨むこともできる。
 その野原の真ん中に、太陽の光を浴びてきらきらと輝いているのは、小さな泉だった。
 動物は、その泉めがけて軽く飛び跳ねるようにして進んで行く。だが、もうシリューナにはそれを追う気力も体力もなかった。荒い息をつきながら、思わずその場に座り込んでしまう。それでも、動物から目を離すことはしなかった。
 と。動物はそんな彼女の目の前で、手にしていた《晴天の勾玉》をその泉へと投げ込んだのである。
「あっ!」
 シリューナは思わず声を上げ、疲れた体に鞭打つように、背中に魔力の翼を生やして、そちらへ突進した。必死に、空中へ投げ出された首飾りの方へと手を伸ばす。
 取ったと思った。
 だが。
 その瞬間に、首飾りは彼女の手のひらをすり抜け、泉へと落下して行った。
 一呼吸置いて、小さな水音が響く。
「あ……」
 彼女は、大きく目を見開いたまま、それを見守った。一瞬、どうすればいいのか、まったく思考が働かない。
 ややあって、ようやく彼女は小さく目をしばたたくと、泉を見下ろした。水は青く澄んでいるが、かなり深いらしく、底は見えない。たった今落ちたはずの首飾りの姿も、もはや見分けることはできなかった。
(どうする? 《晴天の勾玉》のことはあきらめて、いっそ戻って、無理にでも二つの世界を切り離すか。……だが、そうするとあれは誤作動し続けて、今度はこの世界と他の世界を勝手につないだりしそうだが)
 それでいったい、どんな影響があるのかはわからない。ただ、放置が無責任な行動なのはたしかだ。
 彼女はしばし考えた末、小さく溜息をついた。
(だめだ。やはり放置はできない。……この泉に潜るか)
 心を決めて彼女は、ゆっくりと泉へと下りて行く。それにしたがって、泉の水面に、彼女自身の姿が映った。だが、何か変だ。
(なんだ? これは。水面に映ったにしては、なんだか鮮明すぎる。それに……目の色が違う)
 彼女は、軽く目を見張って胸に呟く。
 そうなのだ。水面で同じように目を見張っているシリューナの鏡像の目は、その泉の水そのもののような青をしていた。だが、シリューナの目は赤い。
(いったい、どういうことだ?)
 顔をしかめて、シリューナが水面を見詰め続けていると、ふいに水面に映るそれが彼女に笑いかけて来た。
『こんにちわ、シリューナ・リュクテイアさん。あなたの姿を借りてしまって、ごめんなさい。でも、私には姿がないから、水面に映る誰かの姿を借りるしかないんです』
 更に話し掛けられて、シリューナは再び瞠目した。
「なんで、私の名前を知ってるの。それに、姿がないって、どういうことだ?」
 かなり当惑しつつ、彼女は水面の相手に向かって問い返す。
『あなたの名前を知っているのは、今私が、あなたの姿を借りているからです。私に姿がないのは、私がこの泉に宿った意志だからです。ここの者たちは、私のことを、泉の女神と呼んで崇拝してくれています』
「泉の女神?」
『はい』
 うなずいて、水面の女性は片手をシリューナの方へと差し出した。
「それは……!」
 シリューナが、思わず声を上げる。女性の手には、《晴天の勾玉》が乗っていたのだ。
『これは、あなたにとって大切なもののようですね。どうやら、あまりに美しいので、私への供物にしようと考えたようですが……お返しします』
 言われてシリューナは、幾分ためらいがちに水面へと手を伸ばした。女性の、首飾りを乗せた方の手がある側に、触れる。するとたしかに、首飾りの感触があった。彼女はそれをしっかりとつかみ、伸ばした手を戻す。手の中の首飾りは消えることもなく、しっかりそこに存在していた。ようやく取り戻せたと、安堵の吐息をついて、彼女は改めて水面を見やった。
「なんだか奇妙なやりとりだけど、首飾りはたしかに受け取った。ありがとう」
 礼を言ってから、ふと思いついて彼女は尋ねる。
「ところで、これを供物にしようと考えた、ということは、あの兎だかリスのような動物は、この世界の人間なのか?」
『人間、という言い方が正しいかどうかはわかりませんが、彼らは自らの文化や文明を持ち、崇める神を持っています』
 女性は答えて、微笑んだ。
『どうぞ、彼のしたことを、許してやって下さい。彼は、この周辺では最も熱心な私の崇拝者なのです。だからいつも、一番大きな収穫物や美しい花々を、供物としてこの泉に投げ込んで行きます』
「もちろん。これさえ返してもらえれば、私は何も恨みに思ったりしないさ。……さて、じゃあ私はそろそろ帰ろう。誤作動を解除して、つながった二つの世界を切り離し、もう二度とこんなことが起きないように、ちゃんと調整しないといけないからな」
 シリューナは言うと、小さく笑い返して続けた。
『そうして下さい。もっとも、私はあなたと話せて楽しかったですが』
「そう? じゃあ、もう行くね」
 女性の言葉に軽く首をかしげて言うとシリューナは、背中の翼をはばたかせて、高く舞い上がった。泉を発見した時と違い、今はただまっすぐに、二つの世界の繋ぎ目であるドアを目指すだけである。必死に駆け抜けて来た森をも見下ろすほどの高度にまで上がり、そこから一直線にドアへと向かう。
 これだけの高さまで昇ると、かえって地上に何も遮るものがない方が、目的のものを見つけるのは容易かった。彼女はすぐにドアを見つけて、その傍へと舞い降りた。魔法の鍵は、ちゃんとその役目を果たしている。
 彼女はそれを解除すると、ドアを開けた。

 首飾りの調整を続けたシリューナは、ようやくそれを終えて、顔を上げた。小さく吐息をついて、額の汗を拭う。
 彼女がいるのは、最初にいたあの部屋だ。
 一旦ドアの外に出て、繋がれてしまった別世界を後にした彼女は、そこでまず、首飾りの誤作動を解除した。ちなみにドアの中でそれをしなかったのは、誤作動解除と共に二つの世界は離れてしまうので、彼女も戻れなくなるためだ。
 ともあれ、次にドアを開けた時には、そこは今までどおりの室内へと戻っていた。
 そこで彼女は、調整の続きを始めたというわけだ。
 テーブルの上の首飾りを見やって、彼女はそれを手に取ると、自分の首にかけた。そして立ち上がると、外へと出て行く。
 店の外は、相変わらず細かい雨がしとしとと降り続いていて、まるで梅雨時のようだ。彼女はそれを見やって、胸元の首飾りに触れる。指先で、勾玉の表面や銀細工のカバーのようなものを、なぞるように動かした。途端。それを中心にして、あたりに目には見えない薄い膜のようなものが広がり、同時にみるみる空が晴れ、雨が消えて、まぶしい太陽の光が降り注ぐ。
「どうやら、調整は成功したみたいだな。苦労した甲斐があった」
 笑顔で小さくうなずくと、彼女は青く澄んだ空を見上げて、一つ大きく深呼吸した。
「さて。せっかく、太陽の光と青空を手に入れたんだ。まだ日は高いし、誰かを誘って、出かけるか」
 呟いて、彼女はポケットから携帯電話を取り出す。頭の中では、街中へ繰り出すのもいいが、サンドイッチとコーヒーでも持って、どこかの公園でピクニックというのも悪くない、などと考えていた。そのまぶたの裏に、あの別世界の澄んだ空が浮ぶ。
(あんな状況じゃなかったら、ピクニックには最適そうな場所だったな)
 ちらりとそんなことを思いながら、彼女は携帯のボタンを操作し始めた。


PCシチュエーションノベル(シングル) -
織人文 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年04月10日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.