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『春宵相聞歌 』
風祭・真1891


「 そう 、 あなたもなの 」



 例えば。
 例えば、百花の先駆けとして早春の野辺を彩る梅の花は、まるで火が爆ぜたかの様に枝に咲く。天へと直立する細く鋭いかいなに纏う、小さく固い鮮やかな火花。林立する様を見れば、抱くのは凛々しさという印象か。

 そしてまた、例えば。
 例えば、古来最も歌にも詠まれ人の心惑わし苦しめ、なれど惹き付けて止まない刹那の、久遠の花は──桜は、霞の様に大樹に咲く。大地へと指先を反らせた形で、太く黒々とした枝を伸ばし、天女が纏う羅の如く、薄紅色のまたは白の時には紅色の風を生む。

 ──── 神、まします花 。

 吉野山の例を挙げるまでも無く人は、その美しさ荘厳さ、儚さに、神秘の何かを見出すのだろう。

 ──── そして、魔の魅入る花 。

 とある日の本の作家の例を引くまでも無く人は、その妖艶さ犯し難さ、あわれさに、魔性の何かを見出すのだろう。


  事実を作り出すのは世界。
  しかし真実を産み落とすのは人の心。
  ならば、この目に映る世界は、ひとえに人の心に同じ。


+++++++++++++++++ ++


 夜の中を一人の女が歩いていた。
 清かな夜だった。辺りは見渡す限りの田園風景、四方を取り巻く山々もなだらかな稜線を持つのみで、彼女が常在る東の街とは時間の流れそのものからして違う、ゆったりとした田舎の春宵である。女は白を基調とした軽やかな春の装いに身を包み、射干玉色の長く艶やかな髪を微風に遊ばせ道を行く。表情は至って穏やか、凪いだ心持ちを口許だけでなく足取りにも滲ませ、一路、道の先にある桜を目指していた。

 つまり、神が好み魔が愛する花に、逢いに来たのだ。

 女は、若い人の容をしていたが、中に息づく魂は人の胎から生まれたものではない。では何処から、と問われれば、そんな昔のことは忘れてしまったと、三つに(四つに)分かれた魂は口を揃えて答えるだろう。そうして後、内の一人が問うた相手を興味深そうに見つめ、それから遠い眼差しを遙かなる時空の向こうに投げ掛けて、
「桜咲く頃の春風の中から……だったら、快いかもしれないわね」
 それこそ、霞の様な微笑で言葉を重ねる、のかもしれない。

 神女がつと、足を止めた。銀盤の月は南中に在り、周囲には、群青の夜の中でも黄の鮮やかな菜の花が縦横無尽に咲き乱れている。
 そんな風景の中、神女の眼前には柵に囲まれた桜の古木があった。ぎりぎりの境界に神女は立ち、根を、そして幹、枝、先に咲かせた無数の白き花へと視線を登らせる。桜の頂上に半円形の大きな欠損が認められた。幾年か前に訪れた時には豊満な曲線を描いていたけれど、数年前の台風で逞しい枝を数本捻り切られてしまったと風の便りに聞いていた。
 痛ましい、と人は言う。元々墓守として植えられたという木の謂れが、余計に哀切さを誘うのかもしれない。
 だが神女は思う。見る人がどれほど心を揺らそうと、愛そうと憎もうと、悠久の時を生きるものはただ、在るのみ。花にも、例えば神にも、祈るのは偏に人。意味を見つけるのは何時だって人、なのだから。


 ──── だからこそ、花も神も二律背反の姿を持ち得る 。


 神女は柵を越え、大地を鷲掴む根元に歩み寄った。何股にも分かれたそこにそっと腰掛け、満開の桜の下にて天を見上げた。良い眺め、と人の様な言葉を漏らして、神女はやんわり瞼を閉じる。その長い睫の先に、逸れ雪の如き花弁が舞い落ちて触れて、接吻る。
「愛らしいことをするのね」
 感触に、神女はくすりと笑む。花は答えず、風に吹かれて徒に我が身を散らす。はらりはらはら、夜空と月とを幕に花は舞う。
 花は天に向かって伸びていた。その様まるで祈りを捧げるかの敬虔さ、しかしその足元はどうだろう。決して穢土より離れようとしない貪欲さで、神の目が届かぬ昏く深い闇の底へと無数の触手を張り巡らせている。見えないところで一体この花は、美しいこの神々しさは、どれほど禍々しい血肉を屠っているというのだろう。この白い花弁を咲かすために、どれほどの紅を啜っているというのだろう。

 白と紅、聖と邪、そして神と魔。此花が持つ、相反する力。
 見るものがいるからこそ感じる、生じる、二面。

 そこに“人”が生きるからこそうまれる、「花」と「神」。


 ──── そう、あの時にもここに“人”がいた。


+++++++++++++++++ ++


 何をしているの、と真が問うと、目を閉じ手を合わせていた老女は暫し後にゆっくりと開眼して、
「墓参じゃ」
 掌を合わせたまま、そして真を見ぬまま──目の前の桜の若木から視線を逸らさぬままに一言、答えた。
 老女は尼僧の格好をしていた。つまり木に寄せて弔いをしていたのだろう。声をかける時機を誤っただろうか、と真は思わない。本当に迷惑だったのならこの老女は答えもしなかったはずだ、きっと彼女はそういう性質の人だと、当時既に何千年もの命を生きてきた真は若い女の姿で見抜いた。
 五、いや四百年程前のことだったと記憶している。長かった国の動乱も収まり、西にまします天子を抑え、東に軍事政権が出来た頃だ。
 真は風の向くままつまり気の向くままに国を渡り歩いていた。疲弊した国土が徐々に立ち直り、戦火のない日々に人々が慣れ始める様を、真はただ過ぎ行きざまに眺めていた。
「女一人で長旅か?」
 老女が漸くこちらを向いた。若い女の旅装束に目を留めたのだろう。硬質で威厳に満ちた響き、彼女の出自と身分とを自然と窺わせる声音だった。
「ええ、身寄りのない自由な者ですから。御母堂様は? お一人で出歩けるような方とは見受けられませんが?」
「良い。供なら此処に、居る故」
 “此処”と言いながら彼女は何処も指さなかった。なので真は悟った。この地には、彼女の縁の者たちが眠っているのだということ。この野山の風景全てが彼らの墓石であり、この桜の若木こそが、かけがえのない墓標なのだということを。
「争いの時は去った。人が鬼となる世はもう昔、今はこうして、人が人としていられる。ならばこの者らが……我が背子が、時代に散ってしまった意味も、無いわけではなかろう」
「お優しいことを仰いますね」
 これは真の言葉ではなかった。内なる一人がぽつりと漏らした。
 しかし老女は首を横に振り、
「死に意味を求めるのは弱さ故」
「……ああ、人なんてそんなもんだろう」
 これも真の言葉ではなく、内なるまた一人が口を借りて言った。
「人は弱い、それは道理。しかし時に強いからこそ弱さを痛みの様に感じる、そしてまた、美しさを知るからこそ醜さに眉をそばめる。……神の様に魔の様に、どちらか一方に染まりきることは、出来ぬ」
 内の二人は(三人は)今度は何も言わなかった。
 真は一度、瞬きをする。一陣の微風が、真の髪と老女の墨衣の端を揺らした。
「人も、神も魔も、然程は……相違ないわ」

 悪鬼にも聖女にも、なるものよ。
 望むと望まざるとに関わらず、ね。


+++++++++++++++++ ++


 幾百年の時を経て、老女は天と土とに還り、細い若木だった桜は今や古木と老い繁り。そして真はずっと、変わらぬ姿で此処に在る。
 老女はあの後こう言った。ならば人の醜さも高潔さも、全て天の定めたことか。
 真は多分こう答えた。天は、何一つ定めてはいないわ。だからこそ、どんな姿にもなり得る。

 世界は、どうとだって、なる。

「私は……」
 真は手を、指先を伸ばした。枝はそこに花を落とした。瞼を開いて見てみれば、一つは真白な花、もう一つは、血に染まったかの紅い花。真はまた微笑む、花は静かに夜にざわめく。

 この地に眠るもののふの、人の心と鬼の心。
 この地で祈ったあわれな女の、憎しむ心と赦す心。

「……私達はただ、眺めているだけ。ずっと、ずっとね」

 破壊の力と生み出す力。
 愛する力と踏みにじる力。

  事実を作り出すのは世界。
  しかし真実を産み落とすのは人の心。
  ならば、この目に映る世界は、ひとえに人の心に同じ。


 ──── 花も神もまた、人の心に同じ 。


 好きよ。真は顎を上向けて言う。枝と花の向こうに、銀色の、雫のような光が見えた。
「あなたがどんな花を咲かせようと、どんな花であろうと、私はあなたが好きよ。……結局、そうなのよね」

『 ざあああああ ああ あ あ 。 』

「……そう、あなたもなの」

 鳴る音に、真は優しく微笑んだ。


 了


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辻内弥里 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年04月10日

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