▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『明日は笑っていられるように 』
渡辺・綱1761


 夏の向日葵のような力強い笑顔。
 明るく綺麗な綱の笑顔。
 彼が見せるいつもの表情。

 それは彼が彼である所以。
 渡辺綱と言う、少年である証。





 夢は、甘くない。
 何も都合よく変わったりはしない。
 夢の中では現実が圧し掛かる。
 …現実より、余程、酷い。
 夢であるだけで、ただその現実の重さが、増す。
 甘い夢は、見ない。
 本当に、稀にしか。
 期待する事なんか忘れるくらい、稀にしか。

 その夜に見た夢も、言葉になど表したくないくらい、酷い夢。
 渡辺綱の名を継ぐ少年の、心の闇を抉るような、夢だった。

 その夢の中で。
 …綱は、自分を見ていた。
 自分自身を客観的に見る事など、そうはない。
 そんな余裕がない。
 いつも。
 渡辺家当主としての御役目をこなす自分は。
 いつも、その時々で、精一杯で。
 そう。
 いつも『鬼払い』に奔走している。
 いつも危険に身を晒している。
 ただ、目の前の出来事に当たるだけで。
 気なんか抜けない。
 余裕なんかある訳ない。

 場面が自分の家に移る。
 無言の迎え。
 刺さる視線。
 向けられる怯え。
 …もうずっと、変わらない。
 場面が更に、学校に移る。
 友人の存在。
 他愛無い、僅かな救い。
 …けれどだからこそ、別れた後の寂しさが、より強調される事になる。
 他愛無く騒げる彼らとも、下校の後にはそれっきり。

 …両親には己の持つ異形の力を恐れられ、友人とは共に過ごせる十分な時間もない。

 いつもひとりぼっち。
 いつもきずだらけ。

 それでも誰も褒めてくれない。
 褒める代わりに降りかかって来るのはマイナスの感情だけ。

 …とても惨めに見えた。
 それで、目が覚めた。
 夢の中の自分が消えない。
 この漠然とした嫌な感覚が、消えない。
 惨めな。
 不安な。
 寂しい。

 ひとりにしないで。
 おいていかないで。
 そばにいて。
 いたいよ。
 たすけて。
 おれをこわがらないで。
 なんでさけるの。
 おれはおれなんだよ。
 なにもかわっちゃ、いないのに。
 どうしてこわいの。
 そばにいちゃいけないの。
 あそびたいのに。
 みんなといっしょにいたいのに。
 どうしてだめなの。
 どうしてみんなおれからはなれていくの。

 …ぐるぐると頭の中を巡る感情。どうしたって消えない、絶望に近い感情。自分の境遇が。何故自分は渡辺家の当主なのか。こんな力さえ無ければ、両親は。
 マイナスの感情が、消えない。
 そんな事思っても仕方無いのに。
 しなければならない事、嫌だとか何とか、褒めてもらうとか、そんな言葉で済ませてはいけない事なのに。
 今の生活は。
 …『鬼払い』は。
 俺自身が渡辺家当主として覚醒したからこそ与えられた、崇高なる使命なのだから。

 …本心からそうは思っていても。
 漠然とした不安も、そう簡単に消せるものじゃない。
 綱は布団の中に居る。目が覚めたそのまま、暫く身を縮こめていた。自分の中、何処からとも無く襲い来るそのマイナスの感情に必死に耐える。
 けれど。
 ひとり闇の中、布団に潜って居ると。
 余計に。
 辛くなる。
 この漠然とした不安に、呑み込まれそうになる。
 耐えられなくなりそうになる。

 でも。

 …こんな気持ちになるのは珍しい事じゃない。
 どちらかと言えば、よくある。
 よくある事。
 だから。

 だから、綱は布団から出、自分の部屋をも出て――ひとり、武道場に向かう。
 月明かりの照らす静謐の場に。
 向かう。
 …『御霊髭切』を携えて。

 現実が夢の形を借りて。
 自分を試しているのだろうと、綱はただ、無自覚ながらも悟っている。
 細かい事は考えてもいない。考えても始まらない。考えるだけ悪い方に進む。もう、わかっているから。何度も何度も、同じ事は、あったから。
 だから、何も考えない。
 ただ、迷いを断ち切らねばならないと。
 それだけを覚えておく。識っておく。
 既に自分の中にある。
 だから。
 そんな不安を覚えた時には、する事は決まっている。
 自宅の敷地にある武道場。その場を借りる為、道場に、その神前に礼を取る。
 心の細波を静める為、瞼を閉じる。
 精神統一。

 そして。

 …ただ、振るう。
 もうすっかり手に馴染んだその刀を。綱が綱である理由。使役して長い、渡辺家正統の証――『御霊髭切』。
 一太刀、一太刀。
 確かめるように、丁寧に。
 力強く。
 静寂の中で唯一人、その床板を軋ませ、演舞のように。
 振り抜く。
 振り貫く。
 空を切り裂く。
 迷いを、切り裂く。

 仄かな月明かりの下。闇の中に細い軌跡が残る。僅かな間の事。すぐに消える。けれど余韻が残る。その刀。振り抜いた事実。その場には何も残らずとも、心の中の不安は真実切り伏せる事が叶っている。『髭切』の鋭い光が綱の迷いを、不安を断ち切る刃になる。
 …『髭切』。これが全ての源。だがこれを振るうのが自分。それが出来るのも自分。必要な事。使命。迷うのは当然。境遇を恨むつもりはない。栄誉である事。わかっている。それでも迷うのは――自分が弱いから? そうだ。俺は弱い。弱いからこそ、負けてはいけない。迷う事は、負ける事じゃない。
 迷う事なら、いつでもある。
 けれど。
 戻って来なければならない。
 戻って来れなければ、その時こそ、負けになる。
 大丈夫。
 俺は戻って来れるから。
 大丈夫。
 だから、俺はここに来る。ここで、『髭切』を振るう。用意されている竹刀でも木刀でもない――『髭切』を。俺の役目。逃げてはいけない。すべて受け入れてその上で。
 頑張らなきゃ。
 そう。
 例え今宵は、不安に呑み込まれそうでも。

 ――…明日は笑っていられるように。


【了】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
深海残月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年04月03日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.