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『馬鹿なあいつの噂 』
門屋・将太郎1522

 たまにはこんな浪費もいいだろう。門屋将太郎は草間武彦から受け取った封筒を机に放り出し、しばらく煙草を吹かしていた。天井がくすむ、けぶる。さっきまで武彦もいたから、二人分の煙で真っ白になった部屋は窓を開けて換気をしなければならなかった。
「お前も物好きな奴だよな」
武彦は灰皿に煙草を押しつけながら将太郎の依頼に一週間前と同じ感想を洩らした。放っておけよと将太郎は、将太郎ならそうするであろう笑いを浮かべる。あの男のやりかたには慣れていた。
「なにが楽しくて、臨床心理士が自分の噂なんて知りたがるんだ」
「神様だってなんだって、知らないことはあるんだよ」
そして知る権利だってあるのだ。神様ならば指先一本で願うがままであろうけれども、しがない人間の将太郎は他人の正直な本音を知るために武彦を雇わなければならない。
「ま、俺は報酬さえ貰えりゃいいんだけどな」
「中身を読んで、金を払うに値すると判断したら払ってやるよ」
「なんだそりゃ」
「あんたの仕事はあてにならない」
あのなあ、と武彦は煙草をくわえたまま反論を唱えようとしたが、将太郎はよく聞こえねえなあと耳をひっかきながらのらりくらりと追求を逃れる。
「・・・ったく、仕方ねえなあ」
結局将太郎の粘り勝ち、折れたのは武彦のほうだった。報酬は入らないものと半分諦めながら、それでも
「いいか、俺の調査は完璧だからな。じっくり目を通して満足して、金を持ってきやがれ」
と捨て台詞を吐いて心理相談所を後にした。
「諦めたほうが負けだ」
誰が払うものかと将太郎は煙草をくゆらせる。煙草を一本長い時間かけて吸い終え、それからようやく調査報告へ手を伸ばした。

 封筒の中にはクリップでまとめられた数枚のレポート用紙が入っていた。
「思ったより少ないな」
武彦のことだから最初は真面目にやろうとしたが面倒くさくなって切り上げたのだろう、もしくは将太郎という人間自体に案外知り合いが少ないのか。
「それとも将太郎が人の印象に残らない人間であるか」
最後の想像は冗談半分ながら将太郎は調査報告を取り出して最初の概要を斜め読みする。二枚目には武彦が聞き取り調査をした人たちが仮名・もしくは役職で羅列されていた、といっても将太郎自身につながりのある人間ばかりなので誰が誰と推測をつけることはたやすかった。
「どれ・・・」
さらにページをめくる、三枚目からようやく証言だった。

■ 証言その一・神聖都学園食堂のおばちゃん
「あの子はね、明るいいい子だよ。いただきますもごちそうさまも言ってくれるし、好き嫌いなくなんでも食べてくれるから作っているほうも気持ちがいいね」
最初からいきなり声をたてて笑ってしまう評価だった。模範解答過ぎて、背中がむず痒くなってきた。月並みというか良くも悪くもない愛想のみの答えである。あんまり愉快だったので、将太郎はそのレポート用紙を紙飛行機に折って窓から飛ばしてしまった。
 将太郎が食堂のランチを残さず平らげるのは好き嫌いがないからというよりそこでしか人間らしい栄養を摂取できないからである。一人の夕食は炭水化物、要するにカップラーメンばかり。最近はたまに食卓を囲んだりもするが、基本的に酒ばかり飲んでいる。
だから素面のときには湯気をたてる味噌汁には見えない尻尾がついぱたぱたと揺れてしまう。そんな半野良のような姿を、食堂のおばちゃんたちはこのように受け取っていたのだ。
「しかし俺は、ピーマンの肉詰めが嫌いだ」
一応好き嫌いが、ないわけではないのである。前に一度、生焼けを食わされ腹を下したのが原因だった。

■ 証言その二・ご近所にある商店街の人々
「男の子を連れて時々買い物に来ますね。気さくだから話が弾むんですけど、会計のときになると感じが変わるんですよ・・・」
人の顔色なんざ放っておけ、と思った。ただ単に、自分は金の話をすることが嫌いなのだ。財布は連れに持たせているのだから値段交渉ならそいつとすればいいのに、向こうは単に外見的な問題で年長の将太郎に会計を頼んでくる。うんざりだ、と将太郎は顔をしかめレポート用紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ落とし込む。
 それほど会計が嫌なら買い物についていかなければいいのだが、無理矢理同行させられるのだった。将太郎が一緒にいるときはなぜか野菜が安いらしい。恐らく、店の人間が将太郎の不機嫌な迫力に負けて値引いているのだろう。

■ 証言その三・友人代表
「付き合いはまあ、いい奴だな。酒盛りになりゃどんな話だってのってくるし、開けっぴろげな性格だぜ。ああ、でも女とか結婚とかの話になると急に話題を逸らせちまうんだよな・・・。ありゃ過去に痛い目見てるに違いねえ。それとも案外、年齢がそのまま彼女いない暦だったりして」
「・・・・・・」
明らかに途中から差し込まれた一枚を、次からの調査報告はすべて「その四・その五」の部分に修正の跡が残っていた、将太郎は感想もなしに力いっぱい握りつぶした。段々調査するのが面倒になってきて、武彦はとうとう自分でレポートを一枚書き足していた。
それにしても余計なお世話だ、探偵なんて妙な仕事についてふらふら妹に面倒を見てもらう男が恋愛なんて語れた義理か。ふざけやがって、と憤る。
「勝手な推測しやがって、お前こそ痛い目見てるんだろう」
くしゃくしゃに丸めた紙に向かって将太郎は質問を、プロ野球選手並の剛速球でぶつけた。どこかで武彦がくしゃみをする声が聞こえた気がした。

 調査結果は、どれ一つとして自分を感心させることはなかった。みんなそれこそ髪一枚の上を滑るような、三分経てば忘れてしまうようなことしか言わない。人間の考えは、将太郎が願っているほどに深遠ではなかったのだ。
すべての調査報告を将太郎、いやカネダは折ったり曲げたりびりびりに破いたり二目と見られぬ形へ変えてしまった。こんなものに価値はない、と証拠隠滅。武彦が請求に訪れてもしらを切りとおすことにしようと決めた。
「で、どうなんだ?門屋将太郎、お前はいい人間なのか悪い人間なのか」
ゴミの山と化したレポート用紙を鏡に見立て、そこに将太郎の姿を思い重ねる。あのお人よしなら多分、一枚ずつ丁寧に目を通して
「俺のだらしないところを、みんなまあ好意的に解釈してくれるもんだなあ」
とでも呟きながら照れくさそうに頭でもかくのだろう。将太郎はなまじ人の心の機微を感じ取れるがために、誰のいないところでも人に気を使う。自分には頓着しないくせに、馬鹿みたいに人に優しい。
「他人はこんなに言いたい放題だってのに」
馬鹿だよ。お前は本当に馬鹿だよとカネダは繰り返し言い聞かせた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
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東京怪談
2006年03月30日

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