『月夜の葡萄園 』

柏木・アトリ（2528）

◇★◇


　石畳の上に水を撒き、両脇に植えられている花々を見詰め、枯れてしまった葉を取り除く。
　綺麗に咲いた花の香りは甘く優しくて・・・笹貝　メグル（ささがい・めぐる）はうっとりと目を瞑りながら花の香りを楽しんだ。
　ザァっと、風が１陣吹き、メグルの淡い銀色の髪を撫ぜる。
　腰まで伸びた髪は、大きな弧を描いて風に踊り―――
　「メーグルー！！！」
　そんな爽やかな昼下がり、メグルの名前を呼ぶ間の抜けた声。
　メグルの脳裏に実の兄である、鷺染　詠二（さぎそめ・えいじ）の顔が浮かぶ。
　「お兄さん、何ですか〜？」
　「ちょっと。」
　なんだろうか・・・。小首を傾げながらも、メグルは立ち上がると屋敷の中へと入って行った。
　廊下を抜け、突き当りの部屋に入る。
　「何か困った事でも・・・」
　「メグルさぁ、葡萄園の小父様覚えてるか？」
　「・・・えぇ。覚えてますよ。綺麗な葡萄園の中に建っている小さな丸太小屋に住んでいる・・・」
　「その小父様がさ、今度レストランを開くそうなんだ。あの丸太小屋を改装して。」
　「そうなんですか？良いじゃないですか。葡萄園の奥には、確か小さな噴水なんかもありましたよね。花畑とか・・・」
　「そうそう。んで、ホワイトデーにってチケット貰ったんだよ。」
　詠二がそう言って、淡いピンク色の紙をペラリとメグルに差し出した。
　「特別御招待券・・・料理もタダなんですか・・・？」
　「あぁ。そうみたいだ。前に俺らに世話になったからってくれたんだけど・・・」
　「ホワイトデーは、予定が入ってますね、確か。」
　メグルはそう言うと、小さく溜息をついた。
　何でも屋をやっている詠二とメグルには、基本的に休みは無い。特に行事の時は・・・・・。
　「お断りするのも、アレですし・・・どうするんです？お兄さん？」
　「んー・・・しょうがないから、誰かにあげよう。」
　詠二はそう言うと、よいしょと勢いをつけて立ち上がった。
　「あげるって言ったって、誰にあげるんです・・・？」
　「さぁ。ま・・・誰か適当に声でもかけるよ。」
　「適当ってお兄さん・・・！！」
　「折角のホワイトデー、素敵な場所での夕食・・・最高じゃん！」
　詠二はそう言うと、ソファーの上からポンと飛び下り、パタパタと部屋を後にした。
　「最高じゃんって・・・！お兄さんっ！！いきなりそんなの手渡されても、迷惑じゃ・・・って、もういないんですよね・・・」
　はぁぁぁっと、盛大な溜息をつくと、メグルは天井を仰いだ。
　こうも無鉄砲な兄を持つと、とても苦労する・・・・・・・。


◆☆◆


　行き交う人々を横目に、柏木　アトリはのんびりと街を散策していた。
　最近この近所に新しい雑貨屋さんが出来たらしく、和紙も扱っているコーナーがあると言うのだ。
　弾む心を抑えながら、朧気な記憶を頼りに進む。
　確か、友人はこの先の角を右に・・・あれ？違いますね・・・。
　先ほどからこんな感じで、既に時間はかなり経ってしまっている。それでも、別に急ぎのものではないし、明日にでも友人に詳しい道順を訊けば分かる事で・・・だったらもう、いっそ街中を散策してしまおうかと言う気分になり、ゆっくりと雑貨屋さんを探しがてら歩いていた。
　こうしてゆっくりと街を歩くと、結構色々なものが見えてくる。
　こんなところにこんなお店があったのか・・・なんて、新しい発見をしたり・・・。
　「あれ？アトリさん？？おーーーいっ！！アートーリーさーんっ！！！」
　不意に声が掛かり、アトリは振り返った。
　長い髪が弧を描いて背を滑り、ロングスカートの裾が微かに広がる。
　「詠二さん・・・？」
　「うん！ってか、詠二さんってこっ恥ずかしいから、せめて詠二君って呼んで・・・。」
　紫色の瞳を輝かせながらそう言う詠二に、１つだけ笑顔を向け「詠二君」と小さな声で囁いた。
　「なぁんか見覚えのある人だなぁって思ってたら、アトリさんだったんだよね。」
　「そうなんですか？」
　「うんうん。」
　コクコクと大きく頷いた後で「あ」と小さな声をあげた。何かを思い出したかのような表情に、アトリが小首を傾げ・・・詠二がポケットから薄ピンク色の紙を取り出してこちらに差し出した。
　「これは・・・？」
　「あのね、何でも屋の縁で・・・とあるレストランのオーナーと知り合いになったんだけど、その時のお礼にってこの券をくれたわけ。」
　見れば淡いピンク色の紙には『特別御招待券』と書かれており、時折吹く風に微かに揺れている。
　「１４日、アトリさん・・・暇？」
　「えぇ・・・特に予定は入ってませんけれど・・・」
　アトリはそう言って語尾を濁した。
　こんな大層なものを貰ってしまっても良いのだろうかと言う気持ちが湧き上がってきたのだ。
　「もし良ければさ、俺とメグルの代わりに行ってもらえないかな？何でも屋って、行事の時は目が回るほど忙しくってさぁ・・・。折角貰ったのに、無駄にしちゃったら勿体無いし・・・。」
　「・・・頂いても、宜しいんですか？」
　「うん！ゼヒ貰ってくれると嬉しいな。」
　詠二がニコニコと微笑んで―――
　「あの、詠二君・・・その券って、３枚いただけます？」
　「３枚？うん、別に良いけど・・・」
　２人も誰を誘うの？と言う視線に、アトリが苦笑を向け、そっと目を閉じた。
　「この間言っていた、幼馴染の女の子と、その子の大切な方と・・・。」
　「そっか。」
　ニカっと、詠二独特の元気の良い笑顔を見せ、券を３枚アトリに手渡した。
　「楽しんで来てね☆俺とメグルも、もし行けたら・・・行っても良いかな・・・？」
　「えぇ、ゼヒ。」
　ふわりと微笑むと、アトリは詠二に丁寧に頭を下げた。


◇★◇


　陽の光に照らされた葡萄園の風景は、爽やかで清々しいものだった。
　木々の間を縫うように突き進む道を歩きながら、両脇に並ぶ木々を見詰める。
　葉のついているもの、実の生っているもの、花のついているもの・・・・・・。
　今の時期に葡萄が生るなんて、なんだか不思議だった。
　それでも、ここの雰囲気は全てを許しているかのようにおっとりと流れており、それ以上“常識”を考える気にはなれなかった。
　暫く歩いた先にあった丸太小屋はまるで御伽噺の中から飛び出してきたかのように可愛らしい作りをしており、アトリは思わず隣に居た千住　瞳子と声を上げて喜んだ。２人の少し後から歩いて来ていた槻島　綾が、元気の良い２人に微かな笑顔を向ける。
　女の子２人組の声にだろうか・・・半開きになった扉から初老の男性がゆっくりと出て来て、首を傾げた。
　紳士風の男性を見てアトリは１歩前に歩み出ると、ピンク色の紙をペラリと男性に差し出した。
　「鷺染さんからのご紹介で・・・」
　「あぁ、詠二君からの。はい、聞いてますよ。それにしても、随分とお早いお越しで。」
　にっこりと、人の良さそうな笑顔を浮かべる初老の男性。
　ともすれば嫌味とも聞こえる言葉だが、男性の表情や仕草、もっと言ってしまえば口調や瞳は、嫌な雰囲気を少しも含んでいなかった。
　若い３人を見て、優しい瞳をそれぞれに向け・・・「お昼は持って来たんですか？」と穏やかに言葉を紡いだ。
　「あ・・・そう言えば、何も持って来てないですね。」
　瞳子が“しまった”と言うような顔をして―――男性が、大丈夫だと言うような笑顔を向ける。
　「簡単なものでも宜しいのでしたら、お昼を何か作りましょうか？」
　「お願いできますか？」
　「えぇえぇ。大丈夫ですよ・・・もし宜しければ、外で食べてみますか？今日は風は強いですが、暖かいですし・・・。」
　ゆったりとした口調を受けて、アトリは他の２人を振り返った。
　「そうして頂きましょうか・・・？」
　「そうですね・・・。」
　瞳子と綾がチラリと視線を交わした後で、コクリと頷いた。
　男性が中に入って行くその後姿を見詰めながら、アトリは空を仰いだ。
　確かに、風が強い・・・。
　けれど・・・どこか心地良いその風は、微かに甘い香りを纏っている。
　葡萄の香りなのだろうか・・・？
　甘く柔らかい風を胸いっぱいに吸い込み―――靡く髪を片手で押さえると、青く澄んだ空を見詰めた。


◆☆◆


　包んでもらったお昼を綾が持ち、３人は丘の上へと来ていた。
　丘の上には桜の花が１本立っており、ちらほらとピンク色の蕾がついているのが見える。
　借りて来たシートを瞳子とアトリで広げ、その上に綾が荷物を置く。
　「桜・・・随分と早いんですね。」
　「暖かいからですかね？」
　アトリと瞳子にそう言って見上げられ・・・綾が苦笑した。
　「暖かいから・・・でしょうか。」
　僕にも良く分からないんですと言って―――その言葉を聞きながら、アトリはサンドイッチを取って２人に差し出した。
　中に挟まっているのはトマトとハム。
　彩り鮮やかなそれをパクっと１口食べると・・・美味しい・・・。
　質素な味は、取り立てて美味しいと言うわけではなかったけれど、どこか懐かしいその味はアトリの心をジンと暖かくさせた。
　素朴な美味しさが、温かく身体の中に染み込んで行く。
　しばらくサンドイッチに舌鼓をうった後で、アトリは隣に座る瞳子に視線を向けた。
　瞳子がこちらの視線に気付いたらしく、にっこりと可愛らしい笑顔を向けてくれる。
　「それにしても、今日は天気が良いですね。」
　「本当ですよね。風が強いですけど・・・でも、気持ち良いくらいですし。」
　そう言って、瞳子が目を瞑った。
　風を感じているのだろうか？前髪が風に儚く揺れている。
　「大学生活はどうです？」
　「楽しいですよ。友達の幅が広がりますよね、大学は。」
　「そうですね。新しい友人が出来ると、話のバリエーションが増えますし、新しい発見も出来ますし・・・」
　「ものの見方も人それぞれで、楽しいんですよね。あぁ、そう言う見方も出来るんだなぁとか、逆に感心したりします。」
　瞳子の意見には、アトリも賛成だった。
　新しい友達が出来る毎に感じる、人それぞれの感じ方の違い。
　自分一人では見えて来ない場所でも、人と一緒に居ると見えて来たり―――
　「でも、懐かしい友人も良いですよね。」
　「でも、懐かしい友達も良いですよね。」
　アトリと瞳子の言葉が重なり・・・あまりにも偶然なその瞬間に、黙って聞いていた綾が吹き出した。
　「や・・・あまりにも仲が良いので、思わず微笑ましくなってしまって・・・」
　女の子２人からの視線を前に、綾が口元を手で覆いながらそう言う。
　声が微かに震えているのは、きっと笑いたいのを我慢しているからなのだろう。
　瞳子の視線とアトリの視線が合わさり―――ぷっと、まったく同じタイミングで２人とも吹き出した。それが更におかしさに拍車をかけ・・・続く偶然に、運命を感じずにはいられなかった。
　「運命ですね。」
　「とりちゃんと私は、見えない運命の糸で繋がってますから。」
　小指を空に向けて、悪戯っぽい笑顔を見せる瞳子。
　アトリが思わず抱きついて・・・瞳子が嬉しそうに笑い出し、アトリの背中に手を回す。
　「運命の赤い？糸ですから。」
　瞳子がアトリに抱きしめながらそう言って綾に小指を見せ、綾がそれを受けて苦笑する。
　「瞳子さん・・・疑問系でしたよ？」
　「・・・見えないって言ってしまっただけに、赤いかどうかはちょっと・・・」
　語尾を濁す瞳子に、アトリと綾が顔を見合わせて微笑む。
　確かにそうだと言って、笑い出し―――
　弾む会話は、サンドイッチを更に美味しいものへと変える。
　過ぎ去った遠くも近い過去の話に華が咲けば、現在の話に華が咲く。
　咲き誇る、言葉と言う花は、見えないながらも色鮮やかだ。
　別々に過ごしていた日々があっという間に埋まって行く安心感を感じつつ、仲良さそうに過ごす２人に気を遣ってばかりの綾に思わず顔が綻びる。
　瞳子が突然立ち上がり、目の前に咲いている花を指差して首を傾げた。
　「これは何ですか・・・？」
　紫色の小さな可愛らしい花をつけており・・・
　「それは丸葉連理草（マルバレンリソウ）ですよ。」
　綾がそう言って・・・アトリも頷いた。
　４月から５月が花期のはずなのに・・・随分と早い・・・。
　「こっちの花は何ですか？」
　瞳子が更に先に咲いている花を指差して歩いて行き―――
　「それは春紫苑ですよ。」
　アトリがそう言って・・・ふっと、視線を下げた。
　春紫苑の花期は５月から７月のはずだ。丸葉連理草が終わる頃くらいに咲き始めるのだが・・・。
　そんなアトリの考えを悟ってか、綾が小さく苦笑して首を振った。
　確かに、この時期に葡萄が生っていたのも不思議だったのだ。花期よりも早く花が咲いていた所で悩んでいても仕方がない。
　「とりちゃん！この花は何ですか？」
　瞳子の声に視線を上げると、随分と遠くに行っており・・・「もう食べ終わってしまいましたし、ゆっくり散歩でもしましょうか」と綾が言い、アトリはそれに頷いた。
　荷物をまとめようとする綾に手を貸そうとしゃがみ込むと「先に行っていて下さい」と笑顔で言われる。
　「それではお言葉に甘えて・・・」
　アトリはそう言うと、瞳子の元へと走り出した。
　「その花は、赤詰草と言って―――――」
　花期は６月から９月。まだまだ先の季節に咲く花だけれど・・・この不思議に心地良い空間では、そんな些細な事はどうでも良くなってしまっていた。


◇★◇


　草花を追いながら、知り得る限りの花の名前を訊かれるままに答える。
　時折知らない花もあったが・・・それは綾がフォローを入れてくれた。
　風が気持ちよくて、咲き乱れる花々は、季節を違えているものが多くて・・・。
　花期が終わっているはずの花があれば、まだこれから咲くはずの花もある。
　道の脇に咲く、黄色の花。その隣に咲く花はピンク色。その隣には真っ白な花。更に隣は水色の花――――
　一見すると、あまりにも規則性のない花の並びだった。近くで見れば見るほど色合いの不自然さが目立ってしまって・・・。
　「綺麗な配色ですね。」
　綾の言葉に、アトリと瞳子は顔を見合わせた。
　「なんだか規則性のない色の並びじゃないですか？」
　瞳子の言葉に、今度は綾が首を傾げる番だった。
　そうですか？と口の中で呟き―――咲き乱れる花々の、少し遠くを指差した。
　その指に導かれるように指し示された方を見やり・・・アトリと瞳子が、思わず「あっ」と小さく声を洩らした。
　様々な花が咲き乱れるその場所は、七色に輝いていた。
　近くを見るばかりで、遠くを見ようとしなかったから・・・・・・・
　「１つ１つを比較しながら見るんじゃなく、混ぜてしまえばこんなにも綺麗に見えるんですね。」
　アトリの言葉に、瞳子が柔らかい笑顔を浮かべた。
　「これも、視点の違い・・・ですね。」
　「あぁ、確かに・・・近くで見ると不自然な色合いですね。」
　どうやらアトリと瞳子の視点に立ったらしい綾がそう言い・・・３人は、小さく微笑んだ。
　しばらく歩いていると、瞳子が不意に足を止めた。
　人差し指を唇の前につけ、しーっと小さな声で言って―――指差されたそこには真っ白なウサギが跳ねていた。
　こんなところにウサギが居るなんてと驚きを隠せないながらも、それもまた、可愛らしく不思議な光景で・・・。
　どうやら耳が良いらしい瞳子が、次々に小動物の足音や、鳥の声を聞きつけて逆にこちらに教えてくれる。
　普段ならば気付かないほどに小さなその音に、アトリは興味深い面持ちで瞳子の話に耳を傾けた。
　以前、和紙細工の取材を受けた事が切っ掛けで意気投合した綾さん。その綾さんを介して偶然再会した、東京に住んでいた時の親友である瞳子さん。
　それぞれの視点、違う、ものの見方。
　自分１人では気付かないモノ、知らないモノ。
　３人寄れば、色鮮やかに見えてくる・・・。

　沈み行く夕日の色は、あまりにも淡い色だった。
　そっと近づいてくる夜の気配に耳を澄ませば、風の音が冷たく響く。
　キラキラと輝く星の粒も、真っ白な月の光も、幻想的なまでに美しい葡萄園に降り注ぐ、淡いヴェールとなる。


◆☆◆


　真っ白なレースのテーブルクロスの掛かったテーブルの上には、美味しそうなステーキの乗ったお皿が置かれ、その脇には黒とも取れるような色をした液体の入ったグラスが置かれた。
　テーブルの上は賑やかで、サラダの入ったボウルの側面には繊細な絵が描かれている。
　窓の外に視線を向ければ既に闇に染まっており、煌々と輝く月が全ての光を支配している。
　星と月と葡萄園と。
　きっと特等席なのであろう、そのテーブルからは全てが見えた。
　右手にナイフ、左手にフォークを持ち、和やかな談笑を交えながらの食事はとても美味しかった。
　柔らかいステーキに、色取り取りの野菜。
　最後に出てきた葡萄のタルトは甘さ控えめで、葡萄の味を良く引き出していた。
　「あ・・・そうだ・・・」
　瞳子がそう言って、足元に置いたバッグの中から何かを取り出し・・・恥ずかしそうに俯きながら手に持ったものを２人に差し出した。
　淡いピンク色のリボンの掛かった箱を前に、アトリと綾が顔を見合わせる。
　「とりちゃんに、バレンタインのお返しと思って・・・チョコ、凄く美味しかったです。」
　「そう言っていただけると嬉しいです。・・・有難う御座います。えっと、これは・・・」
　「クッキーなんですけど、美味く出来たかどうかは・・・」
　そう言って恥ずかしそうに俯く瞳子の髪を、そっと撫ぜた。
　以前詠二が言っていた言葉がふっと心を掠める・・・。
　「有難う御座います。きっと、美味しいですよ。」
　「綾さんには、いつもお世話になってますから・・・。」
　「有難う御座います。」
　瞳子の言葉に、綾が丁寧に頭を下げた。
　そんな微笑ましい２人を見詰めながら、アトリはそっと考えを巡らせた。
　昼間、瞳子さんを殆ど独占してしまったので、夜はお二人で過ごして欲しいのですが・・・
　如何せん、この場からどうやって離れるかが重要だった。
　あまり不自然な離れ方は逆におかしいし―――――
　「あー、いたいた！アートーリーさーんっ！！」
　考え込むアトリの耳に、不意にそんな声が聞こえてきて・・・振り返ったそこで、詠二とメグルが立っていた。
　ブンブンと手を振る詠二に小さく手を振り返し、チャンスとばかりに席を立った。
　「ごめんなさい、知り合いが来たので・・・行っても大丈夫かしら？」
　「えぇ、どうぞ。」
　キョトンとした表情で、瞳子と綾がそう言って、入り口の方に立っている詠二とメグルを順番に見詰める。
　どうやらあの２人とアトリの接点が見つからないらしい。
　このレストランの券をくれたのは彼らだと言おうかどうしようか迷ったが・・・言った場合、律儀な性格の２人だ。きっとお礼を言いに行くに違いない。２人の時間を大切にして欲しいから、アトリはあえてこの場では言わない事にした。将来的に、言う機会があれば言うかも知れないが・・・。
　それじゃぁと言って、アトリは詠二とメグルの方へと歩いた。
　初老の男性・・・きっと、ここのオーナーなのだろう・・・が、詠二とメグルに頭を下げて何かを言っており、詠二がしきりに首を振っていた。
　メグルが「お久しぶりです」と言って控えめな視線をアトリに向け、それに対して「お元気でしたか？」と訊くと「私は元気です。でも、兄は元気すぎます」と溜息混じりに言って、目頭を押さえた。
　なんだかその仕草が可愛らしくて・・・どうやら話が終わったらしい詠二が、アトリとメグルに声をかけ、外へと出た。
　淡い光に照らされて、仄かに浮かび上がる葡萄園は幻想的だった。
　甘い香りが冷たい風に乗ってやってくる。
　目を閉じてその香りを胸いっぱいに吸い込み―――
　「２人をそのままにして来て良かったの？」
　詠二の言葉に、アトリが悪戯っぽい視線を向けた。
　「えぇ。これは、私からお２人へのホワイトデーのプレゼントですから。」
　「そっか。」
　コクリと頷いて、詠二が葡萄園の方へと走り出した。まるで子犬がはしゃいでいるかのような詠二の行動にアトリが微笑み、メグルが盛大な溜息をついて遠くを見詰める。きっと、詠二は毎日この調子なのだろう。たまになら良いとして、毎日これでは・・・メグルが疲れてしまうのも分かる気がする。
　走り出した詠二の濃い影を視線で追う―――――と、不意にアトリの耳に繊細なピアノのメロディーが聞こえてきた。
　軽快にして繊細なメロディーは、アトリも聞いた事のあるもので・・・。
　「エルガー・・・ですか？」
　「そうですね。愛の挨拶・・・ですね、これは。」
　メグルの言葉に、アトリが頷いた。きっと、弾いているのは瞳子だろう。
　美しい旋律に、思いを馳せる。
　この素敵な葡萄園と、白く滲む月と、甘い香りのする風―――――



　　愛妻家の彼が、生涯愛し続けた妻に捧げた曲をバックに・・・・・・・




　　　　　　　　　　　　　　≪ E N D ≫



　━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

　登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
　━┛━┛━┛━┛━┛━┛
　【整理番号　／　ＰＣ名　／　性別　／　年齢　／　職業】


　　5242/千住　瞳子　/女性/21歳/大学生


　　2528/柏木　アトリ/女性/20歳/和紙細工師・美大生


　　2226/槻島　綾　　/男性/27歳/エッセイスト


　　NPC/鷺染　詠二
　　NPC/笹貝　メグル


　ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
　━┛━┛━┛━┛━┛━┛

　まずは・・・大変お待たせしてしまい、まことに申し訳ありませんでしたっ！
　この度は『月夜の葡萄園』にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
　そして、続きましてのご参加まことに有難う御座います。（ペコリ）
　アトリ様の雰囲気を壊さないように描けていれば良いのですが・・・。
　もしお時間が御座いましたら他のお２人のノベルもご覧下さい。
　視点がそれぞれ違うものになっておりますので、新しい発見もあるかも知れません（笑）


　　それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。

ホワイトデー・恋人達の物語２００６

雨音響希

東京怪談

2006年03月16日