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『花寒し 』
祭導・鞍馬6161)&朝深・拓斗(5977)


花冷えの肌寒さに、少しほっとする。
朝深・拓斗 (あさみ・たくと/5977)は、襟をかき合わせながら小さくそう呟いた。
郷里ではまだ春の到来のない時期だけに、この街の暖かさは幾分体に合わない。この位の冷え込みの方が、拓斗にとっては馴染み深いものだった。
ふうと吐き出す、息も白い。吐息は夕雲にのって、冷たい風にじわりと溶けてゆく。
少しだけ歩調を早めて、拓斗は広い川にかかった橋を越えてゆく。手にしている刀…無論、他の人が見ても真剣だと知れないよう、木刀の袋のようなもので覆ってある…が、歩く度に揺れてきしきしと鳴いた。その音に引かれるように、拓斗はそっと刀に目をやった。長く影を引いて、刀は拓斗の左手にあった。
この刀は、拓斗が舞う剣舞の為の刀であった。だが同時に、村に伝わる神事の為の御神刀でもある。神刀と称されるだけあって、並々ならぬ霊威をその刀身に携えていた。一太刀で四方を祓い清めるだけの力を、その切っ先は十分に備えていたのだった。
そうして、それを自在に扱えるのは、剣の舞手である拓斗だけだ。
だからこそ、村から遠く離れても剣舞の練習をおろそかにする事は無かった。今も実家の縁者を頼って、街外れの小さな道場で一人稽古を積んできた所だった。うっすら汗をかくほど刀を振るってから、家路につこうとしていたのだ。
小さくきしる神刀から目を離し、拓斗は帰路を進む。
夕闇迫る川を渡り終え、小さな地蔵堂前を過ぎる。そこから右手に折れ、大通りへ差し掛かった。
瞬間だった。
隠、と鞘鳴りがした。
鼓膜の凍るような感触に、拓斗はその眉根を寄せる。酷く不愉快な気配。そう思いながら、ぎゅうと瞼を絞る。引き締めた意識の端に、案の定かかる者…モノ、か…がある。
時間をおかずに、それは拓斗の前に現れ出た。
真っ黒だ、と・・・端的に拓斗はそう思った。
見て取るに、御神刀に宿る霊威に惹かれて迷い出た、怨霊の類だろう。
男であったか女であったか、今となってはそれすら定かで無いほどその姿は変質してしまっている。ただ伝わるのは、深い深い地の底から沸くような怨嗟のみ。
上から覆い被さるような気配の重さに、拓斗は軽く溜息をついた。
…面倒だが、そうも言っていられない。
人気の無い場所まで、何食わぬ顔で歩き続ける。ゆらゆらと揺れながら、黒い影は拓斗の背中を追って来た。
ふと開けた空き地の脇で、拓斗は静かに刀を右手に取った。する、と、袋を縛る紐を解く。封じを切るような神妙さで、拓斗は柄を握ると、静かに御神刀を抜いた。
全てを凍てつかせるような、圧倒的な神威。鍛えられた刃先から溢れるそれを、身の内に取り込むように一つ息を吸う。
それは、ほんの一瞬だった。
しなやかに風を薙ぐように、切っ先が線を描く。それは流麗な蹟で筆を走らせるのに似て、柔らかくそれでいて無駄のない動きだった。だが柔らかなその所作に、怨霊が身動きを止める。そして。
パン、と、何かがはじけ飛んだ。
次の瞬間、黒い影は跡形もなく拓斗の前から消え去った。
…相手の気配が完全に途絶えたのを確認してから、気配を解くように拓斗はゆっくりと息を吐き出す。
「…いやぁ、村に居たんじゃ拝めない光景だねぇ」
パチ、パチ、パチ、と。
多少気の抜けた拍手の音に、拓斗はぎょっとして顔を上げた。人がいるのに、今の今まで気付かなかった。
慌てて、刀を隠そうと右手を後ろに回し。
…その姿を捕らえた途端、今度は大仰に溜息をついてみせた。
じ、と睨み付けると、拓斗は思い浮かんだままの言葉を、その相手へとぶつける。
「…なんであんたがここに居るんだ?」
…祭導・鞍馬 (さいどう・くらま/6161)。
村にいる頃からの知り合い、尚かつ、数少ない『村を離れている村人』の一人である彼が、…何故、ここに。
「んーていうか、偶然?」
に、と鞍馬は人好きのする笑みを作る。剽げた物言いと銀縁眼鏡は、見知った頃のままだ。
「…何が、偶然だ。」
馬鹿馬鹿しいと、言い捨てながら拓斗は神刀を元の姿へと戻した。おおかた、この街に自分がいると村の誰かから聞いたのだろう。もしくは、鞍馬持ち前の行動力でまんまと探し当てたのでは無いか。…万が一にも偶然が本当だったら、それはそれで空恐ろしい。
「会いたかったよ、」
「誰が『会いたかった』だ。」
「いや嘘じゃない。会いたかった。」
向けられる笑みは、日だまりのように明るい。
が、…その笑みに不審そうな顔を見せ、拓斗は通りに向かって歩き出そうとした。
「ああ、待てよ、ちょっと。」
久々なのにその態度はないだろう、と、慌てて声が追って来た。





確かに。
確かに、会いたかった、は嘘じゃない。
静かな怒りと諦めの中、拓斗は小さくそう口にする。
…拓斗は今、ある大学の一室にいた。
事の成り行きはこうだった。せっかくだからもう少しゆっくり話そうと、鞍馬がそう切り出したのだ。
話を聞けば、どうやらこの近所に、鞍馬が研究生として所属する大学があるという事だった。そこなら他の邪魔も入らずに村の話が出来るし、お茶の一杯ぐらいご馳走すると言うのだ。
「ちょっと寄って行けよ。すぐ近くだから。」
そう誘われて、ついその言葉にのってしまった。
何しろ、大学の中なんて入った事も無い。医者になると言って村を出た男の仕事場が、どんなものであるか興味もあった。少しの好奇心も手伝って、そろそろ夜になると言うのに鞍馬に着いて来た。それが、…運の尽きだ。
「…何なんだよ、これは。」
ごほ、と拓斗は埃の酷さに咳き込んだ。
「あー、だからタオル口んとこに巻いた方が良いって言っただろ。」
蔵書を右手にはたきを左手に、笑いながら鞍馬はそう揶揄する。
「煩い。」
埃が目に染みた涙目で鞍馬を睨め付け、拓斗は上の棚から本という本を引っ張り出す。
…会いたかったは、嘘じゃなかった。ただ。
『誰でも良いから会いたかった』が、正しいのに違いない。きっと。
…この、とんでもない大掃除の手伝いをさせる為に、だ。
そう思う拓斗に、全く悪びれる気配も無く、鞍馬は追い打ちをかけた。
「さすがに、この部屋を一人で片付ける勇気は無くてだな、」
「…勇気でカタをつけるところか、それは。」
「勇気じゃ駄目か?じゃあ愛と友情で。」
溜息しか出てこない拓斗の横顔を、鞍馬が面白そうに見遣る。
いちいち相手をしていては疲れるだけだと、拓斗はあっさりそう決断した。とにかくこの部屋さえ片付ければ、家に帰して貰えるのは間違いない。
棚に手を伸ばし、ぞうきんで埃を落とす。それからもう一度、本を綺麗に並べ直す。
つい高さまで揃えてしまう己の几帳面さを恨みながら、拓斗はきちんと並んだ背表紙に目をやる。
"道祖神"だの"説話"だの"まれびと"だの。
埃を落とした書物には、そんな言葉が並んでいる。
幾ら拓斗でも分かる。目の前のこれは、明らかに医学書では無い。というか、医学書は一冊も置いてない。もしかすると他に研究室を持っているかもしれないが、それでも一冊もないなんて、不自然だ。
ちら、と目が合う。
気付かれたか、と、鞍馬はあっさりそう白状した。
「…医者になるんじゃ、無かったのか。」
そう大見得を切って、実家を出たと聞いたが。
ああ、と意味深な笑いを見せ、鞍馬はマスク代わりのタオルを取った。いたずらのばれた悪童のような顔つきだった。
「ドクターになるって、そういや言ったかもな。」
ドクター。それは、『医者』ではなくて『教授』という意味か。つまりは屁理屈か。
「…何にせよ、親も村も騙してここにいるって事だな。」
どういうつもりだ。
問うと、いつもほがらかなだけの鞍馬の顔が、少しだけ苦笑めいた表情になった。
何故。
何故なら。
どうしても、知りたかったのだ。
どうしても知りたいことがあったから、こうする事しか出来なかったのだ。
…黙り込んだ鞍馬に、拓斗は小さく首を傾げた。
その顔に僅かばかり浮かんだ陰りの意味を、問いただすことも出来ずにこう言葉を綴る。
「…じゃあ、今何をやってるんだ。」
「今?民俗学。…知ってる?」
民俗学。
医学部とまるでかけ離れているのだけは、分かる。
では何をしているのかというと、正直少しも検討がつかない。
「…何を、研究するんだ。」
仕方なく拓斗は問う。頬杖をついて、鞍馬は答える。
「人のする事、全部。」
「全部?」
「そうだ。生も死も何もかも含めて、あらゆるものを研究する学問だ。」
つまりは何でもアリだな。鞍馬がそう付け加える。
分かり易く、言うなら。
産まれた瞬間から死ぬまでに起こること。人が生きてゆくために死んでゆくために行う全て。
例えば産まれて来た子供のための誕生祝いと言う行事。その子供が病気にならない為の呪、生きてゆくために使うあらゆる道具、信仰する宗教、うわさ話という口伝、最終的に死を迎える際の葬送儀礼まで。
五十年後にはコンピュータやゲーム機や携帯も『民具』の一つに数えられているかも分からない。
「そう言う学問だな。」
耳だけを鞍馬に向け、拓斗は机に広げられた書類を束ねにかかった。専門用語が混じり始めたせいか、少し話が難しくなってきた。
…そんな学問に身を置いて、鞍馬は何を研究しているのだろう。
一旦机上の全てを動かし、埃を綺麗に拭き清める。次にパソコンそばの紙束を重ねる。それから金色の文鎮の下にある、手書きで書き殴られた書類に手をかける。
汚い字だ。いらないなら捨ててしまいたいが。
「この書類、どうする?」
文鎮を左手、紙切れを右手に持ち、鞍馬の前にかざしてみせる。ところが、帰ってきた答えはこんな言葉だった。
「蛇・・・、ね。」
「は?」
「蛇っていうのはさ、大昔は日本人にとって神だったんだよ。」
知ってた?
「・・・唐突に、何言ってんだよ。」
余りに脈絡のない台詞に、拓斗は鞍馬の顔を見つめた。その顔から、鞍馬はゆっくりと視線を外す。そうして、視点を別のものに移した。
「拓斗が今、手に持ってるそれ、」
投げかけられた言葉につられるように、拓斗は指先に摘んだ文鎮を見遣る。金色とは、成金ぽくて趣味が悪い。そう毒づいてやろうと開きかけた口を、遮るように鞍馬が言葉を継いだ。
「社会科の教科書で見た事無い?『漢委奴国王』って刻まれた国宝。」
聞いたことが、ある。手の内のものを、拓斗はもう一度眺めやった。金色の文鎮だと思っていたのは、光武帝が倭国の王に送ったと言われる紫綬金印、そのレプリカであったらしい。確か福岡の、何とか言う島から出土した筈だ。
それが、何だと言うのだろう。
「それにね、蛇の形をしたつまみがついてる。紐通しとしてなんだけど。・・・知ってた?」
「・・・知るかよ。」
初耳だ、という表情の拓斗に、鞍馬は剽げた笑いを作る。
「中国の皇帝なんてね、馬鹿みたいに広い領土と、とんでもない数の臣下と、途轍もない権力を手に入れた、一種の神様みたいな扱いされてた人間だ。そんな人間の贈り物に、蛇の模様が入ってるって意味、分かる?」
難しい謎解きのような言葉を、鞍馬は投げた。
眉間に幾重にも皺を寄せ、拓斗は文鎮代わりの金印を睨みやる。鞍馬の謎の意味も分からないが、何故そんな事を言い出したのかは更に分からない。
その苦行めいた顔に吹き出すと、鞍馬は更に言葉を重ねる。
「・・・ヒント出そうか。自国では亀紐、内蒙古では駱駝鈕、甘粛省では羊鈕、そうして南方と日本では、・・・蛇紐印が発掘されている。」
亀、駱駝、羊、蛇。
全く共通点が無い。強いて言えば動物だっていう位だが、どれをどうとっても接点は無さそうだ。
「…意味なんて、無いんじゃないのか。」
「おそらく違うね。・・・推測だが、送り主たる漢は、ちゃんとその意味を知っていたのさ。」
そう言われても、拓斗にその意味を見いだすのは不可能だった。
降参、というように両腕をあげる。正確には、右手の書類と左手の金印をだ。
その仕草に、おもむろに鞍馬は正解…彼の考える正解…を、口にした。
「それが、民族の象徴(トーテム)たる動物だって事を、だ。」
「どういう事だ。」
「北方民族にとっては駱駝や羊が最も価値あるもの、漢国内では亀が最も高貴な動物、・・・日本では、蛇が最も神聖なる生物・・・少なくとも、王たる者へ与えるに相応しい模様だって、そう判断していたと考えられる。」
それは、すなわち。
古き昔、この国では、『蛇』が神と同一視されていたと言う事だ。何故なら、当時の日本人にとって王は神そのものであったろうから。王位、高貴、統治者の証。つまり蛇は神性の象徴だと、人々はそう認識していたと考えても差し支えない。
…ここらで一段落しようか、と、呟きながら鞍馬が立ち上がった。
机の引き出しからガラス式のコーヒードリッパーを取り出すと、傍らの水道でざっと水洗いする。びしょ濡れのドリッパーを軽く振りながら、冷蔵庫を開ける。ミネラルウォーターと挽いたコーヒー豆、何故かフィルターを取り出して、埃を吹き払った机の上にそれを並べる。
フィルターをセットし、豆を入れる。コンセントを入れてから水を注いで。
やがて、香ばしい豆の匂いが立ち上って来た。
「それが、」
「…それが、どうしたんだ。」
「それが、・・・仏教が入ってくるとともに、邪悪なものに変わってしまった。」
それはおかしい、と、拓斗は思う。
どうして、仏教の所為で立場が変わってしまうのだろう。神だったものが。
答えを促すように鞍馬を見る。その鞍馬の視線は、滴り落ちるコーヒーの褐色にじっと注がれている。
「…『畜生』だから。」
ドリッパーが、ことことと音を立てる。
「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上って言うだろ。畜生たる蛇が、人間より上に来ちゃ都合が悪い。」
そういうものなのか。
仏教の考えることは、よく分からない。それでなくとも話が難しいし。
分からないというふうに、拓斗は緩く首を振った。やれやれというように、鞍馬がゆっくり笑いかけた。
窓際に立つと、鞍馬はゆっくりと窓を開け放す。
眼前に広がるのは、深い深い深い闇。芯まで冷える冷たい風が、すうと内へと流れ込んでくる。
「村の祭も蛇が関係するじゃない?その辺が影響しているかは解らないけど…ちょっと興味を持って、ね」
「…そうなのか。」
少しだけ。
分かった気がした。
…鞍馬が、知りたいと思っている事。
きっと、『ちょっと』ではない興味を持っている事。
その結果、民俗学にたどり着いてしまったらしい事も。
「さてと、いれたてのコーヒー、ご馳走するとするか。」
見つめていたドリッパーから目を離すと、鞍馬はくるりと後ろを向いた。目の先にあるのはまたもや冷蔵庫。…確かに一番埃が入らない場所だが。
コーヒーカップまで、そこに隠してあるとは。
呆れ顔で呟くと、拓斗は鞍馬の背中を追った。
案の定鞍馬が冷蔵庫を開ける。奧に手を突っ込むと、何かを取り出して。
かちゃん、と擦れ合った二つが音を立てる。
それが何かを悟り、俯き、顔を上げ、…拓斗はぐったりと息を吐いた。
「・・・ビーカー・・・。」
大体民俗学部は文系学科だろう。ビーカーなんて何の為にあるんだよ。
心の内でそうつっこみを入れる。
「研究って言ったら、」
くつくつと、からかうような笑い声が拓斗の耳を擽った。
小洒落たグラスでも傾けるように、同じビーカーを手にした鞍馬が窓際にもたれて立っている。奇妙に様になっているのが、何だか拓斗には不愉快だった。
「・・・研究って言ったらビーカーで珈琲と、相場は決まってるんだよ!」
その顔を。
憮然とした面持ちで一度睨み付けてから、拓斗は無言でビーカーに口をつけた。

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2006年03月16日

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