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『甘き雪代水 』
守崎・北斗0568)&守崎・啓斗(0554)

「待て、それとこれとは話が違うぞ」
 春も顔を覗かせ、コンクリートジャングルと言えども東京のあちらこちらで緑の芽吹きが見られるようになった三月下旬。
「どー違うんだよ」
 ガスも電気もそろそろ止められそうな滞納を警告する紙束に塗れた草間興信所の所長が冷蔵庫前で丸くなっている人物へ眉間に皺を寄せて、睨みか、はたまたその食欲に仰天してか視線を投げかけている。
「お前は今日なんの話をしに来た」
「だーかーらー、ホワイトデーの話だろ?」
 冷蔵庫は開けっ放し、このままではいい具合に電気の消費率が上がり来月に電気会社がにっこり笑って電気を止めてくれるだろう。
 いや、それよりも今目の前にある食料の危機をどうにかする事が先だ、とこの興信所の所長である武彦の脳は怪奇の類の依頼には働かない思考を音速のスピードで回転している。
「大抵さぁ、ホワイトデーの三品って結局のとこどれが一番大好きだって意味なんだよ」
 ぶつぶつ、という文句がもぐもぐになっているあたりこの冷蔵庫の前に佇んでいる守崎・北斗(もりさき・ほくと)の凄い所だ。
 どんなに言葉を発しても汚く口からはみ出す事も無く綺麗に平らげつつはっきりと物を喋るのだからある意味隠し芸としても楽しく眺める事が出来るだろう。

「ホワイトデーと俺の家の冷蔵庫…それのどこが同じなんだ」
「んー、食い物だから?」
「聞くなっ!」
 ただ貧乏な上に来月まで持つか分からない食料を漁られる方は楽しくもなんともないのだが兎に角。

 春の暖かいこの日、のんびりと過ごせる事の少ない草間興信所に初めてやってきてそれからずっと冷蔵庫を占拠している北斗は胃袋と口を同時に動かしながらホワイトデーの主役三種と言われている『マシュマロ』『飴』『クッキー』この三つ、どれを買うべきかもう三十路。とりあえずではあるが人生の先輩に教えを乞う、という名の食料のたかりに来ていた。
「そんなものは個人の好みだろう。 マシュマロはまぁ、そうだな高温で溶けるから長期保存には向かん。 飴も然りだがこっちは意外と取っておいた後のふにゃけた感じが良いと言う奴もいるだろうな…クッキーは…て、おい。 本当に聞いてるんだろうな?」
 武彦の教えはある意味でとても役に立ち、別の意味では非常に役に立たない。
(それは保存食の意味じゃんか…)
 口の中にぺろりとほぼ全て、この冷蔵庫に保管されていた食料が入り、次の瞬間それを知った武彦の、悲鳴にも似た怒声が年代物の興信所の部屋ごと揺らせるようにして響き渡る。
「北斗…お、お前…」
「ん、ごちそーさん。 まー、結局はあれだろ? 三種全部やった方が嬉しいって事だろ?」
 適当に茶を濁すような説明で北斗をあしらおうとするからいけないのだ。
 結局の所、武彦に三十路の人生におけるホワイトデーの、つまり菓子会社の陰謀に付き合ったという経験はそこらの学生より少なく、きっぱりはっきりそんな教えを乞われる程経験しようとも思わなかったとマメではない自分を話してしまえば良かったものを。
「あー…そうだな…。 って、お前」
「ん?」
 下らないプライドに縋るのが男というものであり、潔く今月の食料を手放す羽目になった武彦はため息交じりに北斗の背中を見送ろうとする。が。
「お前、今年は貰えたのか?」
 色気より食い気。食べたければ貰う、の精神で貰っていても不思議ではないが何よりこの食魔人にあげる人間がまず思い浮かばず武彦の目が意外そうに見開かれる。
 いや、或いはバレンタイン、彼の兄がもしやという思いも少なからず予想はしていたものの、当の北斗は暫く考えるように上を見ながらもぐもぐとよく噛んでごくりと自分の腹のものになった食料を味わってから。
「形はともかく、んまいの食った!」
 にこりと微笑むその笑顔は春の太陽もびっくりの少し可愛らしさすら思わせるものだが、如何せん北斗の歳より幼く見えなくもない。

「ま、アンタちゃーんと返してやれよ?」
「んぐっ…」
 次ににたりと口の端だけの笑みは矢張り少しでも可愛らしい微笑みと思った武彦が悪いとばかりに、年中興信所を騒がせているわりにマメの『マ』の字も無い三十路男の心に刺さる。
「それじゃ、俺はそろそろいかねーと」
 店が閉まる、と食べ物だけはゆっくり食した割に急ぐ背中にソファにあったヤニまみれのクッションを投げつけてやりたくなるが、流石は興信所の万年食い逃げ犯ここで万年寝太郎の興信所所長に捕まるようでは生きていけない。

 そうやって、食材と共に綺麗に誰もいなくなった興信所。武彦は持ち上げた汚いクッションと共に乱暴に閉まったドアを眺めながらようやく今日第一の災難が去ったと胸を撫で下ろすのだった。



 しっかり返してやれ。
 そんな風に言い残してきても結局はもうホワイトデーなんて過ぎてしまっている。
「あー…ワゴンセールばっかかよー…」
 バイクで飛ばしながら近所のスーパーが並ぶ道まで来て、ホワイトデー当日とは全く違う、華やかなラッピングも萎れてしまう程に簡素に並べられた品々にげんなりしたというように口の形を曲げた。
 ふいと吹いたため息が茶の髪を空へ少しだけ飛ばしまた顔に張り付く。

 忘れていた、というのは少し本当で少しだけ嘘だが、有り金で良い物を買おうと思えばワゴンセールに頼るしかなくそれでも逆にこうして祭りの後を見せられては少し寂しくもなるものである。
「今更ワゴンはねーよなぁ」
 今更だからワゴンなのだが、守崎家にとっては今がホワイトデーであり出来れば当日過ぎとも多少夢のある陳列の仕方をして欲しいと無駄に思う。
「ま、三種買うならワゴンは除外だな、除外」
 甘い匂いが鼻をくすぐりまた腹が鳴りそうな予感がしたが、とりあえずはホワイトデーのお返しを買った上で帰って食べれば良い。すぐに食べ物に感情が移ってしまうのを苦笑し、不器用なバレンタインデーのお返しにと入った店はデパートのテナント、けれど老舗の殆ど駄菓子屋に近い場所であり。

「俺って…センスねぇのかな…―――」

 確かに買った時、手にした時はその趣味が良いと思って選んだのだ。
 手にしているコーヒー味のマシュマロと、生姜飴、蕎麦ぼうろの面々は北斗の趣味を自分自身で疑うという芸当と、心にそれこそほろ苦く甘い味を感じさせる。
「おばちゃん、やっぱこれ…」
 返してワゴンセールに行こうという考えは甘かったらしい。レジに並んだ時点でムードもへったくれも無いこの趣味は北斗の元へ行く事を望んだのだ。
(あ、あー…あ)
 半ば自分の物ではないように老舗の紙袋に包まれ手渡されたそれを見て肩を落とす。
 これから返してしまっても他に良い物を選べるとも限らず、普通に売ってあるマシュマロや飴などをそのまま買って渡すというのもムードが無い。
 北斗に元々ムードがあったかは別として贈り物なのだ、少しはお洒落に飾って渡したいもので。
「いや、いけるかー…?」
 老舗の紙袋は贈るという意味ではなかなかにしてお洒落ではないか、多少の希望を持って一人妄想に耽るものの。中身は生姜飴もろもろである。
(無理…だよな)
 例えばもし、これがどこぞの田舎のおばあちゃんおじいちゃんに渡す物なら確かに贈り物としては良かったろう。
 が、渡す相手は世間からずれているとしても北斗と同じ十七歳。れっきとした高校生で家計簿うんぬん、血筋うんぬん兎に角色々五月蝿くなければ一応は今時の子、喜ぶ筈は無いだろうと自らの趣味が告げている。
 勿論、食べるだけなら北斗自身こういうものが食べたいと思ったのだから、ある意味実用的かつ地味なチョイスと言えるだろう。
 これが、渡す相手の事より食欲が優先させられた悪い例である。

(当たって砕けろ…ってこったよな)
 告白に行く少年少女ではないが普段が『食べる人』である北斗だ、食べ物を誰かに上げるという行為自体である種の勇気ないし、何かが心にあるのだろう。
 買ってしまったものは仕方ないと常時自主休校の鞄に詰め込みバイクでスーパーを去る。途中、様々なホワイトデーワゴンセールを見てため息をつくも、これが自分の贈り物なのだからと何とか言い聞かせ守崎家の門をくぐり、植木の上に立っていそうな家に足を上げれば。
(甘い…匂いがする…)
 自分の鞄ではないかと鼻を近づけるもそうではないと頭の中で食魔人の本能が告げていて。
「兄貴、たっだいまー! ―――って、やっぱな…」
「北斗か?」
 なんとなく、という名のデジャヴを感じながらいい香りの方へと走れば案の定、兄が台所で買い物の片付けをしてい、タイムサービス品と思える赤い値札の貼られた野菜を仕舞い終えた啓斗が北斗の方をこちらはバレンタインデーとは違う、翡翠色の瞳でじっと凝視するようにこちらを見ていた。

「兄貴…さ、その荷物は?」
 聞くまでも無いが綺麗にラッピングされたマシュマロ、飴、クッキーは黄色の半額札が付いたままである。
 どこまでも期間外に買えば冷たい売り方しかしない売り手だが何よりそのホワイトデー三種の菓子全てがここにあるというのは聞かなくても理解はできた。
 が、矢張り本人の口から聞いておきたい。
「ホワイトデーのワゴンセールが安かったからな。 北斗の菓子に買ってきただけだが? …それよりお前のそれ…」
「あ、ああ…これ?」
 正確には啓斗は『北斗のおやつを買ってきた』という意味で口にしているのだが少しだけ、もしかしたら自分と同じ季節外れのホワイトデーを思って買ってきてくれたのかと思うと嬉しい。その後に指さされた玄関途中、鞄から出して持ってきた老舗の菓子屋の袋を妙な視線で見られるまでは。
「これは、ほら。 兄貴に買ってきた」
「北斗…。 ―――…菓子はここにあるぞ」
「うん。 わかってる」
 中身にロマンも何も無いこの贈り物にまさかホワイトデーだなどとは言えず、差し出した袋を受け取った啓斗の第一声はなんとも切ない色を含んでいて、自分で菓子を買うなら前もって言ってくれというものと珍しく人に食べ物をあげるという行為に少し喜びがあるのか様々な感情がこもっていた。

 兎に角、結論として言えば啓斗から見ればただの無駄遣い。けれど北斗から見ればとりあえずホワイトデーにも貰えるという幸せな結果になったのだが、如何せん自分で買った方である老舗菓子屋の袋が非常に恥ずかしい結果になってしまい暫し気まずい沈黙が続く。
「北斗」
「ん? 何?」
 水の音一つしない家の中で外の風が異常に大きく聞こえる。
 そんな中、沈黙を破ったのは意外に北斗のプレゼントという名の手土産に興味を示し始めた啓斗であり。
「その菓子の店、この間、草間の所でチラシ見たな…。 高くなかったか?」
 最低限のものしかとらない守崎家だが新聞はある。けれど啓斗が武彦の仕事を手伝っている際にでも見かけたのだろう。
 生物は全て冷蔵庫なりに仕舞った後、ふいに北斗から紙袋を取り上げた啓斗はいそいそと居間に上がってその中身を遠慮無く眺め、そしてまた袋を眺めと繰り返している。
「え、なんか安売りしてたけど…」
「…そうか」
 確かバラ売りで買ったわりにはワゴンより少し値は張った。
 けれど一応ホワイトデー後のセールのようにして値段の表記が下げられているのは確かめたのである。
「ほら、これなんかさー結構美味そうで買ったのはいいけど兄貴ってこういうのは食わねぇかな…なんて…―――」
 もの凄く違和感のある言い訳を言っているかのようにホワイトデーのプレゼントとしてどうだろう、という意味合いで言葉を紡ぎ啓斗を見た。
「甘さが控えめで良いらしい」
「…そ、そっか」
 撃沈。ではないが、啓斗の反応は微妙。
 北斗のなかなか大きな手の上に広げられた菓子を眺めるようにして見た後、まだ暗くはないからと小さな明かりの下障子と畳という至ってシンプルな部屋に兄弟二人きり、兄は小さく口を動かしながらコーヒー味のマシュマロを食べている。
「どう、美味い?」
 無言で口に含み、噛んで飲み込む。
 それを繰り返す啓斗と、なんだかんだと言いながらも手に乗っかった菓子が無くなるとまた袋から出して手に取る北斗。
 関係的にはいつもと逆の立場になっている奇妙な光景と、何より兄が小さく身体を丸めてそれ程好きではない甘いものを弟の手からとって味を噛み締めるようにして食べているのだからなんとなく可愛らしい。
「……。 ―――ん」
 口の中で淡く広がる独特の甘さと日本独特の変わった味に舌鼓を打つ啓斗は少しだけ頷き、そしてまた北斗の手から菓子を受け取る。
 動きだけ見ていればまるでリスのようで。
(とりあえずは、まぁ貰えたし…)
 啓斗の口からは一言もホワイトデーのプレゼントだとは言われていないのにも関わらず、似たようなものだと片付けた北斗は小動物のように見える兄を微笑ましく思いながら微笑む。

 ホワイトデー。
 啓斗が買って来た菓子には黄色い札のついた半額が記され、その日は過ぎてしまったが。これが春の音が聴こえる今日を過ごす守崎家の平和な一日となったのであった。




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東京怪談
2006年03月13日

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