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『拙い約束 』
ブレイド・デルフィック(w3e087)&シンシア(w3e087)





「シンシア、緊急事態だ」
「ふえ?」
―――そんな声をかけられて。
次の瞬間ぺし、と額に小さな衝撃を感じて、彼女は意識を覚醒させた。





ある日の、穏やかな昼下がり。
全国的に晴れやかな空が広がり、大変過ごしやすい気候の元に人々が生を謳歌している。
つまるところ、その文句は喫茶店『刃』においても同様に適用されるものであり―――
彼女、シンシアもまた温暖な気温の恩恵に与って、思う存分に午睡を楽しんでいた。




……喫茶店において、曲がりなりにも店員である彼女が午睡をするのは色々と問題があるが。
それでも適度にお客の来ない店内では、微妙に間違った、しかしそれなりに平和な光景であった。
―――彼女が「彼」に額を叩かれる、ほんの数秒前までは。
「うう……」
そんなに痛いわけでもないのだが、呻きながら反射的に額をさする。
「ブレイドにキズモノにされたぁ……」
「………その程度でキズモノになっちまうなら、俺はとっくにお前にやられていたよ」
「ふん。女の子と男の子を同列に考えるなんて、思慮が浅い証拠だよ」
「……左様で」
そいつは大変失礼しました、と。嫌に折り目正しく目の前の彼は頭を下げる。
漆黒の頭髪と、赤い瞳を持つ青年。
彼の名をブレイド・デルフィックと云った。
「ところでその、自称キズモノのシンシア?そろそろ俺の言った緊急事態に興味を持って頂けますか?」
「そこはかとなくイヤミだね……いいけど。緊急事態って何よ、ブレイド?」
ようやく目も覚めてきて、ブレイドをきちんと正視する。
それを見届けてからうん、と彼は浅く頷いて、『緊急事態』の内容を告げた。
「実は、な」
「うん」
「此処はほら、見ての通りしがない喫茶店だ」
「自分でしがない喫茶店、とか言わないの……それで?」
「ああ……つまりだな、喫茶店であるところの我が“刃”は、それなりに食料も必要なワケだ」
「うん」
「それで―――」
いやぁ、参ったなぁ。
そんな台詞を視線に乗せながら、彼は遠い目で彼女に告白した。
「さっき冷蔵庫を見たら、食料品が一切ないことに気付きました」
「ほほぅ」
成程、成程、とシンシアが優雅に頷く。
「先程気付いた」のではなく、自覚しながらいつ彼女に謝ろうかと画策していただろうことは想像に難くない。
「で、何か申し開きは?」
「………ごめんなさい」
ぺこりと、人形劇のお人形さんのように、ブレイドは頭を下げた。
はぁ、とシンシアが嘆息して、がしりとブレイドの頭を掴む。
ぎりぎりぎり、と音がしたのは幻聴か。
「あのさブレイド……私の記憶が確かなら、買出しには昨日行ったばかりだよね?」
「そ、そうだな」
「それじゃ、どうして、一日経っただけで、冷蔵庫の、食料が、全部、消えちゃうのよっ!」
「それは、その、やんごとなき、事情というか、中々言い出せない、事情が、その、シンシア、痛い!痛いって!」
「お財布の中身はちゃんと減ってたよね!?なんでそういう、小学生みたいなことをするのかなっ!!」
「ちょっ、落ち着け!頼むから落ち着いてくれ―――――!?」
万力の如き膂力で、ブレイドが悲鳴を上げる。
ひとしきり悲鳴を上げた後、開放されたブレイドはシンシアの前でぐったりと崩れ落ちた。
「し、死ぬかと思った……」
「まったくもう……大方、どこかに荷物を全部置いてきちゃったとか、そんなんでしょ?」
「う……面目ない。本屋で新書を見て、購入して帰ってきたら―――手には本しかなかった」
「本屋に肉やら野菜やらを置き忘れるなんて、そこそこ笑い話よ……ふぅ」
仕方ないわね、と吐息を洩らしてシンシアが言う。
「こうなった以上、本屋さんが親切に荷物を冷蔵庫に入れておいてくれるなんて可能性は切り捨てましょう」
「ああ……と、言うと?」
「これから改めて買出しに行くのよ」

―――決断した後の女性のスピードというのは、総じて男性のそれの倍はあるのが通説である。
店の扉に札をかけ、戸締りをさっさと済ませて、シンシアは準備を整えた。
「それじゃ、着替えてくるから。店の前で待っててね」
「……別にそのままでも。というか、俺だけでも」
「いいから。それじゃ、そういうことで」
ブレイドの発言を一蹴に伏し、彼女は驚異的なスピードで彼の視界から姿を消す。
「うーむ……」
瞬く間に、店内には釈然としない黒髪の青年のみが残された。
「……どういうことなんだろうか」
取り残されたブレイドは、噛み合わない状況の齟齬について腕組をして考えていた。
「あいつ……確かに、怒ってたよな」
すなわち。何故だか、一緒に買出しに行こうと提案した後の彼女は。



――――何処か嬉しそうですらあったのは、何故だろう?








「さ、まずは何処に行こうか?」
気合の入った服装をして再び現れたシンシアは、中々に綺麗だった。
(いや……口には、出さないけどな)
などと、一人で悶々と考えつつブレイドは彼女と共に歩き始める。
「そうだな……しかし、嬉しそうだな。シンシア」
「え?」
気になっていたことを、話題を逸らして訊いてみる。
くるりと振り向いたシンシアは、華もかくやと言わんばかりの笑顔を咲かせて頷いてきた。
「嬉しいに決まってるじゃない♪だって、どんな形でも久し振りのデー……」
「デー?」
「……あう」
デート、という単語を出す段階で急に恥かしくなったのか。
デー、とはわざわざ英訳したものか?と眉を顰めるブレイドの前で、彼女は頬を赤らめてしまった。
「ええと。確か今日は、ウェンズデーのはずだが」
「っ……そ、そうじゃなくて!」
ああもう、微妙に鈍感なのだ、この男は。
そんなことをしみじみと感じながら、何を恥かしがることがある、と彼女は気勢を持ち直す。
「だから!最近、二人で外出なんてしてなかったし………久し振りのデートだって、言いたいの」
「あ……」
理解できた?と視線で問う。
ブレイドは己の間違いに気付いたらしく、やや恥かしげに顔を逸らしてからぼそりと呟いた。
「……それにしちゃ、随分と色気の無いデートコースだな」
「いいの!そんなことは、気合とか勇気で補えば良いんだからっ」
「そんなもんかね………まあ、そうだな」
こくこくと、一人で小さく頷いてから。
ブレイドはシンシアに向き直って、なんのてらいもなく微笑んでみせる。
「実を言うと。俺も、シンシアとデートできるのは、凄く嬉しい」
「え……」
「さ、行こう。折角のデートなら楽しまなくちゃな」
「う、うん……」
シンシアへとんでもないクリティカル・ヒットを放っておきながら、飄々とブレイドは歩き出す。
なんのことはない。ああやって彼は、何気ない風に本音を覗かせてくれるのだ。
「………ああ、もう…」
少しだけシンシアは肩を落とす――――ああ、天にまします偉い神様。

ことこういった分野において、どうして私だけがこんなにやられっぱなしなんでしょう?

ぱたぱたと赤面する顔をはたきながら、複雑な心境で。しかしそれでも嬉しそうに、彼女はブレイドの後に続いた。









「それで、最初はどこに行く?」
「うーむ……そうだなぁ。やはり、いきつけの商店街が第一候補かもな」
「うん……でも、夕方の方が安いよ?」
「………そこがネックだな」
などなどと、喋りあいながら。
二人は新東京の町並みをゆったりと歩いていた。



―――因みに、「夕方に安くなる」というシンシアの言は伊達や酔狂ではない。



ことの始まりは数ヶ月前。
商店街の近くに、強引な手法で周りの店舗を弊店に追い込むことで有名な大型デパートが建造されたことに起因している。
それに負けるわけにはいかんと、タイムセールを行う時間に合わせて商店街の食料品店も軒並み割引を行うようになった。
まさに、赤く空が染まる夕刻は血で血を洗う闘争の幕開け。
時流と値段のギャップを読みきれなかった主婦の死体が溢れ返る、戦争の時間帯である―――!



「八百屋の長治さんなんか、敵情視察に行ったところをスパイ容疑で捕まったらしいぞ」
「……敵情視察っていうか、それって普通にデパートに足を運んだだけなんじゃ」
「甘いな。しかし長治さんもプロだ。クレイモアの埋まる地雷原を抜けて、夕刻の割引時間帯には店番をしていたとか」
「どうしてデパートに地雷原があるのよ……」
ふふん、と何故か得意げに語るブレイドの話を、こめかみを押さえつつ聞くシンシア。
……彼女自身は気が付いていないが、ブレイドの行く先は商店街とは微妙にずれていた。

「まあ、笑い話は置いておいてだな……着いたぞ」
「え?」
ブレイドに促されて、彼女は自分たちが商店街を目指していなかったことを知る。
彼女が顔を挙げた先に、あった看板は――――
「これ……映画館?」
「ああ………いや、しまった。ついつい話に夢中で道を間違えてしまった」
不思議そうに首を傾げる彼女の横で、ブレイドがわざとらしく声を上げる。
「間違えたって、貴方……」
「しかし、幸か不幸か観たかった映画が上演中だな。次の上演にも間に合ったみたいだ」
尚も、わざとらしくブレイドが口上を続ける。
ふと見れば―――――確かに、丁度「自分が」観たいと思っていた映画が上映中のようである。
(観たかったって……ブレイド、映画なんか特に興味無いんじゃ……)
そう。
つまるところ、彼は“シンシアの観たがっていた映画が”まだ上演中であると、心底安堵しているのだ。
「あ……」
「まあ、その、なんだ。我が家の家計を預かるシンシアさんが仏心を見せてくれれば……観られるんだけどな?」
「…ブレイド」
「む。いや、別に俺が払っても良いが………迷惑だったか?」
自分は失敗しただろうかと、怪訝そうに訊いて来る。


邪気は無く。


純粋に、こちらを案じている彼の声。


ただ、彼女を喜ばせてやろうとだけ考えている、彼の声。


それを向けられている自分は、どんなに果報者であるというのか―――――

「これ……観たいの?ブレイド」
「ああ、そうだな。俺は観たいが」
「………そうなんだ」
それじゃ仕方ないな、なんて呟いて。シンシアは微笑んだ。
「分かった。私も観たいし、買い物は後回しにして観よう?」
「そうか……それは良かった」
本当に良かった、と嬉しそうに笑うブレイド。
いつもは鈍感で、自分など気にしていない態度と取るくせに、彼は突発的に奇襲を仕掛けてくる。
(でも)



今はただ、その彼の心が嬉しい。



「それじゃ、行きましょ♪」
「ああ……っておい、シンシア、強引に列に割り込んじゃ駄目だろ――!?」
………幸せそうな笑みを浮かべながら。
シンシアはブレイドの腕を引いて、映画館へと入っていった。







映画は、期待通り楽しかった。

「ブレイド、今日はありがとう」

何より、隣に居る彼の存在が最高だった。
「……そこまで喜んで貰えるなら、俺も道を間違えた甲斐があったよ」
ふ、と彼は、嬉しそうに微笑む相棒を見てこちらも微笑む。
映画を観て、喫茶店で休憩がてらお茶を飲んだら日は傾き始めていた。
当初の目的だった、買い物がこれから始まる。
「さ………主婦の皆さんに負けないよう、頑張らないとね!」
「うむ。俺も、微力ながら手助けしよう」
ブレイドの頷きに、それは当然よ?とシンシアが釘を刺す。
揃って、二人は歩き始めた。
「ねぇ、ブレイド………」
「うん?」
ぴったりと寄り添って。隣に居る彼の存在を感じながら、シンシアはぽつりと呟いた。
「また、来ようね。二人で……遊びに、さ」
「デートに、か?」
「…………歯に衣を着せなければ、そう」
駄目かな?と、彼女は上目遣いにブレイドを見る。
「ああ……」
その視線を受け止めて。
ブレイド・デルフィックは、シンシアを安堵させる笑みでそれに答えた。



「ちゃんと時間を作って、また映画でも観に来よう」
「……うん!」






―――――それは、日常の一コマで交わした、拙い約束。





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2006年03月06日

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