『■時は刻に添い■ 』

玲・焔麒（6169）

　時は人に影のように寄り添う
　否───刻（とき）、それは
　　　　　　　　　　　　　　人為らずとも

◇

　抜け出したいのです　私は早く

「───…………」
　ぽかりとあぶくのように頭を内側から叩いたその一言と共に、焔麒は目を開けた。
　待っている間に、どうやら夢うつつになっていたらしい。
　それというのも、この患者用のソファが有り得ないほどに心地よかったせいだ。
「すみません」
　そばを通り過ぎようとしていた夜間担当の看護師を呼び止める。
「先生はまだでしょうか。もうだいぶ時間も経っているので早めに帰りたいのですが」
　すると、先生───医師のほうも急な来客で困っているらしい。大事な客だというので、特別な薬を注文された焔麒は予定の時刻を大幅に過ぎた今も、未だ薬袋を手の中で持て余していた。
　病院は、嫌いなのに。
　心の中で呟きながら、それでもだるそうに焔麒は、どこか冷めた瞳を再び閉じ、背もたれに深く身を預けた。
　きっちりと閉められた薬袋だが、それでも注文されて作ったばかりの薬は僅かな香りを風に乗せて自らの作り手である焔麒の敏感な鼻腔をくすぐる。
　やがて焔麒は多少やわらいだ気持ちの中、つらつらと昔の夢を見ていた。
　夢と現実のはざま、
　その危ういほどに細い境界線の上で。

◇

　幼い頃のことなど、断片的にしか覚えていない。
　永く時を生きれば、と、それも当然のこととして焔麒は受け止めていた。
　だが、時折こうして頭の中をちらつかせる映像があることも確かだ。意識的であっても、無意識的であっても。
　そこは、巣の中だった。
　焔麒がまだ子供の頃、「家族」と住んでいた巣だ。
　そこには妖狐である両親と、そして僅かながらに兄妹がいたことを覚えている。
　狐であっても、焔麒は明らかに他の狐と違っていた。外見からして普通の本土狐と違い、尾が二つに分かれていたし、何よりも知力が違った。
　はじめは他と違うことなど気にも留めなかった。
　ただはしゃぎ、「本物の狐」のように過ごし、毎日を暮らしていた。
　だが年を重ねるにつれ、生き物は内側も外側も成長する。焔麒もまた、例外ではない。
　気がつけば、完全に独りになっていた。
　独りになり───千年の齢を経て、尾は四本に分かれた。
　独りになるまでにも、様々なことがあった。
　けれど、焔麒はそれも曖昧にしか思い出せない。
　ただ───人間が親を討ったこと。
　最初は明らかに、この身の内に悲哀や憤怒の感情が渦巻いて苦しんだこと。
　忘れろと言ってもそれだけは忘れられない。

　ゆらゆらゆれて　こぎだすふねは
　おきつねさまの　おをのせて
　おひさまのしたで　やかれてねむる

　そんな流行り唄も、出来ていたような気がする。
（狐が狡猾とはよく言ったものです）
　今でも両親の死を思うと、焔麒の唇には一瞬でその場を凍りつかせるほどの冷気を帯びた歪んだ笑みが浮かぶ。
（人間ほど狡猾な生き物はこの世にいないというのに）
　感情は、薄れても。
　その歪んだ笑みはクセになってしまったように、時折焔麒の唇に現れることがあった。
　無論、人前でその笑みを見せたことはない。それくらいの制御は身に着けていた。
　実際に両親が焼かれたか否かではなく。
　そんなわらべ歌を子供の中で作らせてしまうほどに、人間達は「妖狐を殺した」ことを「善き事」としたのだ。

　あの時、私の中で涙は流れたのだっただろうか。
　あの時、私の中で叫びは放たれたのだっただろうか。

◇

「やあ、すっかり待たせてしまいました」
　慌てたような足音と声に、焔麒はやおら瞳を開け、身体を起こして立ち上がった。今回の依頼主である、まだ若い医師がそこに立っている。
　だいぶ疲れた顔だ。
　焔麒は慣れてしまった営業用の軽く微笑む表情を作り、薬袋を手渡した。
「お約束の薬です。これなら、心身共の疲れも取ってくれますが───使いすぎると媚薬となりますのでお気をつけ下さい」
　媚薬ですか、と驚いた声が返ってきたので焔麒は殊更に笑みを濃くしてみせた。
「ええ。香りだけをかぐと、夢か現かも分からなくなる─── 一種の麻薬のようなものです。ですが法律に触れるようなものは使っておりませんし作っておりません。先生のご要望通りのものを作りましたので、ご安心下さい」
　ありがとうございます、と、まだ若い医師は神経質そうに微笑み、代金を支払った。

◇

　もう三月だというのに、夜になるとかなり冷え込む。
　帰り道、焔麒はそれでも寒さなど感じぬように背筋をまっすぐ伸ばして歩いていた。
　ふと見上げれば、月が空に、大輪の花のように瞬いている。

　きんいろの、おはなみたい

　そう言ったのは、誰だったか。
　もしかしたら妹か、仲の良かった人間の娘だったかもしれない。
　今となってはそれすらも忘却の彼方だ。
　ただ時代の流れに沿うように、そうして焔麒の中は変わって行ったのだ。何故親を討った仇である人間共のための薬を作る「仕事」をする事を選んだのか───自分でもそれは理解不能だ。
　だが今、昔と志は違えど、昔と同じく自分は人と共に在る。
　殊更に居心地がよいとは、まだ焔麒は思わない。
　けれど、たとえ天と通じて通力を得ようとも、この力を天の為に使おうとは思わない。
　ただ、
　ただ───

　ふと、焔麒は瞳を細めた。
　自分の店の前に、小さな人影。近所の───いやに焔麒に懐いている小さな女の子だと分かると、彼は足早に近寄った。
「もう夜更けですよ、お家にお帰りなさい」
　すると、「帰ったらうちで飼っている仔犬を見せるはずだった」と泣きべそをかく。
　女の子の手の中には、生まれて間もないほど小さな仔犬が抱かれていた。

　わたしたち　いつか・あのきんいろのおはなに　かえっていくのかしら
　いつか・しんだら　このよから・いらないといわれたら

　そんな台詞が、脳裏をよぎる。
　仔犬の瞳は、焔麒の心に痛いほど無防備だった。
　また明日ゆっくり見せてもらいますから、と宥めて焔麒はなんとか女の子を家まで送っていった。
　ふうとため息をひとつついて、店の扉に鍵を突っ込む前にもう一度、夜空を見上げる。

　ただ───今の日常が護れればそれでいい。

　今の焔麒は、ただそれだけなのだ。
　いつか誰かが言った「金色の花」に向け、
　焔麒はどこか祈るような気持ちでしばらくの間、そうして佇んでいた。



《ＥＮＤ》
**********************ライターより**********************
こんにちは、ご発注有り難うございますｖ　今回「時は刻に添い」を書かせて頂きました、ライターの東圭真喜愛です。
ダイジェスト版、ということでどんな風に書いていこうかなとかなり長い間考えていたのですが、あえて「嫌いな病院」から始まり、設定にあります漢方薬をきっかけに回想のような感じで書かせて頂きました。
細々としたところは本当に作ってしまいましたが、こんな風ではない、など何かありましたらまた、遠慮なくご連絡くださいね。今後、ご縁がありましたときの参考にさせて頂きます。

ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで書かせて頂きました。本当に有難うございます。
お客様にも少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆

【執筆者：東圭真喜愛】
2006/03/05 Makito Touko

PCシチュエーションノベル（シングル）

東圭真喜愛

東京怪談

2006年03月06日