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『aim at the bear 』
セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)&マリオン・バーガンディ(4164)

 テディ・ベア。
 それはおもちゃとしてのぬいぐるみの起源ともなった、由緒正しき熊を称して言うのは、子供でも一般常識として知っているだろう。
 しかしそれが単なる商標として始まったのではなく、当時の大統領の愛称テディから取ったのだとかそういう逸話までを知るにあたっては、自分の知識レベルが少々踏み込んだ位置にある事を否めない。
 モーリス・ラジアルは抑えきれない溜息を、誰も居ないが幸いとばかりに勢いよく吐き出すが、それを見守る一対の眼と目が合い、モーリスはあからさまな渋面を浮かべた。
 廊下の片隅、曲がり角からはにかんだ風情で半身を見せ、こちらを覗く黒い釦の瞳の、テディベアの眼差しに。
 冒頭の思考に及ばせた原因につかつかと歩み寄ると、片手でひょいと掴み上げる。
 手にかかる加重は予想に反してずしりと重く、子供が扱うおもちゃに不適ではないかと思われる……のは中に詰められているのが綿ではなくチップである為だろうか。ならば年代の古い物、と否が応にも蓄積される知識が弾き出す答えにまた溜息を吐く。
 手触りの良さと円らな瞳の無垢さに、掴んだまま歩く事が躊躇われて自然と胸に抱く形になる……そして顔を上げれば向こうの角にもまた一体。
「……誰のイタズラですか、まったく」
明確に何処かに誘い込む意図で配されるぬいぐるみ、高価な筈のそれを下らない事に使用する相手、と範囲の狭い中におおよその見当をつけながらも嘆きは思わず言葉になって出てしまう。
 熊が配される先は、彼の主であるセレスティ・カーニンガムと同僚のマリオン・バーガンディが、こと、お気に入りにしている邸の一画……主にセレスティの蒐集物を収蔵するを目的とした部屋が種類毎に分類されて眠る場所である。
 庭がモーリスの領域なら此処はマリオンの範疇、自分が口出しすべきではない、とモーリスが弁えた見解に及ぶにゆうに一年の歳月を要している事を知らぬ者は、邸の中では居はしまい。
 テディベア捕獲強化年と力を入れて宣言されたに恥じず、それはもう……世界のテディ・ベアミュージアムの訪問から始まり、文献資料は言うに及ばず東にオークションがあると聞けば予定の全てをうっちゃって走り、西に限定ベアが販売されると聞けば1つでも製造番号の若い物をゲットする為に三日前から並び、と。
 その涙ぐましい努力の結果が、今や一室で収まりきらず、増築計画まで立つに至った収蔵品の数に示されている。
 たかが百年、されど百年。壁一面を埋め尽くす熊の姿が脳裏に蘇り、モーリスは軽い眩暈を覚え、庭の緑に憩いを求めて視線を転じた。
 更には、広く庭に面した窓を覆う為のカーテン止めは小さな熊の形をしたクリップ、一角に面した庭には巨大な緑の熊……もとい熊の形に整えられた庭木が微笑んだような口元まで陰影で現わした横顔を見せている。
 強化年が宣言されて半年も経った頃、モーリスの丹精していた庭木の一つであったのだが、一週間の出張から戻ればそのような形に整形されていた次第である。
 土地事情の悪い日本でも広大な敷地を誇る邸、イングリッシュガーデンに突如、何処ぞのテーマパークのように出現する熊。
 彼を調和者と言わしめる能力を使えば、哀れな庭木を元の姿に戻すなど造作もない……が、それは嬉しげな、そして得意げな主の姿を見るに言い出せず、治せもせずに、引き下がるしかなかった。
 その夜、モーリスはちょっとだけ泣いた。
 それを機に、今やその庭木の形を保つのに腐心する程度には、諦めという言葉の意味を理解したモーリスだが、そうと宣言された一年が程なく過ぎようとしている事に、淡い期待を抱いていたりもする。
 古今東西、ドイツ・イギリス・アメリカと世界各国の主要な会社のベアはほとんどと言っていい勢いで集めたと聞く……後に残されるのはテディ・ベア作家の作品や年毎に発売される限定品と未来に向けての投資である。
 そろそろ熱も冷める頃合いだろう、と事態の自然な収束を願いながら……道々拾い集めたベアを三体小脇に抱え、モーリスは主が居る筈の部屋の扉をノックした。
 その瞬間、淡い期待は瓦解する。
 熊に囲まれた部屋で午後のお茶を楽しみながら、セレスティとモーリスは同じ雑誌を開いてそれは楽しげに語らっていた為だ。
 バックナンバー全巻を揃えた記憶も新しい、テディ・ベアの専門誌……日本は元より、世界各国の主要イベントを網羅するテディ・ベア好きのテディ・ベア好きによるテディ・ベア好きの為の雑誌だ。
「モーリスも一緒にお茶を如何ですか」
由緒正しきアフタヌーン・ティー。菓子の他に添えられたサンドウィッチを勧められるのを辞退して、マリオンの膝に回収してきたぬいぐるみを落とす。
「あぁっ、何処に居たんですかこの子達ッ! ありがとうございますッ」
ひっしと三体纏めて抱きかかえるマリオンに、冷静に告げる。
「この部屋迄の廊下の角毎に」
しっかりと管理しなさいと続けようとするのを、セレスティの柔らかな声が阻む。
「きっとモーリスとお茶がしたかったんですね、この子達も。そういう訳で、多数決です、モーリス。貴方に拒否権はなさそうですよ?」
にこにこと、主自ら椅子を引かれて座らない訳には行かない。
 仕事があるのに、と心中にぼやきながら、マリオンが茶器に紅茶を注いで差し出すのを無言で受け取り、何気なく砂糖に目をやってモーリスは内心の安堵に目元を和ませた。
 一時期、砂糖まで熊の形をしていたのだ。
 ノーシュガーのストレートで頂く身にあまり関係はないと思うのだが、やはり紅茶の底で半溶解した熊の姿を見るのは忍びない。
 モーリスとて、熊のぬいぐるみが嫌いな訳ではないのだ……円らな瞳の愛らしさ、手触りの心地よさに和むものは確かに感じる。
 だが、質にも量にも加減というものを適用して欲しいと心底願う、食傷という言葉が尤もしっくり来ようか。
「ねぇモーリス」
ぬいぐるみの話題に盛り上がるセレスティとマリオン、二人の専門知識飛び交う熱の籠もった会話に付いていけないで居るモーリスは不意に水が向けられ、らしくなくビクリと反応して手に持ったカップの紅茶を踊らせる。
「……何か?」
カップを支える指にかかった紅茶の処遇を悩みつつも、平静を装って答えるモーリスに、セレスティも意に介さずに微笑む。
「嫌ですね。聞いていなかったんですか? オークションの話です」
「明後日なので、よろしくお願いします!」
満面笑みを浮かべたマリオンが勢いよく頭を下げるのに、耳を疑う、というよりは聞こえた言葉を信じたくないモーリスは思わずカップを傾けた。
「は?」
中身の紅茶を絨毯に供してしまう、その前にセレスティが軽く指で渦を捲く、形を描いてその水を空に止めて難を逃れている事にすら、モーリスは気付いていない。
「ですから、明後日アメリカで開かれるチャリティオークションに一緒に出掛けましょう、と」
端的に事実……初耳ながら決定事項であるらしいセレスティの言に、モーリスは「またですか」という言葉を、半分ほどカップに残っていた紅茶と共に呑み込む。
「まだ入手していないタイプが数体、出品されるらしいんです!」
目玉の品と思しきぬいぐるみを大写しにした……写真集風に凝ったパンフレットを広げて見せ、マリオンはまだ見ぬ熊をその手に抱くを夢想してか、取り敢えずは膝の上の熊をぎゅっと抱き締めた。
「マリオンだとつい熱くなってしまいますからね。貴方の方が冷静に競る事が出来るでしょう」
「落札係なんですね……」
部屋三杯の熊が居ても、未だに足りないのか……とモーリスはイマイチ、マニア魂が理解出来ていない。
 どんなにげんなりとしていても、主の意には逆らえないモーリスに、拒否権は存在しなかった。


 翌々日、オークション会場。
 オークション、とは言っても格式ばったものでなく、展示やテディ・ベア作家の販売ブースがあったりと、規模は大きいものの即売会にオークションが付随したような気楽なイベントだ。
 定例で開催されているのだが、オークションは今年初めての試みなのだと言う……肝心要の本命を前に手始めとばかり、喜色も顕わに会場の熊グッズを買い漁るマリオンの姿を視界に入れつつ、モーリスは車椅子を押しながらセレスティに問い掛けた。
「セレスティ様。人が多いですが大丈夫ですか?」
人酔いしてはいまいかと、健康状態を案じるモーリスに、セレスティは軽く頷く。
「大丈夫です。なんと言いましょうか、同好の士の情熱だと思うと、若返りそうな気分ですね」
青年の若さを保ち続けて七世紀の人魚に言われても、感じる感慨はあまりないものだな、と変に感心しながらモーリスは車椅子を進めようとするが、進行方向を遮って小柄な影がふらりと横切る。
 それにすかさず、私服姿で紛れていたSPが警戒動作……セレスティを身を呈して守ろうと飛び出そうとするのを、モーリスが手の動きで制した。
 安全神話が崩壊しかけているとはいえ日本でのお忍びや邸内ならいざ知らず、一財閥を、否政財界を導く御方に何かあってはいけないと、SPを配するのは対外的にも必要な、いわば義務に近い。喩えそれが当人及び側近の人智を越えた能力を前に無意味であったとしても。
 いつもならば如何にも仰々しい黒服黒眼鏡の男達で威圧の意味も込めて周囲を固め、そのような婦人が近寄りかけしない物々しい雰囲気を醸すのだが、場所が場所、時が時、という事もあって私服で警戒にあたるSP達はすかさず、再び一般の客に紛れて老婦人に気付かれる事なく視界から隠れる。
 その職務に忠実なSP達を、モーリスが抑えたには訳がある……医師としての目から見ても、演技ではない不調にふらつく老齢のご婦人が道を塞いだからと言って、主大事とばかりに銃を突きつけるのは問題以外の何物でもない。
「大丈夫ですか」
そして対象本人が婦人に手を差し延べるのに、早まった真似を止められて良かったと、モーリスは違う意味に胸を撫で下ろした。
「モーリス、何か」
飲み物を、と青ざめた婦人の手を取って求めるセレスティに頷き、モーリスは周囲に紛れたSP達に軽く頷いて後を任せ、自動販売機を求めて歩き出す。
 少しでも熊関係から離れられるなら、些細なお使いでも大歓迎、といった気分のモーリスが、会場限定のテディ・ベアストラップ付の清涼飲料を見事に引き当てて落込む一幕はまた別として、戦利品を山と抱えたマリオンと漸く合流出来たのはほどなくオークション開始時間が近付いてからである。
 パイプ椅子に腰掛け、穏やかにカタログを眺めるセレスティを右、戦利品の説明と自慢をしたいマリオンを左に配し、彼からの個人攻撃を軽くいなしながら、本日の落札予定品をチェックしてモーリスはこっそりと息を吐く。
 顔のアップ、全身の前・横・後と何かの手配犯のように、ベアの姿を映した一枚ずつにそこそこ厚みを持つ出品物のカタログ、会場で販売されていたそれは、遠目に現物がよく見えない事を配慮しての仕様のようである。
 その際に記載される、釦やタグの欠け、生地の擦れ等を熟読し、どの程度の値まで競る価値があるか見極めなければならない。
 望みもしない知識が着々と蓄えられていく、律儀かつ有能な自分が怖い、としらっとした顔で思考して、モーリスはチェックを終えたカタログをマリオンに渡した。
「事前に購入検討済の物にはチェックを入れてあります。それ以外に希望がある場合は申し出て下さい」
うきうきとカタログの頁を繰るマリオンは、早速手を止めてモーリスに頁を示す。
「あ、このベアはどうですか? まだうちには居ない子ですが」
「作られた年代が浅いですから、慌てて購入する必要はないと……まぁ、安価で入手出来そうであれば、一考しますが」
オークションには二つ、目的がある……欲する品を安価で入手するか、もしくは二度と出会えないであろうレアな品をどれだけの高価格で競り落とせるか。
 勿論、前者であるに越した事はない。が、古いほどに価値の出る品は自然と有限の縛りを受けて後者に比重が傾く。
「随分と高価ですのねぇ……」
「チャリティを目的にしたオークションですから、お安い方だと思います」
戦略を練るモーリスを余所に、先に出会した老婦人と席を隣合わせにほのぼのと会話を楽しむ財閥総帥には大した値ではないようだが。
 価値観の違いを覗かせながら、雑談に興じる主(話題の主は当然熊)と、カタログを捲っては熊の仲間を増やそうとおねだりするマリオンとに挟まれてモーリスは秘かに溜息をついた。


 目的の品を競り落とす度にマリオンが喜びの声を上げ。セレスティの労いと価格に目を白黒させる老婦人とに囲まれてモーリスが着々と、そして淡々と落札する間に、それは起きた。
「あ、この子はもう、うちに居ますね」
わくわくとカタログを繰っていたマリオンの言に、漸く一息つけるとモーリスは左右に首を傾け、知らず入っていた肩の力を抜く。
 他の品が競られている間に、少々枯れ気味の声に、先に自販機で購入しておいたミネラルウォーターで湿しながら、カタログに次の対象を求め……ようとした時。
 右隣で軽く挙げられた手が、値をつける意図の動作と認識するのに間が要った。
 更には、セレスティが宣誓するように軽やかに、開始価格に桁一つ足して金額を告げるに至っては「え?」という一文字と疑問符に思考が完全に埋められる。
 会場にも同じ空気が流れて止まる……中、マリオンだけが己を保って主の暴挙に目を丸くしたまま問うた。
「セレスティ様、本気ですか?」
というか、正気を問いたい。
 様々な思考の渦巻く中、こっくりと頷くセレスティの動きに、競売人が己が責務を思い出したか、以上の値を求める声を上げるが、当然競り合う者が出よう筈もなく。
 1912年限定ベア……タイタニック沈没に際し、追悼の為に作られたというブラック・テディ、通称『オセロ』は当日の最高落札価格でセレスティの手に渡った。
 しかし、そのベアは彼の手元にはない。
「どうなさったんですか、本当に」
帰りの空路でマリオンの問いに、セレスティは微笑を浮かべた……確かに稀少なベアではあるが、保存状態はあまりよくなく、セレスティがつけただけの価値があるとは思えない。
 そのベアを、セレスティは隣の婦人にやってしまったのだ。
「嫌ですね、預かって頂いただけですよ。うちにはもう部屋から溢れるほどのベア達が居ますからね」
本人はそう嘯くが、量に関しては今更な上に婦人がの気が済むまでという不確定な期間を限定して、赤い目のテディ・ベアは里子に出された次第である。
 つい先に亡くなった婦人の夫、その父が『オセロ』作成のきっかけとなった件の船に乗っていたのだと言う。
 お土産に熊のぬいぐるみを買って来てくれる筈だったのに、と幾度も繰り返される想い出の苦さを、夫の悔いを悲しく思っていた折、オークションで『オセロ』が出品されると聞いて来たのだが、高価くてとても手が出ないと……雑談の合間に諦めに笑う彼女にセレスティは何を見出したのか、その心情を従者達は推し量るしかできない。
 はぐらかして信を伝えるつもりのないセレスティにそれ以上の追求はせず、否、出来ずにいる間に、彼はマリオンに楽しげに告げた。
「彼女の手元から彼女が戻ったら、うちの子とペアにしましょうね、マリオン」
実際、セレスティの手元には蒐集を始めてかなり早い時期に『オセロ』は入手済であった。
 その提案に、マリオンは喜色も顕わに何度も頷く。
「そうですね! ペアが出来たら子供も居た方がいいですよねセレスティ様!」
「復刻版では面白味にかけますから……後の時代のブラック・ベアをリストアップしてみましょうか」
「そうだ、今回テディ・ベア作家の方と親しくなったんですよ! お願いしたら作ってくれるかもしれません」
「それはいいですね。素敵なファミリーが出来るでしょう」
今後の新たな展望を語る主従に、モーリスは無言でフライトアテンダントを手招くと、身振りで毛布を求めた。
 なんというか……良い話に纏まった気にならないのは、自分だけだろうか。
 手触りの良い毛布に、ぬいぐるみの手触りを連想してしまうのは毒されすぎていると溜息を吐き、モーリスはシートを倒してごそごそと毛布に潜り込んだ。
 モーリスとて、テディ・ベアが嫌いな訳ではないのだ……小さな熊のぬいぐるみ、抱擁を許して暖かな存在。
 だけれども。
「加減はして下さいね……」
楽しげな会話に背を向けて、毛布の中で呟いたささやかすぎる要望は、多分聞き入れられないだろう。
 どっぷりとした疲労感に浸り、そして少しの満足感を抱えて。日本に着くまでせめて眠っていようとモーリスは目を閉じた。
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年03月02日

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