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『春遠からじ  』
藤井・蘭2163)&藤井・葛(1312)

 寝ぼけまなこをこすりながら部屋の窓を開けたとたん、爽やかな花のかおりがした。
 入荷したばかりの、鉢植え白梅のつぼみが、店頭で開き始めたらしい。
 自分の実家が花屋であることを再認識し、そして、今は紛れもなく「家」に帰っているのだと、藤井葛が感じるのはこんなときだ。
 立春もとっくに過ぎ去った如月の下旬、バレンタインデーとホワイトデーのほぼ中間にあたるこの時期は、何かと娘の動向を心配している両親(というか主に父親)への孝行期間であった。
 あのクリスマスを経て、年が明けてからもずっと、甘やかな微熱に似た、心騒ぐ日々が続いている。
 揺らめく波に翻弄される木の葉のような想いは、決して不快ではなかったけれど――実家に戻ってきて、父親のこれでもかといわんばかりの徹底的な詮索と追求を受けてはかわす、いわばお約束化した日常に触れてほっと安心できたのも、また事実だった。
(……姉さんとか、こんなとき、どうしてるんだろうな。今まで、聞いてみたことなかったけど)
 一般的な姉妹が、普段どのような会話をしているものなのか、葛は知らない。だが、年頃の娘たちであれば、やはり恋愛相談めいたこともしあったりするのだろう。姉とは今までそんな話をする機会はなかったが、今度、休みの日にでも――いや。
(だめだ。やっぱり照れくさい)
 パジャマ姿のまま窓辺で百面相をしている葛に、もぞもぞと起きてきた蘭が、丸い目をさらに見開いた。小さな居候も葛と一緒に、我が「実家」に帰省中なのである。
「どうしたのなの、もちぬしさん? もしかして、もう花粉とんでるの? って、もちぬしさん花粉しょうなの? 大変なのー! ふらわーしょっぷのききなの。パパさーん!」
「違うって」
 わたわたと走り始めた蘭を、ハムスターでも捕まえるように、葛は片手で取り押さえた。
「梅が咲いたみたいだなって、思っただけだよ」
 言われて蘭は、鼻をひくつかせる。そんなしぐさも、やはり小動物めいていた。
「ほんとなのー! いいにおいがするのー!」
 未だ刺すように冷たい朝の風を受けて、大きく深呼吸をひとつ。ついで、勢いよく部屋のドアを開ける。
「白梅さんとサイネリアさんとワイルドストロベリーさんとクマさんにごあいさつしなくちゃなの!」
 蘭はいつでも元気だが、藤井家に戻ってきたときの溌剌っぷりはまた格別である。生まれ育った店にいる安心感に加えて、店頭を飾る花々が話し相手になってくれるからだ。
「ちょっと待て。白梅とサイネリアとワイルドストロベリーはわかるが、『クマさん』てなんだ?」
「バスケットに入ったバラさんとかすみ草さんにまざってるの」
「……ああ。アレンジメントフラワーにディスプレイされてるマスコットか」
 それは、器用な母が開発した「ギフトに最適! おまかせアレンジ☆」という新商品であった。小さな籠にセンス良く花が盛られ、クマ、うさぎ、犬の、いずれかの手作りミニマスコットが添えられている。どれも可愛らしく、なかなかにお客さまの評判も宜しい。蘭は、ことのほか「クマ」がお気に入りのようだった。
「もちぬしさんもとぬしさん。みんなにごあいさつして、朝ごはん食べたら、おでかけするの」
「出かけるって、どこへ?」
「ろんぶん書くのにしらべものするから、図書館行くつもりって、きのういってたの。図書館、ぼくも行きたいの」
「そうだっけ。んー、今日じゃなくてもいいんだけどな。外、蘭には寒いだろう?」
「さむくないの。ぜんぜん、平気なのー」
 寒いだろう、と問えば、蘭は必ずそう答える。
 思えば、この冬は、ずっとそうだった。日本列島を寒波が席巻し、気象庁が43年ぶりに命名を行ったほどの豪雪に見舞われた年だと言うのに。
「だから、いっしょにおでかけするの」
 そして――必ず、そう続けるのだ。
 冬の街の日陰には、まだ溶けぬ雪が残っている。歩道を行く蘭の、吐く息は白く、冷気にさらされて小さな耳たぶは赤く、細い首すじは痛々しい。
 寒くないはずが、ないものを。

 ◇◇  ◇◇ 

「もちぬしさーん! 大変なの! やっぱりさむかったの。今年のごうせつはすごいの!」
 葛の見よう見まねで、図書館のパソコンを検索したり雑誌を広げたりしていた蘭は、気になる記事を見つけて大声を上げた。もっとも、しんとした館内にはっとして、すぐに口に手を当てたけれども。
「そうだろう? 新潟県と長野県のとある集落については、住民の税務申告の期限を雪解けまで延長するそうだぞ。豪雪の影響は、国税局にまで及んでいるんだ」
 読んでいた資料から顔を上げずに、葛は言った。彼女が調べていたのは、あくまでも自分の専門領域であったので。
 しかし蘭がチェックしていたのは、全国各地の動物園の情報だった。
 池に張った氷の破片が原因で、フラミンゴが足に怪我をした、ボルネオ原産のオランウータンがしもやけになってしまった、上野動物園では、象やキリンが体調を崩さぬよう、早めに暖房の効いた屋内に入れるようにしている等々。
「動物さんたち、かわいそうなの……」
 蘭の大きな瞳が、みるみるうちに潤んでくる。我が身が感じる寒さよりも、動物たちの受難のほうが堪えるのだ。
 天真爛漫のようでいて、蘭はあまり、自分のわがままを通すことをしない。大好きなひと、大好きなもの、大好きな場所をいっぱいに抱えながら、欲に振り回されることがない。
 蘭の横顔をしばらく見ていた葛は、大きく頷いて、読んでいた本を閉じた。
「……よしっ、決めた」
「え?」
 立ち上がった葛に、蘭は面食らってきょとんとする。
「動物たちは飼育係ががんばって何とかしてくれる。オリヅルランは、持ち主が大事にしないとな」
「だいじにしてもらってるなの……」
「そんな赤い耳たぶさせてちゃまだまだだ! 調べ物は保留にする」
「……?」
 さらに首を傾げた蘭の手を、しっかと握りしめて引っぱる。
「今から毛糸を買いに行く。とびきりの、最高級のやつだ」

 ◇◇  ◇◇ 

 クエスチョンマークを大量に浮かべた蘭を横抱きにするかのような勢いで、葛は最初に目に入った手芸店に駆け込んだ。
 小さな店だが、品揃えは充実しているようだ。店主の女性も、おっとりと穏やかで感じがいい。
「いらっしゃいませ」
「手編みの帽子を作りたいんだ。それ用の毛糸が欲しい。化繊糸じゃだめだ。何が何でもウール、エクストラファインメリノ100%! こどもの肌に優しい手触りで、天然染料の草木染めのやつ! あと、編み針。風を通さないように緻密に編みたいから、できれば7号」
「作り慣れていらっしゃいますね。かしこまりました。毛糸の色のお好みは?」
「『クマ』の色がいい。この子はクマが好きだから、クマの帽子にしようと思う」
「では茶系で……これなど、如何でしょう?」
 手芸店の店主は、葛の剣幕にたじたじとなりながらも、丁重に商品を選んでくれた。柔らかでしなやかな、茶色のコットンを思わせる毛糸である。
「うん、いい毛糸だ。どうもありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます。素敵な帽子が完成しますように」
 毛糸3玉と7号編み針、これはおまけしときますね、クマちゃんの目鼻にどうぞ、と微笑んで、焦げ茶色の丸いボタンを3つ、店主は袋に入れてくれた。
「とてもお若いのに心配りの細やかなお母さんで、坊ちゃんは幸せですね」
 ……店主は、何か思い切り誤解しているようだ。が、葛はそれを訂正もしなかった。
「そうありたいと思ってる」
「しあわせなのー」
 蘭もまた、にこにこと頷いたのだった。

 ◇◇  ◇◇ 

「さて、と。始めるぞ」
 自室に戻るなり、ぴっと引き出したメジャーを、葛は水平に構えた。細められた目は、獲物に狙いを定めたハンターのようである。
「蘭! 動くな!」
「えっ? えっ? なんですか、なのー?」
 その迫力に押され、蘭はじりじりと壁際に追いつめられた。蘭の頭のサイズを――ポイントは額の頂点と、耳のすぐ上の場所である――葛のメジャーが正確に計っていく。
「ん。頭回りの採寸終了。肝心の頭の高さは……うーん、計るのは難しいな。編みながら調整していくか。フィット性が大事だからなぁ、最終的な編地のサイズを算出するには、緩み分の加算を忘れないようにしないと」
 まるで難解な論文に取り組むかのような真剣さで、葛はまず、10cm四方の試し編みを作成した。蘭の頭のサイズに合わせるため、編目の大きさを測定して、目数・段数を計算するのである。
「できた。これにアイロンを当てて、と」
 仕上がった試し編みに、スチームアイロンを使って蒸気を当てる。目が安定し、より正確に計ることができるのだ。
 目数と段数を定規で計測し始めた葛は、すでに研究者のまなざしになっている。
「この場合の計算式は――必要な編地の幅(cm)÷10×ゲージの目数=必要な目数、で、いいんだっけか」
「えっと、もちぬしさーん。お気持ちだけでうれしいの」
「蘭はいつもそう言ってくれるけどさ。気の済むまでやってみたいんだ。作らせてくれよ。ちょっと待たせるかもだけど」
「はい、なのー! いつまでもおまちしてますなの」
「あ、でも、サイズが算出できたら、きりきり編んでしまわないとな。冬が終わってしまう」
「おわってもいいのー。もちぬしさんが作ってくれたクマさんのぼうし、春になっても夏になってもかぶっておでかけするのー」
「……それはちょっとな。せめて、梅が散る前に完成させるよ」

 蘭はちょこんと座って、目まぐるしく動く葛の手元を見つめている。
 その姿は、真摯な子犬のようでもあり、やんちゃな子猫のようでもある。
 この子が葛のアパートの居候となってから、どれだけの幸福を運んできてくれたことだろう。

 オリヅルラン――ユリ科オリヅルラン属 。原産地、南アフリカ。
 花言葉は、集う幸福、守り抜く愛、そして――祝賀。

 父は本当に、「変な虫がつかないように」蘭を葛のところに寄こしたのだろうか?
 それとも……?

 ざわつく想いを編み込んで、葛は一心に手を動かす。
 そのそばで、小さなオリヅルランは笑顔の花を咲かせていた。


 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2006年02月27日

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