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『不可思議なる憂鬱 』
シグルマ0812
●賑やかなり白山羊亭
 聖都エルザード――アルマ通りにある白山羊亭は今夜もいつものごとく多彩な客で賑わっていた。賑わい繁盛しているのは店にとってはとてもよいことなのだが、別の見方をすればそれだけ何かしら問題が起こる可能性も上がってくる訳で。
 そして、今夜はどうも問題が起こりやすい特異日だったらしく……。
「きゃあぁっ!?」
 白山羊亭の店内に、看板娘であるルディアの悲鳴が響き渡った。注文された品々を運ぶべく、せわしなくテーブルの間を回っていた時のことだ。
「いきなり何するんですか、お客さんっ!!」
 直後、すぐにルディアの怒る声が聞こえてきた。そちらに振り向くと、顔を赤くして怒っているルディアを、へらへらと笑いながら見ている中年男の客の姿があった。
「へへっ、いいじゃぁん、ルディアちゃんよぉ〜。ちょぉっと尻触ったくらい、減るもんじゃなしさぁ〜……ひっく」
 赤ら顔で少し喋りが怪しくなっている中年男。そこそこ飲んだか、酒もいい具合に回ってきているようである。
「減ります! すり減るんですっ!! だいたいですねっ、うちはそーゆーお店じゃないですしっ!!」
 ルディアも負けてはいない。中年男へ言い返す。それを聞いた周囲のテーブルの客が、ひそひそと話し始める。
「減るのか……」
「すり減るんだとさ」
「……そうか、ルディアちゃんはそういう種族なのか」
「じゃ胸はやばいな……」
「ものの例えですよっ!!」
 ひそひそ声が聞こえていたのだろう、ルディアが周囲のテーブルの客へ言った。ひそひそ話をしていた客たちが、一斉に肩を竦める様子が何ともおかしい。
「へっへっへぇ〜、んじゃもう1度ぉ〜」
 叱られても堪えた様子はなく、中年男はまたしてもルディアの下半身へ手を伸ばそうとした。すると、だ。2人の間に、すっと割り込んできた者が居た。中年男の目に、がっしりとした男の下半身が飛び込んでくる。
「あぁん?」
 視線を上へとずらす中年男。そこには4本腕の戦士風の男が居た。
「おぉ、何だぁ? 多腕族の兄ちゃんが俺になぁんの用だぁ?」
 中年男は多腕族の男をぎろりと睨み付けた。恐らく酒が入っているから出来る芸当である。素面だったら、決して戦士であるらしい目の前の多腕族の男に喧嘩を売るはずないのだから。
 周囲のテーブルの客は、乱闘が始まるんじゃないかと戦々恐々……していたのは半数にも満たない。多くの、特に常連らしい者たちはどっしりと構えて微動だにしていない。そわそわしていたり、しっかとジョッキを握り締めている者は一見客か通い始めてまだ日もない客だろう。
 そして、多腕族の男が動く。なみなみと酒の入ったジョッキを、中年男の前に置いたのである。
「どうだ、一緒に飲まねぇか?」
 そう言ってニヤリと笑みを浮かべる多腕族の男。中年男はたちまち顔を綻ばせた。
「おぅ? こりゃすまね〜なぁ、兄ちゃんよぉ〜」
 へらへらと笑ってジョッキに手を伸ばす中年男。その様子を見ていた常連客らしい者たちが、ひそひそと言葉を交わす。
「あー、あいつ馬鹿だねー」
「本当だ、相手が……よりにもよってなぁ」
「殴られるよりきついかもな。明日が」
 その常連客たちの視線は多腕族の男に向いていた。男の名はシグルマ、大酒飲みの戦士である。常連客でその名を知らぬ者はまず居ないはずだ。

●酒を前に……
 さて、それからどのくらい時間が経ったろう。中年男のテーブルには大量の空のジョッキが並び、中年男本人はテーブルに突っ伏していびきをかいて眠ってしまっていた。
「あーあ、やっぱりな」
「勝てる訳ないっての」
「これで何人目だ? シグルマが酔い潰したたちの悪い酔っ払い」
 先程のひそひそと言葉を交わしていた常連客が、中年男を見ながら今度ははっきりと言っていた。
 こういう光景は、白山羊亭に毎日のように通っている者なら珍しくもない。今みたくたちの悪い酔っ払いが居ると、シグルマが何かしら一緒に酒を飲む方向に仕向けて、最終的には酔い潰してしまうのである。酔い潰された相手は、翌日必ず酷い二日酔いになっているという話。そりゃ殴られるよりきついはずだ。
 その酔い潰す張本人シグルマは、今度は酔っ払って上機嫌になり突然脱ぎ始めてしまった、いわゆる脱ぎ上戸の女性の相手をしていた。どうやらそれ以上脱がないよう、少し苦労しながらも宥めているようだ。
「……な、勿体無いだろ?」
「みゅ、かもしんない。うん、もーやめっ!」
 シグルマの説得成功、とりあえず女性はそれ以上脱がないようにはなった。まあ、周囲の男性客としてみたら『何て余計なことを!』と思っているかもしれないが、決して口には出さない。そんなこと言えば、ルディアに白い目で見られてしまうだろうから。
「やれやれ、これで落ち着いて飲めるぜ」
 首をこきこき鳴らしながら、本来の自分の席へ戻ってくるシグルマ。ちょっと待て、さっき散々中年男と一緒にジョッキ傾けてたじゃないかと思わず突っ込みたくなるが、それは違う。気分よく酒を楽しもうとするなら、やっぱりそれなりの環境が必要なのである。大酒飲みで酒が何より大好きなシグルマだが、先程の酒は楽しめたかと問われるとちと疑問だった。もちろん酒自身には何の罪もないのだが。
「シグルマさん、ありがとうございました」
 席へ戻ったシグルマの所に、ワインの入ったジョッキを持ってルディアがやってきた。
「これ、うちのお店からのお礼です。とっておきのシェリーキャンのワインですよ」
「そりゃいい。今年のは特に出来がいいと噂で聞いたからな」
 しげしげとワインを眺めるシグルマ。そんなシグルマに、ルディアがそっと伝える。
「あ、さっき向こうで飲んでいた分は、あのお客さんに全部つけちゃいましたから」
 ふふっと笑うルディア。シグルマもニヤリと笑った。さすがは白山羊亭の看板娘、たいしたものである。ちなみに付け加えると、シグルマ自身も『一緒に飲まないか』などとは言ったが、『奢る』とは決して一言も口にしていない。シグルマは前払いしていた分で飲んでいたに過ぎない。それが通常の人より遥かに量が上回っていたとしても、だ。
 ではシェリーキャンのワインを味わおう――と、シグルマが思った時だった。近くのテーブルが急に騒がしくなったのは。
「うふふ、動いちゃえー☆」
「わわっ、やめろって!」
「この娘またなの!?」
 ガシャガシャンとテーブルの上から物が落ちてゆく音に被さって、男女のグループの声が聞こえてきたのである。
「喉乾いたのー、お水ー☆」
 そう女性の声が聞こえてきたかと思うと、続けざまにバシャンと激しく水の落ちる音がした。振り向くシグルマ。見ると、ローブ姿の女性の前の床が酷く水浸しになっている。どうも水を作り出す魔法を女性が使用したようである。つまりは女性は魔女だ。
 そんな魔女を見かねたか、同じテーブルに居た他の男女ががしっと身体を押さえ付けた。
「ごめんなさい、お釣りはいいからこの娘連れて帰ります!」
「明日朝、本人に謝らせに行かせますんで!」
 口々にそう言い、代金を置いて魔女を引きずってゆく。ちょうどシグルマのそばを通るような形で。
「やだやだー、もっと飲むのー☆ んっと、今度はねー……」
 引きずられてゆきながらも何やら抵抗し、もごもごと口を動かす魔女。動かしていた手がシグルマの腕の1本へ不意に触れたが――ただそれだけ。やがては外へと完全に連れ出されてしまったのだった。
「……何だ、ありゃ」
 呆れたようにつぶやくシグルマ。これまで色んな酔っ払いは見てきたが、今のは何と表現すればよいのだろうか。
「魔法を使いたがりましたから、うーん……魔法上戸ですか?」
 お、ルディアが上手いこと言った。
「でも変な攻撃魔法使われなくてよかったですよ」
「だよな」
 シグルマは苦笑してルディアの言葉に同意した。こんな狭い店内で、もし火球などが炸裂していたならたまったものではない。
 とまあ思わぬ邪魔は入ってしまったが、今度こそシグルマはシェリーキャンのワインを味わおうとした。まずは匂いを嗅いでみる。
「うん、い……」
 その瞬間だった。突然シグルマの胸がむかむかとしてきただけでなく、ずきずきと頭が痛くなってなってきたのは。
(何だ、どうした?)
 違和感を覚えるシグルマ。だが気のせいだろうと思い、もう1度匂いを嗅いでみた。
「……う……」
 まただ。気持ちが悪く、頭がさらに痛くなってくる。シグルマの勘違いなどでは決してなかった。
「あれ、飲まれないんですか?」
 ルディアが不思議そうにシグルマの顔を覗き込んだ……。

●決意
 翌朝、シグルマは早い時間から白山羊亭に姿を見せていた。頭がずきずきと痛くてとても寝ていられなかったこともあるが、魔女が謝りにくるはずだと思い張り込んでいたのである。
(妙なことになったのは、あの魔女の手が俺に触れた後からだからな)
 この異変と無関係ではない、シグルマの直感がそう告げていた。
 やがて謝りに来た魔女をシグルマは捕まえ、この呪いとも言える魔法を解くよう詰め寄った。だがしかし、魔女は意外な言葉を発したのである。
「え、えっ、えぇっ? そ、そんなの覚えてません……知りませんっ! そんな魔法使えないですし、まして解呪の方法なんてっ!!」
「本当か!」
 なおも問いただすシグルマだったが、魔女はこくこく頷くばかり。やがて何度も謝りながら、白山羊亭を飛び出すように逃げていってしまった。後に残されたのは、呆然とするシグルマと、おろおろするルディアである。
「おい待てよ……どうしろってんだ……」
 シグルマが喉の奥から絞り出すように声を出した。
 解呪出来ないということは、シグルマはこの先一切酒が飲めないということである。匂いを嗅いだだけでこのように二日酔い状態、ならば無理に一滴でも飲もうものならどうなるか分かったものではない。下手すれば死に至るやもしれない訳で。
 これは非常に辛いことだ。酒は生き甲斐、人生そのものと言ってもいいシグルマにとって、酒を封じられることは己の人生を封じられたも同然なのだから。鈴を付けた猫同様、いやそれ以上かもしれない。
「あの、シグルマさん。ひょっとしたら何ですけど……」
 立ち尽くすシグルマに、ルディアが思い出したように言った。『遠見の塔』と呼ばれる塔の存在を。
「……遠見の塔か。そこなら俺も聞いたことがあるぜ」
 遠見の塔――それは賢者と噂されるある兄弟の住まう塔。そこには聖獣界のあらゆる知識を記したと言われる書物があるなど、色々な話を伝え聞く。
「話が真実なら……行くしかないか」
 シグルマは決意した、ルディアの言った遠見の塔へ向かうことを。もちろん、解呪の方法を探るために。
 かくして新たな冒険が、シグルマの前に口を開いて待っていた――。

【おしまい】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
高原恵 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2006年02月24日

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