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『 牡丹雪 』
久住・沖那6081





◆ ◇


 ――― 父様は、僕の事を恐れている・・・。

      僕の持っている、この能力を ―――



  それでも、目を瞑れば聞こえてくる・・・

  違う・・・目を瞑らなくても、聞こえてくる


       人の考えている事が、思っている事が・・・



    ――――― 父様は、僕の事を恐れている ―――――


◇ ◆


 窓の外を、大きな牡丹雪が舞い落ちる。
 ハラリハラリと、少々繊細さを欠いた舞ではあるが、けれどもその大きさ故に見応えは十分あった。 
 典型的な日本家屋。豪華さはないまでも、風格のある造りのこの邸で、久住 沖那はボンヤリと壁に掛かった能面を見上げた。
 能面師である父の作る能面は、素晴らしく緻密で美しく・・・そして、一種の妖しさを含んでいた。
 目を惹く能面がいたるところに飾られた邸内。皆和装で過ごすこの空間は、ある意味世界から隔離された場所だった。
 邸を訪れるのは父と所縁のある者のみで、沖那と同じ年頃の子供を見た事が無い。
 まだ幼い沖那にとっては、見る人見る人が全て大人だった。
 和服に身を包み、雅な言葉を繰る人々。
 皆、沖那には優しかった。
 優しい言葉、優しい瞳・・・その奥深くに潜む、善からぬ思い。
 止め処もなく流れてくるそれらの情報。
 ・・・今日も、邸を訪れた者の中にそのような考えを持った者がいる。
 『沖那君・・・こっちへいらっしゃい』
 優しい声で、優しい口調で、手招きをする姿は“善い人”にしか見えない。
 1つだけ丁寧にお辞儀をした後で、座敷へと上がる。
 向かいに座った年配の和服の女性が、お菓子を1つ沖那へと差し出し、礼を言ってから受け取る。
 よく出来た息子さんですねと、女性が父に向かって穏やかな微笑を浮かべ―――それに対して、父は困ったような笑顔を浮かべただけだった。
 女性の隣に座る男性の顔をチラリと見詰める。
 父に媚びているかのような薄っぺらい笑顔。その奥に眠る、真意。
 沖那は小さな掌をギュっと握ると、唇を噛んだ。
 今・・・言ってしまおうか・・・いや、もう少し時を待った方が良い・・・。
 妙な緊張感が沖那のココロを鷲掴んで放さない。
 聞こえてくる心の声は、吐き気がするほどに酷いものだった。
 知りたくも無い人の心の声は、沖那の心を酷く傷つける。
 ギリギリと、爪を立てて引掻かれるかのような鋭い痛み。決して緩む事の無い手。
 しばらくしてから客人達が、父にお辞儀をし、沖那にお辞儀をしてからすっと立ち上がった。
 沖那もそれにつられて立ち上がり、邸の玄関まで父と共に見送りをする。
 女性が見えなくなるまで沖那に向かって手を振り続け、父が小さく「彼女は子供が好きだから・・・」と、独り言ともつかぬほどの声でそう呟いた。
 ガラガラと引き戸を閉め・・・目の前を通り過ぎようとする父の袖を思わず掴んだ。
 一瞬だけ、驚いたような表情を浮かばせたものの、直ぐに普段通りの厳格な表情に戻る。
 どうしたんだ?と訊く声は、聞きようによっては威圧感を含んでいる。
 「あの・・・」
 喉元に引っかかる言葉を、何とか外へと押し出す。
 今聞いた事の全てを、包み隠さず、残らず・・・父へと伝える。
 話が進むにつれて、父の顔色がドンドンと変わって来た。
 最初は酷く驚いたような表情だったのに・・・話が終わる頃には怒った様な顔つきへと変化していた。
 “ソレ”を聞いたのは、お前の耳ではないのだろう?
 その言葉に、コクリと頷く。
 決して相手は口に出して言っていたわけではなかった。心の声は、空気を揺らさない。音を伴わない・・・。
 珍しく声を荒げた父が、沖那の小さな身体を脇に抱えた。
 そのままズンズンと邸の中を進み、廊下と庭とを繋ぐガラス扉を引いた。
 冬独特の凛と澄んだ冷たい空気を肌で感じ、沖那は思わず目を瞑った。
 目を開ければ広がる白銀の世界。積もった雪が、庭を彩る木々を白く覆っている。
 幻想的な光景だと、沖那は幼心に思った。
 父が沖那を庭へとおろし、ピシャリと扉を閉めた。更には中の障子まで閉めてしまい・・・。
 ストンと、その場に腰を下ろす。
 冷たいガラス戸を叩いて父の名を呼ぶ気にはなれなかった。
 ――― そう・・・父様は、僕の事を恐れている・・・
 人の心が分かってしまうこの能力を・・・快く思っていないのだ。
 考えれば、誰だって怖いのかも知れない。
 自分の心の声が他人に分かっているとしたならば・・・それこそ、恐怖を感じざるを得ないだろう。
 でも・・・聞こえてしまうのだから・・・どうしたって、聞こえてしまうのだから・・・。
 ギュっと、唇を噛み締める。
 俯いていたら涙が流れてしまうから・・・空を見上げる。
 ハラハラ舞う牡丹雪は、あまりにも白く輝いていて ――― 目に痛かった。

    パタン

 涙が足元に1つ、落ちた。
 真っ白な雪をジワリと溶かす熱い涙。溶けた雪の上に、更に雪が覆い被さる。
 泣いたって、きっと雪が隠してくれる。
 空を見上げれば、止め処もなく雪は舞い落ちて来ているのだから・・・・・・。



    ふわりふわりと揺れ落ちる
    儚の気配に身を委ね

    落つる心を覆い隠す
    白銀の魂をそっと撫ぜ

    淡く揺れる視界の先
    感じる凛に身を委ね

    瞳を閉ざせば聞こえてくる
    小さな雪の囁き声



 ――――― 凍える気持ちを溶かすのは ―――――



 甘く囁きかける睡魔に、沖那は身を委ねる事にした。
 泣き疲れた身体は泥のように重く、寒さでかじかんだ指をそっと握り締める。
 目を閉じる。
 悲しみに染まった瞼の裏に浮かんで来るのは、真っ白な牡丹雪。
 熱い息を吐き出して、眠りに落ちる・・・その瞬間、ふわりと沖那の上に温かなものがかけられた。
 目を閉じていても感じる、父の気配。そして・・・沖那の身体は抱きかかえられた。


  ・・・温かな腕によって・・・


◆ ◇


 ゆっくりと目を開ける・・・。
 窓から薄っすらと入ってくる陽光が沖那の視界を淡く暈す。
 ・・・どうやら、眠ってしまっていたようだ。
 横たえていた身体を起し・・・ふと、ある事に気がついた。
 頬を濡らす、1筋の線。それを右手でそっと拭う。

 ――― 涙・・・・・??

 どうやら夢の中だけではなく、現実でも泣いてしまっていたようだ。
 ・・・もう、あんな風に泣く歳でも無いのに・・・。


 今は亡き、厳格だった父。
 父は沖那が生まれた時から能面師を継がせるつもりだったようだ・・・。
 母は知らない。父からは、死んだと聞かされていた。
 ・・・あの時の沖那は、自分の事を“僕”と呼んでいた。けれど・・・声に出す時は“私”と言っていた。
 それは、父がそうさせたのだった。
 今も沖那は自分の事を“私”と呼ぶ。勿論、今では“僕”とは言わなくなってしまったけれど。

 父は、確かに沖那の事を恐れていたのかも知れない。
 ・・・きっと、恐れていたのだろう。
 けれどそれ以上に、父は沖那を想っていた。
 ふわりと感じたあの時の柔らかい温かさ。
 目を開ければ布団に寝かされており、父は何も言わなかったけれど・・・あの時、沖那に毛布をかけ、抱きかかえて邸内まで運んでくれたのは



  ――― 他でもない、父の温もりだった・・・・・・











          ≪ END ≫




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雨音響希 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年02月24日

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