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『春待名の君より 』
江戸崎・満1300)&弓槻・冬子(3769)


 そこには張り詰めた空気と静寂が漂っていた。
 大きな日本家屋敷地面積の半分を占める工房は、1人で使うには決して狭いとは言い難い。
 その静かな工房で低い音を立てながら、ろくろが回転しだした。
 くるくると回るろくろに乗った土の塊にゆっくりと指を差し込む。
 少し力を入れると回転の反発力を感じた。徐々に土の塊が横に広がる。
 徐々に薄く延ばしていたのだが、ふとしたバランスでそれまで水平を保っていた大皿の縁がへにゃりと曲がった。
 ぴたりとろくろが止まる。
 江戸崎満(えどさき・みるつ)は崩れた皿を再び土の塊に戻した。
 大きくため息を吐いた満は自分の手で張った肩をゆっくりと揉み解す。
 すでに乾燥の段階に入っている作品はいくつか合ったが、これだと自信を持てる物はその中にはなかった。
 どうもここしばらく俗に言う『スランプ』状態なのは自覚していたが、納期は着々と近づいてきている。
 原因がわからなければどうしようもないのだが、それが判れば世の中から『スランプ』等というものは消えてしまうだろう―――つまり、単純にすぐにどうこう出来るものではないということだ。
「……参ったな」
 そう呟いて満は頭を数度指で掻いた。

 一方その頃、プシューと空気が抜けるような音とともに開いたバスのステップから降り立った女性が1人、きょろきょろとあたりを見回していた。
 鞄から取り出した地図を見ながらバス停を後にした彼女はいくつかの路地を曲がり足を止めた。
 表札を確認して、その家が目的地であることを確認して奥に向かって、
「すみません」
と声を掛けたが反応がない。
 試しに引き戸に手をかけると無用心極まりないことではあったが、仕えることなくからからと開く。
 玄関の三和土まで入ってから再び奥に向かって声を掛ける。先程よりも幾分か大きな声で。
 しばらく待っていると、ようやく人の気配がした。
「はい、どちらさまで―――」
 ようやく現れた家主はそこに居る彼女の姿に驚いて一瞬声を詰まらせた。
「こんにちは」
 そう挨拶する彼女に、
「……冬子、さん?」
と、満は確かに目の前に居いる女性が自分の知る彼女であるのかを確認するように弓槻冬子(ゆづき・ふゆこ)の名前を呼んだ。
「はい」
 肯定の言葉を口にして冬子は微笑を深めた。


■■■■■


 漏れてしまう声を抑えるように手を口元に当てて笑っている冬子に、満は黙り込んだまま気まずげな表情をして口を結んでいた。
 一見不機嫌そうに見える表情であるが、それが照れ隠しであることは赤らんだ耳が証明している。
 少し体調が良くなったという冬子の急な訪問に驚いた満はぜひ冬子にお茶でもと薦めるのに、柱にぶつかりかけるわお茶を入れながら茶碗をひっくり返しそうになるわと動揺丸出しの様子を見せてしまったのだ。
「ごめんなさい、約束もしていないのに急に訪問してしまって」
 冬子は申し訳なさそうな表情で向かいに座る満に謝罪した。
 それを満は慌てて否定する。
「そんな、冬子さんが謝ることなんて何もないですよ。ただ、ちょっと驚いたというか―――嬉しくて動転してしまって。随分情けないところを見せてしまって恥ずかしい限りです」
「でも、ご迷惑じゃ……」
「とんでもない!」
「良かった」
 冬子はふと満の服装に目をとめた。
 その視線に気付き、
「あぁ、この格好ですか? ちょうど作業をしていたところだったんですよ」
と少し土で汚れた作務衣を指で摘んで見せる。
 そう言ってから満は冬子に提案した。
「そうだ、せっかく冬子さんが来て下さったのにただお茶を飲みながら歓談するだけでは芸がない。どうですか? ちょっと工房の方へ行って少し陶芸の真似事でも」
「いいんですか?」
「もちろんです」
 冬子の嬉しそうな顔を見て、我ながらなかなかいい提案だとさっそく満は奥の工房へと冬子を案内した。
 打ちっ放しの土壁に三和土。
 最近ある電動ではなく炭を使う昔ながらの大きな窯。
 工房の壁の一部を木製の背の高い棚が覆い隠している。そして、その棚に並ぶいくつかの完成品や途中段階の作品が並んでいた。
 物珍しそうに、そして興味深そうに冬子は満に説明を受けながら工房の中を見学する。
「土練りから成形、乾燥、素焼き、釉薬掛けと時間をかけてでも一通り自分でやった方が面白いのかもしれませんが、とりあえず手始めに素焼きまで終わっているもので絵付けがいいかもしれませんね」
 そういって満は素焼きの段階まで澄んでいるいくつかを持ってきて冬子の前の台にいくつか並べる。
「え、でもお仕事のものでは」
 そういわれて、満は少し苦笑いを浮かべた。
「どうもここの所不調らしくて作ってはみたもののといった物なので、遠慮しないで好きなものを選んで下さい」
 冬子はいくつかの中から少し背が高いタタラ板を用いて作った角物の花瓶を選んだ。
 満もその中から手びねりの器を選び冬子の向かいに腰掛ける。
 五色ほどの絵付け用の染料で時々冬子が満にアドバイスを受けたりしながらお互い思うままに絵を描いた。
 特別な会話もなく静かな時間が流れる。
 だが、その静けさは嫌なものではなくゆったりとした時間の流れが逆に心地良いものに感じられて、この時がずっと続けばいいと思わずにいられないようなそんな暖かささえ感じる時間だった。
 それは長い間生きてきた満が久しぶりに感じる落ち着きや満ち足りた気持ちが充溢した時間でもあった。

 数時間後、春を待ちわびるような柔らかな緑と淡い赤が印象的な風景を描いたその花瓶を残して、冬子は満に最寄のバス停まで送られて白樺療養所へと戻っていった。


■■■■■


「まぁ、こんなものだろう」
 満は慎重に窯から取り出した両腕が回りきらないほどの大皿を目の前にそうひとりごちたが、その台詞とは裏腹に目の前の作品は満足出来る逸品に仕上がっていた。
 冬子が訪れた時に作った作品を白樺療養所に届けに行き、帰ってきたその足ですぐに工房に引きこもって一心不乱に作成した物がこの作品だ。
 形の美しさといい計算されたように緻密であるにもかかわらずどこか人の温もりを感じさせる、満が過去に作ってきた作品とは少し異なる雰囲気を持つ物に仕上がったが、満自身過去にどんな高評価を受けた物にも負けずとも劣らない作品を作れたと自信をもって言える物になった。
 しかも、数週間前のスランプがまるで嘘であったかのように今、満の中には創作する意欲が満ち溢れている。
 それもこれもやはり、あの日過ごしたあの時間がもたらしてくれた恩恵である。
 これまで自分はただ彼女を守りたいと彼女を幸せにしたいと思ってきたが、彼女のお陰でこの素晴らしい作品が出来たという事実が、ただ与えるだけではなく自分もまた彼女からいろいろなものを与えられているのだと、満は目から鱗が落ちるようであった。
 そして、さらにまた一層深くなった想いをこの作品の名に込めた。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
遠野藍子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年02月20日

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