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『bump into 』
藍原・和馬1533)&黒澤・早百合(2098)

 古びた家屋の持つ独特の雰囲気は、時として人の恐怖を誘う要素として十分すぎる程の効力を奏する。
 住宅街の片隅に立つその家もまた、人が住まぬようになって久しく、荒廃した庭と雰囲気から人の口に『幽霊屋敷』と囁かれるようになってから久しい。
 昔、ここで惨殺事件があっただの、自殺者が多発しただの、一家全滅の全焼家事に見舞われた(建造物が残っている為、この情報は間違いなくデマである)だの、好き勝手に言われた挙句、取り壊しも出来ずに、思い出したようにある一定の周期でご町内の議題に上る、そんな家だ。
 が、これ以上資産価値を失わせたまま放置しておくに業を煮やした不動産業者が最終手段とばかりに除霊の腕の確かな者探し回った末、この家の情報が黒澤早百合の耳に入った次第である。
 そして早百合は、繁りすぎた庭木に日当たりが悪く、無駄に影の濃い和洋折衷の館を背後に腕を組み、門の向こうを睨みつけるように立っていた。
 今日もまた、本業である殺しの仕事より安い・早い・巧いの評判で需要の高い悪霊退治……であるが、いつにない緊張感が漂っている。
 そわそわと落ち着かない様子で何度も腕時計を見たり、艶めく黒髪を乱れてもいないのに手で撫で付けたり。
 時には何もない宙に向かってパチリ、とウィンクしてみたりと挙動のおかしな不審者以外の何者でもない。
 その彼女が不意に姿勢を正したのは、錆に鉄色から鈍い赤に変じてしまった門の前を、白いバンが通り過ぎ、その脇と思われる位置に停車した為だ。
 運転席から下りる、人数は一人。開け閉めする扉の音に判断し、更に耳を澄ませる。
 爪先から落ちるような足音は鉛の入った安全靴の為か。その重さに下りた人間は男だと推測がついた。
 車の後部から仕事道具を取り出しているのだろう、カチャカチャと金属の触れ合う音と、木製の何かがかち合う音とが続き、それが足音と共に門へと近づいて……逆行に顔はよく見えないが、長身の影が敷地の中に立つ早百合の姿を認めてぺこりと軽く頭を下げた。
「ちゃーす、何時でも何処でももクリーン☆な毎日を。頑固な汚れも面倒なお掃除もプロに任せて安心・安全! 奥様の味方、Tokyo-Janitorです」
長いキャッチフレーズと胡散臭い横文字の社名だが、何て事はない、派遣清掃業の人間である。
 言って会社のロゴの入った帽子を脱いだ清掃業者は……藍原和馬は、凍り付いたように動かない人影が早百合である事に気付くと、即座、踵を返した。
「……お邪魔しました」
君子、危うきに近寄らず。先人の偉大なる教えが、過去の記憶……主に味覚に蘇る恐怖のそれに、隔離レベル4並、国家の危うきレベルとまで判断した和馬は他人の振りで逃亡を計る、が。
「待ちなさい」
一つ瞬きをして復活した早百合は和馬の襟首をがっしと掴んで逃亡を阻むと、取り出した携帯を片手で操作して回線を繋ぐ。
「あ、Tokyo-Janitorさん? 現場責任者を出して。名前? 黒百合会の早百合と言えば解るわよ! 十秒で出しなさい!」
きっかり十秒後、電話向こうで目的の人物に繋がったらしく、早百合は受話器に向かって深い溜息を吐き出しつつ告げた。
「チェンジ」
「何それ!」
和馬の異論になど、耳を貸しもしない。
「私は若くてイイ男を、とお願いした筈よ? それが何。来たのは従順なだけが取り柄の彼女持ちのワンコ……え? 若くて人の好い男をだした? あなたねぇ。顧客の希望に沿えなくて、それでビジネスが成り立つとでも思ってらっしゃるの? 今すぐ若くて彼女募集中のイイ男を追加で寄越しなさい」
さり気なく希望項目が増えている。
「……ちょっと!」
通話は途中で切られたらしい……チッ、と短い舌打ちに、シェルタイプの携帯電話を音高く閉じた早百合は、物憂い視線を斜め下の地面に落とした。
「今朝の占いで、午前中のうちに運命の出会いがあるかもって言ってたから、期待したのに……」
早百合には運命認定されないが、和馬にとってはある意味、宿命を感じる再会であると言える。
「あの〜、俺じゃ、ご不満のようですので帰らせて貰っていいですかね?」
下手にお伺いを立てながら、和馬は襟首を掴んだままの早百合の手をこっそり外そうとしたが……それは手首の角度を変えるに合わせて、キュッと首を絞め上げた。
「仕方ないわ……貴方でも掃除は出来るわね。本来のお仕事を頑張って頂きましょう」
和馬でなければ一体どんな憂き目に遭ったのだろうか。
 標準以上の身長に、体重も応じる和馬を、早百合はその細腕でずりずりと引きずりながら、問題の館に向かって歩き出し、ふと、思い出したように顔を上げた。
「貴方が相手だと解っていれば、お弁当を作って来れたのに。残念ね」
「何が残念!」
凶悪なお化け邸の清掃……と、さんざっぱら噂話を吹き込まれても平気の平左、二つ返事で現場に向かう度胸があっても、早百合の手料理を勧んで口にする勇気と度胸の持ち合わせを持つ者はそういない。
 早百合の料理を前にした気持ちを具体的に喩えて言うなら、ウラン濃縮作業現場に、ブーメランタイプの水着一つで挑むような。そんな感じ。
 命の危機を予感した身体から勝手に流れる汗は冷たく、和馬は不安にきつく胸に抱いた大事な商売道具を潰しそうになりながら、思わず虚空に向けて助けを請うた。
「たぁすけてぇ〜〜……」
しかし場所はお化け屋敷、弱々しい男の声を本気に取る住民は近隣になく。
 和馬は早百合と共に、重々しい音を立てて開いて閉じる、扉の内側に呑まれた。


「もう……お婿に行けない」
シクシクと泣きながらテーブルに突っ伏す和馬に、連れがかける言葉は冷たい。
「鬱陶しいわね。無駄鳴きするようなら、埼玉の警察犬訓練所に放り込んでしつけ直して貰っても良くてよ?」
最近は家庭で飼っているペットの性格矯正もしてくれるらしい、国家組織の施設を具体的に出されて和馬は身を起こした。
 薄暗いという共通点はあるが、今二人が居るのは荒廃した幽霊屋敷とは天地ほどの差がある静かなバーである。
 広い空間によくこれだけ集まったなという程みっしり詰まった浮遊霊と、狭いながら品の良い音楽と低い会話に快さを感じる空間とでは選択の秤にすらかけられない。
 その中で、未だダメージを引きずる和馬は確かに空気をくさす。
 とはいえ、その大半の責を負うのは、やはりというべきか当然というべきか、早百合であるのは間違いない。
 強盗殺人云々は確かにデマであったのだが地があまり良くなかったのも確かで、邸は浮遊霊の巣窟となっていたのである……ついでに家の湿気から、ムカデ、ゲジゲジ、ダンゴムシの類が闊歩し、至る所に黒カビの温床が形成されていた次第。
 この場合、前者が早百合、後者を和馬が担当するのが当然であろうが、そうは問屋が卸さない。
 何故か家具一式が残されていた邸内、当然の如く電気も水道も止められている屋内に活躍する箒で隅の埃を掃きだしつつ、雑巾と電解水、洗剤でこびり付いた汚れに立ち向かい……ついでに襲いかかる浮遊霊と相対するのも全て和馬。
 確かに、指一本でも触れようものならどんな恐ろしい災いを被るかしれない、風格を湛えた早百合と、作業服に清掃用具を満載に抱えた和馬とでは、与しやすさは後者に軍配が上がる。
 玄関ホールから始まり、廊下、難の多い水回り、居間、客室と一階を制覇して和馬が二階に向かう迄の間に早百合がした事と言えば、伝手を通じて電気と水道を使えるように電話を一本入れた位だ。
 確かにそれは助かった。助かったのだが。
 いざ二階へ向かおうとした和馬と早百合に敵わぬと察した浮遊霊達が、おどろおどろしい暗雲を纏った集合体となって一つの巨大な顔を形成した時。
 今こそ退魔師としてこの場に居る早百合の出番であろうと、場を譲ろうとした和馬に向かって言い放ったのだ。
「さぁ、お行きなさい!」
びしりと突きつけられた指先が示すのは、如何にもな中ボスキャラと化した霊。
「って、あんたの仕事じゃ!」
思わず、と言った和馬の非難を、肩にかかる髪を背に払う仕草でさらりと受け流し早百合はにっこり、と微笑んだ。
「私の仕事は、地縛霊退治。貴方の仕事は邸内のお掃除。そうでしょう?」
……告げられて逆らえる者が居ようか。
 自棄になった和馬は、手にした装備一式を床に捨てて身軽になり、その中で最強の一本のみを手にした。
 柄が長く、固い穂先は緑のデッキブラシ、である。
「あぁ〜、もうッ!」
せめてそれ位の悪態位は許されよう。
「こんなモンを使わせやがって」
忌々しげにブラシを見下ろした和馬はキッと顔を上げて視線の先、霊の塊に向けた視線に添うように、ビシリとモップの穂先を向けた。
「……このおぞましいトイレ用ブラシで引導渡されたくなきゃ、とっとと逃げやがれ!」
親切な宣告と共に挑みかかった和馬だったのだが。
 霊の中に……入院したまま家に戻る事なく没した元・家主の姿を見つけた早百合が『浄化のいかづち』を振い、霊を一掃した気だ……和馬ごと。
 悲しいかな、人狼の体力は気力と時の運を凌駕して無駄に強い。
 常人ならば間違いなくあっちの世界に行ってしまう事態にも落命を免れるが、早百合に背を見せまいという決意を固めるには十分過ぎる出来事であった。
「いい加減に立ち直りなさい。打ち上げに誘ってあげたじゃない」
長い回想に俯いて沈黙したっきりの和馬に、早百合が……多分、元気づけようとしているのだろうが、二人っきりで打ち上げも何もあったものではない。
 黒こげになった和馬の凄惨さに流石になけなしの良心が咎めたか、この場は早百合の奢りである……業務上過失致死を免れ得た礼にしてはささやかであるような気がしなくもないが。
「俺の払いは俺が持ちます……」
くすんと鼻を鳴らして尻尾の垂れたわんこの姿は、どんな人非人の胸にも締め付けるような感覚をもたらすものだ。
「悪かったわよ」
さしもの早百合もその統計からは逃れ得なかったのか、一応なりと謝罪の言葉を口にした。
「……あんまりいつまでもぐじぐじ言ってると、社長室に連れ込むわよ?」
けれど急所を押さえるのも忘れずに。
 この場合連れ込むというのは、新作料理の実験台……基、栄誉ある試食係の努めを示している。
 自分の手料理は天下一品と自負するわり、その破壊力を正しく認識しての脅しに、和馬の背筋がしゃきん! と音を立てて伸びた。
「アイ、マム! 自分は元気であります! 只今、お飲物をお持ち致します!」
何故か軍隊式の敬礼をかまし、踵を鳴らして方向転換し、バーテンダーへと向かう和馬……小さな店とはいえウェイターはおり、呼べば来るのに律儀というべきか逃げを打つのが巧みと言うべきか。
 その和馬を咎めはせずに見送った早百合の前に、コトリ、グリーンの液体に満たされたピルスナーグラスが置かれた。
 注文した覚えもない品物に、間違いだと告げようと顔を上げた早百合に、年若いウェイターは片手で軽く制する。
「あちらの紳士からでございます」
制した手、その掌を上向けて示すカウンター席……其処には早百合の前に据えられた物と同じカクテルを手にした男が、グラスを軽く掲げて早百合に軽い挨拶を向けた。
――あら♪
と、早百合が思うのも道理。
 仕立のよい背広に包まれた体躯は意図して鍛えたと思しき均等さを持ち、人の目に自分がどう映るかを確と意識した、ヤングエグゼグティブ。
 連れのわんこなどとは、とても比べ物にならない。
 一瞬で判断を下した早百合は、グラスを手に席を立った。
「エメラルド・クーラーですのね」
男の横の止まり木、カウンターの上にカクテルを置き、その名を告げる……同時に何故されを自分に、とも問うている。
 この日、早百合は汚れても良い仕事着……と言いながら色合いこそ地味な紺、のブランドのスーツを身に纏い、アクセサリーも特に緑の物を身に着けているでもない。
 早百合の意図を汲んで、男は自分の前の同じカクテルを一口含むと笑みを見せた。
「かのクレオパトラが愛したカクテルを、貴女に捧げたいとそう思っただけですよ」
世界に名だたる美女に並ぶと。言外に告げた男に、早百合は微笑んで隣の空席を示す。
「座っても?」
「どうぞ」
軽いジャブとフックの応酬を交わし、本格的な撲ち合いに入る……様式美とはいえ、大人の男女の世界は難しい。
 穏やかに笑みを交わした夜の狩人達は、何処かで高らかに鳴るゴングが告げる開始の合図に、心の奥でファイティングポーズを構えた。


 勝者、早百合。
 その一言で状況が察せよう事態を手持ち無沙汰に見守っていた和馬は、男がしおしおと去っていくのを見守って、その後ろ姿に心の中で合掌する。
 それにしても、バーテンダーに軽く愚痴りながら作って貰ったルビー・カシスが暖まってしまう前に決着がついて良かったと、何故だか早百合の勝利を確信していた和馬は同時に首も傾げる。
 それこそ、結婚相手を求めるならばまず出会いが必須、時間を重ねなければ人生の伴侶など見つかろう筈もなかろうと……こればかりは年相応に近所のおばちゃん的な心配の仕方で、和馬はカウンターに一人座る早百合の背後に歩み寄った。
「お待たせ致しました、マム!」
先のお巫山戯を引っ張ったまま、器用に片手で支えたタンブラーを合わせてカチンと音を立てる。
「遅いわね。もう呑んでるわよ」
そういう早百合の前には、色こそ先と同じ緑だが、今度はカクテル・グラスに注がれたカルーソーが据えられている。
 挨拶もなく隣に座り込む和馬に軽く眉を上げ、早百合は一息にグラスの中身を飲み干した。
「黒澤さんは結婚したいいんですよね?」
「そうよ。その為に日々の研鑽は欠かしてないわ」
当たり前じゃない、と告げる早百合に、手にしたカクテルを差し出しながら和馬は解せぬ様子で軽く下唇を出す。
「さっきのなんてよさそうだったのに、追い払って勿体ない。もっと話してみれば気が合ったかも……」
和馬は惜しんでいるようだが、それこそ何も知らない一般人をだまくらかして婚姻届けに捺印の一つや二つ、させそうな早百合が相手をあっさり逃したそれが納得出来ない。
「好みじゃなかったの」
あっさりと言う早百合に、和馬はうぅむ、と唸る。
「じゃ、どんなのがお好みで……?」
自分に該当項目があったらヤだなぁ、と思いつつも、聞かずに居られない怖い物見たさならぬ聞きたさ。
 人は恐怖も娯楽に出来る、器用な生き物である。
「そうね……」
ルビー・カシスのタンブラーの縁を指です、となぞりながら早百合は思考に視線を宙に向けた。
「優しくて男らしくて家庭的だといいな。でも家の中でみっともない格好はしないような。身長は私より高い方が好きね。顔も私と並んで見劣りしなければそれで贅沢は言わないつもりよ。稼ぎは多ければ多いほどいいわ、少なくとも私の年収は越えてて貰わないと。ホラ、私、結婚したら家に収まるから、共働きで家計を支える期待はして欲しくないわ。だからってお金の事で不自由するのはイヤよね。それから夫の両親と同居なんて絶対にゴメンだし。子供は欲しいけど、最近は晩婚に伴って出産年齢も上がっているというし、しばらくは二人の生活を満喫したいわ。そうそう、出来れば彼が別荘とクルーザーを持ってるといいわね。海外旅行は年に最低三回、スキーはこれに含めないわ……」
よもや世の女性の理想の男性像の標準がこれだったらどうしよう、と内心汗を掻く和馬の杞憂を余所に、延々と続く希望要望を早百合はカクテルで唇を湿しながら続け、タンブラーの中身と和馬の精神力が半分に減った所で。
「……と、いうのは建前で」
早百合はあっさりと聞き手の辛抱を無に帰した。
「本当の条件はたった一つだけね」
やけに確信を持って告げられるのに、色んな意味で疲れていた和馬はつい、聞いてしまう。
「どんな?」
「私の料理を美味しいって残さず平らげてくれる人」
それ、人間じゃ有り得ませんから。
 どっと込み上げる疲労感に、和馬は再びカウンターに突っ伏した。
「マジかよ、それ……」
ありえねぇって。と、思わず素になって呟く和馬の言に、早百合は軽く眉を上げ妖艶な笑みを浮かべて見せる。
「さぁ、どうかしらね?」
煙に巻いた方と捲かれた方の力量差を示すかのように、カウンターの上には手つかずのルビー・カシスと、空のタンブラーが並んで露を結んでいた。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年02月20日

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