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『■甘く、祈る■ 』
千住・瞳子5242)&槻島・綾(2226)





 神無月、神在月。
 八百万の神が集う地のその社。

「瞳子さん、これは」
 槻島綾がぱちりと瞬きしながら口を開くのに、千住瞳子はやわらかく微笑むと「はい」と首肯する。
「ちゃんと『建材』もありますよ」
 清潔そのものの爪が射し込む自然光でうっすらと照る指先がするすると広げ、緑にも見える眸で見遣るそれは一枚の設計図だ。
 丁寧な手書きのそれは小さな文字が幾つも書き込まれており、読んでみればそれは綾にも聞き覚えのある製菓会社とその製品達。
 設計図に菓子の名前。
 常ならば首を傾げるものだけれど、瞳子の言った『建材』を指すのだとは綾にはすぐに解った。
 成程、彼女は自分の為にあれこれと考えてくれたらしい。その当たり前のように向けられる好意。一つ一つの行動に、瞳子は綾への気持ちを織り込んで向けて来て、差し出されたそれを受け取る綾はただ微笑むばかり。そして今も設計図を見ながら唇に普段のままに穏やかな笑みを刷く。
 その綾の年齢よりもいささか若く見られがちな顔を窺い見る瞳子は、彼が面をゆったりと綻ばせる様に胸を撫で下ろした。
 バレンタインのチョコレート。
 瞳子も当然贈りはするけれど、普通に贈るだけではなくて、何か彼が好きなものを。
 手作りだの有名店だの雑誌だの、チョコレート以外の品々についても考えた瞳子が最終的に辿り着いたのは綾の『寺社仏閣好き』という点だった。どういう流れで結論を出したのかは瞳子にも考えが過ぎてはっきりとはしないが、綾が特に好きな寺社にお参り出来ないものかとも思ったのは確かだ。
 あちこちの店を覗いては商品をチェックし、購入し、時間も金も実はそれなりにかかっている。
 無論、瞳子にとってその辺りの手間は手間ではなく、綾が気に入ってくれるといいと心躍らせながらの日々であったのだけれど。
 そして眼鏡をかけて設計図を確認する綾が、『建設予定』の社の写真を取り出して見比べている姿からすれば瞳子の企画は成功だったのだろう。
 片付いた居間の清潔なテーブル。
 そこに広げた設計図へ瞳子も少しだけ身を乗り出して。
 染めた事なぞ一度としてない、艶のある黒髪が手入れの良さゆえに頬を滑る。何気なくその視界を遮る一房を耳にかけた瞳子は、視界に入る綾の顔の近さに鼓動が跳ねるのを聞いた。間近で見える淵の色めいた瞳と睫の影からさりげなく視線を逸らして当初の目的の通りに設計図へと意識を向ける瞳子だ。
 綾は、図面と写真を見比べつつ時折指先で線を辿ったりと瞳子の接近にさえ気付いているかどうか。
「拝殿と、本殿、大鳥居、ですね」
「はい」
 綾の言葉に頷くと、自分のものよりも節のはっきりとした彼の指が紙から離れて眼差しが瞳子へと動き、そこで眸の近さにか瞬きしてから彼も頷いた。こちらは肯定の意味ではない。穏やかな綾の眸がかかる光できらきらと濃淡を変えて緑を示す。
 にっこりと、まさにそういった形容が相応しい笑みを乗せて彼は姿勢を正した。
「まず拝殿から作りましょうか」
「拝殿ですね。解りました」
 同様に瞳子も姿勢を戻すと広げた紙のうち、拝殿の図面を確かめつつ『建材』のチョコレート菓子を用意し始めて。


** *** *


 それにしても、と綾が口を開いたのは二人して小さな御社作成に熱中して随分と経った、小休止の折だった。
 温かな湯呑みから立ち上るお茶の香りで鼻先をくすぐりながら、両手でそれを包み込んでいた瞳子は瞼を上げる。伏せていた長い睫毛の下から覗く彼女の眸が問い掛けるように揺れて、同様に湯呑みをこちらはテーブルに置いたところだった綾は眩しげに眸を眇めて笑う、その瞳子の心をあたためる笑顔。
 いっとき笑み交わしてから綾は、ある程度の安定を得た建築途中のミニ大社の拝殿設計図を指差した。
「この設計図があまりに精密に書かれているもので」
 通常のミニチュアではなく、チョコレート菓子をあれこれと用いて作る点を考えれば造りかけのミニ大社の安定だけでも感心しきりだ。
「たいしたものだと驚くばかりです」
 瞳子さんが書かれたんですか、と続けると苦笑してかぶりを振る。
 建築科の友達に、と返す彼女の言葉に綾は得心して頷いた。
「私じゃ設計図自体こんなに書けません。あの、事情を話して、ですね、書いて貰ったんです」
「拝殿だけでも大変だったでしょうに、本殿や大鳥居まで?」
「いえ、最後には面白いって笑っておまけ、というか」
「豪勢なおまけですね」
 事情を話して、という部分ではじらい言いよどむ。
 その恋人の耳元までほのかに染まる様子に、綻びがちな口元を引き締める綾。
 色にすればそれはきっと淡くやわらかなものだろう空気が二人の間に満ちる。微かな笑み、触れては離れる視線、そういったものが瞳子と綾を往復する。晴れた空からの陽射しが注がれて自然と熱を広げていく空間で二人静かに休息する。
「彼はこういった企画を楽しめる人なんです」
 湯呑みをそっと持ち直す瞳子が言葉を続けるまで、それは続いた。
「……彼、ですか」
「はい」
 いまだはにかむままの瞳子は綾の声が微妙にトーンを変えたのに気付かない。
 沈黙も、低く洩れた声も一瞬の事であったから気付かなくともおかしくはないのだけれど。
 鳥がベランダ近くで囀る声が二人のいる居間にも響いてきた。
 ちち、ちちち、と数羽で鳴き合う音は会話の無い室内で奇妙な存在感さえ示すよう。
 それが止まって羽音が立ち遠ざかる。
 瞳子が違和感を感じたのは羽音さえ聞こえなくなった頃だった。
 沈黙は、二人の間ではむしろ心地好いものである。どちらからともなく柔らかな語調で会話するのも優しい気持ちで溢れるけれど、周囲のさざめきを聞きながら互いの空気に身を委ねるのも同じだけの素晴らしさを感じ取る。
 ――筈なのだけれども。
(な、なんとなく、落ち着かない)
 具体的にどこがというのでもなく、けれど確かに普段の沈黙とは違うぎこちなさを瞳子は肌に感じる。
 鍵盤を叩いていて長音が気持ち程度のずれで響いたとき、のような。違和感の程としてはそういったレベルだろうか。言葉にならない感覚というものは、自分の中でも把握し辛くて静かな空間が段々と居た堪れなくなっていく。気のせいかと思う程度でしかないのが、逆に困りものだ。
「そ、そろそろ続き、作りませんか?綾さん」
「そうですね」
 けれど状況を動かそうと瞳子が促すのに綾が頷けば、そのときには払拭されていてやはり気のせいかと息を吐いた。
 黒髪が幾筋か落ちて肌にかかる瞳子を傍らから見る綾が眼鏡をかけ直す。明るい室内では彼の瞳は緑を見せることが多いのか、今も眼鏡に滲むのは深く濃いそれだ。緑の眸で綾は設計図を見、拝殿を見、そしてふと思いついた風に瞳子を振り仰いだ。
「瞳子さん」
「はい」
「折角ですから、罰ゲームを作ってみませんか?」
「罰ゲームですか?」
「ええ。ここまで建てる間にも随分と崩したじゃないですか。ここからは、崩したら相手のお願いを一つ聞く、というものはどうでしょう」
「お願いを一つ……」
「そうですね、たとえばお茶を入れて下さい、とか」
「眼鏡を貸してみて下さいとか?」
 ええ、と頷けば瞳子は「いいですね」と笑う。
 ぎこちない気配を感じていたのが消えて、安心したのか普段のままの可憐な表情だ。
 誘われるように笑みを刷きながら、綾は実は胸中で自らに少しばかり苦笑している。
『彼はこういった企画を楽しめる人なんです』
 はじらいは、協力を頼む時に話す必要があった事情とからかいを受けただろうその時の記憶を蘇らせたからだろうし、態度から瞳子がその友人に特別な感情を持っていない事だって解る。
 だから、これはただ我侭を言ってみただけだ。
 大切な恋人が自分の為に動いた事とはいえ、知らない男の事を口に乗せる。
 それは嫉妬という程ではないけれど、少しばかりのささくれくらいは胸に出来る程で。
「罰ゲームなんて考えついて」
 自分で自分に呆れてみせて、綾は手早く洗い終えた湯呑みを伏せると踵を返した。
 瞳子が図面を見ているのが見えて、やっぱり嫉妬だろうかとちらりと思ったのは仕方がない筈だ。

 他愛ないお願いをしたりされたり。
 そんなささやかな希望さえ口実を設けておかないと躊躇する自分。

「綾さん」
「お待たせしてすいません。再開しましょうか」
「はい」
 ゆったりと育まれる関係は悪くはないけれど、もどかしくもあり結局それも好ましく。
 ときには瞳子も考えたりもするそれは、この日は綾の脳裏に在った。



 些細なものであっても『罰』と付くものが関わればやはり真剣味をなんにしろ帯びるものらしい。
 休息前以上に瞳子と綾の口数は少なく、真剣な顔で交互に建材であるチョコレート菓子を積み上げる。
 どちらかが崩して小さな音を立てる度にもう一方が微笑んでは『お願い』を考えて、言われるそれは本当に些細な事だからただ笑い合ってそれを叶えてまたミニ大社の建築を再開して。繰り返す内に瞳子が感じた微かな落ち着かなさも消えていく。
 瞳子が男友達に協力を依頼して、まして理由は違えどはじらう表情のままで話された事に対しての、綾の微かな不満なんて彼女は当然知る筈もないままだ。綾の表情も微笑ましい『お願い』を積み重ねる内に普段と同じ、優しく穏やかな、瞳子が心に熱を灯すものになって。
「――あ、っと」
 テーブルの上に現れつつある拝殿の屋根が綾の指先から滑り既に収まっていた一部と一緒に転がり落ちる。
 ああ、と小さく声を洩らしながら綾が拾い上げるのを手伝いつつ、瞳子は悪戯っぽく眸を瞬かせた。
「最後は綾さんでしたね」
「もう完成だと気が抜けたみたいです」
 改めて屋根を乗せる綾の指。そろそろとそれがミニチュアの大社から離れれば拝殿のみであるが、綾の好きな寺社の一つがそこに現れる。ふとどちらからともなく息をして、視線を合わせて笑う。瞳子は綾と会う時は殆どがこんな風に笑顔だ。
「さて。では罰ゲームを伺いますよ瞳子さん?」
「最後のお願いですね」
「どうぞなんなりと」
 綾の言葉を聞いて、それを考えたのは唐突だった。
 意識しない内に、瞳子の唇が「じゃあ」と動く。

「少し目を瞑って大人しくしてて下さい」

 はい、と素直に綾が瞼を下ろす。
 眼鏡の向こうに見えていた緑を重ね込んだかのような色味の眸が隠れていく。
「ええと、じっとして、目を開けないで下さいね」
「大丈夫ですから、ごゆっくりどうぞ」
 楽しそうな綾の言葉に瞳子の手が揺れた。
 何かをこっそり付けようとしているとか、眼鏡をまた取ろうとしているとか(一度実行済の『お願い』だ)、そんな事だろうと思っているのだろうか。瞳子の前で目を閉じたまま微笑する、どこか神仏を彷彿とさせる穏和さの彼の顔には瞳子の胸に渦巻くような情動は見られない。
 想像もしていないのかも。
 そう思うとそれはそれは悔しいというか、憎らしいというか、けれど愛しいというか、ぐちゃぐちゃで。
「瞳子さん?」
「はっはい!ごめんなさいどうしようかと考えてしまって」
「……僕は何をされるんでしょう」
 面白がっている綾の声音に瞳子は一度手をきゅうと強く握り込んでから、開く。
 今度こそ、細く長い、繊細な指が伸ばされて向かう先には境界のようにかけられた眼鏡。
「まだ、ですから」
「はい」
 遠慮がちにフレームにかける手。触れる指。
 罰ゲームで「少しかけさせて下さい」と頼んだ時は綾自身が外して手渡してくれたから、瞳子が綾の耳元に触れるのは初めてだ。唇をそっと湿らせるように引いて、自分よりもやはり硬い印象を受ける頬骨に小指と薬指を添えたところで彼の肌のぬくもりにいっとき目を伏せ。
「まだ、だめですよ」
「大丈夫です。ごゆっくり」
 外した眼鏡を小さな拝殿の傍に丁寧に置く。
 遮るものが無くなった綾の目元を覗き込みながら、もしかして、と今更ながらに瞳子が考えたのは休憩したときの微妙な感覚で。
(綾さんが、そんな)
 たとえばやきもちをやいていたのなら、と。
 そんな筈はと否定しながらもそうだと嬉しいとも思う。
 思いながら顔を寄せて間近に見れば長い睫毛が綺麗にその閉じた瞼を飾っていて、それだけなのに、それだけなのに。
 あやさん、と知らず零れた声はなんだか情緒不安定な、泣きそうなものだった。
 それから。
「とう」
 こさん、と続かなかった綾の声。
 瞳子の声は彼の鼻先どころか吐息まで解る位置で聞こえて、訝しんで呼ばわったと同時に感じた仄かな気配。うっすらと湿った熱、風のように掠めた香り、思い過ごしのようにかかった僅かな重み。それは。
 それは開いた視界の中で眦を赤く染めている瞳子、の。
 綾が珍しくも目を丸く、見開いた中の緑の眸に自分が映っているのを瞳子は今更ながら羞恥に目を伏せる前に瞬間確かめた。



 幻さながらの唇の熱で静止していた時間は実際はさほどのものではない。
 瞳子の伏せた眼差しの奥の色を気にする素振りを見せながらも綾が視線を泳がせて、うろうろと彷徨った視界の挙句にテーブルの上に置かれた眼鏡を見つけ出す。それと同時に完成したばかりの小さな大社の姿が冷静さを僅かに招いた。
 その甘い物で出来た拝殿は、放っておけばきっと互いに照れて段々とぎこちなさを増すばかりだった筈の二人、いや綾の鼓動を宥めるようにちょこんとテーブルの上から此方に正面を向けている。
 ふ、と落とした息は苦笑めいたもの。
 耳に届いた綾の息遣いに瞳子はここに来てきゅうと瞼を閉じてしまう。
 まさに今更な羞恥の故だったのだけれど、宥めるように綾の手が瞳子の手に触れると瞬間跳ねてからそろりと瞳子は頭を上げた。見えたのは普段と同じ、ではなく微かに潤んだ深い淵の緑の瞳。その手前に先程外した眼鏡がかかっている事が、これは瞳子に幾らかの平静さを取り戻させる。
「あ、や、さん」
 咽喉で引き攣った。
 んん、と軽く咳払いをそれも控えめに。
「瞳子さん」
「は――はいっ」
 けれど綾の声に今度は舌の奥で引き攣って変な声。ああもう。
 自分でも思考の収集がついていない瞳子に綾はあくまで冷静に、ただしどこか恥ずかしげな空気は生憎と瞳子にも綾本人にも知れる。解らなければ相乗効果で恥ずかしくならないのに!
 んん、と今度は綾が咳払い。
「折角の大社ですし、お参りしませんか」
「あ」
 そこで瞳子もテーブルを見た。
 作っておいてほったらかしってどうなの、とミニチュア大社が文句を言っているのかは不明だが「いけない」と呟いて瞳子は身体をそちらへ向ける。それから顔だけを綾へと巡らせた。
「そう、ですね。お参りもした方が、折角ですものね」
「ええ。折角ですから」
 巡らせた先に綾の唇があってまた焦ったりもしたのだけれど。
 頷いた綾が並んでテーブルに向かって、それから二人は手を合わせた。

 拍手は四回。
 それは綾がいつだったかに教えてくれたのだったろうか、綾の好きな大社だからと知った事の一つだったろうか。世間の神社よりも多いだろうその回数。
 傍らに気配を感じながらそろりと瞼を下ろす。
 静かに、外の音さえも聞こえぬ程に静かに二人、それぞれに祈ることは。


** *** *


「本殿と大鳥居も、また作りましょうね」
「……はい」
 合わせた手を離す。
 その姿勢で顔も拝殿へと向けたまま綾が言うのに瞳子はちらりと彼の表情を窺い、頷いた。
 揺れる瞳子の黒髪が光に透けて、綾が今度はそれを窺いながら更に言葉を続ける。
「本物にも、今度行きませんか」
「え」
「その、今日明日とはいきませんけど」
「いえ、そんな、是非」
「よかった」
 ぱたぱたと慌てて動く瞳子の両手は綾のそれよりも余程細い。
 それを愛しく眺めながら、思いついたとばかりに綾は笑って問うた、それは。

「瞳子さんは、何をお祈りしたんですか?」
「え?そんな、私より綾さんは、何を?」
「僕ですか……」

 咄嗟に問い返すと綾はしばらく窓の外を眺めるようにして、それから手で口元を覆う。照れた素振りであるのは一目瞭然だったけれど、瞳子は瞳子で問い返した直後には髪を意味無く撫で付けていたりしてこちらも照れていたので気付かない。

 ああ、でも。
 どうしよう。


『瞳子さんが僕の傍で笑顔で居てくれるように』

『これからも綾さんのことをいっぱい知ることができるように』


 そんな、簡単に言えるだろうか。

 綾が逸らした視線の先、鳥がまた降り立ち羽を震わせて嘴を寄せるのは番いなのか。
 瞳子が投げた視線の先、鞄があって、ラッピングされた贈り物がまだあって。


 落ち着かないまま戻した視線は結局お互いのそれと絡み合い、外すに外せなくなった二人はそれぞれに普段よりもぎこちなく笑みを向け合う。
 それは羞恥と愛情とそれから色々と混ざり合って、少しだけ熱を高く感じさせた。





end.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
珠洲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年02月17日

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