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『◆□◆ 鷺染 ◆□◆ 』
高遠・弓弦0322



◇■◇


 「また・・・この季節がやってきましたね。」
 腰まで伸びた銀色の髪を風になびかせながら、笹貝 メグル(ささがい・めぐる)は兄でありここ、『何でも屋・鷺染』の店主でもある鷺染 詠二(さぎそめ・えいじ)の方を振り返った。
 「そうだね〜。去年は張り紙だったけど、今年はババーンと、宣伝する?」
 「する?と、訊かれましても・・・ここの店主は・・・」
 「社長だってばー!」
 詠二がそう言って、抗議の声を上げる。
 「お兄さん、会社じゃないんですから。」
 「でもさぁ・・・響きがいーじゃん。店主より、社長の方が!」
 メグルにはちょっとついていけない詠二ならではの感じ方を前に、思わず苦笑いを浮かべる。
 「それでお兄さん。宣伝とは・・・?」
 「んー。いっちょ、背後から声をかけて、無理にでもお手伝いする?」
 「・・・やめてください。迷惑極まりない・・・もっと、相手の方の気持ちを優先する形で・・・」
 「いいや、俺は決めた!背後からアタックGOだよ!」
 「ちょっ・・・お兄さん・・・!」
 思い込んだら一直線、猪突猛進型の詠二は放って置いたら何をするか解らない。
 メグルはふっと溜息をつくと、走り去った兄の後を追いかけた―――。


* * *


 「大体、お兄さんは後先を考えなさ過ぎるんです!そもそも、鷺染を営業するなんて言い出した時だって・・・」
 「メグル・・・ちょっとさぁ、声、抑えない?」
 キャンキャン騒ぐ妹の顔をじっと見詰めながら、人差し指を唇の前に持って行く。
 メグルの顔がカァっと赤くなり、口元を押さえ・・・詠二の隣にチョコリと座った。
 公園の一角、あまり日の当たらない寂しい場所に、詠二とメグルは座り込むと過ぎ去る人々を眺めた。
 2人の前には、明らかに何処かから拾ってきたダンボールの看板が置かれていた。
 『何でも屋・鷺染』の文字が赤のマジックで。その下には『バレンタインのお手伝いをいたします』の文字が黒のマジックで。
 近づいて見ても解読不可能な文字は、言われて初めて「あぁ、そうとも読めるね」と納得できるようなもので・・・。
 「お兄さん、そろそろ家に戻りませんか?」
 「なんだよ・・・折角メグルがヤメロって言うから声かけは勘弁して、こうして出張『何でも屋・鷺染』をやってるのに・・・まだなにか文句があるのか・・・?」
 「文句も何も、公園の一角で意味不明な看板出して座ってるの、ハタから見たら怪しいですよっ!」
 「なっ・・・ちゃんと、何でも屋・鷺染、バレンタインのお手伝いいたしますって書いてあるだろ!?」
 読めないと言う自覚がないのか、それとも読めると言う自信があるのか。
 メグルは額に手を当てると、盛大な溜息をついた。
 先ほどから興味半分で遠めに2人を見る者はいても、半径1m以内に近づいて来た者はいない。
 「お兄さん、もう諦め・・・」
 「あぁっ!忘れてた!!」
 メグルの言葉を遮るかのように詠二はそう叫ぶと、ダンボールの板に『0円』と付け足した。
 「値段の事が書いてなかったから誰も来なかったのか〜!」
 ・・・そうではない・・・と言うか、それだとまるで2人の値段が0円のようではないか・・・!
 いくら字の下手な詠二でも、流石に“0”だけはきちんと読め“円”もなんとか読める。
 「もう・・・勝手にしてください。私は家に・・・」
 メグルがそう言って立ち上がろうとした時、ザっと砂を蹴って、2人の目の前に人が立った。
 ―――それは、本日2人の半径1m以内に入って来た初めての人だった・・・・・。


◆□◆


 「弓弦さん、あれ・・・なんだと思います?」
 両手に紙袋をぶら提げながら、柏木 アトリは隣を歩く高遠 弓弦にそう声をかけた。
 左手のショーウインドウの中、春色の明るいワンピースを見ていた弓弦が、その言葉でふっと顔を上げる。
 「あそこです。あの、公園の中。」
 アトリが重たそうに紙袋を提げた手を上げ、道路を挟んだ向こう、小さな公園の方を指差した。
 ダンボールの歯切れを前に置き、ちょこんと座る男の子と女の子。男の子の方は外見年齢18歳程度で、女の子の方は14歳程度。道を行き交う車の音が大きくて、何を言っているのかは分からないが・・・女の子の方が男の子に何かを叫んで・・・恥ずかしそうにその場に腰を下ろした。
 「・・・何でしょう・・・」
 弓弦は、皆目見当もつかないと言った表情で小首を傾げ、それでも視線だけは2人に注いでそう言った。
 どうしてだろう・・・なんとなく、心惹かれる気がするのだ。
 「行ってみませんか?」
 「え・・・?」
 アトリの急な言葉に、弓弦が大きな目を更に大きくして驚きの表情に染まるが―――直ぐに、コクンと小さく頷いた。
 目の前に見える歩道橋を渡り、公園の中へと入る。
 あまり日の当たらない寂しい場所に座る2人の目の前に立ち、ダンボールの切れ端に書かれた文字を・・・
 「・・・これは・・・」
 「何と書いてあるのでしょうか・・・」
 ふわり、弓弦が柔らかい微笑を見せ、アトリが戸惑ったような視線を2人に注ぐ。
 「お兄さん・・・だから言ったじゃないですか・・・。」
 少女の方が盛大な溜息をつき、空を仰ぐ。
 「お姉さん達、何でも屋・鷺染にようこそ!俺はここの社長で、鷺染 詠二って言うんだ。そんで、こっちの子が助手の笹貝 メグル。」
 ニカっと、あまりにも明るい笑顔で言われて・・・アトリと弓弦は顔を見合わせてから詠二に微笑みかけた。
 それにしても・・・何でも屋・・・?
 「何でも屋・鷺染、バレンタインのお手伝いをいたしますって、書かれてあるそうなんです。一応。」
 メグルがそう言うと、苦々しい表情でダンボールの切れ端を掴んだ。
 確かに、言われて見ればそう見えなくもないが・・・かと言って、所詮は“確かに言われて見ればそう見えるかも知れない”と言う程度だ。
 それを何の参考資料もなしに解読する事は、象形文字の解読よりも遥かに難しい気さえしてくる・・・・・・。
 「それではお姉さん達、バレンタインのお手伝い、しかと承りました。」
 詠二が不敵な笑みでそう言って、メグルが慌てて詠二の腕を取る。
 「お兄さん!この方達は、別に鷺染に用があったわけではなく、公園の一角でダンボールの切れ端を前に座っている私達が不思議だったから近づいて来ただけで、看板を見て来たわけじゃ・・・・・」
 「それでもだ、俺は2人を気に入っちゃったんだもん。ね、お2人さん?」
 ね?と言われても、どうにもこうにも答える事は出来ない。ただ困ったように2人で顔を合わせて、曖昧な微笑を浮かべるしかなく―――
 「それでは・・・鷺染自慢の素敵キッチンにご招待。」
 そう言ってニヤリと微笑み、パチンと1つだけ指を鳴らした。
 突然吹いた突風に咄嗟に目を瞑り―――開いた先には1軒の大豪邸。
 豪奢な細工のしてある青銅色の鉄の門を押し開ければ、広がる緑の庭。綺麗な石畳を歩いて渡ればその先には両開きの大きな扉。
 「ここは・・・」
 弓弦が大きな瞳を数度瞬かせ、薄く開いた口に手を当てる。
 「どうやら不思議な場所に来てしまったようですね。」
 アトリがそう言って、周囲を見渡し・・・それでも嫌な感じはまったくない。
 「すみません・・・愚兄が・・・」
 メグルが本当に申し訳なさそうな顔でそう言って、深々と頭を下げ・・・細い肩から零れ落ちる銀色の髪がなんとも美しかった。
 「私達もバレンタインの用意をしようと思っていたところですし・・・逆に丁度良かったですよね。」
 「そうですね。素敵なお屋敷でチョコを作れるなんて、嬉しいです。」
 アトリの言葉を受けて、弓弦はそう言うと、ポンとメグルの肩に手を置いた。
 「そう言っていただけると・・・救われます。」
 「ほらほら、早くこっち来なよーーーっ!」
 いつの間にか詠二が扉の前まで進んでおり、こちらを振り返って両手をブンブンと振り回す。
 「行きましょうか。」
 弓弦とメグルにそう声をかけると、アトリがロングスカートの裾を軽やかに翻して石畳を渡って行く。
 ・・・空を見上げれば、遠く高く澄んでおり・・・吹く風は、どこか気持ち良かった。


□◆□


 お屋敷と言うよりは館に近いような、いっそお城と言ってしまった方が的確なような・・・そのくらいに中は広かった。
 長く続く廊下の左右には、豪華な金の取っ手のついた木の扉が等間隔に並んでいる。
 下を見れば赤絨毯。上を見れば小さなシャンデリアがポツポツとあり、廊下を仄暗く染め上げている。
 詠二の導きで4人は1つの部屋に入った。
 扉を開ければ広いリビングが広がり、その先には綺麗なキッチンが見える。
 広く使い勝手の良さそうなキッチンを前に、思わず心が躍る。
 「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私は柏木 アトリと申します。こちらが・・・」
 「高遠 弓弦と申します。」
 ペコリと弓弦が詠二とメグルに向かって頭を下げ、ふわんと柔らかい微笑を浮かべる。
 「アトリさんと弓弦ちゃんね。よろしくね。」
 ニカっと詠二が元気良く微笑んで、右手を2人に差し出した。それを取り、軽く握手をする。
 「何か不足で入用なものがあれば、言って下さればお出しします。」
 メグルがそう言って、2人をキッチンの方へと押しやる。
 「一応、こんな人ですがお兄さんは料理の腕だけは確かですので・・・」
 「メグル・・・こんな人って・・・だけって・・・」
 「本当の事じゃないですか。」
 キッパリと言うメグルに向かって、詠二が小さく溜息をついた。
 そんな2人の会話がどこか楽しくて、可愛らしくて・・・アトリと弓弦はクスクスと笑い出した。
 「それで・・・お2人のあげる相手は・・・」
 やっぱり、そう言う人?と、皆までは言わないまでも詠二がそう言って小首を傾げる。
 「お兄さん、不躾ですよ。」
 頭を抱えるメグルに、気にしていないと小さく告げ、そうですね・・・とアトリが話し始めた。
 「1つは、幼馴染の女の子へ。1つは、大好きだった御爺さんのお墓のお供え用に。あと1つは・・・」
 そこまで言った時、急にアトリの表情が穏やかで甘いものに変わった。
 女の子独特のその表情は、見ている者の心を思わず和ませるほどで・・・女の勘がピンと働いたメグルと弓弦は顔を見合わせて小さく微笑んだ。
 「そしてもう1つは・・・憧れの方へ。結局、渡せず仕舞いになってしまいますけれど。」
 「・・・そうなんですか・・・?」
 しゅんと目を伏せた弓弦の肩を、詠二がポンと叩く。
 まだ悲しい話って、決まったわけじゃないっしょ?と、目で訴えて・・・ニカっと明るい笑顔を浮かべる。
 「弓弦ちゃんは?」
 「私は・・・お家で待ってくれている大好きな人の為に・・・。」
 勿論、弓弦は無意識の事だったのだろうが―――その表情は先ほどのアトリと同じ雰囲気を纏ったもので、全身から溢れる甘いオーラに、今度はアトリとメグルが顔を見合わせてにっこりと微笑んだ。
 「ま、想いが強ければ相手は喜んでくれるものだって。」
 「味を決めるのは、腕ではなく想いなんだって・・・お兄さんの口癖なんです。」
 ちょっとカッコつけすぎな物言いだとは思うんですけれどねと、困ったような表情で言うメグルの口調はとても柔らかくて、この兄妹がどれほどまでに仲が良いのかが伺えた。
 「もう何を作るのかは決めてあるの?」
 「えぇ。私は抹茶チョコとミルクチョコを。」
 アトリがそう言って、弓弦さんは?と隣に居る弓弦に尋ねる。
 「私は、チョコレートトリュフを作ってみようかと・・・。」
 それならば必要なものは・・・と言ってメグルがキッチンを後にした。
 キッチンの上部に取り付けられた戸棚の中から必要そうな用具を取り出してトントンと並べて行く詠二に、メグルはどこに行ってしまったのかと尋ねる。
 「あぁ、食材を取りに行ったんだよ。ここには冷蔵庫がないから。」
 言われて見れば、こんなにも広いキッチンであるにも拘らず冷蔵庫はなかった。
 その代わりに、食器棚や用具入れが壁際にキチンと設置されており、薄いガラス扉の中から見える食器はどれも高級そうなものばかりだった。
 真っ白なティーカップの縁を彩る薔薇と、緑の葉、時折飛び交う淡い桃色の蝶々の色彩のなんとも見事な事だろうか。
 アトリは戸棚を開けると中からティーカップを取り出し、そっと手に持った。
 「綺麗ですね・・・」
 弓弦がそう言って、すーっとカップの縁をなぞる。
 細く白い指先は繊細で、指先が通った後が残像として目に焼き付けられるかと思うほどに透明な白さだった。
 「そのカップは、お兄さんが何処からか見つけて来たもので・・・」
 いつの間にか帰って来ていたメグルが、ドサリと両手に持った袋をキッチンに置き、ふぅっと1つ息を吐き出した後で満面の笑みを浮かべた。
 「結構素敵ですよね、そのカップ。」
 「えぇ。色彩がとても綺麗で、絵も繊細で・・・」
 「カップの取っ手にまで蝶々が描かれているんですね。」
 弓弦の指先が、カップの取っ手に向けられる。
 戯れる小さな桃色の蝶々と、鮮やかな黄色の蝶々。今にも動き出しそうな程に、2匹の蝶々は活き活きとしていた。
 「もし宜しければ、終わったらそのカップでお茶をしませんか?」
 「素敵ですね。」
 アトリがそう言って、カップを食器棚の中に戻した。
 「それじゃぁ、準備も整った事だし・・・早速始めますか。」
 詠二が2人にエプロンを差し出し、2人はそれを手早く身に着けるとメグルから渡されたゴムで髪を縛り、手を洗った。


◆□◆


 「お2人とも、お上手ですね。」
 湯せんでチョコを溶かしながら、メグルが感嘆の声を上げる。
 「お料理は、得意なんです。」
 弓弦がそう言って、綺麗に丸く整えられたチョコの上にココアパウダーを振り掛ける。
 サラサラと降りかかるパウダーは、まるで色違いの雪のようで・・・お砂糖を降りかけたら小さな雪玉のようになるかしらと言って、けれど直ぐにそれでは甘すぎですねと、小さく苦笑する。
 ココナッツパウダーなんかを振り掛けてみてはどうです?と、提案したのは詠二だ。
 「チョコと合うでしょうか・・・」
 「チョコ風味のドーナッツにココナッツがまぶしてあるのはよく見ますけれど。」
 アトリの言葉で、弓弦が考え込むように視線を宙に彷徨わせる。
 「試しにやってみますか?」
 その言葉に弓弦が小さく頷き、それを受けてその場を詠二に任せると、メグルはキッチンからパタパタと走り去った。
 「それにしても、アトリさんのチョコ・・・綺麗な色だね。」
 綺麗な抹茶色の四角いチョコとミルク色の四角いチョコ。
 どれも大きさは皆同じで、キッチリとバットに敷き詰められたその様はチョコとは思えないほどに美しかった。
 「そうでしょうか・・・」
 「わぁ・・・本当に綺麗です。」
 少し照れたような微笑を浮かべるアトリ。
 詠二の脇から弓弦が顔をのぞかせ、綺麗に敷き詰められたチョコを見詰めて目を輝かせる。
 「んー・・・なんて言うか・・・アトリさん、職人?」
 「まさか。違いますよ。」
 突拍子もない言葉に、思わずクスクスと笑い・・・
 「でも本当に、素敵です。なんだか綺麗なタイルみたいで。」
 「弓弦さんのトリュフも、綺麗な形ですね。なんだかとても可愛らしくて、美味しそうで。」
 「・・・喜んで・・・下さると良いのですが・・・。」
 目を伏せて、甘く微笑む弓弦は可愛らしかった。
 想い人が目の前に見えているかのように、どこか穏やかな瞳をしており・・・それを見て、アトリも彼の顔を思い描いた。
 「きっと、喜んでくれますよ。」
 そっと囁いた言葉は思いの外淡い言葉となって響き、むせ返るようなチョコの甘い香りと混じり合った。
 「アトリさんの差し上げる方々も、きっと喜んでくださいますよ。」
 「そうだと良いですね・・・」
 「幼馴染の女の子と、御爺さん・・・だっけ?」
 「えぇ。反応が見られるのは幼馴染の子だけですけれど・・・」
 「アトリさんの想いを寄せる方には、差し上げられないのですか?」
 弓弦の一言に、アトリが柔らかい表情をしながら天井に視線を向けた。
 「恋と憧れの中間のような感じなんです。それに、忙しい方ですし。」
 「でも・・・」
 「ファンなんです。私・・・。」
 にっこりと微笑むアトリの横顔を、詠二が意外そうな瞳で見詰める。
 「ファン・・・??相手は芸能人とかなの??」
 「そうですね、近いかも知れません。けれど、俳優さんではなくて・・・能楽師さんなんです。」
 「能楽師さん・・・ですか?」
 弓弦がキョトンとした瞳を向け、しばらく何かを考え込むように視線を揺らした後に、1つだけコクリと頷いた。
 「素敵な人なんでしょうね。アトリさんが想いを寄せる方なんですから。」
 「そうですね、憧れですから・・・それより、弓弦さんこそ、お家で待っていてくれる大好きな人って・・・」
 「えっと・・・」
 アトリに急にそう訊かれて、弓弦が恥ずかしそうに俯く。
 それを見て、にっこりと微笑むと―――
 「とても想ってらっしゃるんですね。その方の事を。」
 「・・・はい・・・。」
 蚊の鳴くような小さな声でそう言って、コクンと頷く弓弦。
 恥ずかしがる横顔がなんとも可愛らしくて、思わず手を伸ばして頭を撫ぜる。
 「可愛らしいですね・・・」
 「あ・・・アトリさんっ・・・!」
 「・・・あのー・・・お2人さん。俺を挟んでそんないちゃいちゃしないでよ・・・」
 アトリと弓弦の間に挟まれた詠二がそう言って、俺ってばそんなに存在感薄いわけ?泣けちゃーう、クスンなどと言って目尻を指の背で拭う。
 「あ・・・あら、ごめんなさい・・・??」
 「や、別にいーんだけどさ、いーんだけどさぁ・・・」
 いじける詠二の横顔を見ながらそっと微笑むと、出来上がったばかりの抹茶チョコレートを1つつまんだ。
 詠二の名前を呼んで、ぽんと口の中に放り入れる。
 「・・・んっ・・・あ、美味しい・・・」
 「本当ですか?弓弦さんも、如何です?」
 「良いんですか?」
 また1つ、チョコレートをつまんで弓弦の口に放り入れる。
 もごもごと口の中で味を確かめ・・・
 「美味しいです・・・トリュフも、如何ですか??」
 「いただきます。」
 そう言うアトリの口の中に、トリュフを入れ、隣でゆっくりとチョコを溶かしている詠二にも1つ食べさせてあげる。
 「あ・・・美味しいです。」
 「そう言っていただけると嬉しいです。」
 弾む会話に、自然と進む楽しい作業。
 甘いチョコレートの香りは華やかで、ゆったりと過ぎる時間は心地良いものだった。


◇■◇


 弓弦の作ったトリュフにサラサラとココアパウダーをまぶしているメグルを見詰めながら、弓弦は訊こうかどうしようか迷っていた。
 訊きたい・・・けれど、不躾な質問になってしまうかも知れない。
 「あの、メグルさん・・・1つ質問しても宜しいでしょうか?」
 「なんですか?」
 作業の手を止め、ふっと顔を上げたメグルの視線と弓弦の視線がピタリと合う。
 「えっと・・・メグルさんには、想いを寄せる方と言うのは・・・」
 「あーっと・・・」
 言葉を濁したメグルの頬が、ほんのりと朱色に染まる。
 それだけで、弓弦は解ってしまった。
 恋をしている女の子独特の表情。困ったような恥ずかしいような、それでも・・・愛しいような・・・。
 「どんな方なんですか?」
 「えぇっと・・・その、私はそう・・・好きと言うか、憧れ・・・と言うか・・・」
 しどろもどろになるメグルが可愛らしくて、思わずクスクスと声が零れる。
 「わ・・・私の事より、弓弦さんはどうなんです?その・・・想い人は・・・」
 「そうですね、一緒に居ると楽しくて・・・」
 前を向いて歩んで行ける―――1歩1歩、少しずつでも・・・ゆっくりで良い。進めると言う事が、大事なのだから・・・。
 急に押し黙った弓弦の顔を見やると、とても嬉しそうな表情で微笑んでおり、その瞳はどこか遠く、愛しい人でも見ているかのようにとても穏やかな瞳をしていた。
 「喜んでくださると良いですね。」
 「・・・きっと、喜んでくださると思います。」
 メグルの言葉に弓弦はそう答えると、作業へと意識を戻した。
 想いを込めた分、きっと美味しくなる。
 ココロに味なんてなくて、気持ちに味なんてなくて、それでも、もしもこの想いを味にするならばきっと甘いのだろう。
 チョコレートの甘さを引き立たせ、それでも打ち消さないくらいの仄かな甘み・・・・・・
 アトリさんの気持ちも、メグルさんの気持ちも、相手の方に伝わると良いですね。・・・いいえ、きっと伝わるはずですね。
 だって、想いは強いのですから・・・。
 「頑張って・・・くださいね。」
 小さく囁くようにして言った言葉に、メグルがふっと手を止め、しばらくしてから控えめな笑顔を浮かべた・・・・・。


 綺麗にラッピングも出来上がり、アトリと弓弦、そして詠二とメグルは思わず顔を見合わせて微笑んだ。
 「完成・・・ですね。」
 「楽しかったです♪いつもお家で家族の為に作っていますけれど・・・こう言う所での作成も本当に楽しくて・・・」
 「綺麗なキッチンでしたしね。」
 アトリが悪戯っぽい瞳でそう言うと、キッチンを指差した。
 今でこそ、チョコレート作りで散らかってしまっているが・・・。
 「ちょっと一息入れたいですが、その前にお片づけをしてしまいましょうか。」
 「そうですね・・・楽しみは後に取っといた方が素敵です。」
 弓弦の言葉で、4人はキッチンの後片付けを始めた。
 チョコレートで汚れたボウルを洗い、包丁もまな板も、全て真っ白な泡で包み込む。
 ゴミはゴミ箱へと捨て、メグルが様子を見て片付けから外れ、お茶の支度をし始める。
 食器棚から平べったいお皿を取り出し、先ほどアトリと弓弦が見ていた真っ白なティーカップに温かい紅茶を注ぐ。
 後片付けをし終えたアトリと弓弦がメグルを手伝い・・・
 紅茶の葉はアッサム。
 くせも無く、渋みも弱いアッサムは、ミルクとよく合う。
 可愛らしい白いティーカップから甘い芳醇な香りが漂い始めた時、4人は大きな丸い木のテーブルについていた。
 「・・・これ、和紙・・・?」
 詠二が取り皿に敷かれた薄い紙を指差す。
 「えぇ・・・」
 アトリは頷くと、そっと愛しいものに触れるかのように、和紙を撫ぜた。
 「アトリさんは和紙がお好きなんですね。」
 「温かくて、見ているとほっと落ち着けるような気がするんです。」
 そう言ってふわりと柔らかく微笑むと、アトリはチョコレートを1つつまんだ。
 抹茶チョコとミルクチョコ、トリュフに・・・プラチョコ(細工用チョコレート)で作った薔薇の花。
 それぞれが思い思いのチョコレートを取り―――
 「乾杯!」
 「お兄さん、違いますよ・・・」
 メグルが苦々しい表情でそう呟き・・・アトリと弓弦は同時に吹き出して笑った・・・。


■◇■


 忘れ物は大丈夫ですか?とのメグルの言葉に、再度確認をする。作ったチョコも持ったし、ハンドバッグの中のものも大丈夫。
 「それでは、お気をつけてくださいね。」
 長い廊下の先、玄関まで来て詠二とメグルはピタリと歩を止めた。
 「扉を開ければ元居た場所に戻ってますよ。」
 にっこりと微笑まれ、アトリと弓弦は感謝の言葉を述べるとそっと金のドアノブに手をかけた。
 右にゆっくりと回し―――
 「何でも屋・鷺染をご利用いただきましてまことに有難う御座いました。」
 「お2人の御武運を、お祈り申し上げておりますね・・・。」
 詠二とメグルの声が聞こえたその刹那、真っ白な光が身体を包み込んだ。
 その、あまりにも強烈な光に思わず目を瞑り・・・パチリと、目を開けると飛び込んでくる、公園の風景。
 「戻って来たんですね・・・。」
 「なんだか、夢を見ていたようですね。」
 詠二とメグルが座り込んでいた場所には、今はもう何もない。
 けれど先ほどの事が夢ではない証拠に、2人の手には綺麗にラッピングされたチョコレートの箱が握られていた。
 「あの・・・アトリさん、宜しかったらどうぞ、受け取ってください。」
 弓弦がピンクのリボンのかかった小さな箱を取り出し、アトリがそれを受けてオレンジのリボンのかかった箱を取り出す。
 「私からも・・・もし宜しければ。」
 弓弦の手からアトリの手へ、アトリの手から弓弦の手へ。
 交換された箱はなんだか温かくて・・・嬉しい気持ちが表情へと滲み出る。
 「今日は楽しかったです。」
 「ちょっと不思議な事も起きましたしね。」
 何でも屋・鷺染。
 鷺染 詠二と言う名の少年と、笹貝 メグルと言う名の少女が経営するお店。
 お店と言うには商品は無く、更に代金もかからない。不思議なところ・・・。
 「頑張って作ったんですもの。きっと、喜んでくださいますよね。」
 「・・・きっと。」
 そう言って、提げ持った袋に入った小さな箱を見詰める。
 綺麗なラッピングを解き、心を込めて作ったチョコを1口食べ、美味しいの笑顔。
 浮かんでくる、そんな素敵な未来の光景に、2人はそっと小さく微笑んだ―――――



          ≪END≫



━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

 登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
 【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


  2528/柏木 アトリ/女性/20歳/和紙細工師・美大生


  0322/高遠 弓弦/女性/17歳/高校生


 ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛

 この度は“◆□◆ 鷺染 ◆□◆”にご参加いただきましてまことに有難う御座いました。
 そして、初めましてのご参加まことに有難う御座います。
 ふんわりと穏やかで儚げな弓弦様。イメージを壊さないように描けていれば良いのですが・・・。
 チョコトリュフは、私も以前作った事があり・・・と言いますか、バレンタインの定番でした(苦笑)
 ただ、私の場合は本当のトリュフではなく、クッキーを砕いて作る簡単なトリュフでしたけれども・・・。

 口調や雰囲気など、なにか不自然な点がございましたらご一報下さい。


  それでは、またどこかでお逢いいたしました時はよろしくお願いいたします。

バレンタイン・恋人達の物語2006 -
雨音響希 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年02月14日

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