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『零れ落ちるとも 』
月宮・奏4767


 突如、ずきん、という痛みが体中を走った。
(始まった)
 月宮・奏(つきみや かなで)は眉間に皺を寄せ、閉じていた目をゆっくりと開いた。真夜中に感じる苦痛は奏にとっては昔からの付き合いであり、そしてまた近年ではあまり無かった懐かしいものでもあった。
(今回は、どうなるんだろう)
 奏は布団の中でじっと構える。
 ある時は、身の内を駆け回る灼熱。またある時は、意識も霞むような頭痛。はたまた、一時的感覚機能の喪失。そういった様々な苦痛が奏を苛めていた。
 よくもまあ、そんなにも苦痛のレパートリーがあるものだと苦笑を含みながら、感心してしまう。
(……これは、反動)
 奏には分かっている。何故、そのような症状が自らに訪れるのかを。
(私の持つ、力の反動)
 幼い頃からの付き合いだから、嫌というほど分かっていた。心の奥底から、拒んだとしても。
 それでも反動がどれだけ辛く、どれだけ泣き叫ぼうとも中々治まらず、そして自分の意志とは関係なく訪れるのだと言う事を。本当に、どうしようもないくらい分かっていた。
 また、頻繁に起こっていたから、対処方法が一つしかない事も十分承知していた。
 こうして、ただじっと苦痛に耐えると言う事だけしかないと。
 苦痛によって意識を失うのならば、幾分か楽だったろうにと奏は思う。苦痛の事を感じなくなってしまうから。
 だが、苦痛はそれすらも見抜いたかのように、奏の意識が保たれるギリギリの所まで訪れていた。意識を失う事を、決して許さぬ。今も昔も、変わる事なく容赦しない。
 どくんっ……!
「くっ……」
 波のように訪れたのは、圧倒的な重力だった。地球のそれとは全く違う、圧し掛かってくる力。ぐぐぐぐ、と布団へと奏を押し付ける。が、布団や床は重力を感じてはいない。
 奏だけが、その重力に圧されているのだ。たった一人、奏だけが。
「うっ……うう」
 声を上げることすら許さない程、重力が圧し掛かってくる。体がぺちゃんこになるのではないかと、怖くなるほど。出す事ができるのは呻き声だけ。
 何も考えられない。
 ずっと頭の中にあるのは、怖い、痛い、苦しい、といった反射的な思いだけだ。じわりじわりと、死の足音が近づいてくるかのような……!
「……あ」
 どくんっ。
 どうしようもなくなる、と奏が思った瞬間、先程までの重力が嘘のように治まった。
 漸く治まった苦痛に、奏はゆっくりと体を起こした。はあはあと肩で息をし、震える手で額を拭う。汗まみれだ。
 汗を確認しようと手を見ると、ぎゅっと強く手を握り締めていた為にうっすらと爪の痕がついていた。
 掌に浮かぶ、四つの三日月。両手にあるから、合計八つ。
 それらを見ながら何度か深呼吸をすると、震えが治まってくれた。奏は布団から出てカーディガンを羽織り、ゆっくりと障子の戸を開けた。そっと音がしないように縁側の戸まで開けると、冷たい風がびゅう、と吹いて奏の髪をふわりと揺らした。
 冷たい夜風は、疲労した体に現実感を与えた。先程までの苦痛が、確かに合った出来事なのだと。
(これでも……)
 奏はふと、夜風に当たりながら思う。
(これでも、昔に比べれば随分ましになった)
 さわさわと揺れる前髪に、奏はふうと息を吐き出す。白い息が、夜の闇へと溶けていく。
(頻度も格段に減ったし……何より)
 まだ、昔。奏が幼い頃、このような力の反動が何度もあった。今よりも断然回数が多く、更に力の影響力も今とは比べようもなく多大だった。
 つまりは、奏自身の身だけでは済まなかったのである。
「……これでいい」
 ぽつり、と奏は呟く。
「私だけで済むなら、いくらでも苦痛に耐えよう……」
 どれほどの苦痛が苛めようとも、それが自らの身に止まっているうちはまだ良い方なのだと、奏は何度も自分に言い聞かせる。
 もし、また周りに影響が出るようになってしまったらと思うと、怖くてたまらなくなる。
 身体の成長と共に、奏は力の制御方法も学んでいた。だからこそ、こうして反動の頻度や影響の範囲が格段に減っているのだ。
(だけど……また、力が強くなっている)
 身体の成長は、制御方法を得るだけではなく力の増大にも繋がっていた。本来ならば、制御方法を学ぶ事によって完全に苦痛が訪れなくなる。
 しかし、頻度が少なくなったり影響が少なかったりしているものの、相変わらず反動がやってくるのは奏自身の力が強くなっているからだ。
 奏は、それも充分理解していた。
(過ぎる力は、毒となる)
 適度であれば良い筈の力も、過ぎてしまえば毒となってしまう。奏を苛め、周囲に影響を出そうとする、恐ろしい毒。
(内に在るのは、破壊の闇を秘めた諸刃の剣)
 苦痛を与え、周囲に影響を及ぼそうとする力。成長と共に増大し、破壊を齎そうとする恐ろしい力。
 それは分かっているのに、未だにどれだけの力が自らに眠っているかは分からない。
(いつまた……周囲に影響を及ぼすかもしれない)
 奏自身、分からない事だ。もしかしたら及ぼさずに済むかもしれないし、及ぼしてしまうかもしれない。力が増大している事は事実だが、力の制御方法を日々取得している事もまた事実なのだ。
 まるで力と競争をしているように。
 増大する力と、制御する奏。どちらが先に互いを超越するのかという、そんな競争が。
(……既に、周りに害を与えているかもしれないけど)
 それは、奏には分からない事だ。だが、未だにこうして自分が苦痛に苛まれているうちは、こうした静かな夜に自分だけが力に起こされる間は、まだ周囲には影響が出ていないと言う事になる筈だ。いや、そうであって欲しい。
 毒が、害が。周りへと広がっていないと信じたい。
 奏は暫く闇を見つめた後、ゆっくりと口を開く。
「……ここに、いたい」
 そう、かつて思っていた。
「大丈夫……」
 昔はそう、思っていた。昔の自分の、かつての思い。
 だが、どうして同じように思えようか。口に出していってみた所で、自分の意志とは裏腹になる力を止める事も出来ずにいるというのに。
(あれは、いつだったのだろう)
 ここいたいと、大丈夫だと、何度も言い聞かせるように呟いたのはいつの日だったか。
 遥か昔の事だった気もするし、逆につい最近の事だったような気もする。
 再び掌を見ると、先程まではっきりと残っていた爪の痕は消えていた。確かにあった八つの三日月は、今はすっかり消えてしまっている。
「また、来るのかもしれない」
 奏は呟く。
 吐き出す息は白く、ふわりふわりと空気中へと昇って行く。
「選ぶ時が、来るのかもしれない」
 ゆっくりと空を見上げる。白い息が昇って行く、真っ暗な空を。
 空に浮かんでいるのは、真っ白な三日月だった。細くて長い奇妙な弧を描いて、空にぽっかりと浮かんでいた。
 奏はその月をじっと見つめた。
 夜風は冷たい。
 空は暗い。
 月は細く弧を描く。
 吐き出す息は白く昇る。
 そんな中にぽつんといる、自分。
 いつまでここにいられるかが分からず、いつしかいるべき場所を選ぶ事になるかもしれぬ、自分。
 身の内に存在する過ぎたる力である毒を孕み、零れ落ちるその時に心臓を撥ねさせている自分が、確かにこの場にいるのだ。
「選ぶ……」
 奏は小さく呟くと、ふう、と息を吐き出した。
 細く長く吐き出された白い息は、やはり黒の空へと立ち昇っていった。そうして、月に到達する前に、ゆらりと闇の中へと溶けていくのだった。

<毒が零れ落ちるとも・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年02月02日

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