▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『呉藍の色 』
藤井・葛1312)&侘助(NPC1103)


 ふつり、と。
 花は音もなしに宙を舞った。

 論文のための資料を求め、葛はここ何日間か図書館への往復を繰り返している。
 しかし、この日、その作業も幾分落ち着きを見せ始めたせいもあってか、心持ちその足取りは軽かった。
 仰ぎ見る空は真っ青に晴れ渡っていて、深呼吸をしたくなるほどに、空気も澄み渡っていた。
 ――――このまま帰るのも、なんかもったいないかな。
 そう考え、葛はふと足を留めた。
 帰って、ネットゲームを楽しむというのもありだろう。
 この数日間ろくに時間を割く事も出来ずにいたままだった事を思い出して、葛はふむと呟いた。
 ――――でも、なんだか、こう、
 視線を持ち上げて澄み渡った蒼穹を確かめる。そして、葛は深々と頷いた。
 運動不足を解消するためにも、たまにはぶらりと歩き回るというのも必要だろう。
 もしかしたら素敵なお店を見つけられるかもしれないし。
 そう決めるとすぐに、葛は折れた事のない小路へと足を向けていた。

 小路は葛の背丈よりも随分と高い壁で囲まれていた。壁の向こうには高く伸びる木々が空を目指しながら風に揺れている。
 蝋梅、寒桜、満作、山茶花――どうやら壁の向こうの家主は四季折々の花を愛でる性分であるらしい。
 葛はいつもよりも大分ゆっくりとした歩調で、路の端々に見受けられる花の姿を愛でていた。
 小路はやがてつきあたり、そこからは左右それぞれに折れ曲がることが出来るようになっていた。
 音を聞くに、つきあたりになっている箇所からひとつ向こうには車道があるようだ。
 葛は、おそらくは日頃何気なく通っているであろう車道から、ほんの少し――ほんの少しだけわき道に折れ曲がることで、日頃は見逃してしまっているのであろう風景の、あまりにも鮮やかな美しさに感嘆の息をひとつ吐く。
 左右のどちらに折れようかとしばしの間思案して、今日のところはとうなずきながら右手へと足を向ける。
 新たに広がった風景は、今しがたまで歩いていた小路とはまた少しばかり異なり、和情緒溢れる趣の家並みが続いていた。
 その家並みの中に一軒の和菓子屋があるのを見つけ、葛は知らずに足を寄せた。
 和菓子屋は店の入り口に小さな看板を掛けてあるだけで、客寄せのためと思しきものは特に見当たらなかった。
 ガラス張りの扉は自動ドアではあったが、建物の全体に漂う空気のゆえだろうか。和菓子屋らしい構えをしている。
 葛はそのガラス扉の前で足を留め、中を覗き込むようにしてつま先立った。
 と、その時、葛の視線に、見慣れた和装の男が映りこんできた。
「……あれ?」
 呟いて、その男の姿を確かめる。
 和装の男は和菓子屋の店内をのんびりとした歩みで歩き回り、ややの間の後についと葛に目を向けてよこした。
「おや、葛クンじゃないですか」
 自動ドアが開き、店内から顔を覗かせたその男の顔を確かめて、葛はしばし目をしばたかせる。
「侘助さん」
 名を呼ぶと、和装の男――侘助はいつものように穏やかな笑みを浮かべ、かすかに首を傾げた姿勢で目を細ませた。
「偶然ですねぇ。葛クンがここいらにお住まいだとは知りませんでしたよ」
「あ、ううん、俺の部屋はここからもう少し離れたとこなんだけど、今日は図書館に用事があって……侘助さんこそ、こんなとこにいるなんて思わなかった」
「いや、この店、俺の店なんですよ」
 ハハハと笑って頭を掻きまわしている侘助に、葛は再び目をしばたかせて和菓子屋の全容に目を向ける。
「侘助さんのお店」
「まあ、名ばかりですがね。いつもはバイトの子に任せっきりなんですが、今日はバイトの子がお休みでして。俺が店番をしてるってわけですよ」
「そうなんだ」
 葛は侘助の言葉にうなずいて、それから改めて和菓子屋の中を確かめる。
 窺う限り、どうやら客らしき姿は見当たらない。
「和菓子って、どんなのが置いてあるんですか?」
 訊ねると、侘助は腕を組んで頬をゆるめ、ふわりと微笑んでから葛を手招いた。
「お時間さえよければ、お茶の一杯でもどうです? 季節の菓子でもお出ししましょう」

 店内は余計な飾り物もなく、こざっぱりとした作りがなされていた。
 茶葉の香りと、菓子の甘い匂いが鼻先をくすぐる。
 決して大きなものではないショーケースの中に、所狭しと並ぶ生菓子の数々。
 視線を向ければ、店の奥に喫茶室のような空間があるのが知れた。
 ふと目についたのは、テーブルを飾る一輪挿しの姿。

「椿」
 思わずそうごちる。と、葛の独り言を耳に留めたのか、侘助が盆を携えてやってきて、ふつりと言葉を告げた。
「おや、ハハ、俺が活けたものなんで、なんだかお恥ずかしい限りで」
 照れたようにそう告げた侘助に、葛はかぶりを振って返す。
「ううん。……でもこれってすごく深い紅色なんだね」
「そうですね。これは臙脂が特に深い」
 葛の感嘆にうなずきながら、侘助は緑葉の形の上生菓子と、茶のはいった湯呑とをテーブルに並べた。
「古来、植物の世界なんかでは、呉藍(くれない)の深いものを黒と呼ぶならわしがあるんだそうです。なので、この椿も、名に紺がついてるんですよ」
「そうなんだ? なんだか不思議だね」
 目をしばたかせて、出された菓子を口に運ぶ。
 紺の名を冠しているという椿が、ふわりと花びらを震わせた。
「――ねえ、そういえば、確か侘助っていう花もあったよね」
 菓子を楽しみながら、葛は不意に視線を持ち上げて侘助の顔に目を向ける。
 侘助は、いつものように穏やかな笑みを浮かべながら、ただ静かにうなずいた。
「確か……椿の名前だったっけか」
「やぶ椿とも云いますね」
「それじゃあ、侘助さんの名前って椿に由来があるんだね」
「ハハ、まあ、そんなところで」
 頭を掻きながら笑う侘助に、葛もまた小さな笑みを浮かべて首を傾げてみせた。
「でも、色はこんな臙脂なイメージじゃないよね。侘助さんはもっと……白っぽいような感じ」
「ふむ、そうですか? まあ、一口に椿といっても、多種様々ありますしねえ」
「でも、あんまり滅多に目にする事もないよね。普段目にするのは紅い椿ばっかりなような気がする」
「――おや、それじゃあ白だの薄紅だのは見た事がない?」
「ううん。多分見てるんだけど、あまり印象には残ってないな。……色んな椿か。きっと綺麗なんだろうね」
 呟くようにそう述べた葛に、侘助はしばし小さな唸り声をあげて腕組みをする。
「見に行ってみたいですか?」
「え? ……んー、そうだな、ちょっと見てみたいかも。そういえばこの椿ってどこから採って来たものなんですか?」
 菓子を食べ終え、茶を口に運びつつそう訊ねる。
「うん、それじゃあ、特別にお教えしましょう」
 そう述べて、侘助はゆったりと頬をゆるめて葛を見やった。

 案内されたのは、和菓子屋の裏手――おそらくはさっき通ってきたあの壁伝いの内側であろうと思われる場所だった。
 家らしい建物もなく、あるのは四季折々の花々の姿ばかり。
 一面にひらけたその場所を、葛は驚きと共に眺めやった。
「ここって、侘助さんの土地だったんだ」
 そうごちて、そこかしこに咲く様々な椿へと目を落とす。
 ――――確かに、紅色だけのものではなく、桃色のものもあれば薄紅のものもあり、純白のものも咲いている。
 色だけでなく形も様々に咲いてある花々を、葛は感嘆の息を吐きながら見渡した。
「一応、四季それぞれに色んな花が咲くようになってます。別に禁じてるわけでもないので、また気が向かれたらいつでもいらしてください」
 侘助の穏やかな声音が背中の方から聞こえてきた。葛は肩越しに振り向いて、首を大きく動かした。
「侘助さんがそう云ってくれるなら……うん、すごくきれいな場所だね」
 微笑む葛に、侘助はやんわりとした笑みを浮かべる。
 そして不意に振り向いて、慌てて店の方へと歩みを寄せた。
「ちょ、すいません、お客みたいです。俺はちょっと行ってきますんで、どうぞごゆっくり」
「うん、いってらっしゃい」
 うなずき、侘助を送る。
「寒くなられたら、また店に戻ってきてくださいね。茶のお替りをお出ししますんで」
 歩きながらそう述べる侘助に、葛は再び大きくうなずき、手を振った。

 色とりどりの花々は、蒼穹の下、思い思いにその色彩を誇っている。
 吹く風は未だ少しばかり冷たく、葛の頬を撫ぜていく。
 鼻先をくすぐる花の香に、葛はふうと大きな深呼吸をひとつつく。

 花が、ふつりと風に舞って踊った。



―― 了 ――
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年01月31日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.