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『甘く咲く花 』
藤井・葛1312


 バレンタインデイ。
 お菓子会社の陰謀だという噂さえ囁かれるほど、チョコレートが街中に溢れてしまう日である。お菓子屋は勿論、デパートに行っても雑貨屋に行っても、チョコレートで溢れている。雑誌はこぞって「バレンタイン特集」といって、手作りチョコレートのレシピやブランドのチョコレート紹介をやっている。
「さて、と」
 藤井・葛(ふじい かずら)は、そう呟いてから目の前にある材料たちをぐるりと見回した。
 材料である製菓用チョコレートに、文字を書くためのペンタイプになったチョコレート。相性抜群のナッツ類。深い味わいを生み出すブランデー。滑らかな触感を与える生クリーム。
 そうして、ハートの形をしたカタヌキ。
 葛は、その形をじっと見つめた。世間が必死になって特集するバレンタインが、目の前に広がっているような錯覚が生まれる。
「……でも、まあ。バレンタインだし」
 葛はぽつりと呟き、自らを納得させる。再び材料を確認すると、着ているセーターの袖をまくり、エプロンをつけた。髪の毛が落ちないように一つに括り、小さく「よし」と呟いてからチョコレートを手にした。
 包丁で大方削っておいてから、鍋の水が熱湯になっているのを見、湯煎の為のボウルを入れる。勿論、水分が一滴でもないように留意しながら。
 刻んだチョコレートを入れ、大方溶かしていく。チョコレートは温度が重要なポイントとなるため、温度計を入れて何度も確認しながら生クリームとブランデーを投入する。ゆっくりと、滑らかになるように優しくかき混ぜながら。
 甘い香りが、台所一杯に広がる。もしかしたら、アパート全体にでも広がっているのではと不安になるほど。
(そうしたら、俺がこうしてチョコレートを作っているのがばれている訳で)
 だからどうした、と言う事は無い。チョコレートを作っていることがアパート全体に知れ渡ったとしても、特に困る事は無い。
 それなのに、どうしてこんなにも気恥ずかしくなるのだろうか。
(なんでだろ)
 葛は苦笑しつつも、作業を続ける。
 今はそんな事について考えるよりも、チョコレートを成功させる方が重要だ。料理が万能である葛でも、ぼうっとして考え込みながら作っていたら失敗してしまうかもしれない。
(集中、集中)
 葛は自分に言い聞かせ、チョコレート作りを再開する。
 ゆっくりと混ぜながら、生クリームとブランデーの配分を考えていく。時折スプーンで味見をし、丁度いい味となるように。
(もうちょっと、入れようかな?)
 あくまで、自分ではなく相手の好みに合わせなければならない。自分好みならば、いくらでも調整は出来るのだが。
 少しだけ考えた後、もう少しだけブランデーを入れる。お酒の風合いが強くなって、落ち着いた味になる筈だ。
 それこそ、大人好みの。
「もう、いいかな?」
 葛は呟き、溶けきったチョコレートのボウルを湯から取り出す。手早くナッツを刻み、チョコレートに均等になるように混ぜる。
「よし」
 ちゃんと混ざった事を確認し、葛はトレイの上にクッキングシートを敷いた。その上にハート型のカタヌキを置き、ゆっくりとチョコレートを流し込んだ。ちゃんと綺麗な形になるように、きっちりと詰めていきながら。
 入れ終えると、小刻みに動かして表面を平らにしてラップをかけた。そのまま冷蔵庫へと入れて、固める。
 20分後、冷蔵庫からチョコレートを取り出すと、綺麗に固まっているようだった。ラップの上から指でちょんちょんとつつくと、ひんやりとした滑らかな表面が指をくすぐる。しっかり固まったかどうかの目安である、型とチョコレートにできる隙間も、ちゃんと出来ていた。
「それじゃあ、出してみるか」
 うん、と小さく頷きながら葛は型を手に取り、裏返す。とんとん、と何度か打ち付けると、綺麗に型からチョコレートが外れた。
 綺麗なハート型が、台の上にある。どこも欠けたりしておらず、ひびの一本も入っていない。完璧なハート型だ。
 葛は満足そうに微笑み、ペンタイプのチョコレートを手にとった。……が、何故か手が進まない。
「……なんて、書けばいいんだ?」
 よくあるのは、愛の告白をするような言葉だ。アイ・ラヴ・ユーだとか、好きです、だとか。
(でも、それって何かが違う気がする)
 葛は小さくうなる。そういった直接的な言葉は、どうもしっくりとこなかった。
(そりゃ、確かに俺は、こうしてチョコレートを作っていて)
 バレンタインデイに向けて。
(ハートの形に固めてみたりして)
 大きなハート型が目の前にある。
(そこに文字を書き込もうとしているわけだけど)
 それでも、書き込む文字を直接的な愛の告白にしようとはどうしても思えなかった。
「……とりあえず、周りから書くか」
 葛はそう呟くと、一先ず真ん中は置いておく事にする。ハートの形に縁取るような波線を、ホワイトチョコで書いていく。時折簡単な花の形を書いたり、小さな丸をちょんちょんとつけたりしながら。
 そうして、やっぱり真ん中が残った。
 そこに書くべきは文字であるべきだ、と葛は思う。相手に対して思う事を、その場所には書くべきだと。
(どうしよう)
 葛はうーん、と悩んだ。
 相手のことを考え、相手に思う事を書けばいい。そんな事は分かっているものの、では実際何を書くのかと問われた場合に困ってしまっていた。
 書きたい文字、伝えたい言葉。
 それらがどうしても、ちゃんとした言語となって葛の頭に浮かんでこないのだ。
(例えるなら……そうだな、花なんだよな)
 葛は思う。
 傍にいて、ふわりという感覚を覚える花。ほろりと花弁を開こうとする花。赤や黄色、ピンクに紫。様々な色とりどりの花たち。
 相手に対して思うのは、そんな花たちが胸一杯に広がっているというイメージに近い。そっと手を伸ばせば、柔らかな気持ちになるような。
 そんな、花。
「……うん」
 葛は小さく呟き、ペンタイプのチョコを握り締め、真ん中の空白に大きく花を描き始めた。縁取られている飾りを邪魔しないように、なるべく大きくなるように。
 そうして、真ん中に大きな花を咲かせたハート型のチョコレートが完成した。
 完成したチョコレートは、部屋の光をほのかに反射して光っていた。真ん中に大きな大きな花を咲かせて。
 葛はそれを見てそっと笑み、ラッピングに取り掛かった。ハート型を崩さないように、そっと箱に収める。箱を柔らかな素材の紙で包み、リボンを綺麗にかけた。
 そうして出来たのは、何処に出しても恥ずかしくないような、バレンタインプレゼントであった。
 葛はラッピングまで終えたチョコレートの箱をしばし見つめ、ふっと口元をほころばせる。あげる相手を思い、これをあげた時の様子をふと想像する。
 びっくりするだろうか。
 嬉しいと思ってくれるだろうか。
 そんな思いが、頭の中で何度も何度も浮かんでは消える。
「……喜んでくれるといいな」
 葛はそう呟き、はっとした。自然と出てきた言葉が何故だか気恥ずかしくて、どうしてそんな言葉が出てきてしまったのだろうかと不思議に思って。
「……か、片付けをしないと」
 葛は誰に言うわけでもなく呟くと、置かれたままだった調理器具達を片付け始めた。
 ほんのりと頬が赤いような気がしたが、その原因をあえて「このお湯、ちょっと熱いのかも」と呟く事で、勢い良く蛇口から出てくる温かなお湯の所為にした。
 呟いたものの、やっぱり頬が何となく赤いのには変わることが無いのだった。

<箱の中の花を思い・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年01月30日

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