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『ハート 』
藤井・葛1312)&藍原・和馬(1533)&藤井・蘭(2163)


 葛はバレンタインの特設売場を尻目に、蘭の手を引いて、食料品売場へ向かおうとしていた。
 週末のスーパーは、大変に混雑している。蘭は、あまり来たことのないスーパーであったから、きょろきょろしていた。手と目を離せば、どこに飛んでいくはわかったものではない。葛に手を引かれていても、彼はたこ焼きやたい焼きを葛にせがんだ。そればかりか、チョコレートが山と積まれている特設売場へ、葛を連行しようとするのだ。
「もちぬしさん! チョコなの! チョコたべたいなのー!」
「もー、蘭。話しただろ。あそこに売ってるチョコは『特別』なんだって」
「たべちゃえばおんなじなの!」
「……そういう考え方、誰に教わった? ……あー、聞くまでもないか……」
「チョコー! もちぬしさん、チョコー!」
「だーめ! 見に行ったって買わないんだから! 無駄! 時間の無駄無駄無駄無駄」
「あーん、チョコー!!」
 蘭が地団駄を踏んで叫びだした。いつもは聞き分けがいいはずなのだ。それが、藤井蘭であるはずだ。葛は途方に暮れ、呆気に取られたが、心を鬼にして蘭を引きずった。
「ほら! 歩く!」
「あーーーん! うわーーーーん!」
 周囲の視線が痛い。ほほえましい光景ということで、温かい視線ばかりではあるのだが、大勢に注目されるのは、大概の人間にとって恥ずかしいことだ。葛は大概の人間だったので、とてもとても恥ずかしかった。
 ――耐えろ。耐えるんだよ、藤井葛。チョコの特別扱いも今日までなんだからな。
 今日は、2月14日だ。


 蘭がふくれていたのはほんのわずかな間にすぎなかった。
 葛がわざわざ大型スーパーまで足を伸ばしたのは、良い食材と珍しい食材を手に入れる必要があったからだ。今晩は葛が腕によりをかけ、藍原和馬という肉好きの客人を迎えて、夕飯を振る舞う予定だった。帰宅し、葛が料理を始める頃には、蘭もいつも通りのご機嫌を取り戻していた。
「もちぬしさん、どんなごちそうつくるなの?」
「ごちそうになるかどうかはわかんないけど、基本イタリアンでいくつもり」
「イタリアンってことは、パスタなの! ピザなの! スーパーでイタリアンのしょくざいかってきたなの?」
「そう。こいつは大きい店でしか売ってなくってね」
 葛が笑顔で蘭に見せたのは、ニンニク入りのオリーブオイルとハード・チーズだった。どちらもイタリア直送の高級品だ。
「ケーキみたいなチーズなの! おいしそうなのー!」
「あッ馬鹿、かじったらだめ! 硬いよ。削って使うチーズなんだから」
 蘭に手伝ってもらいながら(しかし、危なっかしいのでガスコンロや水まわりには近寄らせず、居間の片づけをやらせた)夕飯の準備を進めているうち、葛はどうにもおかしくて、笑いだしそうになってしまった。
 バレンタインデーは、女性が想い人にチョコレートを渡す日だ。
 豪華なディナーで祝うような日ではない。おまけに、キャンドルまで買ってきている。
 まるで、クリスマスだ――。
「……」

   葛。おまえのことが好きだ。

 おかしな気持ちも、その記憶に辿りつけば、きゅう、と締めつけられた。いやな気持ちではない。けれど、複雑な気持ちと言っていいだろう。
 恥ずかしいような、嬉しいような――。
「あーッ、もちぬしさん!」
「!?」
 蘭の大声に、葛は我に返る。我に返れば、蘭が言いたいことはすぐにわかった。パスタを茹でていた鍋から、ごばあと泡がふきこぼれていた。


「おっ、おおおおお、こいつはッ!」
 7時を過ぎてあらわれた和馬の第一声は、そんな奇声だった。挨拶などどこかに吹き飛んでいた。目を閉じ、「気をつけ」の姿勢のまま伸びをして、アパートの一室いっぱいに広がる芳香を吸い込む。
「チーズだな! チーズとクリームソースとコショウだな! パスタと見たッ! それもカルボナーラだ!」
「冷めるから早く」
「なんて冷めた台詞。ひどいわ。――いっただっきやーす」
「あ、だめっ! かずまおにーさん、てをあらってからたべるなの!」
「おッ……チビ助、今日は妙に厳しいぞ……」
 イタリア産のチーズをたっぷり使い、荒挽きコショウの香りも高い、主役のパスタはカルボナーラだ。使っているクリームも卵も、いつもより1ランク上のものを使っている。卵は有精卵だし、オリーブオイルはニンニク入りだ。そもそもパスタ自体が、その辺の100円ショップで売っているようなパスタと違う。フェットチーネという、きしめんのように幅の広いクリームパスタ向きのパスタだ。
 上品に盛られた料理を照らしているのは、3本のキャンドルだった。
「パスタだけじゃ足りないとかわめく奴がいるから、こいつもどうぞ」
「お、肉!」
「わーい、おにくなの!」
 余ったチーズをどっさり乗せたポークソテーを、葛はフォークで指し示す。
 葛の料理の腕は良かった。
 そう広くもないアパートの一室が、この夜はイヴのイタリアンレストランのようだった。

「あ、蘭。いいものあげる」
 パスタが皿から消える頃、葛は翠の目を細めて、狭いベランダに向かった。ベランダの片隅に、クリスマスからずっと置かれているものがある。蘭へのクリスマスプレゼントを隠しておいた(同時に冷やしてもいた)クーラーボックスだ。
 葛はそこから、銀色の包装紙と緑色のリボンで彩ったチョコレートを取り出した。
 クーラーボックスの中には、まだひとつ、チョコレートが残っていたが――葛は一度はそれを手に取ったものの、結局しまっておいた。部屋の中に持って入ったのは、蘭へのチョコレートだけだ。
「はい、これ」
「わあ、ありがとうなの! きれいなのー!」
「ん、この匂いはチ……ぐほ!」
 すんすんと箱の匂いを嗅ぎ、中身はチョコレートだと言い放とうとした和馬の脇腹に、すばやく葛は肘を入れた。悶え苦しむ和馬には目もくれず、にこやかな顔のまま、蘭に言う。
「開けていいよ」
「うん!」
 蘭は銀の目を輝かせて、きれいなリボンと包装紙を取った。包装紙は、『I LOVE YOU』とエンボスが施された銀色のシールで留められていた。けれども蘭には、その英語が読めなかった。
「わあ!」
 箱の中から出てきたのは、チョコレートのクマたちだ。
 食べるのもはばかられるほど可愛らしい、クマとクマとクマのチョコ。蘭は顔中を口にしたような大きな笑顔になった。
「クマさんなの! ありがとう、もちぬしさん!」
「おい、チビ助。忘れんなよ、チョコもらったらな、3月14日に絶対お返ししねエと殺され……ぎゃふ!」
「ちょっと硬いかもしれないけど、食べちゃっていいからね」
「わーい! たべるのもったいないなの! かざるなの!」
 クマのチョコを残らず箱に戻して、蘭は立ち上がった。サイドボードの上に並べて飾るつもりだ。喜びのあまり飛び跳ねるようにして走り回る蘭は、
「こら、狭いんだから走るとあぶな――」
「わきゃ!」
「痛エ!」
 和馬に激突して転んだ。
 テーブルの上のグラスや、汚れた皿も巻き添えにして転んだ。倒れたキャンドルの火は、幸いにも衝撃で消えていた。葛と和馬が、あーあーあーと声を揃える。ふぐぐ、と痛みに顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべた蘭だったが――彼は、泣かなかった。
「オッ、どうしたチビ助! 今日は泣かないのか」
「……ぐぐぐ……へ、へーきなの……」
「大丈夫かい? あーあ、顔も服もべたべただよ」
 葛が近づくと、蘭は口をへの字にし、がばと立ち上がった。
「ぼく、おとこになったなの! バレンタインにじょせいからチョコもらったら、いちにんまえのあかしなの。おとこはじんせいにさんかいしかなかないものなの!」
 ふん、と鼻息をついて仁王立ち。その姿を見てから、葛は和馬にするどい視線を送った。蘭がいつのまにか身につけている妙な知識は、大概が和馬のしわざによるものだ。和馬はあまりにもわざとらしい口笛を吹きながら、葛の視線を受け流した。葛は、いまどき口笛でごまかす人間はフィクションの中にしかいないものと思っていた。それを堂々とやってのけた和馬には、正直、呆れた。
「ぼく、ひとりでかおあらってかみあらってきがえるなの!」
 蘭は、ひとりで、というところに力を入れていた。葛は蘭の意思を尊重し、手を出さないことにした。心配ではあったが、ひとりでやるというのは、いちばんの勉強になる。
「……風呂場で滑って転ぶんじゃないよ」
 堂々たる足取りで、蘭はバスルームに向かっていく。葛は男らしい小さな背を見送り、和馬は倒れたキャンドルを立て直して、火をつけていた。

 葛は立ち上がり、無言で、再びベランダに向かった。
 クーラーボックスを開け、今度こそ、もうひとつのチョコレートを取り出す。ベランダから戻ったとき、和馬は散らばってしまった蘭のクマチョコレートを集めて、箱の中に戻しているところだった。
「和馬」
「んー?」
「これ」
「……おオ!」
 葛が和馬に渡したチョコレートは、赤い包装紙に包んであった。包装紙を留めていたシールを、和馬は注視しなかった。あまりに喜んでいたから、すぐに包みを開けてしまっていたのだ。
 箱の中に入っていたのは、ハート型の、大きなチョコレートだった。
 すん、と和馬は香りを吸いこむ。ただそれだけで、彼の優れた嗅覚が、カカオの中に混じったウイスキーの匂いを嗅ぎ取った。
「今年はハート型かア」
 にまっ、と和馬は笑って、するどい犬歯を見せた。
「ありがとう、葛」
「な……」
 今年はハート型かア。
 今年は。
 ことし、は……。
 ああそうだ。葛は、和馬に去年もチョコレートを渡したし、その前の年も渡した気がする。けれど、ハートではなかった。今年は、確かに、ハートなのだ。
 葛は、自分の気持ちがチョコレートの姿を変えたのだろうかと、思わず赤くなって考えこんだ。クリスマス・イヴに起きたことが忘れられず、自分はハート型のチョコレートを和馬に贈った。しかも、そのハートのチョコレートは、
「む、なんかここんとこにバリが残ってらア。……なアおい、これって、葛、おまえお手製――」
 ごす、と葛は和馬の顔面に鉄拳をめりこませていた。仰向けに倒れる和馬を見て、葛ははっと我に返る。自分はなにをしているのだ。なぜ、殴って黙らせたのだろう。
 喜んでくれるといいな、と考えながら、葛は蘭にも黙って、こっそりチョコレートを作ったのだ。クマのチョコと、ハートのチョコを。だから今日、葛はチョコレート特設売場に行かなかった。買う必要がなかったのだ。とっくに、用意してあったから。
 ――どうして、素直に……俺は……なれないんだろ。
 そうだ。まだ言葉にして、イヴの答えを返していない。
 けれど、もう答えは返してしまったのか。
 ハートのチョコレートが、口下手な葛の答えだろうか。
 和馬はそれを、わかってくれているだろうか。
「いッ……てエな、もう! なにすんだよ、乱暴モン!」
「……ごめん」
 殴られた鼻面をこすりながら、和馬が起き上がる。鉄拳制裁の類には慣れている、と和馬はいつも笑うのだ。いまも、笑っていた。ハートのチョコレートが入った箱の蓋を閉め、キャンドルの炎ごしに、和馬は葛を見た。
「なア。もっぺん聞くけど、もう殴ンなよ」
「……うん」
「これ、作ってくれたのか? わざわざ」
「……まあね」
「そーか。……うん、ありがとう」
 葛はうつむいて、和馬の視線を避けた。キャンドルの炎の、熱を感じる。
 いや、自分の顔が、熱を持っているだけだ、きっと、そうだ。
「あれだろ。チョコって、作るの大変なんだろ。なんつったっけ、あア、湯せん。あれって結構シビアなんだってな?」
「……べつに、そんな難しくも……。さっさとそれ、食っちゃってよ」
「いや。こいつは家でじっくり味わうことにする」
 和馬はチョコレートの箱を、元通りに包装紙で包んで、懐にしまった。そんなところに入れてたら溶けるだろ、と、いつもの葛なら突っこんでいたかもしれない。
「ありがとな、葛」
「だからそんな、……いいよ。何回も、言わなくたって……」
「ありがとう、葛」
「……」
「サンキュ、謝謝、メルシー、グラッツェ、シュクラン、カムサハムニダ」
「バカ」
 葛がようやく吐き捨てると、和馬はげらげらと声を上げて笑った。葛はよほど、その顔面を殴ろうかと思ったが、赤い顔のまま猛然と立ち上がっただけだった。
「蘭に着替え出してやらなくちゃ」
 相変わらず、和馬は笑っている。
 葛はそそくさとクマ柄のトレーナーを掴み、バスルームに向かった。
 バスルームでは、蘭が苦心しながら自分で髪を洗っていた。

 居間に残された和馬は、クマのチョコレートを残らず拾い集めて、サイドボードに持っていった。そして微笑みながら、クマを一匹ずつ、丁寧に、サイドボードの上に並べていった。クマは全部で12匹。ひと月に1匹食べていったら、1年もつ。
 けれど和馬なら、食べられない。ずっとずっと、来年まで、取っておくかもしれない。
「『I LOVE YOU』ね……」
 包装紙を留めていた銀のシール。
 その、浮かび上がったメッセージを、和馬はゆっくり反芻している。




〈了〉
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2006年01月30日

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