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『禁忌の森 』
赤羽根・灯5251




 ひとりで森にはいってはいけない、と。ことあるごとに、母は私にそう告げていた。


 
 友達と一緒に遊んでいた日のことだった。もっとも、今となっては、その友達が果たして誰であったのか、灯の記憶はいまひとつ判然としない。
 ともかく、友達と一緒に遊んでいたのだ。
 かくれんぼをやろうと友達が言ったので、灯は素直にうなずいた。
 かくれんぼは得意だった。家の中――時には家が営む料亭の中までも、灯が遊ぶための領地となった。
 蒲団の中、押入れの中、座布団の山の裏。物置として使っている引き戸の向こう。そういった様々な場所が、灯のための隠れ場だった。
 だから、その日も、かくれんぼでならきっと勝ってみせると、幼いながらも灯は頬を紅潮させた。
 すると友達は灯の家の裏手に広がる深い森を指して笑ったのだ。
 ――うちが鬼やるさかい、灯ちゃんは逃げときや
 友達はそう言って、手近にあった木に顔を押し付けて数を数え始めた。
 ――――いぃち、にぃぃ、さあぁん、
 
 友達が十までを数え始めたときだった。
 それまでは凪いでいたはずの風が、ざわりざわりと森を揺さぶりだしたのだ。
 晴れ渡った天気というわけではなかったが、それでも決して曇り空だったというわけでもない。けれど、揺らぎ始めた森は見る間に大きな影を落とし、灯の影を呑み込んだのだ。
 母が選んでくれたコートで覆い隠していたはずの両腕が、ゆっくりとあわ立っていくのを感じた。
 けれど、見上げた空の上、太陽はまだまだ高い場所にあるのを確かめることで、灯は胸のどこかがほっと安堵の息をついたのを覚えた。
 きっと、風が強くなっただけなのだろう。そう思い、隠れ場所を探す。
 ――――ごおお、ろぉぉぉく、
 ざわざわ、ざわざわ
 友達の声が風に声と混ざり合い、木々が落とす影の中へと吸い込まれていく。
 ほどなくして、灯は大きな木の根元にあった穴の中へと身を寄せた。
 それは灯が未だ小さな子供であったからこそ入り込めたのだろう。小さな、小さな窪みだった。けれど、隠れるにはうってつけの場所だと、灯は満面に笑みを浮かべた。
 ざわり、ざわり
 森の木々が風で揺さぶられて唸りをあげる。
 
 ひとりで森にはいってはいけないと、灯の母はことあるごとに言っていた。
 けれど、灯が身を寄せたその場所は、母が禁じた森の中であったのだ。
 灯はひどく無邪気に、そして自分でも気付かない内に、禁じられていた場所の真ん中へと迷い込んでいたのだ。

 ――――きゅうぅぅぅ、
 がさ、がさ、がさ、が、が、ガガ
 目の前の枯れ葉が渦を描いて宙に舞う。
 ぞわり
 首筋から氷の塊を放り込まれたような、奇妙な感覚が全身を覆う。
 ざわ、ざわ、ざわ
 森が風に揺れている。
 全身を覆った寒気に、灯は大きく身震いした。
 幼いながらも、灯の頭のどこかが、はっきりと告げていた。
 
 今すぐにこの場を離れなくてはいけな

「灯ちゃん、見ィィつけたァ」
 
 目の前ににゅうと伸びてきたのは、つい今しがたまで遠くで十を数えていたはずの、”友達”の顔だった。
 友達は満面に笑みを滲ませて、両目を半月の形に歪ませて、唇は南天よりも赤かった。
 
 ざわ、ざわ、ざわり
 ガ、ガガ、カカ、カカカカカ

 周りを囲んでいたのは、既に森のそれではなくなっていた。
 影を落としていたのは数知れぬ青白い亡者の腕だった。
 風に揺らいでいたのは卒塔婆だった。
 森のざわめきは屍共の嘲笑だった。
 唸り声をあげていた風の音は、目の前にある”友達”の喉が鳴らしている嗤い声だった。

「き、あ、あ、ああ、アア――――!」

 喉が引き千切れんばかりに叫び、髪を掻き乱し、母の名を叫び、喚き散らした。しかし声はただひゅうひゅうと空気の漏れる音になるばかりで、救いを欲する言葉を成すことはなかった。
 友達の腕が灯の腕を掴み取る。
 子供の力とは思い難いその握力に、灯は痛みを訴えて友達の腕を確かめた。
 それは腕ではなく、何かの触手のごとくに這いずり回るものだった。それが今自分が身を潜めていた木の根だと知ったのは、その一瞬後のことであったか。
 灯が隠れ場所として見出して身を寄せたその窪みこそ、卒塔婆の下の、小さな土の穴の中だったのだ。
 友達の顔の半月がぐるりぐるりと弧を描く。
「灯ちゃん、うちと一緒に遊びましょ」
 歌うような声だった。
 灯の全身は、今や数多の木の根――白々とした骨ばかりの腕によって捕らえられていた。
「い、いやや!」
 灯は、ようやく一言そう振り絞った。

 それから後のことは、友達の顔を今ひとつ記憶出来ていないのと同様に、茫洋とした記憶としてしか覚えていない。
 ただ、はっきりと覚えていることがふたつだけ。

 大きな両翼を広げた炎の鳥の息吹が、辺りの全てを焼き滅ぼしていったこと。
 そしてその鳥が、自分の内より出現したのだということ。


 かたかたと窓枠を震わせる風の音に、灯はふつりと目を開けた。
 そこには心配そうに灯の顔を覗き込む、母の顔があった。
 母は灯が目を開けたのを知ると、ひとしきり打ち震え、そうして灯を強く抱きしめた。
 もう二度と、ひとりで森に行ってはいけない、と。泣きながらそう告げた母の声に、灯は何度もうなずいた。
 もう二度と、ひとりであの森へは行かない、と。


 窓の外を吹く風が、ざわりざわりと夜を唄っていた。
 灯は、全身があわ立ったのを覚えたが――――けれど、次の時には母が灯の小さな体を抱きしめたので、安堵の息を吐き出した。
 深い、深い、安堵の息を。



 ひとりで森に行ってはいけないよ。恐ろしい、恐ろしいことが起こるかもしれないからね。
 私の母は、ことあるごとにそう告げた。




―― 了 ―― 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年01月25日

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