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『降る陽に祝福されし約束 』
一条・くるみ5501)&犬神・勇愛(5488)

 その日の朝、くるみはいつもより早くに目を覚ました。
 いつもと同じ朝日は、昨日の夕方起こった事件――くるみにしか見えないアレに襲われ、勇愛に助けられたこと――を現実ではないもののように思わせもするけれど、くるみはくっきりとあの光景を覚えている。
 銀色の毛並みをした狼の耳。同じく銀色の、尻尾。
 どちらも人間ではあり得ないもの。だが、くるみを怖がらせるアレとはまったく違うもの。
 むしろ綺麗で。見惚れてしまうほど綺麗で、いつまででも見ていたいと思うもの。
 くるみはこの日、いつもより早く起きて、いつもより早く学校に向かった。
 昨日は事の成り行きに呆然としていて、助けてくれたというのに、お礼の一言もいえなかったのだ。
 まだ人気の少ない教室の席に座って、ドキドキと勇愛を待つ。少しずつ、生徒が増えて、学校全体が賑わってきたその頃。
 開けっ放しの扉から、揺れる銀色の髪が見えた。
「犬神さ――」
 けれど言いかけた言葉は、途中で急速に萎んで、消えてしまう。
 彼女が教室に入ってきた途端、まだまだ転校生の話題に盛り上がっているクラスメイトたちに囲まれてしまったのだ――転校生という物珍しさを差し引いても、勇愛は物静かで成績優秀、スポーツも得意とみんなの話題の的だった。
 ……話したいことは、たくさんある。
 昨日のお礼。それから、アレのこと。
 勇愛はアレを見ても驚く様子がなかった。いや、アレと戦うことにも慣れているようだった。
 こんなに、お話したいと思っているのに。
 人の輪の中心にいる勇愛に話しかけるのが躊躇われて。あの中に入っていくのが少し、怖くて。
 和気藹々とした雰囲気を見ていると疎外感を感じて、ますます入りづらくなってしまう。
 ため息をついて俯いたくるみは、勇愛が、クラスメイトと話しながらもくるみを気にしていることに気付かなかった。


◆ ◆ ◆


 どこにいってもアレがいる。
 くるみの他は誰にも見えない、怖いもの。
 けれど何にでも例外というものはあるのか。
 学校の屋上には、アレはいないことが多かった。もちろん、いつもいないと言うわけではなく、上がってみたらアレの先客がいるなんてことはよくある。
 だけど学校の中で一番アレと出会う確率が少ないところで、だからくるみは、屋上へ行くのが好きだった。
 昼休みは当然のこと、時間が許せば授業の合間の短い休み時間にもここに上がってくる。
 燦々と眩しい陽の光が降る屋上は、今日は運良く誰も――アレも含めて――いなかった。
 ほっと安堵の息を吐いたくるみはそのままドアの外へと歩き出す。
 チャイムが鳴るまで、このままのんびりしていようと空を眺めて座りこんだその視線の先に、陽を反射して光る銀色が見えた。
「こんにちは」
「……っ!?」
 声もなく、思わずくるみはバッとその場に立ち上がった。
 目の前には、穏やかに微笑む勇愛の姿。
「朝、なにか話そうとしていたでしょう?」
「あ……」
 聞いて、くれた。
 気付いてくれていた。
 それがとても、嬉しかった。
 けれどこれまでずっと、人と接する機会の少ない環境で過ごしてきたくるみは、どうしても緊張してしまって。
 緊張している理由は、人見知りするということだけではなく、昨日の事件のこともあるのだが。
 話したいことはたくさんあるはずなのに、いざとなると何をどう話せばいいのかわからなくて。
 おろおろと視線を彷徨わせるくるみの様子に苛立つようなこともなく。
 何か話さなければと焦るくるみを助けるように、勇愛はいろいろなことを話してくれる。
 それはどれも他愛のない話で――学校の勉強のこととか、お昼ごはんのこととか――何か返事をしなければと思うのだけれど、緊張が先に立ってしまってどうしても声が出せない。
 こんなことをしていたら嫌われてしまう!!
 そうやって焦れば焦るほど、思考はパニックになり、口が強張ってしまうのだ。
「昨日の……魔物のことなんだけれど」
「魔物?」
 昨日の、と言えば、それはくるみを襲ったアレのことだろう。
 不安げに目を見開いたくるみの表情を見て、勇愛は、ひとつ呼吸をおいた。
「他にも呼び名や種類はあるのだけれど……魔物とか、妖怪とか、幽霊とか。一条さんが見ているものが、普通の人には見えないものだというのはわかっているよね?」
 コクコクと、驚きの表情をそのままに頷いてくるみは、頷いた勢いで口を開いた。
「あの、あの……犬神さんは、犬神さんも、見えるの?」
 やっと出てきた言葉は、問い。一番、一番言わなければいけないことをすっ飛ばしてしまったことを、言ってから気がついたがもう遅い。
 くるみの後悔に気付いているのかいないのか。勇愛は静かに頷いた。
 そして、微笑う。
「今までの話は秘密ね」
 指きりの形で差し出された小指。そこに自身の指を絡めることがどうしても躊躇われてしまう。
 秘密というなら、知られたくない話ではなかったのか?
 ごまかすこともできたかもしれないのに、どうして、話してくれたんだろう。
「どうして、話してくれたの?」
 不安に満ちたくるみの瞳をじっと見つめて、勇愛はそっとくるみの手をとった。呆然として力の抜けているくるみの小指を絡めて、指きりをする。
「一条さんから、霊力を感じるの。ああいったものが見えるのも、そのせいね」
 告げた勇愛の表情は、とても真剣だった。
「……気をつけて。ああいった輩は、自分を認識できる―― 一条さんのように、見える者を狙って襲うのもいるから」
 ほんの数日前に出会ったばかりの、ろくに話したこともないクラスメイトを心配してくれている。
 初めて出会った、アレを見えると話せる相手に。
「怖かった……!!」
 思わず、叫んで抱きついた。
 ずっとずっと、怖かった。
 独りきりで耐えなければならない恐怖。
 どうして。
 思ったのは一度ではない。
 自分は悪い子なのだろうか。
 だから、罰を与えられてしまったのか。
 そんなふうに考えたこともある。
 けれどくるみは、独りじゃなかった。
 叫ぶだけ叫んで泣き出してしまったくるみの背に、温かな手が触れた。
「大丈夫」
 力強い、声が聞こえる。
「その力をよく知って学んでいけば、きちんと制御できるようになるから」
「制御……?」
「見たくないときは、見ないように。大丈夫、私も手を貸すから、頑張ろう」
 いつの間にか、涙は止まっていた。
 ふと、抱きついてしまっていることに気がついて、慌てて手を離した。顔を上げれば、優しく笑う勇愛が見える。
「どうして……どうして、そんなに良くしてくれるの?」
「私も、力のことで苦労したことがあったから。それに、私の家は親も同じような力を持っていて……本当に仲良くできる友達なんてできなかった」
 もう一度。
 勇愛は、指きりの手を差し出した。
「同じような力を持つ一条さんとなら、きっと、本当の友達になれると思うの」
 くるみの表情が明るく輝く。
「うんっ!」
 差し出された手に小指を絡めて、くるみは心からの微笑みを浮かべた。
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東京怪談
2006年01月23日

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