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『猫鍋 』
瀬崎・耀司4487)&都築・秋成(3228)&デリク・オーロフ(3432)

 居間の柱時計が八時を打った。つまり、鐘が八回。約束の時間は六時だったから三人は時刻ちょうどの鐘を二十一回、半に打たれる鐘を二回聞いたことになる。瀬崎耀司と、都築秋成と、デリク・オーロフと。
「・・・さすがに、もう来ないだろうな」
と、耀司。セーターを着た腕の中に仔猫を抱えた秋成が
「この天気じゃ、ねえ」
おっとりとした口調で外を見る。叩きつけるような吹雪が窓を襲っている。さっきまでは風がびょうびょうと鳴り響いていたのだが、幾分かはおさまったようだ。それでも、瀬崎邸の和式庭園を銀世界へ変えるのには充分であった。背中を丸めて異文化のこたつに潜り込んでいたデリクは真っ赤に火照る耳を両の手の平で覆う。
「堪りませんヨ」
その背中の上にも、猫が一匹丸くなっていた。
デリクが閉口しているのは、六時の夕食を予定して来たのにもう二時間も待たされていることであった。先週誘われた話では七、八人で鍋を囲む予定だったのに、実際目の前にいるのは自分を含めてたったの三人。他のメンバーは大雪による交通麻痺で家から出られなくなっていた。瀬崎邸の中にもその被害の累は及んでおり、寒さに逃げ込んできた野良猫たちが十数匹、そこかしこに寄り固まって団子を作っている。
 それでも二時間、雪に閉じこめられながらも彼らを信じて待った三人は健気である。が、二十三回目の鐘を聞くとさすがに諦めというか空腹感のほうが勝った。腹を紛らわせるために軽い和菓子など口に放り込んでいたのだが、男たちの胃袋には到底足りない。籠に盛られたみかんもなくなりかけていた。
「仕方ない、三人で鍋を始めよう」
主人である耀司の決断により、こたつの上にコンロと土鍋が運ばれてきた。
「いや、腹が鳴りますネエ」
今はもう食べるという言葉だけで頬が緩んでしまう。台所から山盛りの野菜を運んできたデリクはうっとりと目を細め、どれから食べようかと具材の吟味を始めている。一方秋成の視線は天井のほうを向いており、さっきから聞こえるかすかな家鳴りのほうを気にかけていた。
「雪で潰れたりしませんかね?」
「なに、もつさ」
一冬もつという意味か、それとも鍋の間はもつという意味か。ポーカーフェイスの耀司の言葉は、意味を汲み取りにくい。この男が型抜きで抜いた、紅葉の形をした人参を秋成はつまみあげる。

「そろそろ蓋を開けてみたまえ」
「オーケー」
デリクが布巾を手に土鍋の蓋を上げると、昆布から味を取った出汁がくつくつとあぶくを立てていた。中に封じ込められていた香りが一気に部屋の中へ広がり、鼻をひくつかせた猫たちがぐるぐると喉を鳴らしながら、こたつに集まってきた。
「よさそうですね」
「うむ」
秋成と耀司は顔を見合わせ、頷きあう。いよいよ具材を投じる頃合である。水炊きの類を例外として、鍋というのは出汁が充分に沸騰してからでないと肉も野菜も放り込めないのだった。
「まずは魚かね」
「そうですね。俺、タラのいいのを持ってきましたよ」
「それは楽しみだ」
タラと一緒に自分の鴨肉も放り込もうと耀司は長い菜箸を取った。箸に慣れないデリクは猫を体中に載せて、楽しそうに二人を見守っていた。
 その瞬間、ばちんと音を立てて光が落ちた。
「・・・・・・」
「ブレーカーですカネ」
コンロの青い光にぼんやり照らされて、デリクが天井と近くの電気機器を見回し、ついでにこたつの中ものぞきこむ。オレンジ色の光に温められていたこたつは真っ暗で、二匹の猫の瞳だけが大きく見開かれていた。
「いや。違うらしい。見てごらん、外を」
耀司の言葉に、秋成は窓へにじり寄る。外は相変わらず吹雪いていたが、さっきまでその雪の向こうに浮かんでいた隣家のほのかな明かりが今は消えている。どうやら大雪で近所一帯が停電してしまったようだ。
「この天気ですし、復旧に時間がかかるかもしれませんね」
自分の座布団へ戻ってきて、仔猫に占領されているのを抱き上げて取り返し、膝に載せてからため息をつく。下を向くと顎に猫のひげが当たってくすぐったかった。
「鍋は、中止ですカ?」
デリクはもう空腹を待てないと言わんばかりの情けない声を出す。
「うむ・・・・・・」
腕組みをしたまま耀司は考え込むときの声を出した。そして、一つの提案を持ちかける。
「しかしここで中止しては、せっかくの材料が勿体無いだろう。どうだね、このまま続けるというのは?」
「それは、闇鍋のようですね」
「闇ナベ?」
打てば響くように応じる秋成。一方、チゲ鍋やモツ鍋なら聞いたことがありマスとデリクは幽霊のような顔を秋成へ向ける。実際、コンロの炎だけで下から浮かび上がる三人の顔は青白く不気味だった。ただでさえ色の白いデリクなど、特に陰影がくっきりしている。
「闇鍋というのはですね・・・」
抱いている猫の肉球を押しながら説明する秋成と、説明を聞くデリクと。その間耀司は薄暗い光の中で、具材にちょっかいをかけてくる猫たちの喉を静かにくすぐりながら、気を逸らさせていた。

「オー!闇鍋、日本の文化、面白そうデスね!」
秋成による闇鍋の説明を飲み込んだデリクは、喜んで賛成に手を挙げた。元々、鍋だと言われ持ち寄ってきた材料のうち、デリクのものだけが鍋の具材としてはあまりふさわしくない、たとえば納豆やレンコンなど、予想外のものばかりだったので闇鍋となれば格好もついた。
「君たちに異存がなければ、始めるとしようか」
頷くが早いか耀司は真っ先に、自分の用意した具材を鍋の中へと放り込んだ。高価な鴨肉、アンキモ、それこそまさしく勿体無いと嘆く人もあるだろうに、惜しげもない。さらにハブ酒の中に入っていたハブのぶつ切りも放り込んだが、煮込まれるうちにこれはウナギかなにかにでも似てくることだろう。
「餅は・・・後だな」
さすがに、餅だけは煮すぎると形が崩れるので間を置くことにした。代わりに刻んだ野菜をたっぷりと入れる。
「それじゃ、俺も」
一方あっさりした鍋を好む秋成の選んだ具材はさっきも話題にしていたタラの切り身と豚バラ、きのこ類。ネギと春菊はくったりするまでよく煮たものが好きだった。それから、いたずら心でさっきつまんでいた和菓子も少しだけ投じる。闇鍋というくらいだから、外れがあってもいいだろう。
「さ、デリクくんも入れて」
「勿論ですヨ」
そして最後にデリクが入れたものは・・・。これは、耀司や秋成には聞かせられないものばかりであった。唯一、鍋にふさわしいのは豆腐くらいだろうか。三人の持ってきた材料を全部煮込んでしまうと、土鍋はかなり大きかったにも関わらず春菊が端からはみ出しそうになっていた。
「火が通るまで、少し待ったほうがいいだろう」
出汁がふきこぼれないように耀司はコンロの火を弱める。ますます三人の視界は弱くなる。それなのに窓の外はなぜかほの明るくて、雪の吹き荒れる様がはっきりと浮かび上がっていた。真っ白な氷雪の向こうから、月の光が透けて届いているようだった。
「星が落ちてきているみたいデス」
「落ちているのかもしれません」
「ああ」
こんな夜だ、星だって空へ留まることにくじけてどこかで休みたくもなるだろう。寒さを凌ぐ猫たちのように、どこかへ寄り固まって、耐えているのだ。
「多分な」
自分にはその光が人の魂のように見える、とは言わずに耀司は窓を見つめつづけた。
 三人が囲んだ土鍋は、静かに炎を浴びていた。

 柱時計の打つ八時半の鐘を合図に、三人は土鍋に箸を入れてそれぞれ一つずつつまみ上げた。デリクだけは箸がうまくなかったので、つきさすようにして引き上げたのだが。
「・・・それでは」
耀司の声に促され、各自取ったものを己の口へと運んだ。
闇鍋のルールは、一度箸をつけたものは一口でも咀嚼し飲み込むこと。だが、それを実行できたものは一人もいなかった。蒲鉾を選んだ秋成は舌先で一瞬味を見た直後、すぐさま箸を手放し湯飲みを掴んだ。デリクは豪勢に鴨肉だったが、一口かじると即座に吐き出してしまった。そして耀司は、口に入れた白菜を器へ戻せないまま口を抑え青ざめた声で言った。
「・・・誰だね、出汁の中にウイスキーなんて注いだのは」
チーズとワインを煮込むチーズフォンデュではあるまいし、おまけに放り込まれた大福の皮が破れて中の餡子までもが溶け出してしまっていて、とにかく出汁が味わえたものではなかった。
出汁が飲めないとなると、それが染み込んだ全ての具が同様に甘ったるく奇妙な香りを放っていて、二の箸が出せなくなっていた。言うまでもなく器にはさっき自分が取り上げた具材がそのままに残った状態である。
「どうしましょうカ」
以前、砂糖と塩を間違えた料理を食べる羽目になったことがあったがそれに負けるとも劣らない味だとデリクは思った。ウイスキーを入れたのはデリクだったが、今更言い出してもという雰囲気であったので黙っていた。同様に、大福を入れた秋成の頭も項垂れている。
 気まずい雰囲気を煽るように、電気が復旧し蛍光灯がともった。本当に顔色の悪い三人が目の当たりにした闇鍋は、焦がしたわけでもないのにどす黒い色をしている。それこそ、闇の中だからこそ食べられる料理であった。
「・・・残った具材は、なにがある?」
闇鍋を続けるかどうかの選択肢もなく耀司は訊ねる、訊ねられて秋成はほとんど空になってしまった買い物袋を覗き込む。さっき、耀司が後から入れるつもりで置いた餅と、秋成がタラを買ったときおまけにもらった天ぷらが入っていた。
「冷蔵庫には、うどんがありましたヨ」
目ざといデリクは見逃していなかった。それも、鍋が空になってから煮るつもりで事前に用意していたのである。
「それじゃ、うどんを食べましょう。それで腹が落ち着いなたら餅を焼いたのと天ぷらとをつまみにして一杯」
と、秋成は二人の顔を見回し、そして・・・。
「残る問題は、鍋だけですね」

こたつの上に居座っている土鍋は、見た目以上の存在感を漂わせ彼らに無言の罪悪感を押しつけてくる。果たして闇鍋を言い出した耀司に責任があるのか、鍋にふさわしくないものを放り込んだ二人が悪いのか。とりあえず全員、食べ物を粗末にしてはいけないという善良な思考が働くので悪い気がするのである。
コンロの火は既に消してしまったので、鍋はすっかり冷めていた。デリクは鍋に顔を近づけ、出汁の匂いを嗅いでみる。アルコールと餡子の甘い匂いは大分薄らいでいたが、指を入れて味を見る気にはなれずに顔をしかめる。と、背中の上からそれを見ていた黒ぶちの猫がにゃあと鳴いた。
「にゃあ」
応えたのは秋成の膝に載っていた仔猫。前足を突っ張るようにしてこたつの上に身を乗り出すと、器に残っていた蒲鉾をくわえぱくり、と飲み込んでしまった。
「あ、こら、よすんだ」
行儀が悪いからというのではなく、そんなものを食べては体を壊すという心配で秋成は仔猫の頭を軽く叩いた。だが仔猫はけろりとしていた。
「・・・考えてみれば、体に毒なものは入っていないのだからなあ」
繰り返すようだが、問題は味だけなのである。猫たちがそれを平気だというのなら。
「ここは、猫殿に助けを請うべきかね」
「異論ありません」
「同じくデス」
そこで三人はうどんをすすり、鴨肉だのタラだのアンキモだの豪華な食材は皆猫へと献上した。げに感心すべきは今日の天気と同じく、野生の生命力。普段は人家の裏で残飯をあさり生き長らえている猫たちにとっては、味よりも腹膨れることこそ重要なのであった。
「次こそは、俺たちが腹いっぱいになりましょうね」
うどんのおかげで体が温まり、頬を赤くした秋成がそう言うとデリクが
「闇鍋をデスカ?」
冗談とも本気ともとれないデリクの切り返しに、耀司はゆったりと目を細めた。その顔は、腹を一杯にして丸くなっている猫たちにどこか似ていなくもなかった。
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2006年01月19日

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