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『新年の良き日に 』
3009


 何時の日においても日々は穏やかに。
 穏やかに過ぎる日常こそ得がたいものだと知り、手放すのが何よりも恐ろしくもなる。
 慣れと言うものは、とても贅沢だ。
 気付く事さえなければ日々そのまま過ごしていけるものだろうに、なのに、それが出来うる筈もなく、突如として胸に飛来する。

 本当に、不思議だ。

 気付かなければ、当たり前の事にも全く、気付けない。

 いつもの日常より、更に穏やかな陽が昇り、空を染めていく。





 どのような場所であろうとも、年に一度、この日だけはいつもより早起きだ。
 暗かった空が徐々に白んでくるのを窓から見る時間が好ましく、誰に呼ばれている訳でもないのに早く起きては眺めてしまう。
 黎明はどの土地においても変わらず、美しい物の一つだ。

 徐々に変わる景色を飽きる事無く窓から眺めいた、その時、掌に暖かな感触が触れる。
 視線を落とせば、にゃあ、と小さな鳴き声。先日、新しい家族として迎えた灰色縞の仔猫、百草(ももくさ)だ。
馨は笑顔を浮かべ、百草を撫でてやると膝に乗せた。
 小さな温もりが膝へと伝わってきて、そう言えばまだ炬燵をつけていなかったと言う事を思い出した。
 起きてから、結構な時間が過ぎているはずなのに、寒さも感じずに外を見ていた自分に、
「やれやれ、好きなものになると集中してしまうのは、いけない癖ですね」
 そう、一人ごちると、まるで解ったように、「にゃ?」微かに首を傾げ、百草がこちらを見る。何でもないのだと首を振り「ほら、暖かくなりましたよ」と、炬燵布団をめくると、その中へと入れてやる。
 柔らかく瞳を細め、心地よい表情を浮かべる家族を見やると、馨は台所へと向かうべく立ち上がった。
 炬燵から出た途端、冷えた空気が肌に心地よく流れ込んでいく。
 仕込んでおいた小豆を煮ることや、雑煮を作ること、他にもやることは沢山ある。

 お腹がすいたと起きてくるだろう同居人を、ふと思い出し、馨は声を殺して笑みを浮かべた。




 とんとん……
 包丁を動かす手も軽く、馨は手馴れた手つきで野菜を刻んでゆく。雑煮を作るのも随分久しぶりだが手順は忘れていないようで、自分でもほっとする。
 まるごとお餅を入れるのが馨の育ってきた場所での「雑煮」だが、同居人はさてどうだろう?
(何処出身か聞いてなかったような……)
 地域によって異なる食文化と言うのは得てして、千年戦争の原因にもなる。
 例えば、ほんのささやかな違いであるにも関わらず「目玉焼き」にかける調味料の違いでさえ、論じなければならないこともあるくらいだ。

 が、いつも作る味噌汁に、彼女が文句をつけたこともないし、馨自身、彼女が作ったもので文句を言った覚えもない。

 ―――なので。
(……多分大丈夫なのでしょう、うん)

 ふっと浮かんだ食文化の違いを否定しながら、馨は柔らかな照りを放つ煮豆を見て、大きく頷く。
 一品一品確実に増えていく品を、器へ盛り付けていきながら食事の準備は着々と進んでいき、作り終え、居間に運んだ頃には同居人が目を覚ましたのだろう、居間へと向かう足音が聞こえてきた。
 勢い良く襖を開ける音がややあって響く。

「おや、おはようございます。今日は、いつもと比べて随分早起きですね」
「いい匂いがしたからな、起こされた」
「それは何より。清芳さん、お餅は柔らか目が好きですか、それとも固め?」
「固めが好きかな……所で百草は?」
「……まさか、モモにまでお餅をあげる気ですか」
 馨の声が、一瞬引きつるが、直ぐに清芳が手を振り、それを否定する。
「いや、まさか。そうじゃなくて私の方に居ないから」
「…先ほど、私はモモを炬燵の中に入れましたが……はて」
 清芳が今一度確認すると、炬燵の端の方に姿が見え「居た」と呟く。
「小さいからかな。時々見落とす」
「その様ですね。じゃあ、お餅を焼いてきましょう。後お雑煮もありますから、煮豆ばかり食べないで下さいね」
「ああ。凄く懐かしい匂いがして驚いた」
「運良く、と言いますか……白味噌が見つかったのが、何よりでしたね」
「本当に。食べるのが、楽しみだ」





 金時人参、祝い大根、からし芋……そうして、丸餅に白味噌、三つ葉。
 最初に作っておいた味噌汁や、仕込んでおいた野菜や丸餅を火にかけ、温めたらお椀によそって出来上がり。

 馨が居た場所では当たり前のように出されていた、雑煮。
 違う場所では白味噌ではないらしく、好奇心も手伝い、それらを作ってもらい食した事もあるが、やはり今まで食べてきた雑煮に勝るものはなかった。

 ――さて。

 先ほど「懐かしい」と言っていた人物は「美味しい」と食べてくれるだろうか?

 固めに焼いた餅が柔らかく膨れ上がったかと思うと、直ぐにぱちんと音立て、消えた。





「お待たせしました。温かい内に頂きましょうか」
「ん。……ところで馨さん」
「はい?」
「百草が興味深そうに……」
 言葉の続きを言わせることなく、馨は小皿によそった魚の煮つけを出す。「お年玉代わり」にと言いながら置けば、喜びを尻尾で表し、小さな頭を撫でてやれば美味しそうに喉を鳴らす。
「お見事」
「有り難うございます。どうです、お雑煮の味付けおかしくはありませんか?」
「いや、美味しい」
「安心しました。では私も」
 頂きます、と馨は行儀良く、手を合わせ、お椀へと口をつける。白味噌の優しい味が喉を潤し、やがて、身体中に染み渡って行く。
 本当に懐かしい味だ。
 向こうで当たり前のように飲んでいたものが懐かしく思え、更に、その時の長さに興味深ささえ思え、明け方に考えていた「当たり前」の日々を思う。
 不思議な、ものだ。
「ご自分で作ったものでも美味しいだろう?」
「本当に。そう言えば先ほど聞かなかったんですが」
「うん?」
「清芳さんは何処の出身です? 懐かしいと聞いていましたが……」
「ああ、生まれは京都なんだ。幼い内に江戸の方へやられたけれど」
「なるほど、だからなんですね」
「うん。馨さんは生まれも育ちも京都っぽいが」
「それは褒め言葉なんでしょうか……?」
「勿論。品が良さそうだと言っている、つもり……なんだが」
「つもりじゃあ、いけませんよ。つもりじゃあ」
「申し訳ない。これから気をつけよう」
「はい」
 他愛ない言葉を交わしながら囲む食卓。目の前に居る人たちと、当たり前のように過ごしている不思議。
「ああ、そう言えば清芳さん、午後は予定がおありですか?」
「いや……今日は一日、のんびり過ごしてようかと」
「お参りはどうするんです、お参りは」
「……こんな元旦から、参拝に行った暁には人ごみに押しつぶされるのがおちじゃないか」
 だから、空き始めた四日以降に行く、と呟いた清芳に馨は、待ちなさいと遮る如く手を翳した。
 その動作に思う事があったのだろう、清芳は「しまった!」と顔を強張らせ、更には身体さえも強張らせた。

 ……無駄に器用なのかもしれない。

「良いですか、清芳さん。今日と言う日、神は我々に一番近い所にいらっしゃるのです。幾ら、清芳さんの職が神に近くても、其処でサボっては意味がないことであり……」
 とくとくと諭す馨の言葉に耳を塞ごうにも塞げず、「はいはい!」大声で清芳は叫び、解ったと手を振った。
「わ、解った。人が居なくなる時間で"今日中"には行くとしよう」
「解って下さったなら、良かった。じゃあ、夕方以降に行くとしましょう♪」
「了解。しかし、馨さんは本当に、良い嫁さんになれるとつくづく思う」
 ご馳走様。
 そう言い、箸を置く清芳を、真似したかのように、猫が小さな声を上げ、瞳を閉じた。健やかな姿を見ながら、今の言葉をどういう意図で言われたか解らず、
「……いきなり何を」
 言うんですかと馨が言おうとするのを、清芳の言葉が打ち消す。
「いや、今日のお雑煮にしても煮豆にしても美味しかったし」
「作り方を覚えていると言う事もあるかもしれませんよ?」
「そう言うものかな」
「そうです。清芳さんだって本を見れば作れるでしょうに」
「まあ、多分……」
 けど、これだけ出来るかどうかは疑問だ。
 呟く清芳に、馨は「はて」と首を傾げた。
 この人は、今、何を言おうとしているのだろう?
「どうかしましたか?」
「何でもない。ただ、良いなあと思えただけだ」
「何がです?」
「こう言う、当たり前の風景が。起きたら御飯が出来てて、目の前の人と喋って、凄く当たり前の事なんだけど」
 良いじゃないか。
 凄く。
 同意を求め、清芳は馨へ視線を合わす。
 が、
 見えたのは、やけに驚いた顔で。

 何故なのか清芳は、冷たい汗が背へと、ゆっくり伝い落ちていくのを感じていた。





 言うのも言葉。
 返すのも言葉。
 けれど、不意打ちの言葉と言うものは、言う側にも言われた側にもあって。

 ほんの僅かの期待と、ほんの僅かの落胆。

 やって来るのは、どちら?




「……あの」
「何だ」
「申し訳ありませんが、今の言葉をもう一度言って下さいませんか?」
「な……何故っ」
「お願いします」
「……何て言ったか、良く、覚えてない」
「そう仰らずに」
 ね?
 問い掛けるように、確かめるように馨は次の言葉を促す。

 物凄く、重要な言葉が含まれていたような気がする。

 はぁ……
 小さな諦めに似た溜め息の後、清芳が口を開く。

「良いじゃないか、と私は言ったんだ」
「はい」
「当たり前の風景が、凄く良いなって」
「ええ。清芳さんが仰るその風景の中には」
 馨が言葉を区切る。
 その区切りに戸惑ったように、青い瞳が大きく、揺れた。
「私が居るんですか?」
「………ッ!!」
 息を呑んだ。
 自分が言った言葉が、其処までの意味を持つとは清芳自身、気付いていなかったのだろう。数度、息を継ぐように忙しない口の動きがあるばかりで。
「どうなんです?」
「な……何で」
「はい?」
「何で、そう言う事に気付くんだ」
「そりゃあ、清芳さんよりは少しだけ長く生きてますから」
「そ、そうか……」
 こうなるともう、どうにも誤魔化しが効かない。先ほど食べた雑煮や煮豆の味さえも忘れてしまいそうだ。
 耳が熱を持っていくのを感じ、大きく、息をつく。

 …少しずつ、呼吸が整えられる。
 何かを言おう、言おうと思うが上手く纏まりそうになく、清芳は大きく首を縦に振るだけに留めた。

 その動作だけで許容範囲を大きく越えており、言葉にして言うなんて言うのは出来そうもなく。だが、答えを返したと言う事は当然の如く、もう一人、人が居る訳で。

「今の動作は、肯定と言う事で良いのでしょうか」
「………」
 こっくり。
 無言の頷きに、馨の口元、穏やかな笑みが浮かぶ。
「今日は、新年最初の日ですけれど」
「?」
「私には、色々なものが形を変えて、開けてきたような気がします」
「……ええと?」
「……有り難うございます」

 頷くより何よりも、伝わる言葉。
 ほっとした清芳と、笑顔を浮かべる馨の表情が何よりも、雄弁に語っていた。


 数多の誓いの言葉も、今は上手く言えないけれど。

 これからも一緒に居よう。



―End―

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┏┫■■■■■■■■■登場人物表■■■■■■■■■┣┓
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┗━┛★PCあけましておめでとうノベル2006★┗━┛

【 3009 / 馨 / 男性 / 25歳(実年齢27歳) / 地術師 】
【 3010 / 清芳 / 女性 / 20歳(実年齢21歳) / 異界職 】

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■         ライター通信          ■
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 馨様、こんにちは。
 今回、こちらのノベルにご参加頂き本当に有り難うございました!

 清芳さんとご一緒と言う事で、馨さんが一人のところは個別になっております。
今回、お雑煮を調べるのが凄く楽しかったです。私は関東なのでお醤油ベースですが、
色々な場所で色々なお雑煮があるものだなあと興味深く思ったりもして。
 僅かな部分でも楽しんでいただけたら幸いに思います。

 馨さんにとって、今年と言う年が少しでも良い年でありますように。
 また何処かでお会いできる事を祈りつつ、本年もどうぞ宜しくお願い致します。
PCあけましておめでとうノベル・2006 -
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2006年01月11日

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